お問い合わせ・お申込みは

お問い合わせ・ご相談・スクール・レッスンお申込みはこち
(お名前・ご連絡先・ご希望メニューをお知らせください)

2015年9月4日金曜日

【詩】愛のレッスン:与える愛・結ばれる愛とは何か?

栄養価の高い食材を与えることも「生きることへの愛」ではないでしょうか。
パスタや粉ものがマルエツの半額以下!「富澤商店」デビューしました〜。
食生活を細やかに充実させることを決めたのであります。
自分の中心からの声とようやくつながりはじめた「精神」を
しっかりとした肉体の器に宿したいと感じていた矢先、
ひょんなことから卓越した栄養組み合わせバランスを心得る
管理栄養士の方のレシピにはまったことをきっかけとして
健康食材を幅広く摂取する必要を感じ始めて・・・


愛は惜しみなく与えるもの
与えても与えても
きっとそれは足りないぐらいかもしれない

こんなに与えるなんて、私が枯れてしまうのではないか?

それは誤解である。

愛は尽きせぬ泉だからーーー

どんなに与えても与えても、余りあるほど溢れ続けるのが
愛のすばらしさです

受け取る側がその姿勢にあるときなら

その愛の器が
いっぱい いっぱいになるまで 
与えることをくり返すのが
相思相愛の道へのヒミツ
(※この場合、男女間だけでなく、親子間、友人間、上司部下、師弟もろもろすべての間柄をさします)

もういっぱいになったよ おなかいっぱいだよ

受け取る側のシグナルが変わったら

あなたの「愛」が通じたしるしです

おめでとう、頑張ったんですね、本気だったんですね
「愛のレッスン」及第です



★ さて、この問題は、単に「あのひとに対する愛」だけに限りません。
そもそも、誰かを愛するという行為は、
自分自身を愛するスキルと同等の行為が展開されるわけです。

まず他者にさしむけるにあたって確かめなければならないことがあります。

あなたは第一に自分自身にやまほどの愛を与えられていますか?
それも、とりわけ、
あなた自身が真に望むものを与え続けることができていますか?

第二に、あなたは自分の大切なひとに与え続けることができていますか?

「私ばっかり!」とケチっている場合ではありません。
自分に対してやまほど愛を与えきることができていないひとは
「私ばっかり!」と感じることでしょう。
自分に対してやまほど愛を与えきることができているひとは、
「与えてもらうことの」重要さを心の芯から、熟知しているから
大切なひとが愛に乾いていると知れば、与えずにはいられなくなるはずなのです。

また、それゆえ、愛を与えるとき、もしもそれが本物であれば、
たとえ何がかしらかの代償として傷みをともなったとしても、
根本的には喜びであるはずなのです。

理屈ではなくて、腹からのものとして。

よくありがちなのですが、頭で「与えて喜びだ」と言っているレベルは
自然とどこかで「不満」がつのってくるものであります。

その場合の対処法は、
その「不満」を、あなたが「いいな」、
「受け止めてくれる」、と感じる対象に向かって解放し、
受け止めてもらうことが、ひとつ。
そして、その「不満」がじつのところ自分自身に求めているものが
何なのかをつきとめ、現実的に補う対応策を講じることが、もうひとつ。

この2つがキーです。

相手が受け取る姿勢にあるのであれば
とにかく「愛を与える」のです。たくさん、たくさん、たくさん。
色褪せることのない太陽のように。
例外としては、相手が受け取ることを拒否している場合は別かもしれません。
それであっても、ひとによっては
「拒否しているところをも、押し入ってケアしてくれるひとが真の愛の相手だ」
ととらえるひともいるほどです。

私たちの多くが愛に飢えていることでしょう。

ならば気づいたものから、愛を惜しみなく分け与えていくことこそが
愛に満たされた人生を養うための秘訣といえるでしょう。

愛のプロセスは十人十色です。
誰かのうまくいった方法があなたとそのひととの間に役に立つとも限りません。
あなただけの、そして大切なあのひととの、愛のプロセスにぴったりのケア法を
一緒に見つけ出すお手伝いをしております。

★個人セッションのお求めはこちらからどうぞ 

【詩】思い通りにならない人生のために

見た目にもかわいい!
赤坂サカスにある「青山フラワーマーケットカフェ」のローズソーダです。
すっきりさっぱりとしたお味にほんのりとローズの甘みと香りがプラスされた
ちょっぴりラグジュアリーなドリンクでした。

思い通りにならないことが、いっぱいあるのが、生きること。

昔も今も、誰かが誰かに、小声でささやいている人生訓。
使い古されすぎて、さんざん聞き慣れてきた、その定義。

ゆりかごから墓場まで
大波小波問わず
繰り返される、運命の輪は、
ガンガン私の楽な道をノックアウトしてくれるーーー。

ああ、なのに!
予測不可能な現実を楽しむことができないなんて
なんと、バッドなセンスだろうか。

何が私の人生を不幸にしているかといえばーーー。

安全パイ狙いの、頑なな私。

ああ、もう、さようなら。
真の安全なんて、どこにもないのだから。

雲を見よ。
波を見よ。
地底に眠るマグマを見よ。
地殻の変動を見よ。

自然のどこにいったい、ぬくぬくとできる、安全地帯があるという?

 LIFE
その舞台は、危険に満ちた、アマゾンの森。
LOVE
その舞台は、スリルと背中合わせの、サバンナの砂漠。
DREAM
その舞台は、無重力と隕石の闘争、大コスモス。

予測不可能な冒険上手といわれたら、最高の褒め言葉でしょう、
きょうから私も人生の達人になるのよ。

予測不可能、それは浪漫(ロマン)のたしなみ。

風をきって、航海にでる、かつての冒険者たちにならってーーー。
胸のときめきよ、高鳴れ。

まだ見ぬあの空を追いかけて、疾風せよ。
私の胸のうちに隠された、宝のありか、
喜望峰に向かって時を巻き返そう。

バッドなシーンに遭遇する?
OH NO
それぞ、冒険の醍醐味。腕の試しどき。
ハラハラ、ドキドキ、手に汗握る
艱難辛苦 乗り越えるからこそ、武勇伝、
その数も更新されて、ハートの王冠 勲章 増えれば
解き放たれる輝きも倍増

OH NO BABY
怖がらせたら、ごめんなさい。

エキサイティングなファイティング
心の準備は

甘い甘い夢の味を知ることから始めるのが通

心の動機を確かなものにするから
生きることのアップ&ダウン 
ワインディングロードも なんのそのになる

心折れた日は

いつの日か見失われた甘い夢を
いまいちど点検するのがgood(グー)
たぐりよせたハートのダイヤが
パワーをチャージしてくれる ボルテージも上がる

SWEET SWEET MEMORIES

勇気に火をつける 心のスタミナ

悲しみ 悔しさ 憤り ぜんぶバネにして 

必ず取り返そう MY VICTORY

天使のラッパが祝服のメロディを奏でている

うっとり耳をすませば 他の誰でもない
<私>のための祝婚歌 鳴り響いている

おめでとう<私>
おめでとう<あなた>

世界をバラのブーケでいっぱいにしよう
世界をハートモチーフのじゅうたんでいっぱいにしきつめよう


最近、またまた恋愛の局面を通じて
「内なるグレートマザーの叫び」を発見してしまいました〜。
地球サイズのビッグハートと自分に言い聞かせ精進怠らない毎日です。
すべては「母なる大地」にのみこんでいただく、そんな心です。

★「思い通りにことが進まない」。
どのようなテーマであれ、そんなとき人は「生きづらさ」を覚えるのかもしれません。
そういうときは<予測不可能な人生を航海する冒険者のロマン魂>にアクセスすることができると、人生の奥行きと深みを知る、
ワンランクステージアップした人間性を磨くことができるのかもしれません。
「人間性なんて磨きたくない!辛いのがどうにかなれば!」。
そんな声も聞こえてきそうですが、どうしようもありません、
私たちが望むと望まざると、魂の指向性のひとつに
「次元上げ」「ステージアップ」「指向性の完全燃焼による成長」をあげられるからには。
行くっきゃありません!<MY WAY>。

では、何が「私の道」か?
つきとめるのは、残念なことに、一人では見つけることは難しいのです。
メイクをするとき、髪を切るとき、「鏡」を必要とするようにーーー。
人のことはよくわかっても、
自分のことほど知るのが難しいものはないのではないでしょうか。
あなたもまだ気づいていない<見失われたMY WAY>=<あなたの本質(ネイチャー)が必要としている真のDREAM>探しの旅を、私はがっちりサポートします。
ここを見つけられることで、人生のトラブルは緩和していきます。
「生きることの苦しみに疲れたあなた」のための<磨かれた鏡>でありたいと、
私は常に願っています。

★個人セッションのお求めはこちらからどうぞ 


2015年9月1日火曜日

【詩】愛を言葉に求めるひとへ

うなり声をあげるように燃え上がる
真夏の雲の不安定な表情に引き込まれました。

愛それは

言葉を超えている。
愛それは
あたたかなまなざしからにじみでるもの。
愛それは
こぼれる微笑みに光るもの。
愛それは
やわらかな声音のほとばしり。
愛それは
思わず触れ合う指先に宿る小さな稲妻。
愛それは
ともにたたずむだけで世界の脈動にふれる瞬間。
愛を言葉に求めるものたちへ。
言葉ははかない、めくるめく万華鏡。
愛を表わすために、言葉を選ぶことは
大切な人の心を震わせることができるが
言葉の向こうにある、永遠の愛は
やわらかな心のひだに分け入る
勇気と優しさと丹念で粘り強い営みから育まれるもの。
くれぐれも小さな言葉の幻に踊らされることのなきように。
愛に、言葉はいらない。

★すぐそばにある愛を感じられるようになるには、あなたのハートが枯れていてはいけません。
あなたのハートが、愛のガソリンで満タンになるときに、
どれが本当の愛で、どれが見せかけだけの愛風なだけであるかを、
見分けることができるようになります。
あなたにとっての「本当の愛」とは何でしょう?

あなた自身が自らそれを補うことができるようになるとき
「真実の愛」をつかみとりにいく、勇気とタフなハートが輝きだします。
そして現実もそのとおりになっていきます。
私(大崎・深層心理セラピスト)とのていねいな対話のなかで、
一緒に見つけ出しませんか?

★個人セッションのお求めはこちらからどうぞ 


【詩】永遠の愛のための苦しみ

この夏、福岡・北九州に小旅行しました。
自然と町とのほどよいバランスは
とても私の好みで、心打たれてかえってきました。
自然に包まれたとき、自分の中心とつながりました。
ずっと追い求めていたものが何だったのか、
はっきりと五感で確かめることができ、感激したのでした。

何もかもはうつろいゆき、儚い。

そのなかにあって、ただ一つ、永遠のものが存在する----
愛だ
愛を求めるものは後をたたないだろう
けれども真にこの永遠なる愛を経験できるものは少ないのかもしれない
愛それは魂そのもの
魂とはすべてを包括する存在だからして
愛を知りたければすべてとは何かを見つけだす旅にでるといいだろう
特別な場所にでかけてもでかけなくてもいい
愛はつねに、すべてはつねに、あなたとともにいるのだから
見方を変えていくことは苦しいかもしれない
それでも愛を見つけ出さない苦しみにくらべたら
キュアできる傷みにすぎない
愛を見つけ出さない苦しみときたら
永遠にキュアできない傷みのことなのだから


★あなただけの「愛のありか」を見つけ出す旅を、私はまごころこめて応援しています。
それがfiore流心理カウンセリングです。

全ての物語は「愛のためのドラマ」だからです。
私たちは、愛を見つけられないために、苦しみがあるのではないでしょうか?

★個人セッションのお求めはこちらからどうぞ 

2015年7月11日土曜日

父親を許せるとーーー私の中の「鳳閣星」


きょうは久しぶりのお天気となりよかったですね!

夏はスムージーが飲みたくなります。

写真は、小松菜とバナナと幸水ナシとレモンで
酸味のきいたさわやかな組み合わせとなっています。

全身にすっきりピチピチとしたエナジーがかけめぐります。

童心を取り戻した私は、幼少のころのようにふたたび
ホテルのラウンジ巡りをはじめましたw
こちらは有楽町ペニンシュラの24F。
(個人的にはそんなに好きではなかった。先日のリッツのほうが好き)

子供のころシンガポールに2年ほど住んでいたことがありました。

当時、海外駐在員の40代夫婦の娘としては
それなりの贅沢な暮らしをさせてもらっていたと思い出します。

それが私にとってよかったか悪かったかはわかりません。
(いいも悪いもないし、私が所有しているエネルギーの組み合わせは
恵まれるとむしろ精神が鍛えられず社会適応性とハングリーさがダウンする
指向性がありますため、恵まれた生活環境がよかったかどうかははてさて。
でも両親が頑張って築いたプロセスには今では心から感謝しています。
その要素があるおかげで私は得るものも山ほどあったからです)

母親は昔からアートが好きで
ゴージャスで美しい場所も大好き。
時間があると、ホテルのラウンジのハイティーに連れて行ってもらっていました。

母親の趣味志向を学習した、といえばそうかもしれませんが
タオセラピーでやまほど自己を掘り下げている私からすれば

「私が、風流なことが大好きで、あの母親を選んだ」としか
思えなくなってきています。


心理療法で情緒面のカタルシスをやまほど経験し味わいつくし
未完了のうらみつらみ怒りや孤独と文字通り精神の死を達成するために
やまほど受け入れてきました。
(たとえるなら、武術家が、鍛錬のために、身体にジャブをわざと打ち込んで
肉体の痛みを超越した柔軟な心身を磨くのに等しいと私は理解しています)

そうなってくると、
両親との関係性は精神面において確かに影響するところはあるかもしれませんが
その両親をつくりだしているのも、その子供自身でもあるという観点が
タオセラピーにはあります。
そんなタオセラピーは
量子物理学の非局在性の論理に支えられているわけでして、
この問題に向き合うことができるようになるためには

浮かばれない自分自身の心情と向き合うなかから
「こころと精神の自由、そして解放」を体得することが助けになるのではないかと
私は考えます。

浮かばれない感情が邪魔して
自然が授けた自分自身のネイチャーパワーを真に受け容れることが
難しくなるからです。

そのひとらしいネイチャーを咲かせる旅路のおともが私の仕事。
目に見えにくいからなかなか伝わりにくいのですが
私は自分が自然の一部として機能できている充実感とともに
ものすごい生きがいとやりがいを感じています。
その機会を与えてくださる、みなみなさまにいつも感謝しています。


そうして解放された自己のエネルギーとていねいに向き合ってみると
驚くべき素晴らしい自分自身にめぐりあうことができます。

たとえば私は
父親に殴られた記憶と
両親がいつも離婚騒ぎを繰り返す胸のちぎれるような痛みと
存在するだろうと期待していたはずの兄(家族の因果により中絶させられた)と
今生でめぐりあえなかった深い悲しみ、など。
(ただの変なブラコンですが、これもタオセラピーだと、干支の配置で、いかに私の幻想であるかが読み解けるのですから、やれやれなのです、人間とは。
私の日干「己」土が、すぐとなりの月干にもうひとつ
そっくり同じものがあるからと読みます)
もろもろに対するやるせなさや怒りを隠し持っていましたが
「そんなもんいちいち気にしてたらやってけない」というわけで
スプリットさせて前進したのですが
なんといっても「こころの器」がつくられないままに大人になったせいで
スプリットさせたものがブーメランのように私にふたたびヒットして
身動きのとれないトラブルだらけに見舞われることとなっていったのでした。

こころの器ができていないと
スプリットさせてしまう、
これは人格障害気質を生成します。

(現代人にはたくさんいます)

これらのスプリッティングしてきた要素と
しっかりと向き合い、自分が気に入ったガイド役のひとに導かれ、
ていねいに受け止めてもらいながら、
「大きなこころの器」をつくることができるとき

自らの悲しみを、自らの胸のうちに
ていねいに優しく、ゴロゴロと音をならす猫の首をなでるかのように
慈しむことができるようになるのです。

そうして見つける自分自身とは・・・

親の遺伝子、満載!
嫌いだった親の姿のなかに見つける、
私のなかの豊かさといったら!

私は、最近、気が付いています。

自分のなかの「鳳閣星」がようやく
広範囲の意味をもって燃焼しはじめているのを。

これまではなんとなく
「風流好き」とか「マスコミ系」とか「ありのまま伝達」とか
ぐらいだったのですが・・・

父親の胸の星なのです。鳳閣星。

どこかでスプリットさせていたのは
「中庸」だったのでした。

父は私を殴る蹴るしました単細胞ですし
アスペルガーも入ってるし
自閉症的でもありますが

見落としていたのは、それはそれで父はバランスをしっかりととれる
のんびりとした精神力があるという点です。

私はそれを長いこと見失っていましたが
ここにきて回復してきました。

父親を許し、肯定的に受け入れることができるようになったとき

私のなかの「鳳閣星」は生来あるべき姿として
燃えてきているのを感じられています。
嬉しいことです。

また私はこれを「西」の位置に持っていまして

そのひとの婚姻関係とは「焦ってはいけない」
「自分がいいと思うまで時期を待つ指向性」と算命学は教えてくれます。

お〜〜〜〜い。

20代の結婚は、見事に「焦ってした」のでしたw
母親の存在が怖くて。

父親の指向性をスプリットして
母に急き立てられるだけの私になったおかげで
見事に、エネルギーは反作用をおこしたのでした。

無意識のおかしなエネルギーに襲われて
離婚という顛末をむかえます。

***

今、私には好きなひとがいますが、
焦りがちなマインドを「こころの器」のなかで手なずけながら

あえて
「のんびり、バランスを大事に、ここぞ!いいぞ!と感じられるまで」
じわじわと、ちょびっとずつその人との関係を見つめることに成功しています。

そのペースは、彼のペースとも合うのかもしれません。

6月から浮上した福岡行きの話は
ようやく8月のお盆の時期で日程がフィックスしました。

そのひとは「南」(精神の未来・自己の夢)の位置に
「鳳閣星」を持っているひとなのでした。

父親を許せる日を夢見て
心理療法や錬金術、タオセラピーそのほかもろもろ
いっぱい頑張ってきてよかった、と思っています。

自分らしい人生。
自分らしいプロセス。

見つけることができれば
地上も楽園になります。

★個人セッションのお求めはこちらからどうぞ 







2015年7月7日火曜日

七夕の夜に想いを馳せる〜魂の恋人同士のための夜

子供の頃から、私にとって
七夕はとても重要な日でした。

私の誕生日が12日だからです。

小学1年生だった私は
七夕の夜のお天気が本当に重要でした。

年に1度の逢瀬がかなわないと
まるで自分の誕生日がやってこないのではないかというような気持ちで、

七夕と自分の誕生とを関連付けてとらえていたのでした(笑)。

また、ロマンティストの私は、
1年に1度だけ許されるふたりの関係に
純なものを感じ取って
うっとりとその日を楽しみにするのでした。

心理学的に考えますと、
これは私の個人神話になってしまっていますね。

私のマインドは望んではいないのですが、
私のスピリットは、スーパーピュアラブを志向していることがうかがいしれます。とほほ。逃れられない私自身を引き受けて生きているつもりです。今は。

現実的になかなか結ばれなくても、
そこに真実の愛があれば、

べたべたな現実のために
冷めた関係をつづけるふたりでいるよりはいい、と。

(え、それって、うちの両親に投影していたものではないかと)

私はものすごく現実的な女性ではありますが、

どこかで激しく精神的な形而上的な愛を初志貫徹しようとする、修道女のような心をもっているのでありました。

さて、七夕の織姫と彦星の暗示は、誰ものなかにある「魂の恋人同士」であるとしたら
みなさまは、どのように思われるでしょうか?

七夕の願いごと、それは、あなたのなかの身失われた「異性性への愛のことば」であるといえるかもしれません。

そう考えるとき・・・。

みなさまのなかの男性性と女性性、

今宵は結ばれているでしょうか?


私のなかの男性性と女性性は、
悲しい恋のお話を紡ぐ形で
ひとりの暗い部屋で昇華させております。

なぜなら、私のなかの男性性は「表現者」だからです。
とりわけ「小説家」なのです。
私のなかの女性性は、圧倒的な少女性と、パワフルな母性の塊ですが。
少女と母性と小説家魂を、こねこね、とさせて、おもちをつくような心で
えんやこらと、パソコンに向き合います。

(あ!このひと寂しいのかしら?と思わないでくださいね。私がお話をつむぐときは、背中に真っ黒な地底パワーを背負ってではないと、取り組めないだけのことなので)


どうか
天高く遥か彼方の星と星のめぐりあいのように、
みなさまにも、素敵な奇跡の夜が舞い降りますように。




2015年7月3日金曜日

リッツカールトンホテルのラウンジでスッキリ★&今週のお花たち


きょうは1日フリーでした。

さあ、遊ぼう!楽しいことしよう!

と考えたのですが、

いつもより贅沢な場所にでかけることぐらいしか思いつきませんでした。

といいますのも私にとって
「遊び」=「お仕事の新しいアイディアを創造すること」でしかないため。
お仕事の新しいアイディアや
今後の活路の開拓のヒントを見つけられるような場所にでかけることが
私にとっての最高の遊びなのです。

というわけで、選ばれたところは

六本木ミッドタウンのリッツカールトンホテルのラウンジでありました★


遊びのない
つまらない人間?
いえいえ、自分らしく生きているひとと呼んでください♪

タオセラピー的に考えると
私は東に「禄存星」があるために
「愛の問題」についてこんこんとお仕事に変えているわけですが
それと「遊び魂」がくっついているために
せいぜいが西にある「鳳閣星」的にのんびりバランスよく〜
「愛の問題」について考えられれば、ぜんぶ遊び、となってしまうのですね。


「鳳閣星」は風流心豊かであるために
美味しいものも大好きですが
こちらのランチは、見た目もお口にも嬉しい感じ。
羊のカネロニとそら豆ソース。


いんげんのスープとサラダ。
これのパンと、アイスティーのセットで
幸せ〜を満喫しました。

目にとまるものの影響を強く受けやすい私は、

お仕事柄、心身をクリーンにするため
「美しいもの」になるべくたくさん触れるようにしないと
息が持たなくなるのですが(笑)

私の場合、空間芸術とかにめっぽうフラートされてしまうのでした。

人間がつくりだしたアートの世界にひたっていると
私はぐるんぐるん浄化される、という不思議なタイプ。

タオセラピー的に自分で考察しているのは
「己」土を4つも持っているせいなんだわ、と理解しています。
「己」土は、十干あるうち、唯一「人間」が存在する世界であり
「街」をあらわしているからです。

もちろん私も「森」や「海」「川」「大地」が大好きです。
たまにはでかけて、大いなる母たちのパワーを頂戴します。

ですが、「街」の美しい建造物もたまらないのです。
人間の現実的な営みを直接的に包んでくれるものだからかもしれません。

おかげで、きょうは(母と連れ立ったのですが)
ふたりでタオセラピーを連発しあい、
ニューアイディアを次々に授かることができました。

ふたりで「マッサージ代よりも安くて、充実度が高いぞ」と
喜んで帰ったのでした。
(マッサージも時には私は利用しています、が、不必要にマッサージで癒されるよりも
適材適所で、こういう癒しもいいよね、という意味です)


サロンに戻ってから、結局、情報整理などのお仕事をやっぱりしてしまう私なのでしたが
ふと目をやるとテーブルの上のお花が、はや60歳代の表情に!

あわてて19時の閉店間際にかけこんで
お花選びのセンスが合う
お気に入りのお兄さんと、お花選びの時間に★
(このお兄さんは、きっと「辛」金を持っているにちがいない、と勝手に
私の「辛」金好きがニヤニヤするのです)

いつも店内を見渡してさっとどの色合いにフラートされるか
インナーワークしながらチョイスしていくのですが

本日は「紫色」にひきつけられました。

ですが、私の知っているお花は紫色のトルコキキョウぐらいしかなく
それだとちょいとトゥーマッチだなぁ・・・と

「すみません、紫色が気になりますが、もうすこしくどくない
すっきりとした印象のものはないですか?」

とといますと、おすすめくださったのが、こちら。

「アガパンサス」というのだそうです。


にょきにょき、円の中心から細い茎がのびて、
それぞれに繊細な花びらが、先のほうで
ゆらゆらと動くさま。
花と花の間の隙間のあんばいなど
自然が生み出した絶妙なバランスとしかいいようがありませんね。

こちらを基準として
次々に組み合わせを考えていきます。

この行程が非常に楽しい、クリエイティブタイム〜。

どんな順番で選んだか残念ながらもう忘れてしまったのですが
教えてもらったお名前を順に。


アルケミラ。


ディクロラ。


アスター。


エンシクリアピンク。
なんと、ラン科。すっきり細身。
すこし下向きに提灯みたいに垂れ下がっているのですが

「まるで七夕の短冊が垂れ下がっているみたいですね」

と、私の感想。


クルクマ。


ベロニカ。

そういえば、私の好きな作家のひとりである
パウロ・コエーリョの某作品の
タイトルにある女性の名前がこれだったなぁ〜、と。




セファランサス。

もうどれもこれも、知らないばっかり!!

やっと一つだけ・・・。


カーネーション。

***

毎週、定期的に見立ててもらっていたら
顔を覚えてくださったのか
会話を楽しんでくださったのか
帰りがけにお名刺をいただきました。

私、常連さん♪

お気に入りのお店の通になるのは
悪くない、幸せな証拠かな、と

足取り軽く、帰路についたのでした。

***

週末はおかげさまで大入り。

なお

7月5日(日)10時〜はご好評いただきました
じゃんじゃん恵まれる金運セミナーの
リクエスト第3回目。

ご興味ある方は、ぜひご連絡ください。

あなたの福の神の方向性を体感していただきます。