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2012年6月9日土曜日

優しさに満たされて。~シャガール展にいってきました~


みなさん、こんばんは。

私はきょうは日中の空いた時間をつかって

日本橋高島屋にて開催されている

シャガール展にでかけてきました。



シャガールを好きな方というのは非常に多いと思いますが、

私もそのうちのひとりです。

胸にじんじんしみてきます。

シャガールのスピリットが。

私のサロンにも、リトグラフを2枚と

はがきカードやポスターを額に入れて飾っています。

シャガールの描く愛と夢の幽玄な世界が大好きです。

それは私のこころの一部だからです。

私の涙腺はとかくもろいのですが、

今回も展示ホールで

その絵の前にたった瞬間に、

全身が打ち震えるような体験が2回ありました。

「画家の夢」。
もちろん生でみる圧倒的な美しさ、あふれでる詩情、
飛び出す画家の躍動感と、天上の音楽のように軽やかな魂の息吹には
かないませんが。
それでも最後のお土産やさんで買わずにはいられません。
こころに焼きついた感動を、いつでも思い出していたいから。

ひとつは「画家の夢」という1980年ごろのもの。

1985年に亡くなる直前に

自分自身の人生をふりかえるかのような1枚です。

私はシャガールの自伝やその周辺の本もいくつか読んでいますので

彼の人生の歩みを漠然とではあれ知識としてもっているだけに

余計に、シャガールのこころのうちが察せられてなりません。

そこには

優しさと悲しみとあきらめと怒りと闘いと・・・

ありとあらゆるものに向けられる


のひとつのかたちを感じ取ったのでした。私は。



わなわな、ぷるぷる。

こころをふるわせながら、おもむろに鞄のなかのハンドタオルをとりだし、

両ほうの頬をぬらした涙をふきとりながら、

深く隠されつづけてきていた自分の欲求をしかと感じ取ります。

「私もこう生きたい」。

こんな風に優しく恋人に抱きしめてもらいたいものですw
今度、彼に会ったらこう聞いてみようと思います。
「この絵をみてどう思う?」ってw
古典的典型的日本人型の私の彼のことですから
可能性としては「日本人ぽくない」などと
言われてしまうかもしれませんが。とほほw

シャガールのポートレートがいくつか歳をおって飾られていました。

目を見張ったのは、老年になればなるほど

瞳の輝きが純化しているようす!

彼の2回目の再婚、事実上の3人目の奥さんは25歳年下です。

そりゃそうだよなー。

こんなきらきら少年の瞳をもった---

それもただの少年の無垢さとも一線を画しているのは、

それが「神」をひとえに追いかけている人間のそれだからであり---

そんな瞳を持った人間に、老いも若きももはや存在するわけがありません。

その姿に私はいたく感動し、

あまりの感動ぶりに、

私はここにも私自身を見つけるのでした。

私の晩年の姿だ。と。

そのために、私には今の仕事があります。

スタートした2008年は、本当に町のいち心理セラピストとして

食べていくに困らなければいい、ぐらいに考えていたのですが、

この道を探求すればするほど、

自分の本性を見つけざるをえませんでした。

私の墓碑銘をもしいまから決めるとするなら、こうしたいと思います。

「神への愛」とともに生き抜いたひと。

そして、

私はきょうシャガールのエネルギーの落雷にうたれ、

意を新たにしたのでした。

私もシャガールが
まるで「十字架にはりつけられたように」キャンバスにはりつけられていると
自らの人生を表現したように、

私も十字架にかけられたかのように

「神への愛」---それはこの全宇宙に存在する愛

をうたいあげつづける人になろう、と。

とりわけ私の主眼のおきごころは、

芸術的な世界を

単にひとにぎりの芸術家のものとしてではなく、

ひとりひとりの胸の内に

今この瞬間にも存在する「教会」かのごとくあるということに

みなさんが目覚めることができるようにお手伝いをすることです。

それは

「人生をいかに芸術として完成させるか?」

であり

「人生のなかにいかに神の芸術性と奇跡を見だすか?」

であり

「自分の中にしかない神の奇蹟とメッセージに気づいてもらい

それとともに生きていくことができるようになること」

です。


私はそのことの努力のために身を粉にして生きたい。

私の命はただそのことのためだけに存在する---

そのことに気づいた瞬間、

本当に毎日の生活はものすごくシンプルになり、

生きるのがもっともっと楽になってきました。


これもひとえにこの宇宙をつかさどる神様、そして

私の無意識の深いところに眠る、私だけの無意識の神様、

そして私のもとに訪れてくださるクライアントの方の皆様との対話、

皆さまの背後にあるもの、皆様のプロセス、

これらのおかげでないわけがありません。


感謝。

最後に、私が感涙したもう1枚の絵は「婚約者たち」。1927年頃のもの。

フレームに入った絵はがきを購入しました。(最後の写真がそれ)

ひしと女性を抱きしめる男性---シャガールと最初の妻ベラの姿ですよね---

その切実な思い、あふれる思いやりと愛、一心同体感、淡い希望、

そんなものを感じ取って、憧れにも似た揺さぶりがありました。

かけがえのない大切な気持ちに、まっすぐ素直に表現する

美しさと素晴らしさに息をのみました。


私は今の私の恋人に対する想いがあまりにも言葉にしがたいため

どこからどのように紐解いたらいいのかいつもとまどっています。

絵にしたらいい?詩にしたらいい?

でもそれらのどれもこれもまだいい表したりないような気がして

納得がいっていないのです。

だから当座は、「生きざま」を通じてしか表現できていないのですが、

私もいつかシャガールのように

こころがふくよかで豊かな表現者になりたいです。


そうそう、シャガールはアトリエで仕事をしているとき

モーツアルトをよく好んでかけていたそうですよ。

やっぱ歴史に名を残すレベル同士!?

ひかれてしまうのでしょねw

P.S.

じつはこの美術展にでかける直前まで私は激しい頭痛がしていました。

本当は来週のオフの日にでかける予定だったのですが、

私の直観と霊感が「きょう!」というので、

いそいそと「ガンガンするよー」と思ってでかけたのでした。

すると不思議ー(ある意味よそくどおり?)

頭痛がすーっとふわーっと消えていったのです。

会場全体が、シャガールの大きな愛と優しさに満ち満ちていたからだと思います。

プラス、シャガールの生きざまに私のなかの

見失われていた生き方があったからでもありますよね。


みなさんは、日常のなかで

自分の本質的姿を確かめながら生きられていますか?


人生前半、いわゆる世間的な「失敗体験」をやまほど重ねてきた私としては、

今や、

毎日、自分の本質を確かめながら生きることができる以上に

幸せで豊かなことがあるだろうか、と。

喜びと楽しさと穏やかさと和やかさと。

私が私になる。

その道程はけして単純ではないかもしれませんが、

これ以上、贅沢な取り組みもほかにはないのかもしれませんね。


そんな生き方にご興味のある方からのご依頼、大歓迎です☆
(もちろん、そうでなくても♪)


ではでは、ごきげんよう。

深い眠りの世界へ---

みなさんの、つかの間のタイムトリップが

明日の英気にと変わりますように。



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