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2015年9月29日火曜日

引き寄せの法則が叶う人、叶わない人、どちらもいるのが自然〜「自分になること」が運命の核心

年の頃でいうと「吹き出物」というやつが
いわゆる「想われニキビ」の場所にでました。
乙女キャラの私が、「きゃっ」と喜んでいたりします。うふふ〜。

みなさん、こんばんは。

生きることは、どうしてこんなにも苦しいのでしょうね。

この気持ちに共感できるひとと、
できないひとに分かれるのではないでしょうか。

そのどちらがよくて、どちらがよくない、
ということもないのではないでしょうか。

古代東洋思想の原理をベースとして
タオセラピーを開発し
いろいろなひとのプロセスと向き合うことをくりかえしているものとして

陰陽の流動性のなかで
私たちは生かされているという思いを深めております。

あらゆるものには「善悪」というよりも
「陰陽」があるのです。

したがって、ある意見がある、ということは、
それとはまったく正反対の意見もこの世にはある、
そしてそれが自然である、という感じです。

今つらい人生のひとは、のちのちそのつらさはやわらぐ、というように。
はたまた、つらさを恐れることもなく、
つらさとともに一緒にダンスを踊ることができるようになれるかいなかが、
人生の醍醐味かもしれません。

そのことをふまえたうえで・・・。

きょうの「六十干支のグループワーク」で少々持ち上がった

「引き寄せの法則をとく自己啓発」について

私なりの見解を少々ここに。

ある意味、ある意識層において、
それは真なりの部分かとは思います。

ですが、その意識レベルおよび無意識レベルよりも
もっと深い因果の世界も存在することを
忘れることはけしてできません。

引き寄せの法則がもしも成立しているとするなら
その反対世界は、必ずある、ということです。

もしも、引き寄せの法則を説いている方がいるとしたら、
それはそのひとの世界観の枠内であるということを知る必要があるでしょうし
それが有効な人間もいるであろうことも確かなのですが、

同時に、それが有効ではない領域もこの世にはある、ということです。

単に価値観ではなくて

それが成立する自然法則を授かっているひとと
それが成立しない自然法則を授かっているひと

両方ある、ということです。

そして私はどちらかというと後者のタイプです。

どちらかというと願っていないことが勝手に歩いてくるタイプであります。
願っていることはけっこう手に入りません。
タオセラピーを研究した結果、それも私の生まれた日にちの宿命に描かれていることは理解できたし、それは受け入れるよりありませんでした)

そういう私がどのような戦略をとったかというと

精神の上下運動の世界に飛び込んだのでした。

単純な「願う」というマインドやちょっとした浅瀬の無意識レベルではなく、
あらゆる多層多次元に展開される無意識層の全てが一体何を望んでいるのかを
つぶさに調べたのでした。
それこそカルマのレベル
はたまた「神言」といわれる、
人間界を離脱した次元の暗示(WANT)までも。

そしてそれを否定するのではなく
認める努力を繰り返しました。

さらにはそれを「活かした世界」を構築する創造性も磨きました。

そして最終的に私は気付いたのでした。

なぜ自然や神が私に
願うことはかなうという領域を与えなかったか、ということを。

私は多層多次元に広がる暗示と謎を自力で紐解くことを
「宇宙からの宿題」として与えられていたからなのだ、と。
それは既存の概念にはない領域でした。
あらゆる知識のちゃんこ鍋をつくらなければなりませんでした。

正直、きつくないことは何一つありません。
すべてきついプロセスでした。(正直、自慢したいほど)
私は「机上の知識と研究」だけでまとまるタイプでもありませんでした。
「実地で試して納得いってまとめていく」タイプでした。

それはライター時代からそうでした。
記事としてとりあげるからには
自ら取材して気に入ったものだけを書いていました。

ところが意外なことに
恋文屋.comをメディアで取り上げていただく経緯のなかで
自分が体験しなくても、質疑応答だけで記事や番組をつくっていく
記者が非常に多いことに私は驚かされました。
(取材して自分のハートを裸にされるのが恥ずかしかったからかもしれませんがw)

そういうわけで
精神世界の未曾有を知るには、
それ必要があるという確かな動機がなければ
冒険できるような話でもありません。
「生きているのが異様につらい!もう生きられない!」というような。

私は、精神病じゃないか?と親から心配されたことも少なくありません。
私も自分で自分を疑いましたが、
精神病的な自分を脇に抱えながら、
理性的な私がしっかり存在する限り
それは精神病ではありません(苦笑)。
また精神だけでなく、現実のプロセスも驚くほど
「願うことはぜんぶかなわない」のでした。(爆笑)
宇宙からの邪魔が必ず入るのです。
ひとつには、「自分の特質や資質を知らなさすぎた、否定しすぎた」
というのはあるでしょう。

それでもパターンとして
これからもきついことはくりかえされるのが
私の宿命と覚悟しています。

根源的パターンは、陰転・陽転はできても
変えることはできません。

私の先生は「パターンは変わる」といいましたが
タオセラピーからみると、「根源部分」ではない
「10年単位のパターン」をさしているのだと理解しました。


これらもろもろのリアルから逃げて、
自分ではないものになろうとするより
しっかりと認めて、引き受けて、それを楽しみ、親しんで生きることこそが
幸せな世界なのではないかというのが
いろいろと学んできた私の結論です。

ローマ神話からひとつ。

「サトゥルヌス」(英語でサタン)という名前の穀物の神がいました。
それは土星の守護神であり、ギリシア神話のクノロスと同一視されますが、
彼は、我が子に王座を追放されるという預言を受けて恐れにとらわれます
自己の破滅に対する恐怖から狂気に取り憑かれて
産まれてくる息子たちを次々に食べていったといわれています。
おそらく女性の美醜に対するコンプレックスなどにもともないますが
この有限世界、現実、つまり時間のある世界において、
私たちはたえず迫り来る恐怖に束縛される可能性と表裏一体です。
そのため、この神話のいわんとするところは、
「時間をかけて今以上の他の何者かになろうとする努力は
おのずと自らを滅ぼす結果に終わる」
ことを教えようとしているわけです。

そこで私たちは見つけ出さなくてはなりません
「自分自身にぴったりの生き方は何か?」を。

それを見つけ出すことができれば
必要以上の恐怖におびえることも少なくなるからです。

私の心理カウンセリングにはじまり
奥深い領域の探求でいうならタオセラピーは、
その「自己構築」を大いにサポートしています。

そうして得ることのできた
「だって、私はこうだもーん」と自己立脚することは
毅然とした態度で生きることを助けてくれます。
そうすれば、本来、着手しなければならないことにも
取り組んでいくことができるようになります。

自分と向き合うことを余儀なくされている!
と感じているクライアントの方から、

自分と向き合うのはまだ嫌なのー!
というクライアントの方まで

あらゆるかたがたに
豊かさの真理をお届けすることが

私の魂からの本願であります。

自分のすべてを受容すると得られる
リラックスライフ、
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