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2010年11月20日土曜日

苦しみに深く潜って感じて!「本当はどうしたいの?」

三田の山の入り口。
初日で大盛況でした
みなさま、こんばんは。

きょうは、母校の学園祭の空気を

ちょっぴりのぞいてきたのでした。

若い人たちの空気を体感することは、

時代感覚をつかむうえで、

とても大切だと私は思っているからです。

ところが、なんと!

私ってば、古傷に触れてしまったようなのでした。

大学の場をめぐって、

私はいろいろなコンプレックスを抱えているからです。

1.学生時代にろくに勉強しなかったせいで、

(もとより、専攻科目も
今の興味の対象とまったく異なる、史学でしたので、ね)

今、専門分野の臨床的研究者のひとりとなって

アカデミズムの世界への憧憬と嫉妬を感じています。

※「今からでもとれるじゃん」という考え方もありますが、
今は臨床を優先したいのです。
未来への希望を抱える若者たちが
大勢ぎっしりひしめきあって。大イチョウの中庭。


2.挫折をくりかえした
10代後半から30代半ばまでは
大学時代の自分の
こころのパターンが創りだしたものでした。

「なぜ、あの大事なときに、
  あんな風に自分に対して
  乱雑で中途半端な選択しか
  与えることができなかったのか?」

と、悔しさはやまほどあります。

単純な失恋をきっかけに
自己を激しく否定したために
ひどい過食症に陥ったりもしましたし、
登校拒否もおこしたりもしました。
はちゃめちゃ、めちゃくちゃ、
ズタボロになった自我を
ぼろ雑巾をひきずるようにして生きていました。

(※心療内科にも心理のカウンセリングも受けましたが、
心通じずだったのも、運命の計らいだったのでしょう)

今、若くてフレッシュな大学生をみるにつけ、
私の失われた若さへの憧憬が募るのです。

ライブのステージが中庭に特設。
熱くシャウトする姿に青春のエネルギーをみた


3.大学時代の仲間の中には、
家庭をきっちりと築き、
一戸建てやマンションを手に入れているものもおり、
着々と出世している人間もいます。
そういった観点で彼らにくらべると、

くらべることがどんなにナンセンスと知っていても、です。
人には人それぞれの運命と個性とお役割があるので)

私の足場は大変脆弱です。
賃貸マンションを転々としており、
離婚した後に、再婚をしているわけでもなく、
子供を産むチャンスに恵まれているわけでもない。
離婚をしたときの激しい傷つきのために
二次的なトラウマを重ねる結果となり、
それを補うために、占い依存症に陥り、
借金にも苦しみました。

特に私のように「普通」のライフスタイルへの
  憧れが強い性格にとっては、
非常に耐え忍ぶ必要のあるお話しです。

心理のセラピストとしては、
あのとき
私を「守ってくれる」人が誰もいなかったことが
私を、悪循環の竜巻に放り投げたのだということも知っています。

「守る愛」は心の傷を癒す重要な治療薬です)

ですが、その時の私には、

自分には「守ってくれる人」が必要だから、
  「守ってほしい」と助けを求めることが大事だとも

毛頭知りませんでしたから、

ひとりでわけがわからずに、
もがいて、あえいで、
わらにもすがる思いで、

理解者たりえるかと勘違いをし、

占い師に夜な夜な
電話をかけたのでした。


知らないとは、恐ろしい。

だから、私は今ここで、

苦しんでいる方のひとりでも多く、より早く、

この大切なポイント>>>「守ってくれる人」を求めること

選択してほしいと強く思うのです。


で、私のそんな過去のあれこれについては

それだから、はっきりいって


「どうしようもなかった!」


ということは頭では200%承知しているのですが。



以上の、背景から、ひとこと!

哀しくて、哀しくて、


悔しくて、悔しくて。


とにもかくにもいたたまれない、


苦しくて、苦しい。

そこには、強い自責の念もあります。

「あんぽんたんな私! 愚かな私! おそまつな私!」

悲哀の泥沼にずぶずぶと堕ちていく、今日の私でした。とほほ。


ですが!インナーワークの方法論を知っている私は

次のように試みました。

その悲哀の泥沼に

もっともっとどっぷり、どっぷり、

ずっぷり、ずっぷり、

抵抗はせずに、どろどろになるまで、

つかりきって、その中でしばらくとどまってみるのです。


私のイメージの世界では、

そこはどす黒い茶色の

ねっとりとした淀んだ沼地のなかで、

その沼地とひとつになってとけながら、

次にこのように問いかけます。

「本当はどうしたいのか?私は」






もう一度、問いかけます。


「本当はどうしたいのか? 私は」








さらにもう一度、問いかけます。


「本当はどうしたいんだ? 私は」




すると





深い沼の奥のほうで、


キラリと光る言葉がありました。






「書きたいの」







と。




「何を?」


と次に問いかけます。






「この苦しみと悔しさと哀しさと。


人生の壮絶さについて。




そこを這いあがるようにして


生きることの大切さを。




なぜ苦しみと悔しさと哀しさに


ふたをしてはいけないのか、について。




なぜ人間には苦しみや悔しさや


哀しさが与えられているのか、について。




私は自分のたくさんの傷つきをつかって、


できるだけ多くのひとに


生きる希望を届けなくてはいけない。




なぜなら、そういう体に生まれたのだから」




その声に従って

今こうして書きつづったわけです。

書いているとき、

私はとても救われている気持ちがしますし、

生きている確かな感覚を得ることができます。

(もちろん臨床でクライアントと
ひとつになって対峙しているときも!)

書くことこそが、
私の夢をかなえてくれる。

そんな実感もあります。


このポストをご覧になった

あなたも

コンプレックスの苦しみと背中合わせにある


本当の生きる欲求と希望

出会えることを

強く祈っています。



コレはひとりで見つけることが
難しいことも多々あります。

あなたが「いいな」と感じる

心理の専門家とともに

ぜひ探ってみてください。



たくさんの人に
LOVE & PEACE




※今日は勇気を出して
恥部をお見せしましたが、、、

人間の全体性を受け容れるためには
けしてはずすことのできない部分でした。

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