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2014年5月7日水曜日

【カルマ消化のために】才能ある「般若」or「夜叉」 VS 高いレベルの人間性

きょうの日中は東京駅のKITTEビルへ
「未完の見失われた兄たち3人」を
外在化するアイテムを探しに。

 
 
「心理職なんだから」
 
と2年ほど前に
母の算命学の先生だった
高尾学館のO先生に
ある男性との関係の問題を抱えて
相談しにでかけたときに
諭され
 
「え?そこ?」
 
と疑問符が浮かんだことへの答えを見つけつつあります。
 
心理カウンセリングの魅力のひとつは
 
この世を生きる等身大の人間のあるまま
特に自我の声、煩悩の声も
優しく受け止めるための技法である点と
 
私は思っていますが
 
O先生は援助職者としては
もう少し人間性の高さを持つことを
理想とされているからゆえに
 
私を叱ってくださったのだと
ふりかえります。
 
当時の私は今よりももっと未熟で
そもそも
自らの大きな煩悩と
流れゆく時間のなかでくりひろげられる現実の出来事との間で
途方にくれていたときです。
 
タオセラピーを生み出すよりも前のときです。
 
タオセラピーを開発した経緯のひとつには
私の自己実現、魂の開花のテーマを達成するために
 
夜みる夢と向き合いワークするだけでは
追いつかないほどの深み、
未知なる領域からやってくるおのれのすべてを
どのようにしたら統合可能なのか?
非常に細かくて深くて認知の難しい
アートのような領域へのダイビング法を
自らの煩悶をつかって
生みだしたわけでしたが
 
その背後では
私の場合、いつだって異性問題は
好むと好まざると
もろ刃の剣のようについてまわっていたこともあって
 
その煩悶のケア法としても開発されたのでありました。
 
ですからそれよりも前の段階にあった
当時の
O先生の私の運命に対する見立ては
私にはとても辛くむごく感じられ
いえ、むしろ天命のむごさにこたえて
不意にしくしくと泣き始めたとき
 
冒頭のお言葉をいただいたのでした。
 
ですが、こういっちゃーなんですが・・・
 
心理職者としての命題は
ロジャーズ派のいうところの「自己一致」という概念が
大きな方向性として存在することぐらいしか
 
伝授されておりません。
 
私の師匠のグループでは
「エルダーシップ(長老)」という概念を用いています。
 
最低限の倫理基準として
「クライアントとの二重関係は禁忌」
ということはあるものの
 
それ以上の「人間性」については
「あるままを受容する」こと以上に
説いてくれたところはありませんでした。
 
つまりO先生と私の間では
援助職者として前提となっている
世界観の相違があるために
私は「ん???」と
疑問を得たわけだったのです。
 
その日から私は
「その違いはどこにあるのだろう?」
と探求をはじめました。
 
 
そして今日、母から高尾学館が発行する機関誌を手渡され
O先生の原稿を目にしたとき
 
「古来東洋が抱いている
集合的無意識および
元型としての
人間性の原理」
 
への理解を
前提の世界観として
おもちでいらっしゃるのに対し
 
心理学はその側面について
 
客観的科学化の難しい領域として
排除してしまっているのだなーと
 
知ったわけでした。
 
かろうじて
 
ユングが「元型」の概念をつかって
集合的な無意識を論じましたのと
 
ミンデルの奥さんのエイミーの論じた「メタスキル」という
スキルや技法を超えるものがあるという定義
 
どまりなのであります。
よって援助職者がどのような思想に支えられて
人と向き合っているのかを知っておくことは
 
援助職者を求める側にとっては
大変大事なことではないでしょうか。
 
科学ははたして
どこまで万能たりえると
いえるでしょうか?
 
もちろん未来において
 
思想をたんなる哲学や人文科学としてではなく
 
心理学的な側面から
客観的に定義することができたら
とても面白いと思いますし
ユングの元型論に匹敵する
スターダムにのること必至でしょう。
 
ミンデルも「シャーマンズボディ」などの著作において
文化人類学的側面と老荘思想をかけあわせながら
論展開はしていますけれども・・・。

思想とは、無形であるために
それよりももう一歩深いところにあるもののように
私には思われており、
 
それゆえ
心理学化はなかなか難しいのでしょう。
 
宗家・高尾義政さんも
科学者にぜひ知ってもらいたいという想いから
 
大学で博士論文を提出しましたが
 
宿命でもあったのか
社会的な名誉を得ると同時に
命つきてしまったことは
 
日本の歴史において
非常に惜しまれる部分かもしれません。
 
 
さて私がみつけたO先生の世界観を
機関誌「宝積(ほうしゃく)」№49 p35~p41から抜粋しますと。
 
テーマは私がまとめるなら
 
「才能ある般若or夜叉 VS 高いレベルの人間性」。
 
概要
 
きょう、自分に与えられているものすべてが煩悩であり
108つあるとされているこの煩悩のもととなる
カルマを、ひとは生まれる段階で天地や親から与えられるとしています。
これを数十年かけて消化していくことが
私たちの運命にはふくまれてくるわけですが
そのカルマの消化のされ方、つまり生き方にはいろいろな特色があります。
 
1 才能中心の人生 「般若」
 
カルマの一部分を集中して消化していくプロセスで、
才能を徹底的に世の中に生かしていく生き方。
若くして才能を発揮していく場合、仕事の世界がどんどんのびていきます。
すると特定の才能の部分のカルマが消化されます。
これによって芸術やビジネスで人に感動を与えることができます。
その一方で、人間的な部分は通常の人の場合よりも、カルマの消化がされません。
これを「偏ったカルマの消化法 才能型」とよんでおり
専門用語で「般若」と呼びます。
 
たとえばお坊さんで素晴らしい法話や祈祷のパワーがあって
聖人と呼ばれながら、一方で同時にお金に汚かったり色事に走る人々は
「般若」の典型。
何かをやらせると素晴らしいのに人間としては
かなり低次元といった格差のある生き方をいいます。
 
・・・ここでO先生のちょっと怖い!?エピソード挿入されている・・・
 
「以前、山梨の~霊山にのぼったときのことでした。
~相部屋のグループが霊能力集団でした。
自分は一度に何体も除霊したとか、大きな声で能力の自慢し合いをしていましたが
これなどはまさに「般若」なのでしょう。
霊の話以外の話題や部屋でのマナーは大変ひどいものでした。
『このひ人たちは下山したら、弱き人を脅かしているんだろうなあ』とふと思いました。
“般若”の人たちというのは、何か本当の自信がないのでこだわりが多いのです。
『弘法は筆を選ばず』といわれますが、どんな環境でも自分で工夫して自分のものにすることができないのだと思います」
「般若を見抜くキーワードは、『大仰な人には注意しろ』ということです」
「般若の批判をしているのではありません。
才能を与えられたことに感謝して、
さらに人間的に常識をもって、マナーを大切にして向上していけば、
偉大なる平凡の見事な人生になっていくと説いているのです」
 
これが人間的に今一つでも
才能豊かな人がいるわけです。
 
***
 
私、大崎もこの件についてのご質問を
クライアントの方からしばしばいただくことがありますから
この項目は、妙に目からうろこでした。
 
***
 
この場合、消化されていない部分のカルマを
しっかり消化させることで人間としてのバランスがとれてきます。
ですが、才能を発揮しながら他方で人間的に成長させようというのですから
かなり時間はかかります。
 
2 才能は発揮されないけど「般若」
 
たとえば人助けのためボランティアでお金を集めても
だんだんお金の使い方に執着し始め、
たくさん集まったお金を運用してもっと大きくしようとして
お金に自分が縛られている状態をいいます。
 
つまり、現実に縛られて欲がではじめた時点で「般若」です。
 
人間的に今一つなために、大欲に縛られるのです。
 
もしもたくさんお金をあつめて、欲を出さず、そのまま人助けに使えば
「普通で平凡」です。
 
3 レベルの高い平凡
 
才能豊かな人が仕事で人に感動を与え続けながら、
じょじょに人間的にレベルアップしたとします。
すると、才能も素晴らしいし人間もよくなったとなって、
世間からも「やはり素晴らしい人間だからだ」と評価されます。
それはすでに天才でもなく般若でもなく、「平凡」であり「当たり前」。
プラス、高いレベルの平凡、偉大なる平凡といえましょう。
 
般若とか天才という言葉は、
次元の低い人が素晴らしい仕事をした場合にのみ使うのです。
 
もともと才能が平凡な人が、
人間的に当たり前のことをするのは単純に平凡になります。
 
4 才能が開かない人生「夜叉」
 
常識があってマナーもしっかりとしているのに
まったく才能開発をしなかった人生です。
小さいときから行儀よく育ち、習い事もおさめ、
人間として周囲への気遣いも一流なのに、
能力がともなわないために自立できず、
才能のある人たちを恨めしく思うケース。
人間的にしっかりとしながらも、人間的に低次元でも
どんどん出世していくまわりの姿をみて、
自分はどうしてダメなんだと落ち込んでしまう。
そのギャップがあまりにも長く続くと
生まれた家、世の中、自分自身など
あらゆるものを恨むようになる。
育ちが良い人ほどこれに陥りやすい。
 
一方、育ちもよくなく、作法も才能も何もなければ自分の器を知り
仕方ないと言って生活に追われるだけの人生は、いわゆる庶民生活。
 
しかし育ちが少し良いと、才能が足りないと恨みになりやすい。
育ちの良さがプライドになるため、自分を認めない世の中を恨む。
これを「夜叉」といいます。
柄の悪い、育ちの悪い「夜叉」はあまりいないわけでもあります。
 
「夜叉」を支配しているのは貧しき自尊心です。
それが原因で、自分はもとより、人さえも傷つけます。
そして、不運を人のせいにします。
恨みから復讐心にもなります。
 
自分はえらいのに誰も持ち上げない。
馬鹿にしている。
たまに褒められても素直に喜ばず、魂胆があるのかとか
馬鹿にしているのかとか、被害妄想になります。
弱い者いじめさえもします。
男性のほうが女性よりも陰険で
妻子に暴力をふるったり、部下や女性をいじめます。
 
育ちがよいだけに、思い切った人生転換ができず
心が膿んでいくのです。
 
実は「夜叉」になる人は
育つときに片親の愛情が過多になっていることが多く
これを偏愛の成長期と言います。
 
5「般若」「夜叉」の離脱法、カルマの消化、バランスのとれた人間へ
 
<「夜叉」の場合>
 
ものごとを中途半端にやるのではなく、
ひとつのことをとことん勉強すること。一行専心で磨きをかけること。
主婦業であっても、家事の中で裁縫や料理、
ひとつ習熟させて玄人はだしを目指すこと。
それが魅力になり、才能を活用する機会に恵まれ、
家族の見方も変わってきます。
自信がでてくるので、多少のごたごたも平気で
乗り越えていくことができるようになります。
 
毎日、勉強して、才能開発しましょう。
 
<「般若」の場合>
 
才能ある人は、ぜひ人間を磨くべく、協調性を身に着けてください。
また、心から嫌なことを三年我慢してやること。
そうすることで人格があがります。
 
***
 

 
いかがでしたでしょうか?
 
ご自身をチェックしてみて
気づいたことはありますか?
 
私は・・・
 
「なるほどー!」とうなりました。
 
昔よりも度合が小さくなったとはいえど
 
私のなかにどちらも存在することをしかと認めます。
 
精進、精進!
 
この元型のおかげで
 
煩悩にエネルギーが流れてしまうわけですね。
 
人生の煩悩の意図は
 
磨かれていくこと(カルマの消化)にあり
 
人間的に成熟するために
 
現象界のストレスは与えられている……
 
ならば!
 
意図にむかって直結コースにはいったほうが
ストレス小さめ。
 
煩悩についてのしのごのは
 
私は心理カウンセリングを通じて
 
やまほど受け容れが進みましたので
 
これからは
 
「毎日勉強」
「嫌な事を三年我慢」
 
 
人格アップを目指したいと思います☆ニコニコ。
 
勉強はこれまでもずっと重ねていますがこれからも。
 
ランチは卵にこだわったオムライスとサラダセット。
 
 
嫌な事は・・・
 
爆発的感情を解放しながらの小作のアウトプット
 
ですかね。
 
ここにきてはじめて自覚したのですが
私は自分の激しい情動がみずから本当にしんどくて
どのように手なずけたらいいのか
心の器を持たなかったせいで
嫌っていた。
そのせいで、なかなか小作を最後まで書き終えられなかった。
 
ですが、その目的のために
めぐり合い、開発した、「心の器」を大きくする技法に支えられ
(なんだ一押し商品ぜんぶでした!w)
 
いまじゃ、どうにかこうにか、よちよちと
書き進められるまでにはなれてきました。
 
ふー。頑張ってきましたよ、私♪
 
きょうもこれから帰って、書き出します。
「三年我慢」ですからね。
 
***
 
そんなこんな。
 
やはり集合的無意識な思想があるほうが
 
広く人間を受け止めながらガイドさせていただきやすいものよねーと
 
あらためて感想をもちました。
 
むろん、それを説いていく側にまわるということは
 
当人もそれがしの度量を持ち得ていなければ
 
説得力になりません。
 
 
人間は嗅覚、本能で、相手を見分けるところがありますよね。
自分にあうか、必要か、いなか。
 
ゆえに私は
自省自覚の意味を込めて
 
インナーワークをくりかえします。
 
反省点はいつだっていっぱいあります。
 
きょうのこの文献との出会いにも感謝です。
 
へへっ。成長ののりしろを見つけさせてもらった!
 
共時的なのか、サブリミナルになってたのか
 
きょうやってきた偏頭痛とワークしましたら
いっぱいでてきました!
 
【1】水子のお兄さんその1は先日でてきましたが
こんどは、その2、その3。合計3人、つまり私は4人兄弟!!
(母は嫌がりますが、実際、その気はなきにしもあらずだったようで。
驚かされるのは、じつは私の日干は、月干にもあるため
それで兄ひとりは確実なのですが、
同じ「干」が埋星にもあと2つありましてね!!
う~~~~ん。そ、それか・・・。ぞわっ)
 
私の「日干」は「己(きど)」という土の性質ですが、
兄3人というのは、私の「陰世界」に存在する合計4つの「己」を示唆していることに気付きました。
彼らと、すなわち、埋もれた自分の一部とも
いつも一緒でいることを感じられるようにと、
ブラウンベースに4つの金色の花がちりばめられている
デザインのバレッタを購入しました。
錬金術いうところの男性性と女性性の結合の神秘のとおり
自己がまーるくおさまるのを強く感じられており
「そうかあ、これが私の自我としての一体感かあー」と感慨深いです。
逆をいうと今までいかに欠けた意識で生き続けていたかが
相対関係のなかで認識させられ、この到達のありがたみを感謝します。
 
【2】ラピスブルーと金色のドラゴン
 
【3】闘う魔神
 
【4】般若!!でたー!→【5】仏像にシフト
 
各パートの言い分としっかりと向き合い昇華していったら
最後にきたのは
 
【6】鬼子母神(グレートマザーの一種ですね)
子供が欲しい、子供が欲しいって、ひーーーーー。
逃げないで、手篤く話し合いをして和解しました。
 
ひとしきりワークしたら、猛烈にぐったりして2時間、落ちました。
(で、こんな時間に長々とブログ)
 
シャーマンが、ワークのあとはてる、あんな感じと同じです、はっきり。
 
偏頭痛はいまはことりとありません。ふー。よかった、よかった。
 
大命題は人格の向上!
 
ここにフォーカスしたら
あとのことはぜんぶ
あとからついてくる結果なんだなーと
 
思えるような精神状態に
ひと眠りした後すっきり
入れ替わっておりました。
 
処世として「ワザ」をこんこんと学んできて
本当によかったと
 
ここまでの道のりに深く感謝します。
 
南無南無。
 


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