お問い合わせ・お申込みは

お問い合わせ・ご相談・スクール・レッスンお申込みはこち
(お名前・ご連絡先・ご希望メニューをお知らせください)

2014年3月9日日曜日

別離・喪失・死の涙 その数だけひとは大きくなると信じて


涙の数だけ

ひとは大きくなると

信じよう

生きていると

出会いの喜びと驚きに

ときめくこともあれば

その数だけ

別れと喪失の悲しみや痛みに

恵まれることもやってくる

どんなに大切に感じるひとであっても

私が私らしく生きるために

卒業して旅立っていかなくてはならない時はやってくる

信じよう

流した涙の数だけ

私は確かに大きく成長するのだと

信じよう

いつかまた

大切なひととふたたび向き合うとき

「あなたとの別離が私をこんなに大きくしてくれた」

と告げられる日がやってくることを

 
きょう、私は、意を決して
 
6年間お世話になった師匠のもとへ
 
「観念的な別れのとき」を告げてきました。
 
先日のブログにも書いた通り
 
私は
 
「タオセラピー論」を大系だてようと考えたとき
 
師匠の存在が
 
自分にとって知らぬ間に大きくなっていて
 
それがかえって
 
自分の道を進む際の
 
妨害要素に転じてしまっていることに
 
気が付いたからでした。
 
もちろん、私の投影、私の精神上の構造が飛び出した話なのですが、
 
この問題をひとりでインナーワークで処理するのは不可能です。
 
関係のテーマだからです。
 
肉体ある師匠ではなく、
 
自らの内なる師匠との決別の儀式をはたすために
 
肉体ある師匠の介添えを求めて
 
カウンセリングを受けてきたのでした。
 
 
私の先生は、独自の世界をちゃんと展開していらっしゃる方で
 
それはそれでとても興味深く、楽しく、面白そうなのですが、
 
私の魂は
 
「開拓者」と「自力運」の存在。
 
自己(セルフ・本質としての自分)に目覚め、
引き受ける腹に居座れるるまでの間のサポーターは不可欠でしたが
 
死の時までに限りある時間のなかで
 
自分の魂の目的を達成させていくためには
 
それこそ「選定」していなかくてはいけません。
 
いつまでも師匠のワールドのお世話になるのは
私の魂ではありません。
 
そこで関係を断ち切るためのワークをガイドしてもらうと
 
私の胸のうちからこみあげたのは
 
自分ひとりでは見つけることのできなかった
 
「胸の痛みと哀しみ」でした。
 
私はまだ甘えていたいのか?
 
問いましたがノー。
 
「深い感謝の気持ちからくる哀しみ」だったのでした。
 
師匠の前で
 
「先生は魂と命の恩人で、先生がいなかったら、私の歴史は存在しなかった」
 
涙ながらに語り「ありがとう」と受け止めてもらいました。

さらにもうひとつ。

「私のお金に対するエッジがあるなかで

自我の私が抵抗するも

まるで神様に首輪をはめさせられ

身体反応にでるなどして、ひきずられるようにして

大枚を出し続けることのできた

未知なる存在、神の恩寵、その摩訶不思議さ

魂の救済をおしすすめてくれた自然界の摂理にも

頭が上がらない、すべてに感謝だ」

とも。

「死」
「喪失」
「別離」

師匠は「ちょうど卒業シーズンだ」といったが
「卒業」そして
「自立」
「門出」だ。

そこにあるのは
晴れやかさやすがすがしい希望だけではない。

愛着あるものとの別れは

痛みをともなう。

いつまでも師匠のかわいこちゃん(?)でいたいという
少女の私がいる一方で

それを続けていては、

私は私の道を生きられないという、現実。

肉体はひとつしかないから。

制限ある肉体世界を生きる

私たちのせつなさをかみしめるひとつでもある。


私には肉体の生み親たる両親がいますが

私の精神の生みの親にあたるのが、師匠でした。

つまり「母子分離」の哀しみでもあるわけです。

これはカウンセリングシーンでいうなら

非常に重要な瞬間。

師匠は何度も繰り返し

ゴーストパートの「富士見先生」と

私の間を手刀で分断するように

ワークを指示しました。


カウンセリングが終わったのちも

しばらく、ぼーっとしています。

喪失のむなしさがこみあげているのです。

そこで

きょうはしっかとこの哀しみを味わうことにしました。

ハートの弔い。

その想いで、ブログを書きたくもなりました。


6年間のなかでみた
ふんばりとがんばり
もがきと苦しみ、
希望と光。
そして
成長。

自らをねぎらいました。

そして

師匠との関係性を整理しなおしました。

これからも「自分の世界」を補うのによさそうな情報を教えてもらう
良きサポーターではありますが

弟子としておもねるものではなく
(基本的に、そんなにおもねったことはないけど、
気持ち的にはランク下にまわっていた)

胸をはってひとりの個として
認めてもらうことのできる日を
目指して、

引き続き独自の学びの世界に埋没していく、という
構図を見出したのでした。

しばらく
「中国思想の浴槽につかる」というと

「ミンデルも中国系だしね」と先生。

え!?!

「知らなかったの?」

「はい、いまショック死しそうです、どうりで!
えらいことうまいこと東洋思想!」

そして・・・うーん。
 
私は先生のグループと自分を分断しようと思ってでかけたのに
 
先生は、集合的無意識のつながりを最後に提示してきた。
 
すべてはひとつのところにかえる。
 
そんなことを伝えたかったのだろうか。
 
よくわからないけど
 
ミンデルグループを自分のなかでどのように位置づけたらいいのか
 
またわからなくなってしまったのでした。
 
でも、はっきりしているのは、
とにかく古代中国の思想のマスターを目指して
猛然と勉強にふけることです。
 
ミンデルグループがしめす関連性は
しばらく引出の奥であたためることにして
 
最後に師匠に忠告をもらった。
 
「ある国のシャーマンは、年に2回しか変性意識に入らない。
そのあとはへろへろになって、みんながそのシャーマンの面倒をみる。
そのぐらい命がけの世界だ。そしてそのシャーマンが天地人をつなぐ王なんだ」
 
と。
 
ハイ、先生、わかっています。
 
以下は先生にはいわずに、部屋を出た。
 
「だから高尾義政先生は夭逝した。47歳で。
 
もちろん要注意していく世界であることは確かだが、
 
立体五行説たる算命学は奥が深くて、
易経よりも元型の種類がこみいっていて精緻だ。
 
シャーマンが命がけでひろいにいく暗号はもうはじめから
干支世界で表現されていて、その古代中国人からの恵みには感謝しなければならない。
そして、私の命題は、それをエネルギーワークとしてとらえ直した世界を
きちんと大系だてることなんです。
でも問題はそのさらにさき、それをベースに物語をつくるという魂の宿題がある点ですけど」
 
ともあれ、きちんと大系化することが先。
 
できたら、ミンデルがまだご存命のうちに
英訳してプレゼントしてさしあげたい。
 
・・・無理かな、さすがに、これは。ぐすん。
 
でもミンデルさんにも本当に感謝しているんです。
 
 
視野を広げてみれば
 
「私」という存在を
 
支えてくれている
 
先人の知恵のなんて多いことでしょうか!
 
大河的な視点でいえば、
 
そんな世界のどこにいったい孤独がありえるというのでしょうか!
 
 
最後まで読んでくださってありがとうございます。
 
ここまでかきとめて
 
ようやく胸の内が整理できたのか
 
そろそろ落ち着いて眠れそうです。
 
 
もしもあなたが釈然としない思い、判然としない感情
やるせない気持ち、に包まれたら
 
「表現」
「アウトプット」
 
をおすすめします。
 
そのための「受け皿」として
 
対話のプロがいいのか
あるいは
絵や文章、音楽、ダンスなど
アート表現がいいのか
もっと日常的な
ブログ表現がいいのかなど
 
そのつど探してみることもおすすめします。
 
流す涙は、どのようなものであっても
ぜんぶ美しい
 
それもまた
あなたが今この一瞬を
生きていることを表す
輝ける素材です

2014年3月7日金曜日

【人間・自分】を知る人の瞳は美しい~「失礼なあのひと」が「失礼じゃないひと」になる世界

















自分を知る人は美しい

自分とは、小さな私が認める、私とは違う。

小さな私が追い求める理想の私とも違う。

大自然があなたを存在せしめる目的としての、私である。

エゴとスピリット

相反するどちらもの言い分をたばねて

ひとつの目的に向かって前進することのできる、私

ユングのいった個性化としての私

自己実現としての私


私は何者か?





















↑ 朝、近所のベンチに新しくこんな天使像が!赤坂の街のなかで不思議な空気を醸していて、思わず魅了されました。
愛らしい祈りの姿。愛犬も速攻で反応して近寄っていましたw「世界が洗われますように。すでにおのれは救われたものであることに、たくさんのひとが気づける日が来ますように」。私にはそんな祈りが聴こえた気がした。これもインナーワークです☆




私には影がないというひとは、知らないだけである

おのれに影があることを知るひとは、真に謙虚たりえる

影を認めるとき、生きることが格段に楽になり、

小さな私が奮闘しようとする以上のパワーが生まれることを

経験したものは、人間の奥深さと神秘にふれて、

真に謙虚たりえる

「影」とは

コンプレックスを抱いている私

認めたくない私

知らないうちに、嫌ってしまった世界

避けてきた価値観

見ないふりをしてきた私の想い

やりすごしてきた私の本音

もろもろの背後で息をひそめている存在


大自然が豊かな風景を

陰影をもって表現するように

あなたの影もまた大自然の一部である


それは特に人間関係のなかでの

気持ちの高ぶりや荒ぶりとなって

無自覚に登場している

第一のカギは、その無自覚を自覚にかえること

無知は永遠だが

自覚は一瞬

この貴重な自覚の一瞬の連続が

あなたを「あるべき姿・生きる目的としての姿」に導いてゆく


影と真に

親しむことのできるものは



大切なあのひとはもとより

見知らぬ隣のあのひとも

みな人間の神秘に支えられた

不可思議な存在であることに

畏敬の念を抱くことができる


だけど、あのひとは、

まったく失礼なひとなんですけど!


それもまた真なりと

私は受け止める


一方で、

失礼なあのひとは、まだ知らないだけなのである

私であれば、慈しみのまなざしを向ける


おのれが何者であるのか、ということを

おのれが何者であるか、真に知りえたものは

宇宙の自然の摂理によって

おのれが生かされていることへの

感謝の気持ちに支えられている

生きとし生けるものすべてが

同じような節理のなかをめぐっていることへの

深い感銘を覚えるはずである

それはちょうど神々しくも荘厳で広大な

大自然のただなかで

目に見えない、神秘の稲妻に打たれて

心が洗われる、あの奇跡の一瞬のように


もしも

おのれの「影」を引き受けることのできた

真に謙虚な人間であれば

あなたと一線を引こうとするときですら

あなたを立てるすべを心得るために

あなたのなかに「失礼だ」という思いは

生じ難いはず

よって

「失礼だ!」

そう感じるあなたの感性にも

一理あるということに胸をはるといい

そのひとこそが

おのれのありのまま

とりわけ「影」の部分に対して

「失礼」をしでかしているために

あなたは「失礼されている」という気持ちに

陥らさせられるのである

面白いほど見事に鮮やかに




















だから私はつねに自省をくりかすことを

習慣にする

「きょう、私が引き受けられてきていなかった

影の私は、どこかになかったか」

それは私の外の世界に現れ出る

外の世界との関係で

受け容れがたい心のゆさぶりや揺れの起きた場面を

ふりかえり、それを自らのものとして引き受けるための

インナーワークをくりかえす

それをすればするほど

わたしのなかで優しい気持ちが育っていき

ますます生きることが楽に感じられてくるために

この習慣をやめられない


そうすると不思議なことに

「失礼」なはずのそのひとから

「失礼じゃない」態度を

引き出すことさえもできるようになってしまう!


そして

真に謙虚なひとの瞳は

澄み渡り輝いている

瞳の奥の光をみれば

それはわかるもの


だから

私は

金銀宝石衣類その他で

着飾ることをしなくても


美しさをはんなりとにじませている

援助職者の先輩たちを

このうえなく尊敬している

彼らのたゆみない努力と苦労のあとを

その輝きの背後に垣間見ては

頭の下がる想いがするのである


私もまたそれに続きたくて

今日もその頂きを目指して

一歩一歩確かめるように進んでいる

真に美しいものとして輝き

多くのひとの希望を照らすひとになりたい


私の個性化の答え


中国古代由来の算命学のことばによれば

「自分を知らないということは

神を冒涜していること」

と手厳しい


幼少のころ

私はお仏壇の前で手をあわせて

誓ったのを覚えている

「私がいちばん好きなのは神様仏様です」

幼少の私にとっての神とは

私の命の背後で動いている

大自然と大宇宙のことだった

すべての出会い、別れ、誕生、成長

その因果と因縁、めぐりあわせの奇跡を

つかさどるものへの深い畏敬の念なしに

幼少の私はなかった

もちろん今も

そして大人になって

叡智をひもとく知恵を

身に着けた

私が悟ったおのれの命題

それは

自分(内なる神)を知ること
自分(内なる神)を守ること
その素晴らしさ、尊さ、美しさを
とことん追究することから

同時代に命を授かった
多くの魂を愛し、守り、救いたい

そのために

「お前は何ができるか?
お前は今この一瞬、何をしているか?」

この大自然・大宇宙・神からの

問いかけに答え続けるもの

それが私の

「お前は何者か?」

に対する答え

この命のはじまりのきっかけと結果のストーリーは

タオセラピーの陽世界を読み解くことで

見事に描かれていることに気づく


西洋錬金術師たちが

根源のひとつとした「ウロボロスの蛇」のごとく

おのれの循環スタイルにしたがって生きることができれば

命は輝き、見事に燃焼させていくことができる


ユング心理学でいう

「共時性」「コンステレーション」「布置されているもの」とは

このことをさしているのである


私が私の師匠F氏を

尊敬する理由は

彼は彼をよく知っているからである

(注)日本語では師匠を彼とはいいませんが、
端的に読みやすくするために、そうさせていただきます

彼の神(共時性)は

面白いほど「マスメディアとの相性が悪い」という形で出現するようで

私が紹介しても、いっさい断ってくる

彼には彼の神の目的を

限られた時間と肉体の世界で

表現しなければならない

「盆栽には選定が命」

と教えてくれたことを思い出す

つまり

彼は彼の神に従って生きることのできるもの

だから

私は彼を私の鏡とすることができる

彼が私の神を傷つけることはないだろうから


よって

あなたがもしも援助職者を選ぶのであれば

あなたが「いいな」と感じる「瞳の光」をもったひとを

探すのがいいかもしれない

そんな見地にいたる今日なのでした☆

本当に好きな人からのメール~自己愛が満たされて相性のいい人現る

私は長いこと
どういう人が自分と相性のいい異性なのか
よくわからないために
 
とにかく努力してきたのは
「自分は何者か?」
その整理弁別、浄化を促進することでした。
 
自分を知らなければ
当然、自分にふさわしい人物も見えてこない、という論法です。
 
そこで、
師匠との心理トレーニング、
毎日毎時間、インナーワークをくりかえし
夜見る夢ともワークを行い、
かなりヲタクなワークをこんこんとくりかえしました。
 
 
その努力の甲斐あり
 
自己を愛することがだいぶ上手になってきました。
何も特別なことがなくても、自分の持ち回りがはっきりしているから
毎日、気分がいいです。
 
 
心理学が「自己愛」を大切にしていることは
だいぶ知られてきたところですが、
 
私が今読み進めている古代中国の自然思想「算命学」の
原典のなかにも、「個として確立するためには、自己を愛することが不可欠」とあります。
 
な~んだ、発達心理学の見地では
ここに「甘え倒すこと」というのが加わるのですが、
 
古来から普遍のテーマ、
 
軍国主義化していった日本以降は
見失ってしまっていたのですね。
 
そんなこんな。
 
「自己愛」が満たされていると
誰が自分にとって本当に大切なひとなのかが、見極められるし、
また
自分とは違う世界観の相手のことも
自分の一部のように大切にすることができる
心のゆとりが違う!
 
実体験コメント。
詩にしてみました。
 
 
 
 
 
 
←最近、すっかりオールブラック系。
内面の「ひらひら舞い踊る、こころの風景」を見つけるには
外側すっきり、すべての色を含む黒色はちょうどいいのです。
別の視方をするなら、これまでの「外の世界にひらひらとした境地」を見出そうとする自分に疲れ果てて、過去の自分の「死」のとき、うつ期、そして生まれ変わりの宇宙の子宮に旅立っているときともいうことができるかもしれません。はい。
 
 
 
 
 
 
 
*********
 
待ち焦がれていた便りを
郵便受けに見つけたときのように
 
やっと届いた一通の手紙を
いまにも壊れそうなガラス細工を
そっと守るときのように
胸にあてて
小走りに
屋根裏部屋へかけていく……
 
ひとりでひっそり
とびっきりの宝ものを
独占できる幸福にひたる

まるで少女の
甘やかな気持ちみたい
 
 
ずっと会えない理由と
忙しい近況が
簡単に記された
短い数行のなかにも込められた
ぬくもり
 
「会えなくて寂しい
でも
夢中でがんばっているのかと思うと
ほほえましい」
 
素直な気持ちの
両面を
告げたメールをいれてから
 
1時間のうちの返信
 
送信された時間を確かめて
胸が小躍りする
 
とっさのさりげない言葉だからこそ
かえって本当の優しさが
隠されていることを
見逃さない
 
多くを求めることなく
ただ存在してくれていることだけに
深い感謝の気持ちを抱かせてくれるひとは
そういるものじゃない
 
相性がいいって
こういうこと?
 
私とは反応のしかたも
世界観のあらわしかたも違う
相手のあるままを
 
自分のことのように
大切にできる相手
 
プレゼント交換をしたり
直接表現が大好きな私とは違って
 
「気持ちだけでありがたい」
といって
表現はすこぶる間接的
 
直球型の私からしたら
「私はお子ちゃまだから
もっとわかりやすくして」と
おねだりしたい気持ちもありながら
 
同時に
 
「いやいや、おかげで
感受性のアンテナが
磨かれてますー」
 
関係のプロセスそのものが
嬉しかったりもする
 
関係は化学反応
 
違う物質同士を
かけあわせて
飛び出してきたものを
 
やっぱり好き!
 
そう思えることが
 
相手を本当に好きなしるしなんだな
 
40歳にしてはじめて知る
 
ありがとう
 
ありがとう
 
いてくれて
 
どうもありがとう
 
ことば以上の力が
 
存在そのものにはあり
 
ことばを駆使しなくても
 
鏡となることができる
 
BEINGの素晴らしさ
 
私のありのままを教えてくれる
 
ご縁の神様が
 
辛かったときも
 
苦しかったときも
 
ずっと見守ってくれてきたおかげ
 
謙虚な気持ちを大切に
 
向き合う機会を与えられた
 
大事なひとの心の安らぎを願います
 
そして
今この瞬間も、あの人は
がんばっている---
 
そう思えることが
ひとえに嬉しい
 
そういう存在でいてくれていることが
とてつもなくありがたい
 
私もがんばって生きているという
感覚がどこかにあるために
 
きっとどこかで
「ふたりは一緒だね」と
 
目に見えないつながりを
想像するだけで
嬉しいのかもしれない

2014年3月5日水曜日

夜みる夢の世界とひとつになって。【わが奇跡】につづく道

夢は不思議。

私にとって

驚きの連続である夢ほど

私が進むべき方向性を教えてくれているのだから。

<驚いている私>とは

魂の

方向性を受け容れることができなくて

もがいている私の意識のあらわれで

今ここを生きる

私が

向き合わなくてはいけない

問題が

方向性が

エネルギーが

いやそればかりではない

向き合うにとどまらず

それそのものとして

生きることがテストとしてつきつけられているのが

夢にみる世界


さらに

面白いのは

その

夢に現れた

世界

エネルギー

方向性

テーマ



受け容れて

それとひとつになって生きることできると

現実でクリアになっていくのは

何もひとつの問題だけではない

まったく直接的には関係がないとおもわれる

あんなことも
(たとえば愛情問題)

こんなことも
(たとえば経済問題)

そんなことも
(たとえば身体症状)

一挙にまとめて
(ほかにもたくさんある、
キャリアから家族のこと、
嗜癖、ストレスのもといろいろ)

な~んだ!

以前にくらべて格段に

問題が問題じゃなくなっている!

こころの

平安と穏やかさ

充実感と幸福感

欲しかったものとともに

生きることができるようになるというのだから

夜みる夢の世界に

身をゆだねて

現実の今ここを生きない

理由はない


***


私が提供するカウンセリングの現場では

運気アップを求めて

夜見た夢をテーマにお持ちくださる方は少なくありません。

夜見た夢を語らなくても

私のカウンセリングでは

ばんばん、その方の「内なる神」の声が

クライアントの方ご本人の口をついて飛び出すのですが
(というのは観察者たる私の感想)

より「未知なる領域」とひとつになることを

お好みの方は

夜みた夢をご持参くださるのです。

結局、魂や「内なる神」の意図とひとつになって

生きることができさえすれば

私たちは「奇跡」のなかを進んでいくことができるのです。

これは私がプロセス指向心理学で学んだことであり

同時に

殷王朝の時代から歴代皇帝に伝承されてきた

古代中国の自然観であり思想でもある「算命学」でも

述べられている見解です。



←こちらは、『原典算命学大系』のコピー。国会図書館でとってきてはスキャンして精読。多いもので一冊600頁もあるものが全11巻も!読みこなすだけでも大変なパワーがいるのですが、私が過去に読んできた書物のなかでいちばんおもしろい!エキサイティングです。







あなたの本質と生きることができないとき

あなたは問題を苦悩に感じストレスのなかを進んでいくことになるわけですが

自分の本質をあるままに

その指向性を解放し、受容し、抱きとめて

それらのすべてとひとつになって

生きることができれば

実にすばらしい境地をえるばかりではなく

あなたの周囲のひとたちにも笑顔を届けることができるというのですね。

これは私が好きな

ジャン・スピラーという魂の西洋占星術家ものべている表現のひとつです。

心理セラピーの魅力は

(自分が受けていても、自分が提供する側としても)

進むべき方向性を「知る」だけでなく

体感からその方向性を受け容れ、抱きとめて、ひとつになって生きる

世界観を、自らの五感と一致させていくことができるという点にあると

私は理解しています。

したがって

先人の知恵を、

身体感覚と感性と理知と直感のすべての

精神機能をフル稼働させて

ものにしたいひとにはうってつけなのです。

真の自己成長・自己開拓・自己刷新・人生の最大値を飛翔するための

エッセンスが満載です。

「占い」の世界が

「死ぬまでには練れていくであろうそのひとの方向性」を

示唆するのに対し

セラピーの世界は
その人独自のパターンを加速化させて
ステージアップ(人生を陽転させるタイミング)を
前倒しにしてくれるわけでもあります。

手前味噌ですが

算命学の
「その方だけの真理をつむぐ」思想と
心理セラピーの世界観を
融合させて、私が独自に創作しました

「タオセラピー」は

そのスピードをさらに加速化させます。

「己の持ち物を受け容れる」ための時間はそれなりにいるかもしれませんが

対話レベルのカウンセリングで掘り下げていこうと思ったら

かなりの時間を要するところを、

あっという間に、おのれの本質のテーマ、
抱きとめなければいけない自分の方向性が
詳細な個人データとして
可視化され、
如実に明らかになります。

それはまた

「私はどのように生きたらいいのか」

の見取り図でもあります。

「私は何者か?」

わからずに人生の迷路にはまったように
感じられる方にとっては

重要な羅針盤にもなることでしょう。

受け容れようにも受け入れがたい要素は
ていねいに話し合いながら
心理ワークを重ねて
受け容れの方向性そのものを開拓していきます。

あら。

タオセラピー案内になってしまいましたね。

ハナシをもとにもどします。

+++

今朝私は、夢を見ました。
20代のころから見るようになった夢だったのですが
心理療法家になってからははじめて、
久しぶりの夢でした。

それは

大学の卒業を目前にして
実は一教科、
本当は出さなくちゃいけないレポートが
未提出のままになっているのではないか、という不安があるのだけど、
自分がレポートを出したのか出していないのかさえも記憶していなくて
大学の構内をおろおろとしながら、
うろうろあっちいきこっちいきしているという夢です。
卒業できないかもしれないのだけど
それを確かめるのも怖くて、どぎまぎ。

夢をみている私自身も
非常にいや~な気持ち。

何の展開もみないまま
ここで夢はぷつんと終わるのです。

「うわー、でたよ、久しぶりに嫌な夢」

というのが夢を見ている私の感想ですが

朝起きてから、解釈ふくめて

この夢の意図とひとつになるためのワークをしました。

この夢の世界がもっていた独特な空気感を思い出し

それを味わいます。

大学の学び舎がもっている重厚な空気感。
それと自分がなじむことができずに
私はミーハー大学生をしていて
しっかりひとつひとつ確かめることせずに
場当たり的に要領よく卒業を考えているわけですね。

うわー、これはもうすこぶる反省モードになります。

なぜって?

私の人生はとかくこんなパターンの連続だとふりかえるからです。
物事をミーハーに展開させようとするから
なすべきレポートも、やってるのかやってないのかさえも、把握できていない。

ここで
私がひとつにならなくてはいけない
成長の方向性とは
「大学の学び舎がもっている重厚な空気感」です。

この重厚感を中心にすえたとき
私が「出さなきゃいけないレポート」とはなんだろう?

そう考えます。

最初はなかなか浮かんでこなかったのですが
しばらく重厚感エネルギーにとどまっていたら
「タオセラピー論」へとつながっていったのでした。

私の魂の目的は「小説」です。

タオセラピーが誕生したばかりのときも
これをどうやって小説につなげるのか
非常に首をかしげましたが

わたしの師匠いわく「タオセラピーという小説を書きなさい」というかえし。

なるほどねー。

ではありますが、
「小説」につなげるためにも

「タオセラピー論」としての「レポート」が書けるレベルには
言語を磨かないとね。

というのが今回の私の夢に導かれた境地です。

そしてちょうどきょうの日中は、
国会図書館に行く日でした。

『原典算命学大系』という
算命学思想の本義が解説された書物と
向き合ってきたのでした。

それに・・・
国会図書館も重厚感ある建物ですよね。

夢の神様の示唆する世界を
少しは生きることができたかと
自分で自分に拍手です。

これをもっともっと日常において
一般化するとよいというわけですね。

***

じつはこの『原典算命学大系』が表現している世界、

私からしたら

「なぜ、このような非常に大事なことが世間に流布されない!?」

と驚きでいっぱいなのですが、

この道の先輩たる母曰く

この本は
ベテラン占い師も「難しい」とこぼすほどなのだそうでして。

確かに
セラピスト・カウンセラーの立場からすれば
なぜベテラン占い師が高尾義政氏が書きのこした
『原典算命学大系』が難しく感じるのかも察せられるところ。

この「原典」には

目に見えない「霊魂と肉体と天界と地底界との関係」が

表現されており

霊魂と肉体と天界と地底界の

各声をすべて分別できるように

訓練された経験を持たないひとには

何を言っているのか、理屈だけでは、さっぱりわからなくても

無理ないのです。

私はたまたま「人生と精神と肉体と宇宙と大地」との関係不和が

人間の苦悩の神髄ととらえて

その世界観を開拓することに

飛び込んでいかざるをえない運命にあったから

この世の未知なるものを識別する力を磨くことができたわけですけど。

ユングもいっていますが

こういうのはもう「宇宙の真理」に導かれてなるものだから

誰がいい悪いということはないのですけど、

とにかく今このタイミングにおいて

私と故・高尾義政先生のエネルギーは

すこぶる融合関係にあることだけは

星を読み解いてみましたが

やはり確かな事だったのでした☆

運命ってすごい、人の魂ってすごい。

ちょっぴりゴキゲンなきょうなのでした。

2014年3月4日火曜日

耳を澄ませば、生きる意味が聴こえてくる~人生の根源「内なる神」との祝婚歌


私は宗教家ではありません。

ですが

ユングもいっているように

結局、精神世界を極めると

人生の苦しみを救ってくれるものは

わが心の奥深くに眠れる
「内なる神」への祈りと賛美と従属の
大きな重要性に気付かされることになります

人間の本源を無視した
対人援助は私には興味ありません

しからば

おのれがまっさきにその海の深みへ飛び込まない理由はなく

もうはるか海底の旅をくりかえし
そうとうなものを目撃してきましたが

本当に神話の世界にあるもろもろが
私の内面にもあり

そして私は今、核心に迫りつつある段階に入ってきました
きょうは、そのビジョンをうたにしました




















耳を澄ませば聴こえてくる---

「私はどのように進めばいいのか」

【見失われた私】のガラスのかけらを

ひとかけらずつていねいに

落ち穂拾いのように

ひろいあげては

私が生まれた理由を

探し求めて

身を削る

私が生まれた理由を

完成化させる日を

追いかけて

きょうも私は

おのれを生み出したもの

すなわち

私の魂の根源と対話をする


そっと目を閉じて

こころの目で

世界をみれば

なにもかもがかすんでみえるだろう

こころの目が

見据えているものは

おのれのなかの真実 reality だけだから

外の世界のどんな金銀宝石にもまさる

ダイヤの岩山が

厳然とそびえたつのを

見るだろう

これ以上に美しいものが

この世にあるだろうか?


私の魂の根源

それははるかな時を超えて

いかなる空間も旅することのできる

永遠の命


この命の輝きの

歌声に耳を澄ませば

どんなに雅やかな
人魚(マーメイド)の歌声も

街角の騒音にしか聴こえなくなる

この世でもっとも

私の胸をゆるがす響き

天高く鳴り渡る荘厳の音色

オーロラ色に世界を輝かす
正真正銘の

命の神髄とは

長い年月のあいだ
かたくなにカギをおろして
閉ざされたままの
ハートの扉の向こうにあるもの

その奥に眠る
あなたは、誰?

扉はかたかたと揺れながら
おろされた錠は
いまにもはずれそうになっている

さあ、あともう一息

祝婚歌もいいかもしれない
ハレルヤもいいかもしれない
メサイヤもいいかもしれない

思いつく限りの
賛辞の歌をささげて

私の命の根源を

祝福する

あなたほど
素晴らしい方はいない

あなたほど
素晴らしい方はいない

私が待ちわびていた
あなた

どうか
私の前に現れてください

私はあなたのしもべとなります
たとえあなたがどのような姿をしているものであっても
私はあなたのすべてを受け容れます

これまでそうであったように
そして
これからもまた


ただひとえに
私が待ち焦がれていたのは
あなたの目覚めなのだから

あなたを眠りにつかせてしまった
過去の私の罪をどうかお許しください
いままでも、そしてこれからも
その償いのために
私の命は
私の命の輝きの根源たる
あなたに捧げるものです

どうか私の祈りが
あなたの胸に届く日が
近づきますように

扉のカギ穴から
こちらを見るものの目がある

鋭い眼光
真実を見抜く確かなまなざし
深い藍色をした瞳
叡智をたたえるその光に
威圧されると恐れた
かつての私ではない

そこにいるのは
わたしだからだ

私が足りないと
追いかけ続けてきたものを
ようやくあなたの中に見つけることができた

手を差し伸べる
さあ
光の世界へ一歩をふみだして

あなたの肉体は私
私の精神はあなた

お互いが離れ離れのままでは
いいことがあるわけない

私にはあなたが必要で
あなたにも私が必要

ふたりでひとつになり
命の意味を歌いましょう

だから

あなたの言葉を私に聞かせて

私はあなたの言葉に耳を澄ませ続ける

私のほかにも

あなたの言葉を待っているひとは

たくさんいるのだから

2014年3月3日月曜日

苦は楽のはじまり。力の限り、自覚をもって、ありのままを生きるということ

誰がいい悪いではなく

私たちは生かされている

どうにもならない

自然の意図と宿命のなかで

経験という学びを通じて

成長することが求められている

 
それは

頭や理屈で学んでどうにかなるような類ではない


「これって私いかれてる?」

「これって俺、病気?」

あなたは気に病むだろう

あなたにとって不可思議な反応・行動パターンも

大自然からすれば、エネルギーにすぎない

それはひとつのあなたが進むべき

「方向性」を表している

その「方向性」をどのように生きるのかは

この世で肉体をさずかった

あなた次第なのである

たとえば私は

お洋服をごっそりたなごと買い占めてしまう勢いで

気に入ったものを徹底的にそろえたいという性質を持っています

私ははじめこれを

「買い物依存症か?」

と自分にびびりましたが、

違うのです
















その「指向性」に対する「自覚(アウェアネス)」がなければ

やはり「買い物依存症」かもしれませんが、

私は、その「指向性」の意図を理解しながら、行動化しているため、

それは依存症ではなく、「自分をコントロールして生きている」ということができます

そもそも、私の

「気に入ったものを徹底的にそろえたい」という性質は、

お洋服にフラートされないと、

異性に出てしまうのです!

気に入った異性を徹底的にものにしたいのです。

日本語としても意味不明ですが、

要はコントロールしまくろうとする、というとわかりやすいかもしれません

それも無自覚に!

意思はやんわりと接しているつもりでも

知らないうちにただの「うるさい女」と化していくため

当然、男性は逃げていきます

そんな関係の繰り返しに私は疲れ果てたので

洋服にそのエネルギーが飛び出すことも許しました

男性に出るか、
洋服に出るか。

だったら、ものに出るほうがまだまし!


これは意思でどうすることもできない、衝動レベルです

なぜか?

カルマの次元からくるものですから

いわば、大自然の津波や雷のようなものだからです

それをもしも非常に理性的な人間によって

「そんなお前は愚かだ、やめろ!」

と強制しつづけたら、どうなるか?

壊れるしかないでしょう

まあ、私ひとりが壊れても、
世界はそれでも回っていくでしょうけれども

私はいやです




















誰かのこころない価値観のコントロールによって
おのれのありのままの自然エネルギーを
受けとめられなくて

そのエネルギーによって自らの肉体が滅びるなんて
ナンセンス!

私の身は私で守る!

ですが、フラートされた洋服を買うことを許可し続けて
3年になりますが、

さすがに、毎月買い倒していると

だんだん肉体が疲れてきます

ようやく懲りてきまして

私の最終段階でフラートされたのは

ユニクロさんだったのですが

 短期間でたっぷり

黒と白を基調として

今シーズン出ている型をほぼ買いまくり

「もうここには買いたいものはないや」

というほど

いやー、よくがんばりました

それもちゃんと褒めます


異性にしても
物質にしても

そのプロセスに
どのようなエッセンスを
投影しているのか
ひもとくことができると

大きな成果を得ることができます


私の場合、お洋服を買う行為の

どのようなエッセンスにフラートされたのかを

吟味した結果

こころをひらひらと躍らせたかったのでした

本当は

自分のこころからあふれでる言葉の世界で

ひらひらと踊りたいのに

そのハートの一番奥の扉を開けることができなくて

ほかのものを媒介として

疑似体験するよりなかった

お洋服は、自分の気持ちを一瞬にして表現できるじゃないですか!


でも

私が本当にひらひらさせたいのは、

私のこころからあふれでる言葉の世界!


そこまでわかっていても

とまらない私の本質

卒業のときがくるまで

やり倒すしかありません


痛い思いするとわかっていて
(この場合は、お金が出ていくこと)

それでも主体者は意図的に
衝動にしたがってあげた
意図的にお金を流出させるという
肉体レベルでの傷つきを引き受けた
精神的にも「自分は相当」とやきもき
自らを傷つけた

たくさん傷つけたおした挙句

肉体の私も
やっと素直に
私のスピリットに
従えるようになってきたというわけです

私はこれを

「愛あるプロセス」と呼んでいます

いっけん狂気とも思える
自分をも許し
それを楽しんで味わい倒す
恵み倒す
こころのどこかが傷ついていても
やり倒す

そのはてにやっとスピリットは
私の本気度を認めてくれたのでした

本気で本気で本気で
もうこの現れ出方は、いやだ!

叫びをあげるときに
指向性は
その出方での表現に
終止符を打つ



そうして

ようやく私は

はるか6年がかりで向き合い続けてきた

開かずの扉「内なるみずみずしい言葉をつむぐ」ことを

許せるようになったのです

肉体レベルでやまほど、

自分がどれだけはまり性でこり性なのか

部屋がただの衣裳部屋となって

毎日、その大量ぶりを可視化することができるようになって

「私自身が何者なのか」その一部を

いやというほど思い知ったからです

やまほどお買いものしたときの

あの「ひらひらと舞いあがるフレアースカートのような気持ち」を

活かして、「内なる言葉」を解放することができるようになったわけです

私の場合は、

目に見える物質(ファッション・インテリア)
異性
学び(精神世界を探求し続けることができたのもこの激しい好奇心とこり性のおかげ)

にこの指向性は出ましたが

いちばんそれを活かしたかった世界は

「文章表現」

それも

「小説」

ライター時代は、

自分の投影を

誰か他人の言葉をかりて表現することで

満足させようとしていましたが

大自然はそれを許してくれなくなっていきました

「あなたの言葉を書きなさい」



ですが

生まれてから学習してきた

私のマインド(意識)世界は

それは恐怖の対象でしかありませんでした

その恐怖が誤解であることを

体験的に発見するために

やまほど心理トレーニングとインナーワークをくりかえし

さらにはタオセラピーという

古代中国の大自然の言語を用いて

おのれのあるままに納得、受容することで

じょじょに「自分の言葉を解放させる」ための準備が整っていったのでした


「これって病気?」


そんな側面は、誰しもにあるかもしれません

少なくとも

「なくて七癖」

と昔からいわれています

ですが

それは「病気」なのではなく

大自然のひとつの「方向性」「指向性」の現れ

と理解できると、もっと楽になれるかもしれません

さらには

「どのような方向性」「どのような指向性」が

待たれているのか?

精査できると

苦痛はぐっと軽くなるのではないでしょうか

目的地のない旅行も楽しいけど

目的地のある旅行のほうが

動きがスムースであるように


そして大事なことは

とことんやり倒すこと!

自分のエネルギーの指向性を許して

とことん解放し表現し倒させてあげること


人間のステージアップは

そのあとにやってくる---

つまり

苦は苦のままじゃない

苦は楽につづく

大事な道程

味わい深いはじまり



これは非常に面白い世界と

私はとても気に入っています

もちろん渦中にいるときは

そんな余裕はないから

支え手を求めて

わが師匠を頼りにしていたわけですけど



あるひとからみたら私は狂人とよばれるかもしれません

でもね

仏教学者のひろさちやさんも書いています

「狂いのすすめ」


スピリットからみたら
意思と理性と知性だけで
生き抜こうとする世界も
狂気かもしれません

ピサの斜塔はその良い例かもしれません


人間の精神は本当に奥が深い

自分が信じているのと

正反対の方向性に

かなり高い確率で

金の宝が隠されていること

もっとたくさんのひとに受け入れられる日がくるといいなあと

いつも願っています

2014年3月2日日曜日

愛はどこにある?LOVE IS ALL 等身大の人間を愛するということ

















愛はどこにある?

愛はあなたのなかにある

どこ?
どこ?

あなたが
けげんな表情で
きょろきょろと
立ち尽くしているのが
目に浮かぶ


愛はどこにある?

あなたのすべてを愛することができるようになるとき

その答えはわかる

どうやって?
どうやって?

あなたが今どこにいるのか
私にはうかがわれる

私もかつて同じように
道に迷っていたから


愛はどこにある?

あなたの嫌っていたもの
嫌ってきた人物像
嫌ってきた感情
嫌ってきた生き方をも

愛でることができるようになるとき

自分がどれほど愛されている存在であるかということを

こころから味わうことのできる

人生にたどりつくだろう


え?
え?

眉をひそめて
いまにも泣き出しそうな
あなたの顔を前に
私も胸を痛める


愛はどこにある?

ここだけのハナシ……。

あなたがもっとも大嫌いと
足蹴にしているものにこそ

いちばん満ち足りた想いに誘ってくれる

愛が隠されている


ますます戸惑う
あなたの表情
私は絶望のふちで
がっくりとうなだれる
これこそがまさに
あなたの世界だろう


ああ

この人間の神秘

あなたはどう思うだろうか。

経験を重ねて
苦しみと痛みを通じて
磨かれてきた
年老いた人なら
わかるかもしれない

この世界のヒミツ
いったいどれだけのひとに
うけいれられるだろうか

わたしたちはいつでも試されている

勇気、忍耐、信仰

目に見える世界のまやかしに
惑わされ続けるのか

目に見えない真実に
忠実でいつづけることができるのか

愛は、合理を超越している
狂気をも、愛はつきつける


だからか

ひとはその真実を
どのように受け容れたらいいのかがわからなくて

愛を外の世界に求め続けることになる

なんてあわれ

なんて救いようのない
運命の輪

与えられたその車輪を
いかに引き受けられるか?

運命の輪に
ふりまわされるのではなく

運命の輪の中心に
飛び込む

勇気

どこまであるか?

真の勇者こそが
真の愛を許される





















だけど

それを引き受けるすべもなく
それを引き受けることができるだけの
勇気もない

臆病な人間のあるがままにも

どうか救いの光を!


愛はどこにある?


愛は外のどこを探しても

見つけることはできない


だから

大嫌いなものにも愛を!

あなたにとって

もっとも醜いものにも愛をくべることができるとき

真実の愛があなたの前に開かれる


たとえもし

あなたにとって

もっとも醜いものを

あなたが受け容れられないことがあっても

私は驚かない

それどころか

それさえも肯定する

人だから……。


そのうえで

もっとも醜いものこそが

実はあなたの愛の化身であるという

雪解けの魔法を

あなたにお見せしたい

あなたの笑顔が見たいから


そして

愛は世界のいたるところにあると

どんなひとをみても

優しさと微笑を投げかけることができるようになっていく


愛はどこにある?

今この瞬間、

これを読んでいる

あなたの全身全霊のなかに!

あなたにはまだ見えていない
ハートのエリアに
泳ぎだそう

真実の愛を見つけ出す冒険に

導かれるものは幸い

愛と幸福は

目に見える指標を超えたところに存在する

巨万の富も
不動の名声と栄誉も
誰もがうらやむ才能と美形も

愛のない世界は
無に等しい


一度きりしかないこの人生


あなたはどうしたいか?

LOVE or DEATH

愛を追いかけるのか

死んだように生きるのか

愛は

今この瞬間も

優しく包むように

あなたの真実の目が開く日を

見守っている

あなたの決死の覚悟の

愛のダイブを

あなたのあるがままの欲求、叫びに
まごころこめて素直に生きよう

虚勢を捨てて
等身大のおのれに
誠実に
一歩一歩着実に

これこそが愛ある生き方

愛が素晴らしいのは

けしてあなたを裏切らないという点

愛こそがすべて

すべては愛につづくストーリー

わたしたちは愛からはじまり

愛に終わる

ならばどうして

現実の今この一瞬も

愛(魂)の叫びから

離れることができようか!

愛のささやきに

耳を澄ませば

新しい明日の希望は見えてくる

LOVE IS ALL