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2012年6月9日土曜日

愚直なまでに生きるため、悪魔の素顔を見破れ!&アブラハム・マズローの自己実現説をみんな誤解しているということについて


こちらは私のお金の神様です☆
ときどき対話の流れで、この子がでてきて
あなたの深層心理に響きかけるアプローチを
しめしてくれちゃう、クレバーでチャーミングなおかた。
正真正銘のトリックスターロールを請け負ってくれています。

みなさん、こんばんは。

愚直なまでに生きていますか?

きょうの私のキーワードは「愚直」です!

みなさんは、この言葉をみて、どんなことを連想するのでしょうか?

私の見解は、愚かといわれるほどまでにまっすぐ

ひとつのこと---それも自分の天命に従って生きることこそ、

すばらしい「徳」のいたれるところというところ☆

私のあたまのなかは

「愚直」なまでに「神への愛」と「お花の世界」と「精神世界の真理の探究」一筋!

正直、三度のごはんよりも大好き!

哲学者のデカルトが戦争の従軍からかえってきたとき

何を喜んだかといったら

「これで四六時中、思索にふけられる!」

という点だったそうですが・・・

すごーくよくわかるんですよねw


「あいつ、ばかやでー」

といわれるぐらい、

自分の魂が欲することに没頭・熱中できているでしょうか?


あなたはまだ知らないかもしれませんが、

私たちの精神の仕組みとしては、

この「魂が欲することに没頭・熱中」できるようになると、

あらら、不思議。

今までいろんなことがうまくいっていない!事件だらけ!

と感じていたことも

すーっと物音静かに、穏やかで和やかな流れに変化していくのであります。

はい、これ、隠された真理。

だから、それが今

摂食障害、うつ、愛情問題、身体症状、お金の問題、仕事の問題
家族の問題、人間関係の問題、時間の問題、子供の問題、

などに現われているとしたら、

それはある次元からみたら、おめでとうございます、

あなたのもとに「あなたの天使が悪魔の顔をしてあなたにメッセージを投げかけています」というわけ。

ご存じないかもしれませんが、

じつは、悪魔と天使は表裏一体。チームメイト。
いえ、これは元来、ひとつのもの=神話的「神」の化けた姿なのです。

あなたの「本物の目」と「本気のこころ」を試すために

たいがいは「悪魔」の姿をかりてはじめは

あなたをそそのかし、あざむき、けしかけ、

あなたのことを翻弄してきています。

このときあなたは、その悪魔の顔に天使の顔を読み取らなければいけないのです。


ここに、ひとつだけ難題があります。

それは

私たちのエゴ・自我意識は、見た目わかりやすい
「天使」が大好きです「悪魔」を恐れて怖がって、
ここから目を背けて逃げ出してしまおうとする点です。


おまけに

自分の「魂が欲すること」が

怖い!嫌い!大嫌い!そんなのあほが選ぶこと!

人生の負け犬が選ぶこと!

と感じてしまっているという点です。

よく「我欲を捨てて」と仏教精神ではいいますよね。

それは

「魂の命に従事すること」をさすのです。


「自己実現」のテーマを持っている方は

ちゃんと「魂のからくり」がわかっている心理セラピストの力をかりましょうね。

自己実現って実はアブラハム・マズローがとなえたあれ、

みんな誤解しています。

彼は晩年「自己超越」のことを指してるって、

たぶんほとんどのひとが知らない。

なぜ、そんな現象がおきたか?

なぜ、自己実現=エゴの夢をかなえること

という概念が一般化してしまったか。

私はこのことが長年不思議でならなかったのですが

やっとわかったのです。


やっぱり

これは大きな間違いです!!



結局、人間はおのれの投影でしか物事を選べません。

人間は簡単な道をとかく選ぼうとする傾向もあります。

だから、こうなってしまった。

ようは学者たちも「自己超越」を達成する険しい道をこえようとはそうやたらめったに思わない。

自我意識の「我欲の道を達成すること=自己実現」ととらえていたほうが

理解しやすいからね。

マズローの言い分を人間性心理学の次元にとどめておいたほうが都合がよかったんだなー。

しょうがないですねえ。


さて話を「愚直」に戻します。

私の愛するシャガールも愚直です。

車にのって走りながら風景をみているだけで

もうスケッチブックに鉛筆を走らせたといいます。

十字架にはりつけられているように

キャンバスにはりつけられていたと本人もおっしゃっています。


あなたの魂がはりつけられたがっているものはなんでしょうね?


私の魂は、私の肉体を

「愛こそすべて」という思想の十字架にくくりつけました。

なんとも、笑えて、しかも、私にとっては泣けてくるはなし。

8つのときから、

夜見る夢を通じて幽体離脱を幾度となくくりかえし

そのたびに神様に「きみはやらなければいけない」と

諭され続けていましたが。

私にとって

啓示である「全宇宙の愛をしめしなさい」なんて

壮大すぎだし、前人未到だし、おまけに宗教家になるのではない新しい形で、それも

現実を生きるひとの姿のままでなせ、という使命が

どれだけ苦々しく、いまいましく、意味不明のものだったことでしょうか。


なぜなら、私の自我意識は凡庸な小市民的ミーハー娘にすぎないからです。


でもね、

錬金術のワークもたんまりとやって
深層心理セラピーをしつこいぐらいにくりかえし
(それはもう、つぶあんがこしあんになるぐらいの勢い!)

分析とワークを重ねれば重ねるほど追い込まれていったのです。
外堀をかためられた大坂夏の陣ってかんじです。

あ。私のしがない我欲の夢「家族4人でいちゃいちゃ仲良く暮らす」は

もうどう転んでも「魂」は勢いよく邪魔しにかかってくるつもりね、と。

ほとほと、いろんな現実的事件と失敗のくりかえしに、私は疲れてしまったのでした。


クライアントの方とのセッションをくりかえしていても知らされるのですが、

ひとが「もうだめだ疲れた」というとき、いい兆候なのです。

あとひといき!
あともう一歩!

もっともっとこの「疲れた」エネルギーに身をゆだねてしまいましょう!!
思い切って!

そうすると、そのかたは古い自分のありようを自然なかたちで手放すことができるようになるからです。

このとき「おらー、自分の力でふんばって、こらえて、がんばって、はいあがるのだー」

と気張っているうちは、まだまだ、こりていません。

そういう場合は、「もっともっとふんばりなさい、もっともっと自力でがんばってみなさい」

と支援することもあります。(相手によりますが)

いずれにせよ「我欲」を超越することができると、

そのあとは

前人未到のあなただけのオンリー1の道が待っています。

魂は24時間いつでもそのことを待ちわびています。

そこに気づけるかどうかは、

あなたが悪魔とおぼしきパートから

目を背けることなく、はっきりあいまみえることができるかどうかにかかっています。

それとどのようにタッグを組むことができるかによっています。

悪魔に憑依されているひとというのは、

悪魔を忌み嫌っている方です。

ユングの『赤の書』によれば

「明るいひと」というのは闇や悪魔と仲良くすることができているひとのことです。

私は将来「悪魔の顔をした天使」というタイトルの

小説を書きたいぐらいですw


・・・とまあ、

今日は私は愚直なまでに、

24時間、私が想いを馳せている内容について

つれづれなるままにつづってみました。



私はきょうも明日も大入り満員、御礼!

週明け6月11日(月)は15時30分以降なら空きがございます。

よろしければぜひご相談ください。


あなたが幸福で豊かになれる「愚直」になるべき方向性について

一緒に探ってみませんか?

あなたの自我意識の言い分も尊重しながら、魂領域もふくめた

「100%あるがままのあなた」探しをまごころこめてサポートいたします。


そうそう、私の母がおさめた中国の占星術算命学によりますと

「愚直」であるということは「我欲を捨てて無欲である」証拠ゆえ

「徳」を重ねることになる---そうです。

ご参考あれ☆









優しさに満たされて。~シャガール展にいってきました~


みなさん、こんばんは。

私はきょうは日中の空いた時間をつかって

日本橋高島屋にて開催されている

シャガール展にでかけてきました。



シャガールを好きな方というのは非常に多いと思いますが、

私もそのうちのひとりです。

胸にじんじんしみてきます。

シャガールのスピリットが。

私のサロンにも、リトグラフを2枚と

はがきカードやポスターを額に入れて飾っています。

シャガールの描く愛と夢の幽玄な世界が大好きです。

それは私のこころの一部だからです。

私の涙腺はとかくもろいのですが、

今回も展示ホールで

その絵の前にたった瞬間に、

全身が打ち震えるような体験が2回ありました。

「画家の夢」。
もちろん生でみる圧倒的な美しさ、あふれでる詩情、
飛び出す画家の躍動感と、天上の音楽のように軽やかな魂の息吹には
かないませんが。
それでも最後のお土産やさんで買わずにはいられません。
こころに焼きついた感動を、いつでも思い出していたいから。

ひとつは「画家の夢」という1980年ごろのもの。

1985年に亡くなる直前に

自分自身の人生をふりかえるかのような1枚です。

私はシャガールの自伝やその周辺の本もいくつか読んでいますので

彼の人生の歩みを漠然とではあれ知識としてもっているだけに

余計に、シャガールのこころのうちが察せられてなりません。

そこには

優しさと悲しみとあきらめと怒りと闘いと・・・

ありとあらゆるものに向けられる


のひとつのかたちを感じ取ったのでした。私は。



わなわな、ぷるぷる。

こころをふるわせながら、おもむろに鞄のなかのハンドタオルをとりだし、

両ほうの頬をぬらした涙をふきとりながら、

深く隠されつづけてきていた自分の欲求をしかと感じ取ります。

「私もこう生きたい」。

こんな風に優しく恋人に抱きしめてもらいたいものですw
今度、彼に会ったらこう聞いてみようと思います。
「この絵をみてどう思う?」ってw
古典的典型的日本人型の私の彼のことですから
可能性としては「日本人ぽくない」などと
言われてしまうかもしれませんが。とほほw

シャガールのポートレートがいくつか歳をおって飾られていました。

目を見張ったのは、老年になればなるほど

瞳の輝きが純化しているようす!

彼の2回目の再婚、事実上の3人目の奥さんは25歳年下です。

そりゃそうだよなー。

こんなきらきら少年の瞳をもった---

それもただの少年の無垢さとも一線を画しているのは、

それが「神」をひとえに追いかけている人間のそれだからであり---

そんな瞳を持った人間に、老いも若きももはや存在するわけがありません。

その姿に私はいたく感動し、

あまりの感動ぶりに、

私はここにも私自身を見つけるのでした。

私の晩年の姿だ。と。

そのために、私には今の仕事があります。

スタートした2008年は、本当に町のいち心理セラピストとして

食べていくに困らなければいい、ぐらいに考えていたのですが、

この道を探求すればするほど、

自分の本性を見つけざるをえませんでした。

私の墓碑銘をもしいまから決めるとするなら、こうしたいと思います。

「神への愛」とともに生き抜いたひと。

そして、

私はきょうシャガールのエネルギーの落雷にうたれ、

意を新たにしたのでした。

私もシャガールが
まるで「十字架にはりつけられたように」キャンバスにはりつけられていると
自らの人生を表現したように、

私も十字架にかけられたかのように

「神への愛」---それはこの全宇宙に存在する愛

をうたいあげつづける人になろう、と。

とりわけ私の主眼のおきごころは、

芸術的な世界を

単にひとにぎりの芸術家のものとしてではなく、

ひとりひとりの胸の内に

今この瞬間にも存在する「教会」かのごとくあるということに

みなさんが目覚めることができるようにお手伝いをすることです。

それは

「人生をいかに芸術として完成させるか?」

であり

「人生のなかにいかに神の芸術性と奇跡を見だすか?」

であり

「自分の中にしかない神の奇蹟とメッセージに気づいてもらい

それとともに生きていくことができるようになること」

です。


私はそのことの努力のために身を粉にして生きたい。

私の命はただそのことのためだけに存在する---

そのことに気づいた瞬間、

本当に毎日の生活はものすごくシンプルになり、

生きるのがもっともっと楽になってきました。


これもひとえにこの宇宙をつかさどる神様、そして

私の無意識の深いところに眠る、私だけの無意識の神様、

そして私のもとに訪れてくださるクライアントの方の皆様との対話、

皆さまの背後にあるもの、皆様のプロセス、

これらのおかげでないわけがありません。


感謝。

最後に、私が感涙したもう1枚の絵は「婚約者たち」。1927年頃のもの。

フレームに入った絵はがきを購入しました。(最後の写真がそれ)

ひしと女性を抱きしめる男性---シャガールと最初の妻ベラの姿ですよね---

その切実な思い、あふれる思いやりと愛、一心同体感、淡い希望、

そんなものを感じ取って、憧れにも似た揺さぶりがありました。

かけがえのない大切な気持ちに、まっすぐ素直に表現する

美しさと素晴らしさに息をのみました。


私は今の私の恋人に対する想いがあまりにも言葉にしがたいため

どこからどのように紐解いたらいいのかいつもとまどっています。

絵にしたらいい?詩にしたらいい?

でもそれらのどれもこれもまだいい表したりないような気がして

納得がいっていないのです。

だから当座は、「生きざま」を通じてしか表現できていないのですが、

私もいつかシャガールのように

こころがふくよかで豊かな表現者になりたいです。


そうそう、シャガールはアトリエで仕事をしているとき

モーツアルトをよく好んでかけていたそうですよ。

やっぱ歴史に名を残すレベル同士!?

ひかれてしまうのでしょねw

P.S.

じつはこの美術展にでかける直前まで私は激しい頭痛がしていました。

本当は来週のオフの日にでかける予定だったのですが、

私の直観と霊感が「きょう!」というので、

いそいそと「ガンガンするよー」と思ってでかけたのでした。

すると不思議ー(ある意味よそくどおり?)

頭痛がすーっとふわーっと消えていったのです。

会場全体が、シャガールの大きな愛と優しさに満ち満ちていたからだと思います。

プラス、シャガールの生きざまに私のなかの

見失われていた生き方があったからでもありますよね。


みなさんは、日常のなかで

自分の本質的姿を確かめながら生きられていますか?


人生前半、いわゆる世間的な「失敗体験」をやまほど重ねてきた私としては、

今や、

毎日、自分の本質を確かめながら生きることができる以上に

幸せで豊かなことがあるだろうか、と。

喜びと楽しさと穏やかさと和やかさと。

私が私になる。

その道程はけして単純ではないかもしれませんが、

これ以上、贅沢な取り組みもほかにはないのかもしれませんね。


そんな生き方にご興味のある方からのご依頼、大歓迎です☆
(もちろん、そうでなくても♪)


ではでは、ごきげんよう。

深い眠りの世界へ---

みなさんの、つかの間のタイムトリップが

明日の英気にと変わりますように。



2012年6月2日土曜日

キラキラ輝きたいひとへ。「今ここを生きる」ために。「精神の【安心/安全】な容器探し」のすすめ


みなさん、こんにちは。

突然ですが、私はとっても「視覚」が優位なタイプです☆

スピリチュアルアドバイスさせていただくときは

情報が「視覚」と「体感覚」と「声」とから入ってきますが、
(俗にそれを「共感覚」の持ち主といいますよね♪)

私個人のプライベートワールドは
「視覚」の影響をビシバシと受けやすい体質です。

たとえば視界に古いゴミがあると、気分がダウン↓
視界に美しいものがあると、気分がアップ↑

多かれ少なかれ誰にもそういった傾向はあるとは思いますが、
私の場合、本当に顕著なのです!

今はそれでも自己をしっかりと確立することができ

他者とのバウンダリー(境界線)や、

自我の枠組み(自分という存在のシルエット)を

はっきりと認識することができるようになったから

さらには自分の「精神の守り」を自覚的に意識するようになったため

(私のクライアントさんから教えていただいたところでは、

かのエヴァンゲリオンのなかでは【ATフィールド】というネーミングで

その概念が活用されているとうかがいました☆新鮮!

その方の解釈ではアンチ・トラウマ・フィールドの略ではないかと(笑))

それほどでもなくなっていますが、

私が過去に最高にクライアントの方のエネルギーをいただいた!と体感したのは、

セッション中に「ごめん、トイレ…」と中断して、

なんとー!「下●ぴー」になったときでした、

席に戻って「ひょっとして、おなかの調子が悪くありませんか?」とたずねると

「ああ、私、しょっちゅうですよ」とうかがい、納得。

そのぐらい私の身体は私が望むと望まざると、

情報吸収ボディタイプ。

とにかく、「見たもの」と「見えているもの」のエネルギーが

私の身体と精神に多大な影響を与えてしまうのです。

かつて私はこれを「カメレオン体質」と名付けていました。

おかげで「自分がない病」にはまっていたんですけどね(笑)。

そのせいもあってやたらに「惚れっぽい」性質だなーと、
10代や20代のころ、不思議に思っていたものでした。

相手のエネルギーが自分のもののように感じることができてしまうため

やたらに共感できてしまい、そうこうするうちに情が移っていて

気が付いたら「あららー」という関係にはまってしまったり、ね。(今は昔)

さて、そんなことはさておき、

そんな自分の体質を「伸ばそう!」「活かそう!」「リサイクル!?」。

私が「視覚」要素でこだわっているのは次の3つ。

・洋服
・バッグ
・インテリア(食器類も含む)

どれもこれも「愛すべき自分」を「守る容器」だからです。

それらが常に「私が嗜好する世界」であるとき

私たちの精神は自由に泳ぎだす・羽ばたくのです!

だから大事なことは「私が嗜好する」あるいは「指向している」世界が

何なのか???

よくよく知ること、見つけること。

それらは

・子供のころ好きだったもの
・大人になって忘れてしまったもの

であることは多々あります。

そんなわけで、私自身をまるごと包み込んで、

私自身がほっとあるがままにいることができるための

アイテムを下記の写真でご紹介~☆

キャス・キッドソンUKのこの夏のワンピース☆きれいなスカイブルーに
白いかもめが気持ちよさそうに飛んでいるデザインの「シーガル ドレス」
私の大好きな小説『かもめのジョナサン』の世界をきりとったかのようで
私もジョナサン(主人公のかもめ)気分に☆
羽織は、去年の夏のもの。目の覚める鮮やかブルー。
靴ももちキャス♪ ワンピースと同色のミニドット柄でうきうきと。

私は夜寝るとき、SEGAトイズのプラネタリウム「HOMESTAR EXTRA」
タイマーセットしています。
私が心底から「安心」できる場所というのは「宇宙」だからです。
1日の仕事が終わって、ほっと素の自分にかえるとき———
メイクを落として、すっぴんにかえるときのようなものですがーーー
それは私にとって「宇宙」に包まれながら、コズミックベイビーにもどるときなのです。
このスタイルを発見してから、私の夜の睡眠の深さはぐぐんとアップ。
睡眠の質が高まりました。その分、日中の集中力も高まり、
毎日がよりリズミカルになったのでした☆
このホームプラネタリウムは本当に素晴らしいですよ!
あるクライアントさんも「宇宙」がその方のふところで、私がこの話をしたら
お買い求めになられていました♪「すごいですね」とご感想も。
ああ、私は宇宙の子なんだわ〜とマジで癒されます!

最後は、クリームオレンジ色のローズにグリーンをたっぷりそえて。
毎週、たっぷりと切り花を近所のお花屋さんに買いにでかけては
飾っています。「生の気」が部屋にあるのとないのとでは
私自身のエネルギーの躍動感ががぜん違ってきます。
自然の恩恵をこうむりながら、私と私のサロンは存在します。
すべてに感謝です。

みなさんは、自分の「精神を守る、安心の器」としてどのようなものを
自分に与えているでしょうか??

私たちは有機体、私たちは自然界の生き物です。
自然界の生物、植物、動物がそうであるように
現代社会を生きる私たちはもっともっと泰然自若とし、悠然と生きることが
求められているように、私には思います。
それが社会が見失ったもののように思うからです。
そのとき私たちは苦しみを感じているのですね。大局的にみると。

だから、本当は一人でも多くのひとに、自然界の一員として生きることに
もっと「安心」とか「安全」とかを感じてもらいたい。

私たちは母の子宮の中にいるときのように
とっぷりと安心と安全を感じることができるときに
はじめて本当の自分が顔をのぞかせることができるようになります。

そうすることで、「本質的」な「生来あるべきイキイキと元気なエネルギー」が
あなたの内側からあふれだし、
社会を照らす太陽と月となることができるようになります。


私の「個人セッション」は、その方だけの
「個(アイデンティティ=現実的自分×スピリチュアルな自分)の統合」の確立
得意とします。(ユングはこれを個性化とし、本当の意味での「自己」実現と考えました)

そのために、きょうここでご紹介させていただいた、
☆その方だけの安心感———母の子宮に包まれるような———とともに生きることができるようになるための生活構造」を探すこと
☆その方だけの「魂の目的」「魂のテーマ」を見つけること
☆その方だけの「本来求められている生き様を実践することができるだけのパワーの醸成

などを意図しながら、じっくりとこころあるおつきあいをさせていただいています。

母の子宮に宿っている胎児のように
あるがままに安心安全の器のなかで
くるくると生きることができるとき
その赤子のようにまっさらでピュアなこころになれて
ただ夢中で野原をかけまわる少年少女のように
瞳をきらきらイキイキと輝かせながら
今を風のように生きる存在として
残された時間を進んでいくことができるようになるのではないでしょうか。

ご興味ある方はぜひ個人セッションをお求めください。

もちろん「今、感じている問題の解決」も
「依存症」や「障害」からの脱出をお手伝いするのも大好きです!
不安や寂しさなど「気分」の問題も大事に考えています。
恋愛のお悩み、お仕事やお金の問題、コミュニケーションの問題も十八番です。

なんといっても私自身がその混迷の時間を
たっぷりと味わいつくし、そのはてにしっかと立ち直って
新たに翼を広げてすっくとこの大地の上に両足を
ふみしめることができるようになってている実感が大だからでもあります。
さもなければこんな場でこんな風にオープンにすることなんて、
もともと生真面目すぎる私にはとうていできません!(変なアピールだなw)

あなただけの名探偵/心理セラピストとして、ぜひご活用ください☆
ご依頼は今すぐどうぞ! お待ちしております。

contact@fiore-salon.com
090-1434-4676 / 03-3479-9089




P.S.

そのほかインテリアについてやバックについてなど

追々ご紹介できたらいいな、なんて思っています。

ではでは、ごきげんよう!