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2012年12月11日火曜日

【悩みを超える力】寂しいよの声に形を与えて従ってみると……愛にわずらう小さなお話

 
今この瞬間に、胸のうちにあるもの、
とりわけ「丹田」の声に正直になろうと決めてから
「悩みたくても悩めない!」になりましたが、
かといって私に「雷光」が走らないわけではありません。
 
※「丹田」にエネルギーがおりた話についてはこちらのブログを
 
※「悩みたくても悩めない!」境地になった件についてはこちらを
 
※「雷光」と「暗い空」の関係については昨日のこちらのブログをご参照ください。http://chiyokoosaki.blogspot.jp/2012/12/blog-post_10.html
胸のうちにあるものに正直になればなるほど、
ひとりではつかまえきることのできない
大きな感情がやってくることもあります。
 
昨日あたりから私のなかで「寂しい」気持ちが大きくなってきていて
どうしようと考えていました。
「寂しい」を「ん?ないない。しっしっ」と排除しようともしてみましたが
(セラピストのくせにw)やっぱり駄目です。
かえって「寂しい」が強化されてしまいました。
 私たちは、マインド(思考)が勝手にナンセンスと判断して
排除したものに、追い回される運命にあります。
ですが、私の神の心が宿っている「丹田」さまは、
答えをも教えてくれます。
私のなかにある大きな感情「寂しい」を完了させるためには、
「ワードを開いて、今この瞬間に感じているままに、言葉を打ち込みなさい」
という指示を感じとりました。
そして、それに従いました。
真っ白の画面をみつめて、ふーっと
私の内奥から浮かび上がってくるものがあります。
そのエネルギーに言葉を与えるとするなら……と向き合い、
そこで見つけた言葉のままにキーを打っていくと……
面白いことに「寂しさに悩める私のパート」と、
それに対して「ふだんのような心理セラピストとしての私」
両方の声のキャッチボールが展開されはじめたのでした。
 
こちらをご紹介したいと思います。
ここに、
 
●大崎智代子の心理セラピストとしてのものの見方
●今ここにしかと存在する【陰の感情】の味わい方のヒント
 
をみなさまに見つけていただくことができたら、嬉しいな、と思います。
 
師匠のところにいかなくても自分でセラピーできてしまうようなレベルのとき
私は、私のセラピスト役をおってくれるぬいぐるみと向き合います。
イメージとしてぴったりなのが
キャスキッドソンのこちらのお人形、お名前は「マリーちゃん」です(笑)。
私の生まれたときの名前ですっ。
愛くるしいおめめで私のありのままの気持ちを受け止めてくれます☆

 
***
 
寂しいよ。寂しいよ。
何がそんなに寂しいの?
 
寂しいの。寂しいの。
好きなひとと離れ離れになっちゃった。
 
まあ、それは大変!
 
寂しいな。寂しいな。
あのひとの笑顔が今もすぐそばにあるような気がするのに。
手の届くところで、それを見ることができなくなっちゃったの。
 
そのひとを愛しているのね。
 
哀しいよ、哀しいよ、哀しいよ。
私、誰からも求めてもらうことのできない、存在なの?
 
そんなことないよ。
 
あのひとにとって私はただの気慰めであって
必要なひとではなかったということなのかしら?
 
そんなことないよ。
「愛している」と言ってくれたのでしょう?
 
建前のポーズだったのかもしれないじゃない。
私が「嘘でもいいから言って」とお願いしたから。
 
建前のポーズで、苦手な感情をあらわにして泣いたりはしないわよ。
建前のポーズで、熱いものをそのひとから感じたりすることもないでしょう。
 
「愛している」という言葉の賞味期限はどのぐらいなのかしら?
 
もしも本当に魂からの愛であるのであれば、永遠よ。
目の前の現象にだまされないで。
焦らないほうがいい、take it eazyよ。
愛するということは、時間をかけるということでもあるの。
彼もこころと魂がばらばらになってしまって、傷ついているのよ。
 
だとしたら彼の傷が癒えることを祈りたい。
彼の傷が癒えて勇気を持てる日がやってくるのを願いたい。
 
そうね。それがいいと私も思うわ。
 
寂しいあなたのこころを柔らかなブランケットで
ふんわりと温めてあげる。
 
ありがとう。ふかふかして安らぐわ。
 
彼にもその安らぎが届くといいね。
 
朝の光が白い部屋にさしこむおかげで
32インチの大きなPC画面がミラーのように。
新調した白いつやつやの天板デスクに反射するおかげで
あたたかな自然光がまわりやすいのか
まるで春うららかな陽だまりのような光に。
 
 
私ね、安らいでいるとたくさんの映像が浮かんでくるよ。
 
彼と一緒にお料理しているところ、
彼と一緒におでかけしているところ、
彼と一緒にお掃除をしているところ、
彼といろいろと助け合っているところ、
彼のお母さんやお父さんと仲良くしているところ、
彼といろいろなことを話し合っているところ、
ふたりでいっぱい笑顔になっているところ。
 
そう、その通りになるわよ。
 
安らいでいると、まるで彼の優しさにくるまれているみたい。
 
そう、彼の優しさがあなたに届いているのよ。
 
その安らぎのなかで、たっぷりと揺らいで、ひたっているといいわ。
 
のんびり、のほほん。世界が私たちを祝福してくれている。
風のじゅうたんにのって、世界中をふたりでかけめぐっているかのような
さわやかな気持ち。
 
それが、ふたりの間にある真実よ。
信じるのよ。
 
うん、ふたりでよりそいながらかわしあう笑顔しかみえないの。
離れ離れという、今の現実とはあべこべに。
安らいでいるときに受け取る私のビジョンと、現実で進行している出来事の
ギャップが大きいことが、私がナーバスになるわけよ。
 
そういうことって、あるわよね。
 
どうしてなの?
 
 
ひとの行動やマインド(思考)は、
ソウルやスピリットとは不一致だからよ。
時間差が生じるわけ。
あなたみたいに、行動とマインドとソウルや
スピリットとを合致させる
トレーニングを積んでいる人間? そのひと。
 
 
NО。
 
 
だからよ。
もしもあなたが本当に全身全霊から
そのひとを必要としているのであれば、
彼が時間と経験を積み重ねるのを待ちなさい。
ソウルやスピリットは、抑圧すればするほど、
反動で飛び出そうとして
必ず何か問題を引き起こすから。
あなたとの間以外でも似たようなテーマを繰り返す過程で、
行動とマインドだけではなくて、ソウルやスピリットにも
従う必要性を受け容れはじめるんじゃないかな。
 
でもさ。もしも、行動やマインドだけで、
ごり押しして生き抜こうとする人間だったら?
ソウルやスピリットの言い分を永遠に
ふたしてしまおうとするひとだったら?
 
身体症状か、あるいは別の大きな問題となって
やってくるでしょうねえ。
そうしたら、どうしようもないわよ。
本人、主体者の意思の問題だから。
 
 
彼がそういう人だったら嫌だなあと思って。
 
 
そうね、そうだとしたら、残念よね。
でも、私はあなたに聞きたいわ。
【あなたは】どういうひとを望んでいるの?
 
私が望んでいるのは勇気のあるひとよ。
自己に誠実であることに対して
自由に采配をふるうことのできる才覚をもった。
 
じゃあ、勇気のない男性に愛されて、あなたは嬉しい?
 
愛されることそのものはとても有難いけど……
勇気のない男性に愛されても、結果的には、
私とそういう男性は並行線よね。
私が嬉しいのは、自己と向き合う勇気ある男性―――
深い愛と慈しみをもって自分のあるままを
大切にすることのできるひとに、求められること。
 
そのこころを大事にしていなさい。
理想の男性のイメージを、コラージュしたり
スクラップしたりするのもいいかもね。
 
あなたもその彼にとらわれないで、
あなたの本当の喜びのために、
自分の本音に忠実に生きなさい。
 
そうすれば、そういうひとが―――
変容した彼かもしれないし、
まったくの別のひとかもしれないけど
――― 必ずやってきますから。
 
 
*****
 
ここまで書き上げて、私の当初の「寂しい」エネルギーは、
ほっとおさまりました。
もはや私にはわからなくなっています。
私の「寂しい」は、彼に向けられたものなのか、
あるいはこの文章を書き起こさないままでいる
私に対して向けられたものなのか……。
 
こころの世界は本当に奥が深いのです。
 
内奥に隠されたあるままのエネルギーに
形を与え終わることができるとき
私の「雷光」は終わりをつげて、私はふたたび
「悩みたくても悩めない」「暗い空」に
戻っていくことができるようになります。
 
みなさまも人生に難しさを覚えることは
少なくないとは思いますが、
こういった技量をご自身のうちに
磨くことができるようになると、
本当に楽に、健康に、どんな金銀財貨にも勝る
永遠の知恵とともに、
残された人生を豊かに進むことができるようになります。
 
ガイドをお求めの方、お気軽にお問合せください。
 

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