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2014年9月20日土曜日

恋愛にもきく♪感性と直感に従って生きる技術をご案内する幸せ☆


微細なエネルギーの変化や「違い」や「違和感」の意図を
as soon as possible 
できるかぎりすぐにキャッチできるように
私は鍛え続けてきています。

おかげさまで手前味噌かもしれませんが

私の場合、初回面談でいきなり
核心をつく話題にまで知らぬ間に
ふたりで落っこちていることは多々あります。

(初回面談というのは、来談者の方も初対面の私に対して
当然ぎこちなくなるわけですが
後半戦、一気に問題の本質を読み解いて、
ツボをマークすることは私の得意とする話法です)

この境地に至るまでに
いろいろな技術と
こころの修練をくりかえしてきており


その「生きやすさ」につづくテクニックを
必要あるクライアントの方にもシェアさせていただいてきております。
きょうのカリキュラムのひとつには
神経言語プログラミング(通称NLP)の基礎クラスがありました。


こんなアルファベッドを書き並べた
「ABCゲーム」と称する運動エクササイズを
ご体験いただきました。

簡単にいうと

「無我の境地の端緒」をつかみとっていただくための
10分強のワークなのですが

ご参加くださったみなさま

なかなかよい見解を発見するに至っておりまして

よかった、よかった。

「これ、楽しい」と異口同音におっしゃっていただけたのもよかったです。

楽しんでいるときにこそ
学びの吸収力はあがるものでありますものね。

もちろん、学びのほかの行動においてもしかり。

***

そのほかにも「インナーワークのレッスン」もありました。

本日のテーマは「聴覚」情報に注意を払い神経を
磨いていくステップだったのですが、

毎回ご覧いただくデモンストレーション内で私もワークを10数分行うのですが
本日、
私は自分が「即身成仏になるために入る穴の中に入って、
そこで無音、静寂とともにいる」音世界にまで
つながっていったのでした。

興味深かったので、

夜、食後に
このときの続きを行いましたらば

好きなあのひとの声ががんがん鮮明に聞こえてきたのでびっくりしました。
ふだんからわりと私はキャッチしやすいほうなのですが
きょうのは核心に迫るディテールまでもが情報として入ってきたので
現実的なふたりの間にある「不自然さ」に対するわけと意図が
深く納得できるような類でした。

お断りしておきますが
統合失調ではないですからね。


それは、私が実際上の彼の行動から受け取っている情報とは異なるものでして

簡単にいうなら
「feel」がつかみとっている世界ともいえるかもしれません。

ひととひとの間にあるものは
本当に奥が深いのであります。
現象だけで判断してしまってはもったいない
真実というのはたくさんあるものです。

感性と直感に従って生きる喜びと信頼、そして充足感を

たくさんの方にも知っていただきたいなあと思いながら

日々、学びにおいでくださる皆様に
レッスンを提供させていただくことができることの

有り難さをかみしめるばかりなのでした。


簡単20〜30分でぱぱっと作れて
一手間かかったお味の献立が私の定番。

一日の終わりは、よるご飯を自炊して
生活者の喜びにひたり

あとは

瞑想そして読書しておやすみなさい。


自分流ライフスタイルをシンプルに削ぎ落として
確立できてきたことを
今はこころから感謝する日々であります。

2014年9月18日木曜日

「方向性」が教えてくれる【私】サイズのライフスタイル


きょうの夜は「タオの原理思想のクラス」を開催しました。

ひとのなかの元型理解として、古代中国人のとらえた小宇宙観を
みなさまにもご紹介させていただいています。

元型レベルから自分を知り、見つけだし、それを活かすべく環境を配置することは

そのひとがそのひとらしく輝くための大事なファクターだからです。


きょうのテーマは
「方向性」に集約され

さらには
「複合陰陽説」という
縦次元に展開する
陰陽の動きを理解していただきました。

その発想から生まれてくるものが

「八方向」であり

そのなかの
「裏鬼門(未申)」「鬼門(丑寅)」
「霊魂世界に通じる入り口(戌亥)」「神世界に通じる入り口(辰巳)」

の4基点をつなぐことは

いわゆる

そのひとの本質が確立されたときの
「体軸」「センターリング」にとつづいていくという
話題にもふれていきました。

そして、それを実際に
タオセラピーのアプローチで
体感していただいた次第でした。

***

自己の所有エネルギーの整理整頓をつきつめてきた私なわけですが

最近、インナーワークから入っていって
落としどころとして見つけ出した
最近の私のライフスタイルの容器でもある

「デスクレイアウト」が

見事に「方向性」と多いに関連していたことに
感動しました。



西向きに配置したライティングビューロー(最初冒頭の写真)は
「ぬくもりあるメッセージ」を
深みからくみあげたいとき用。
手書きでおこしていきます。

東洋史観が「西」を意味するのは
「家庭」とか「身内」であり、

特に家庭を持たない私自身にとっては
人間そのものが「身内」のようになっているところがあり、

ほっこりとした心から私の場合
生まれでる言葉がいちばん
自分自身も安心感があって好きなのでした。



南向きに配置しているデスクはウィンドウズマシン。
こちらは、事務伝達ユースとなっております。
「南」の方向は「伝達」「表現」の世界なのですが
私にとって「伝達」する行為が
「レポート次元」であるところが
われながら苦笑してしまいます。




そして東向きに配置しましたのがiMac。

このブログを書いているのがまさにこれなのですが
ほかにもサイト制作もこれ、
またはつらつらとした日記や
次々に浮かんでくるアイディアメモもここ。
クリエイティブマシンとして利用しているのですが

私にとってクリエイティブであることは
「東」指向。
つまり「未来への前進力」というわけなのですね。

結果的に自分なりのつじつまがあっていて
おかしかったのですが

私がいちばん気に入っているひとときは
「ライティングビューロー」と向き合う
西向き姿勢。
じつはちゃんと阿弥陀仏像も飾ってたりもします。
(西方浄土の方☆)

私自身は「寅卯天中殺」で
「寅卯」という東指向の「無」のタイプであるため

大好きなのは、反対の「西」方向、「家庭的安住世界」なのでした。

いままで「自己の形成」のために
「家庭的安住世界」をどのような環境要因として設定するか
ずーっと試行錯誤してきているのですが、

実際上の「家庭」を得ていなくても

「書くときの心のありようの違い」で表現することができるとは!

我ながらナイスアイディアと
膝をポンと打ってしまったのでした。

すべては幻想であることを思えば、

私の還るべき場所は
このライティングビューローに映し出される世界で
十二分であるともいえましょう。

大切な時間を
たくさん満喫することにしました♪

「方向性」からひもとく「自己」にご興味がありましたら
心理療法でもオーケーですし、
さらにもっと自分の所有エネルギーと照らし合わせながら
吟味したい場合は、タオセラピーをおすすめします☆

ではでは
今宵もすてきな夢をみますように。





2014年9月17日水曜日

因縁解消、本質回帰。「真理子」に戻ってもいいかな。


今日の夜はカウンセラーマインドマスタークラスの授業がありました。

フォーカシングの基礎概念をご紹介しながら
一緒にエクササイズしました。

今ここにいる「実存」感を
「体の内側の感覚をキャッチする力」を得ていただきながら
体験していただきました。

この作用のすてきなところは
「意識できていない自分自身」の指向性とひとつになる瞬間に
違和感でしかなかった身体感覚がふっと軽減されたり
現実において自分が今のプロセスにおいて求めている
一歩が浮かび上がってきたりする点などでしょうか。

そうして、そのときに
心身のリラックス度が高まって
「楽」を感じる方向性がみえてくるということともいえるでしょう。

***

私はこのところ自分自身が
すごーーーーーーく
「本質回帰」していくのを実感しております。

約4年間にも及んで
家系と自分自身の
カルマを解消するために
激しい消費活動にアクセルをふみ
エンジンをふかしまっくってきた成果が実ってきたようです。

(われわれはカルマの中に存在するのですが
カルマに背を向けるのではなく
カルマと戯れる心意気が運命を加速化してくれます)

「陰きわまれば陽に転じる」

ともいわれますとおりです。

消費活動にいっさい心が向かなくなったのです!!
物が本当に邪魔で仕方なくもなり、
現在、実家にいまだに残しているものも含めて
ガンガン一掃しています。

もっぱら気になって仕方がなくなってきたのは

いかにこれまでの長い年月のなかで収集してきた情報を

まとめあげてつまびらかにする作業に専念できるか。


に、しぼりこまれてきました。

そして今ひとつある「違和感」に注意を払ったとき

2006年に戸籍解明した「名前」じゃ
物足りない、と感じ始めたのでした。

つまり
生まれたときの名前「真理子」に戻したいという
気持ちがようやく育ってきました。



2005年のころ。
自分の因縁があまりにも空恐ろしくなって
なかったことにしたくて
(簡単な)家庭裁判までして
変えた名前でしたが、

そんなことしたぐらいで
どうにかなる話ではありませんでした。

根本的な問題としっかり向き合わなければならなかった
その後、やく10年。

未完了だったテーマを
(たとえば、少女性の解放、甘えの問題、
カルマの問題、怒り、嫉妬、恨み、辛み、そのたもりだくさん)
やり倒し、解放そして受容してくることができたおかげで

ようやく待望の「個」ができあがってきました。

正直、家族の因縁との闘いでもあったため
本当に苦しかったです。
必死でした。無我夢中でした。

なんで、自由業しながら、
お金のカルマをうんとこさ解消せにゃならんのか?
(まあ、そういう方はほかにもこの世の中には大勢いらっしゃるわけですけど)

先日、クライアントの方に
「(カウンセラー業をスタートする)
はじめの一歩は怖くありませんでしたか?」
とご質問いただきましたが

「怖い」という気持ちを
左脇に抱えながら
一目散に業火のなかをくぐりぬけていかねればならない
母の姿のイメージで
遮二無二走っただけです。

でも、やり抜いてよかったです。
登山家の気持ちです。

そして、

その因縁解消、嵐が過ぎ去るのを感じたとき。

ふと我に立ち返り始めたのです。

生まれた最初の名前じゃないと

私は「書いて書いて書きまくるひと」になれない気がする!と。

きた!そうきたか!

人生前半に知らないうちに「見失ってしまう自分」というのはけっこうあるものですが

私ってば、自分の名前までも手放してしまったのでした、というわけですか。


そろそろ、
「真理子」意識にもう戻っても大丈夫かな。

そのぐらい確固たる自我意識、
不動の自我意識、

つまり「私は何者か」

がはっきりと浮かび上がり
しっかと引き受ける腹がすわり整ってきたしるしのようです。


そのうえで。

ほかの誰かにはできないこと。
私にしかできないこと。

大事に。

両親がその日に私を生んだ意味、
両親が私にその名前を最初に授けた意味に従って。

これからも精進していきたいと思います。

そうそう、カルマの解消は
大事な「通過儀礼」なのです。

これに背を向けていると肝心の「通過儀礼」をいつまでも
終えられないのです。

因縁って「いやんなっちゃう!」と
愚痴や不満をあげはじめたら
きりありませんけど

言い換えれば
「通過儀礼」でもある、自己刷新、自己開花のための強力パンチ。
ありがたくちょうだいできるような
精神になれたら、相当の大人ものでありましょう。

私も目指しているステージです。

2014年9月16日火曜日

昨日は「天中殺から読み解く関係性セミナー」を行いました。


まだ残暑が続いていますが

秋の風景を街角の小さな片隅に

見かけることが増えてきました。


そんなおり、昨日は
天中殺からよみとく
関係性のセミナーを行いました。

6種類ある天中殺の指向性のなかから

たとえば二人の人間がかかわりあうとき
影響し合うことによって
性質が変化していく観点に
注目しました。

どの変質のしかたに
フラートされるのかチェックしながら

どのようなエネルギーを意識すればいいのかを
整理するガイドをしました。

最終的には
「私は何者か」

6方向ある天中殺のむき身のエネルギーを
鏡として
しっかと映し出していった次第です。

私自身が取り組んでみて
新しい発見があったのは

私が知らないうちに隠したままになってしまっていたのが
「辰巳天中殺」の指向性であったことに気づいて
新鮮でした。

これは、なんと!
私が人生最初におつきあいした男性と
結婚した元夫が所有するエネルギーだったのです。

よりによってフラートされた
異性が所有しているエネルギーは
肝心中の肝心!!

確かに私は「辰巳天中殺」のひととつきあっていると
気持ちが大きくふくらんでいる感じがあったのを思い出しました。

結果的にみなさんとは縁がなかったわけですが

「生きやすい感触」を得られるのは
私にとっては「辰巳天中殺」の方といるときであることは
「確かに、まったく、そうであったか!」と
うなずけます。

そこで「辰巳天中殺」が流れていく方向に
存在するエネルギー
「戌」と「亥」の私にとっての指向性を
エッセンスワークして
大事にするようにしております。
昨晩から。

私にとって「戌」はブルドーザーパワー☆
「亥」はスパイダーマン♪

言葉にするだけでも元気がでてきます!

***

こんな風に。

天中殺というすさまじい無という名の
ブラックホールパワーは
ひととひとの間にもドリームアップされています。

そこに浮上してくるものもやはり

おのれの一部であるわけですが

参加くださったかたは

「精神線でつながっている子丑天中殺のかたと
午未天中殺のかたとのいれこ特殊現象」に
驚いていらっしゃいました。

私もまったく同じ想いです。

この世にあるエネルギーは
精神と現実(肉体)次元に大別することができますが

まことに
精妙にできすぎているために
人間はその手のひらのうえで
転がされるばかりです。

それを悲観するのも自由ですが

それをむしろ先手を制して
活かす努力をはかることができるのも

人間のすばらしいところのひとつかもしれませんね。


共時性セミナーは
占いセミナーとは違いますので

天中殺パワーの「無」の洗礼を

いやというほど

全3回にわたって

味わってまいりました。

1度、精神の死を経験することができると
何度でも死ぬことができるようになります。

そうすると、肉体の死を求めなくてよくなっていきます。

生きづらさを超越して
パワフルに自分を活かしながら
他者をも活かしていくための

すなわち生きることの喜びと
生き甲斐の支えを得ていくための

ひっそり隠された奥義のひとつであります。

オタクに思われるでしょうけれども

本当に大事なポイントなのです。

柔軟性を高めて
世界を善も悪もふくめて
(そもそも善悪の判断はキリスト教二元論の発想にあり
東洋史観では、その二元をも抱きとめる一極の存在に立脚していく)

やわらかく優しく
包み込んで生きることができるようになるための。

そして

「すべて」になるための。


<ご案内>

天中殺のタオセラピーセッションは
9月1日から
タオセラピーがご新規の方は5万4000円(税込)

8月31日までに
タオセラピーをすでに受けていらっしゃる方は
3万2400円(税込)で承らせていただいています。

お値段はらさせていただいておりますのは
天中殺とのワークはそれだけにすさまじくパワフルであるからです。

2014年9月6日土曜日

自分の心を守れるのは自分しかいない~今朝の一枚から。

 
「私はどうしたいのか?」
 
この問いを欠かす日はまずありません。
 
なんどきもこの問いかけを
自らに投げかけつづけております。
 
そのぐらい私はなのか
多くのひとはなのか
 
自分自身の本当の気持ちから
ずれたところで
言動をふるってしまいやすいところがあるようです。
 
それもとりわけ
自分の論理性や思考ばかりでなく
 
しかと腹からの想い
本音
私の本質
もっとも深い私自身が
 
何を求めているのか
 
私は「インナーワーク」を繰り返しながら
 
よくよく耳を傾けて行動を選択しております。
 
 
 
***
 
さて、けさの1枚。
気高いユリを表したカードです。
 
気品と純潔さと高貴さと。
クリーンなこころを
思い出して。
 
繊細で可憐な花びらのような
自分のこころを守れるのは
自分自身しかいないということを
どうか思い出して。
 
そんな風に私には聞こえてきます。
 
みなさんには、このカードから
どのようなメッセージやセリフを
連想するのでしょうか?

2014年9月5日金曜日

人としての魅力を磨く4つの力〜日々修行すなわちこれ好日


私の好きなひとは
サラリーマン運動家なので
試合前に「調整をしないと」という言葉を
よく使います。

こころと精神の世界もそれとまったく一緒だと私は思うのです。

最近、母はちょっと哀しいのですが
「ご飯が口からこぼれちゃうのよ」と言っています。

意識していないと筋肉は老化します。
表情筋エクササイズは加齢に有用といいます。

こころと精神の世界もそれとまったく一緒だと私は思うのです。

意識して鍛えていないと
どんどん肥えるか、どんどん凝り固まるか。

こころや精神を意識して鍛えるとはどういうことかといいますと

自分に取り組むことが求められている
修行があるとすれば、今このタイミングにおいては何か?

自問自答してそれについて取り組んでみるのです。

その修行ポイントを割り出す方法は
私のサロンでは「インナーワークのレッスン」と称して
ガイドさせていただいています。

特にスキルと慣れがいるのは人間関係のテーマですね。
これは自分ひとりでは見えてこないこともたくさんなので
自分の移し鏡になってくれる専門家と
とりくむことがポイントになります。

こころの問題と精神の問題は分けて考える必要のあるところですが
どちらも「調整」をくりかえすからこそ
磨かれ光っていくことは間違いないのではないでしょうか。

***

今の私は
現実レベルでいいますと
物をいっさいがっさい捨てること。
3ヶ月前にだいぶ処理したと思ったのですが
この数ヶ月で調整してきたハートのレベルからみると
まだまだ不要品だらけ!
とことんすっきり〜がらんどう〜
ホテル生活〜を本気で目指して断捨離です。
そのときに、「ああーあー。こんな過去のプロセスもあったよなー」と
時折、胸の痛む自分もいるのですが

「色即是空だ!」

と自らを慰め、鼓舞しながら、ばんばん整理しています。
(ここはけっこう私にとっては修行ポイントになっています)

過去のプロセスをふりかえると
愚痴もでますが

それが私だ!!!
プロセスも、新しい私のスタイルも
ぜんぶ私だ!!!

真に信じられるもの
それは「自分のプロセスとあるままのすべてだ!」

とにかく信じて突き進んで生きるのみ!!

こんな風に

真の修行の舞台は

毎日の暮らしのなかにあると
私は心から思うのです。

それが、自己を現実の中で開花させる、ということだと
私は考えています。

きょうはタラのネギみそ焼き。
しいたけの大根おろしあえと
ブロッコリーのつけそえで。
香ばしさに包まれるお料理タイムは
私には幸せです。


特別なことをしなくても
日々の心の動きを
よく見つめていると
どこを自分が磨かなくてはいけないか
いろいろなものに投影されておこる
現象から
割り出し、逆算しながら
日々、精進。

人生には苦楽がつきものですが

楽なだけの修行もなく
苦なだけの修行もないのではないでしょうか。

これは道教的発想なわけですが

苦をもしも感じたとしても
(私は意外としょっちゅう感じやすい体質)

苦の中にこそ金塊が存在すると自らを激励して
苦のなかに座することを
日々つとめています。

登山に似ているかもしれませんね。


苦そのものを心から楽しめるような
私にいつか成長したいものです。

その理由は魅力あふれる人物になりたいからです。

その理由は以下、私が感銘を受けた「人徳」についての項目
算命学宗家の高尾義政さんの
『原典算命学大系』第9巻 p300〜から。

人間としての魅力は
学びとる「知恵」と
強い「攻撃力」と
回りのものをどんな苦境からも「守る力」と
自己の内面を完全に知らしめる「伝達力」が
すべてそろうところに生まれてくるということができる。
真の魅力をつくりだすためには他の4つの力が
バランスよく大きく働かなければならない

一方、一方向のみに偏った魅力をもつ場合には、才能ある人ということになる。
一方にのみ力量が発揮されると、
どうしてもその部分のみが浮彫にされて、一点だけが目立つことになる。
しかし4つの才能がすべて発揮されると一方のみの発揮にはならないので、
才能はあっても隠れてしまことになる
特別の才能が目立たなくはなくなるのだけど、
理由のない魅力が生まれてくるという状態になる。

その状態になったところから「人徳」が動き始めるわけで、
人徳は魅力に加えてさらに人間性の積み重ねと
磨きがかかったような姿なのである。

それゆえに、徳がある人を表面からおみみていると、
何の才能もない人のように見えるものであります。
しかし、その奥深いところには所有しているわけで、
どの世界に入ろうとも人徳は通用するのであります。



2014年9月4日木曜日

金言「見ざる・聞かざる・言わざる」信じられるのは「内なる自然の声」

狭い暗室のほうが自己世界の声とつながりやすいことが
最近わかってきました。

生きているといろいろなことが本当にありますが

一番信頼できるものは
うちなる自然の声ではないかと
私は考えます。

ブルース・リー的にいえば
Don't think Just Feeeeeeeeeeeel!

というところにもつながるのかもしれませんが

いかに自分の心の声、体の声
さらにはネイチャーの声と
ひとつになり

合理を超えた領域を
受け容れることができるようになるか

ひとつの命題でありましょう。

私がいろいろな方々を観察させていただいていて思うのは

先天的にネイチャーの声をつかみとりやすい持ち味の方と
そうでない方とがいるようですね。

どちらがいい悪いということはなく
それぞれがそれぞれに磨いていかなくてはいけない
側面というのがあって

ある一面、すごく人もうらやむような要素をもっていても
別の一面では、ものすごく苦労しなくてはならない要素も
持ち合わせざるをえなくなっているということは

よくあることのようです。



ですから、人の生き方をみてうらやむのは自由ですけれども
その羨望によって
自分自身を傷つけるようなことがあるとしたら
非常にそれは気の毒なことともいえるでしょう。

かくいう私もなんだかよくわかりませんけど
たまたま?いえ、自ら選んで?
そこまでは立証のしようがありませんけど

あの家族のもとに、あの生年月日に命を得たことによって

ややこしいアンバランスさをやまほど抱えて生きざるをえず

そうはいってもそれから逃げようとしても
逃げ果せるものでもないために

引き受けることにしようと
自己とたっぷり向き合ってきているわけですが

「そりゃ、そりゃ一筋縄にはいかない!」わけでした。

そんなおりにどうして
世間一般の成功モデルなぞに耳を貸していられましょうか?

そんなものはいったいどこまであてになりえましょうか?

やまほど成功者の所有エネルギーを数理的にも分析しつづけてきていますけど

社会的にうまくいっていらっしゃる方というのは
ちゃんと社会的にうまくいくようなエネルギー指数を社会枠に所有していたり

たとえ社会枠にたいしたエネルギー指数を所有していなくても

その方なりにうまく循環させることを本能的に身につけていらっしゃるがために

どうにかこうにかそうなっているのだなあと

発見を日々深めているのであります。


私が声を大にして言いたいのは

ひとの成功モデルを追いかけているひまがあったら

自分と向き合うにつきるということです。

人のまねをすればするほど
自分の成功モデルはますます
海底の奥深くに沈み落ちて
いよいよ拾い上げにくくなっていくことでありましょう。
哀しい。

私はアスリートの方々の精神ようを観察するのも好きですが

成功しているアスリートの方は
ちゃんと自分流を構築していらっしゃるからこそ
光り放っているようにお見受けします。

今朝、話題沸騰中の
錦織選手もすばらしいタフネスのはてつかみとった
勝利でしたよね!!
そういうときのアスリートの方というのは
「自己」の筋が通りまくっているのがわかりますが
そういう状態にある人間というのは
みるものを感涙させてしまいます。
じーん。


幸か不幸か
「大運天中殺」を幼少から持ち合わせている方は
すさまじい成功をはたしやすいわけですが

そんなものをたまたま所有していない人間は

まずは「自己の所有エネルギー」を「最大に活かす境界線」がどこにあって
それはどのような行動をとって生きることなのかを

つまびらかにすることのほうが
確かな明日(現実)を切り開くのではないでしょうか。

***

かくいう私も
限りなく内的世界にひきこもらないと
意識が外世界にもれやすい性質を所有しているため

一生懸命に引きこもりの構造を自分にしいてきました。

ある意味、自分を、追い込んでいるともいえます。

人間の特性でもあるのかもしれませんが
追い込むと、火がつきやすい。

ただ、その
追い込んだ環境を用意することのほうが
難しいのかもしれませんね。
保全を考える傾向も防衛から存在するせいで。

ここを切磋琢磨できると大きいのでしょう。

そうやって

個の性分(しょうぶん)「個性」を大事に生きることができるとき
ひとは充足を感じやすいのだろうなあと
あらためて考察を確信するのでした。

***

そこで、大事なことは

どれだけ外の世界に回ってしまう意識を
コントロールできるか。

見ざる・聞かざる・言わざる

これこそが金言でありましょう。

自己世界にとっぷりとつながっていくための
あるいは
無駄にできごとや人々の投影にふりまわされないための
秘訣ですね。