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2010年4月7日水曜日

自由の精神を見つける~私は無目的、無方向でいい









 




最初の会社でお勤めをしていた時、
私は友達によくくだを巻いていたそうです。


「自由ってなに?」


と。


 友達に後で指摘されて初めて、
自分がそのように言っていたことを思い出させられました。
 友達としては、ずいぶん形而上的で抽象的なことに頭を抱える私が、印象的だったのでしょう。
 あるいは、その友達もまた、「自由」を無意識に希求する心をどこかに抱えているからこそ、言葉の足跡として、心に残ったのでしょう。


 私が言ったことを忘れてしまうということは、相当、当り前になっていたのだと思います。「自由を求めて生きること」が。そのことしか頭にない人間といっても過言ではありません。空気や水を求めるのと同じように……。


 私の臨床活動において、とても大事にしていることが、いくつかあります。
 そのうちのひとつが、私自身の心理トレーニングです。
 私の内なる世界を極めていくこと作業(プロセス)です。
 私の広大無辺な無意識の世界に深々ともぐり、
 日常で、無自覚に起きていることを、認識することをくりかえします。
 自分の魂がいったい何を求めているのかに直面化させ、
 日常を生きる私として、それを受け容れ、
 私自身の器(コンテイン)を広げていくことにもつながります。
 昨夕は、そのセッションでした。


 持ちかけたテーマは
「私は、どの方向性で学びをくりかえし、何をウリとしたらいいのだろうか?」
です。


私はとても広範囲のことに興味関心があり、
クライアントの指向性やご相談のテーマも、じつに種々様々であるため、
疑問に感じたからでした。


コンサルティング業をなさる方のなかには
「テーマは絞り込んだほうが、集客をしやすい」
という類のことをおっしゃる方もいるからです。


私自身は、その意見に対して
「そうなの? それをしたら私はかえって進みにくくなる」
と違和感を覚えます。


そのくせ、世間一般的な論に従った方がいいのかななどとも疑問に感じ、
その疑問が足かせになって動きにくさを感じているのですから、世話ありません。


そこで自分の師匠に投げかけたのでした。


結論としては、
私の場合、
無方向性、無目的、全肯定、解放」のなかで生きるときが、
最高に自分らしく、エネルギーいっぱいに
自己実現&自己表現しやすくなるのだということがわかりました。


確かに……


ブログひとつとっても
以前の
「悩み相談室」とか「ラブレターブログ」のように
テーマを設定して書こうと決め手も
いくら机の前に座れど、
いつまでたってもちっともやる気がおきてきません。


「書けないときは、とにかく机の前に座っていればいい」
とは、斎藤孝さんの御本の中に書かれていたように思いますが、
私の場合は、そういう問題ではないようです。


それよりも私の場合は「枠のないフリーダム」を設定した
今度のブログのほうが
すっごく書きたい意欲がわいてきます。
ジャンル幅広く、あんなことも、こんなことも、自由気まま。
足かせも、枠組みも、何にもないところにいるとき、
自然と活力が満ち満ちていきます。


つくづく世間一般に流布している
自己啓発書やビジネス書の言っていることが
まったく当てはまらない私です(笑)。


しみじみ「個性」とは、
誰かの成功スタイルを追随すれば花開くわけでもないのだということを
身をもって学ばされます。


ただし! 逆にしっかりと枠組みを
与えられた方が生きやすい「個性」があることも確かです。


大事なことは、そこを「見極める」力なのですね。


だから私の場合、学ぶ方向性も、
「無目的、無方向性」でよし。


「多動症的に、あれもこれもとなりますが、それでもよいの?
俗に、優先順位をたてて生きろというではありませんか」


とたずねると、答えはYES。
「君の場合、優先順位をたててもいいし、たてなくてもいい」とのこと。


そうなんだぁ~。
私はずいぶんとお気楽ご気楽、好き勝手に生きることが大事のよう。
それを許されるなんて、なんて有難いのだろうと、しみじみと泣けてきます。


「そういう生き方が、君の場合はお金につながるから」


ともアドバイスをもらいました。


そういえば画家の棟方志功さんも
「僕はありがたい。好きなことだけやって生きることができる」
と、せっせと絵をつくっていらっしゃったのだそうです。


そんな有難いこと(注意:私の魂の望むものだから、有難く感じるのであり、すべてのひとが自由勝手気ままが有難く感じるものではないことは断っておきます)が許されているのだとしれば、


がぜんやる気も出てきます。


誰に何を言われようと、どう嫌味を言われようと、しったこっちゃありません(笑)。


来るもの拒まず、去る者追わず精神に、スイッチオン。


私は、私が書きたいことを、書き、
やりたいことをやるのだ!!


ずいぶん長いこと商業世界で書いてきているため、
もともと不向きであったにもかかわらず
長年修行のために、枠組みやテーマ設定のなかでの原稿書きをしてきました。
そのために枠を与えられた中での原稿書きに食傷気味となってしまったようです。


そういえば私の彼がこういったときも
私のなかの「やる気スイッチ」が入っていたっけ。


「君はもう編集の仕事から自由になったのだから。
本当に書きたいことだけを書くだけの時間がいくらでもあるのだから」




うううう。なんて有難い魂の恋人を私は得ているのでしょう。感涙。


昨夜も私は彼に言いました。


「私は、魂のど真ん中を貫く、普遍的なテーマで書きたいの!!!」


私が古典作品に安らぎを感じるわけでもありましょう。


彼は優しく言います。


「いいと思うよ。やったらいいじゃないか」


ああ。このくだり、ここにこう書いてて涙が出てきます。


感謝、感謝、感謝。


私に私は制限をもうけてはいけない。


私は私であり、私はすべてでもある。


私は何にでもなることのできる「自由」の精霊である。




だから……。


私のもとを訪れるクライアントに対して私は、
精神の自由と飛翔を体験できるように
サポートすることを、十八番とするのだと
我をふりかえります。


もちろん「枠を得たい」という想いも含めてね。
最上にそのひとらしい生き方のナビゲーターとして。


私がこよなく愛する宇宙の摂理にのっとり……、


「全肯定」の精神こそが、
何もかもを美しく花開かせることを
リクツのないところで、感じて知っているからかもしれません。


「それを愛ともいう」


師匠にそう言われた時、
私の胸の奥がもっとも静かに落ち着いたことは、
「生涯の宝物」がそこにあるからでしょう。




ただただ、ひとこと。


深く感謝。


私は、翼を広げて空を飛ぶ、鳥でいい。
ひと目ぼれして購入したピカソの一羽の鳩の絵のように。
(もちろんレプリカのコピーw)


その心で、この原稿を書きました。
私的なつぶやきを
最後まで読んでくださり、
どうもありがとうございます。

2 件のコメント:

  1. どうもありがとう!Sayakaさまを私も見習って、せっせとブログを書き続けられる人目指して、精進いたします♪ 

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