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2014年3月3日月曜日

苦は楽のはじまり。力の限り、自覚をもって、ありのままを生きるということ

誰がいい悪いではなく

私たちは生かされている

どうにもならない

自然の意図と宿命のなかで

経験という学びを通じて

成長することが求められている

 
それは

頭や理屈で学んでどうにかなるような類ではない


「これって私いかれてる?」

「これって俺、病気?」

あなたは気に病むだろう

あなたにとって不可思議な反応・行動パターンも

大自然からすれば、エネルギーにすぎない

それはひとつのあなたが進むべき

「方向性」を表している

その「方向性」をどのように生きるのかは

この世で肉体をさずかった

あなた次第なのである

たとえば私は

お洋服をごっそりたなごと買い占めてしまう勢いで

気に入ったものを徹底的にそろえたいという性質を持っています

私ははじめこれを

「買い物依存症か?」

と自分にびびりましたが、

違うのです
















その「指向性」に対する「自覚(アウェアネス)」がなければ

やはり「買い物依存症」かもしれませんが、

私は、その「指向性」の意図を理解しながら、行動化しているため、

それは依存症ではなく、「自分をコントロールして生きている」ということができます

そもそも、私の

「気に入ったものを徹底的にそろえたい」という性質は、

お洋服にフラートされないと、

異性に出てしまうのです!

気に入った異性を徹底的にものにしたいのです。

日本語としても意味不明ですが、

要はコントロールしまくろうとする、というとわかりやすいかもしれません

それも無自覚に!

意思はやんわりと接しているつもりでも

知らないうちにただの「うるさい女」と化していくため

当然、男性は逃げていきます

そんな関係の繰り返しに私は疲れ果てたので

洋服にそのエネルギーが飛び出すことも許しました

男性に出るか、
洋服に出るか。

だったら、ものに出るほうがまだまし!


これは意思でどうすることもできない、衝動レベルです

なぜか?

カルマの次元からくるものですから

いわば、大自然の津波や雷のようなものだからです

それをもしも非常に理性的な人間によって

「そんなお前は愚かだ、やめろ!」

と強制しつづけたら、どうなるか?

壊れるしかないでしょう

まあ、私ひとりが壊れても、
世界はそれでも回っていくでしょうけれども

私はいやです




















誰かのこころない価値観のコントロールによって
おのれのありのままの自然エネルギーを
受けとめられなくて

そのエネルギーによって自らの肉体が滅びるなんて
ナンセンス!

私の身は私で守る!

ですが、フラートされた洋服を買うことを許可し続けて
3年になりますが、

さすがに、毎月買い倒していると

だんだん肉体が疲れてきます

ようやく懲りてきまして

私の最終段階でフラートされたのは

ユニクロさんだったのですが

 短期間でたっぷり

黒と白を基調として

今シーズン出ている型をほぼ買いまくり

「もうここには買いたいものはないや」

というほど

いやー、よくがんばりました

それもちゃんと褒めます


異性にしても
物質にしても

そのプロセスに
どのようなエッセンスを
投影しているのか
ひもとくことができると

大きな成果を得ることができます


私の場合、お洋服を買う行為の

どのようなエッセンスにフラートされたのかを

吟味した結果

こころをひらひらと躍らせたかったのでした

本当は

自分のこころからあふれでる言葉の世界で

ひらひらと踊りたいのに

そのハートの一番奥の扉を開けることができなくて

ほかのものを媒介として

疑似体験するよりなかった

お洋服は、自分の気持ちを一瞬にして表現できるじゃないですか!


でも

私が本当にひらひらさせたいのは、

私のこころからあふれでる言葉の世界!


そこまでわかっていても

とまらない私の本質

卒業のときがくるまで

やり倒すしかありません


痛い思いするとわかっていて
(この場合は、お金が出ていくこと)

それでも主体者は意図的に
衝動にしたがってあげた
意図的にお金を流出させるという
肉体レベルでの傷つきを引き受けた
精神的にも「自分は相当」とやきもき
自らを傷つけた

たくさん傷つけたおした挙句

肉体の私も
やっと素直に
私のスピリットに
従えるようになってきたというわけです

私はこれを

「愛あるプロセス」と呼んでいます

いっけん狂気とも思える
自分をも許し
それを楽しんで味わい倒す
恵み倒す
こころのどこかが傷ついていても
やり倒す

そのはてにやっとスピリットは
私の本気度を認めてくれたのでした

本気で本気で本気で
もうこの現れ出方は、いやだ!

叫びをあげるときに
指向性は
その出方での表現に
終止符を打つ



そうして

ようやく私は

はるか6年がかりで向き合い続けてきた

開かずの扉「内なるみずみずしい言葉をつむぐ」ことを

許せるようになったのです

肉体レベルでやまほど、

自分がどれだけはまり性でこり性なのか

部屋がただの衣裳部屋となって

毎日、その大量ぶりを可視化することができるようになって

「私自身が何者なのか」その一部を

いやというほど思い知ったからです

やまほどお買いものしたときの

あの「ひらひらと舞いあがるフレアースカートのような気持ち」を

活かして、「内なる言葉」を解放することができるようになったわけです

私の場合は、

目に見える物質(ファッション・インテリア)
異性
学び(精神世界を探求し続けることができたのもこの激しい好奇心とこり性のおかげ)

にこの指向性は出ましたが

いちばんそれを活かしたかった世界は

「文章表現」

それも

「小説」

ライター時代は、

自分の投影を

誰か他人の言葉をかりて表現することで

満足させようとしていましたが

大自然はそれを許してくれなくなっていきました

「あなたの言葉を書きなさい」



ですが

生まれてから学習してきた

私のマインド(意識)世界は

それは恐怖の対象でしかありませんでした

その恐怖が誤解であることを

体験的に発見するために

やまほど心理トレーニングとインナーワークをくりかえし

さらにはタオセラピーという

古代中国の大自然の言語を用いて

おのれのあるままに納得、受容することで

じょじょに「自分の言葉を解放させる」ための準備が整っていったのでした


「これって病気?」


そんな側面は、誰しもにあるかもしれません

少なくとも

「なくて七癖」

と昔からいわれています

ですが

それは「病気」なのではなく

大自然のひとつの「方向性」「指向性」の現れ

と理解できると、もっと楽になれるかもしれません

さらには

「どのような方向性」「どのような指向性」が

待たれているのか?

精査できると

苦痛はぐっと軽くなるのではないでしょうか

目的地のない旅行も楽しいけど

目的地のある旅行のほうが

動きがスムースであるように


そして大事なことは

とことんやり倒すこと!

自分のエネルギーの指向性を許して

とことん解放し表現し倒させてあげること


人間のステージアップは

そのあとにやってくる---

つまり

苦は苦のままじゃない

苦は楽につづく

大事な道程

味わい深いはじまり



これは非常に面白い世界と

私はとても気に入っています

もちろん渦中にいるときは

そんな余裕はないから

支え手を求めて

わが師匠を頼りにしていたわけですけど



あるひとからみたら私は狂人とよばれるかもしれません

でもね

仏教学者のひろさちやさんも書いています

「狂いのすすめ」


スピリットからみたら
意思と理性と知性だけで
生き抜こうとする世界も
狂気かもしれません

ピサの斜塔はその良い例かもしれません


人間の精神は本当に奥が深い

自分が信じているのと

正反対の方向性に

かなり高い確率で

金の宝が隠されていること

もっとたくさんのひとに受け入れられる日がくるといいなあと

いつも願っています

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