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2011年8月31日水曜日

愛しき人生。自らを我が子のように慈しみ、我が道を進むことで手に入る



















みなさん、こんばんは。

きょうのセッションを複数、承らせていただいた

あとのフィーリングより。

日ごろから私が強く思っていることとあわせて。

さらに、午前中に久しぶりに本屋にはいって、

思わず「うっ!なんだ、これは!」と

あまりにもたくさんの情報が氾濫しているのをみて、

感じたのとあいまって。


たぶん、私のこれは集合的な無意識のうちのひとつでしょうから。


以下、私のなかで響き渡る声。


自分の道を行け

誰かの声に振り回されることはない

誰かの声は、そのひとのテーマでしかないからだ。

そのために、自分を見失ってはいけない。

自分の道を行くということ、

それは、自分を信じることだ。

自分のハートとスピリットを信頼することだ。

そのためには、自分のハートとスピリットが

何たるかを知ることが必要だ。

そのうえで自分のハートとスピリットを、

まずは自らが、受けとめることだ。受け容れることだ。

驚くような出来事に直面化しているとき、

それがもしもあなたの娘や息子であるとするなら、

あなたはその娘や息子に

どのようにアプローチするのだろうか?

想像しよう。

その娘や息子に、あなたなら

どのような言葉をかけるのだろうか?

それに従って、行動をとるとよい。

おのれを愛そう。

自分のことが「好きです」というひとはたくさんいるけど、

おのれを愛することができているひとは少ないように思う。

おのれを愛するとは、

等身大の自分の声を抱きとめること。

あらゆる自分の声を、赤ん坊のおくるみに包み込んで、

その両腕に抱えて、しっかり受け止め、あやすこと。

あっちの声はよくて、こっちの声はよくない、

ということはない。


“おお、よしよし、そうだよな、そうだよな、
大変だよな、大変。あなたのいうとおりだ!”


このワンステップを組み入れることによって、

私たちのこころは、自然と熟していく。

これは甘やかすこととは異なる。

受けとめる、ということだから。

これを省略して、正論をその子供にぶつけても、

その子の「器」は育たない。

そのひとの「器」とは、外からあてがうものであるのと同時に、
内側からもしっかりと支えられて完成するものだからだ。

自分で自分の「器」を支えられるようになるには、

母親が、父親が、あたかもその子のお手柄であるかのようにして、

その子の言い分を受け容れて、支援していくことがキー。

母親が、父親が、疑似的に、そっと

内側からの支え方のリードをすることによって、

子供は、どうすれば自分のこころの器を支え、保つことができるのか、

体感的に学ぶことができるようになるからだ。

このようなプロセスを経て、

自分を受け止めることができるようになったときに、

私たちは、他者を受け止めたり受け容れたりすることができるようになっていく。


(この援助が、私の仕事でもありますが)


その手前で、もしも

「受け止めたり、受け容れたりすること、できているよ!」

と思うことがあるなら、チェックしてほしい大事なことがある。

それは、

「本当はもっとこころの向く先があるとしたら、

それはどんなことでしょうね?」

ということ。

ありのままの自分の想いにOKサインを

許すことができるようになると、

私たちは、ゆとりをもって、

他者の想いのありのままにも、

OKサインを出すことができるようになる。

だから、「ひとを、あたたかく見守る」ということができるようになる。

ひとりひとりが、ひとりひとりに優しい世界を希望するなら、

第一に自らを知ることからはじめて、深い自己愛に満たされるプロセスを

もっとたくさんのひとたちに知ってほしい。


これが私の強い願い。


だから私は声を大にして主張したい。

誰かの成功モデルは、10%程度の残像にとどめて、

タウンページをめくるような気持ちで向き合うぐらいでちょうどいいかもしれない。

それはあくまでも参考書であって、福音書ではない。

あなたは、あなたの人生の主人公であり、

あなただけのための人生のシナリオを自らつくりあげていく、

脚本家であり、演出家であり、役者でもあるから。

はじめから何も用意はされてはいないかもしれないけど、

創意工夫でそのつど流れに身を任せて舞台を仕上げずに、なんになる。

だから、人生はアートというにふさわしい。

”私”の意思を超えたところから、
立ち上がってくるもの(エネルギー)は何だろう?

好奇心をもって、赤ん坊のように、
無邪気に、幼子のように、わくわくとしながら、
 楽しく、遊ぶときのように。

よ~く、目をこらし、耳を澄まして、
こころを軽やかにして、観察をしよう。

あなたの目の前には、
たくさんのハプニングやできごとというメニューが回ってきている。

それはたとえるなら、回転寿司屋さんみたいなものかもしれない!?

そういうとちょっぴり滑稽に聞こえるかもしれないけど、

そういうと、「そんなへんてこりんなメニューだったら、選ばないわ!」

と、言うかもしれないけど。

人生の不可思議なところは、

たとえそれが「へんてこりん」であっても、

”私”の意思を超えたものは、

じつはそれが「へんてこりん」だからこそ

選んでしまうのだな~。

なぜって?

それこそが、あなたがあなたにたるために

最高の事件としてふさわしいから☆


ああ、愛しき人生。


自分の道だけをまっすぐ見据えて進んでいこう!!

BE YOURSELF!

あなたは、あなただけの個性を生きているだろうか?

あなたの道、それでいい。

それこそが生まれてきた意味。

他の誰にもできないフィールド、

他の誰かと異なるシナリオを目指そう」




うふふ。書いていてなんだかおかしくなってしまいました。

クライアントの方との対話の

数々から感じ取っていることには違いないし、

この通り、実践すると、深層心理学的にも、

より人生が楽になるわけなのですが・・・


なんだか、私自身がいちばん必要としている

メッセージがでてきたようでしたw

私はいつも思うことがあります。

間主観的アプローチを提唱する

丸田俊彦さんのお母様のセリフよろしく、


私がクライアントの方を癒しているのか、

私がクライアントの方に癒されているのか、わからない。


これぞ、私たちの人間と人間の関係から立ち上ってくる、

ミステリアスでスンバらしい、命の合唱。


あなただけの歌を歌いたくなったら、


一緒にその美しい旋律を

ひもとき、伴奏するお手伝いを

ぜひさせてください。

もちろん、あなたが私でよければ☆

「自分のハートとスピリットの何たるか」

一緒に見つけ出しましょう♪


きょうはおやすみなさい!

美しい明日に橋をかける虹を夢見て。


おまけ:きょうのワンポイントご機嫌アイテム

「キャス・キッドソンの小鳥のブローチ」


小鳥ちゃんが3匹仲良く☆

ピピピピ。帽子にアレンジ♪

かわいい鳴き声と弾むようなちっちゃな命を

こころで抱きとめているところを

想像しながら、1日を過ごすのって、

超幸せ☆ 

▼拡大写真はこちらよ。


2011年8月30日火曜日

苦しみと葛藤からの解放~「理想化●●」をあきらめること、「等身大の●●」を認めること、「内なる理想化●●」を見出すこと



















みなさん、こんばんは。


人生の達人になるには、

あきらめなくちゃいけないことと、

あきらめなくていいことがあるよなぁ。


……きょう、いちばんの私の、胸のうずきです。

これは、そのかただけのパターン(布置されているもの)を

読み解きながら、見極めていく類のことなのですが、

私の場合は、どうも母親を理想化しすぎる傾向があるようで、

私は、もう少し「母」をあきらめなくちゃいけないよなぁ、と

きょう、母と電話で口論をして、反省したことです。

私は「母」の前になると、どうしてもひとりの「娘」となり

甘えきってしまうのですよねえ。

いつも反省することは大変多いのですけれども。

母も私も、お互いがお互いを同一視するために、

理想---それも「自分の生き方と同じ方向を見ているよね?」という想いから、

実際の相手がそうではないことに、腹を立てたり、残念がったり、

求めたりしてしまうのです。ううう。

私が激しく嫌悪しているnot理想の母は、

私の父親とのけんかや離婚へのシナリオをほのめかし、騒ぎ立て、
それをひとり娘に肩を持ってもらいたくて、
しまいには私のことも非難をはじめて、
八つ当たりをする母です。
(といっても、それほど激しいものでもないし、愚痴る程度ではあるのですが)

母によると、私は心理のセラピスト業をしているのだから、
どうしたらいいかひも解いてもらいたくて迫ってくるようなのです。とほほ。

ですが、残念ながら、私のほうとしては、
娘の立場としてしか、両親のけんかの問題は聴こえてきません。
こころを冷静にして、聴くことは到底できません。
なぜなら、私は父親に関して、母と同じ見解を持っている点もありますが、
私は本能的に父親の気持ちも類推できてしまうからです。
私の中の父ロールが、やはり現実の父がそうであるように、
むかっ腹がたってきてしまうのですねえ。
母には申し訳がないけれども。

だからその問題は、母がついている心理の先生(私の先生の奥さんを紹介している)に
相談してちょうだい!とお願いするのですが、

母の特有の、「理想化された対象の前ではよい子を演じる」性質が働いて、
もう1年もカウンセリングを受けながらも、
ちっとも「夫婦の問題」を根本的に取り組む気が起きないようです。
とほほ。
母も、まずは「自分を肯定してくれる味方と気持ちよくいたい」という想いを完了させるまでは、
どうやら自分の問題に取り込もうという、意思がないようです。がっくし。

はい、ここでがっくしなのです。
自分の問題に取り組もうとせず
心理の先生を盾にして、
父とけんかを30年以上もあいもかわらず繰り返す母に。


ですが、同時に私はこれこそが
私自身の問題であることも知っているんですけどねw たはは。

母は、等身大の母でしかないんだってば~(笑)。


自分の問題に取組むことで

よりよい道をつくろうという姿勢は、

私個人のものであって、

母のものではないからです。

もちろん、この姿勢で生きることができるとき、
ひとはこころある人生、
そしてより快適な人生を過ごすことができることは事実なのですが、

母は60年もの長い人生、
3年前に他界した祖父に「肯定されていない」と信じ切って生きてきた身ですから、

まずは、まだまだ、「肯定されたい」のも無理ありません。
たぶん、先5年ぐらいは。
それは、ここでこのように客観的にセラピストロールで
書きながらジャッジされることです。


自分の問題を掘り下げるよりも前に、
「心理の先生から肯定されたい」
「理想化した娘に肯定されたい」。


ふぅ。

私は自分が愛する対象、好きな対象が
理想通りではないことに直面化するとき、
相手のことを肯定することを
忘れやすいのかもしれませんね。
(母に限らず、お気に入りの異性にも)

ぐすん。反省。

明日は、母さんにどんな肯定の言葉を
向けることができるかを見つけ出し、
本人に伝えたいと思います。

「お母さんも大変だねえ」
とか
「お母さん、よくやっているねえ」
とかでしょうか。

そして、あらためて私は

「理想化母」=「自分の問題に取り組むことのできる母」は、

幻想である、ということを

思い知らなくてはなりませんねw


その意味において、

私は理想化した母をあきらめなくてはなりません。

そのかわり、

等身大の母を受け容れ認めること

せめての親孝行なのかなあ、と深く感じ入るきょうなのでした。



きょう、窓の外にぽかんと浮かんでいた空と雲。


空に浮かぶ雲のように、

「理想化した●●」がすぐそばになくても、

ケセラセラと流れていくことができるようになりたいです。

母親は私の最後の問題だよなぁ。。。
(これまでに本当にいろいろなことを受け容れたり、
あきらめたり、目標を見出したりくりかえしながら、
自己を刷新してきましたが)


「理想化した●●」は、

私の胸の中に

きちんと住まわっているものなのだから。

それを見つけ出し、つかまえ、
内なるものとして、
体感することをサポートすることが
私の仕事です☆


それをつかまえることができると、

私たちはグンと安心して

生きていくことができるようになるので、

おすすめです。



明日(あけて今日)の朝いちばんの

私のインナーワークは、

「理想化母」を胸のうちに見出すことに決まりだな。。。



ではでは、おやすみなさい。
またあした。

2011年8月29日月曜日

「汝、好きなひとのカルマも引き受けられますか?」

みなさん、こんばんは。

キリスト教会式の結婚式の場面において、

神父様の前で誓いをかわすときがあるのはご存知ですよね。

「汝 健康の時も病めるときも 
富ときも貧しき時も、
幸福の時も災いにあうときも、
可能な時も困難なときも、
これを愛し敬い慰め遣えて共に助け合い 
永久(とわ)に節操を守ることを誓いますか?」 
「はい、誓います」

---といったかけあいがあるのを、

みなさまも、一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?
(LIVEにであれ、映画やドラマのなかであれ)

私も一度、結婚式を挙げたことがありますが、

本当の教会式のように、牧師さまから
結婚の前に数か月にわたる講釈を受けてのぞんだわけでもないからか
(あるいは、講釈をうけても同じなのかどうかはよくわかりませんが)

この誓いの意味を
ずいぶんと軽く?甘く?みてたなあと反省することしきりですw

この言葉のとおり、表面的な労苦しか想像しておりませんでした。

この言葉の深みを探求するなら、

それは現在、アメリカを襲っているハリケーンのように
すさまじく激しいエネルギーでのしかかってくる
すべてのひとの人生に約束されているであろう

「カルマ(業)」の世界との闘いを意味しているのだとは、

毛頭、はい、夢にも思っていませんでした。


なぜ今の私が、このように表現しているかと言いますと……。

私はクライアントの方のニーズに応じて、

私の母(中国占星術「算命学」師)に、

その方だけの星の暗号を読み解いてもらうことが

ときどきあります。

※下記HPの頁にあるタブ「算命学(メール鑑定)」をクリック!


その情報の整理(書き起こすのを私が手伝います)にたずさわりながら

私も、ひとの不可思議な人生の奥の深さに触れることが増えていったからです。

その星の暗号を読み解きながら、

「は~っ」と深いため息とともに愕然とさせられるのは、

私たちには、私たちの意思だけでは抗うことのできない

「カルマ」があるという点です。

本人は意思をもって行動を選択しているつもりでも、

その「カルマ」にのみこまれています。

その「カルマ」の昇華のために、「苦しみ」の荒波を泳いでいかなくてはなりません。

さらにこの「カルマ」の昇華のための時間は10年単位で大きな月日を必要とします。

ひとによっては、60歳まで続く方もあれば、

さらには「カルマ」がひとつのみならず、ふたつもお持ちの方も少なくありません。

とうの本人は、わけわからず必死に最善をつくして生きているのですが、

「なぜか、驚くべき出来事がやってきた!」と知覚されるといった具合です。


この「苦しみ」から解放してくれる存在として、

多くのかたが誤解しているのが、

異性の存在です。

「異性が私を救ってくれる」

あるいは
「私しかこの異性を救うことのできるものはいない」

そのように幻想を抱いて
(私も、そう思っていたことは存分にあります、たぶん1~2年ぐらい前まで?)


蜜月の間。「ついに私は、あるいは、私たちは完全になれたのだ!」

といたく盛り上がるわけなのですが、

まあ、基本的にこれは深層心理にある異性性の
衝動的な(本能的な)投影からくる

ひとつの「幻想」ですから、

問題は必ず、この後にやってきます。


「どうしてあのひとは、出会ったばかりの歓喜の日々に
夢見たように動いてくれないの???」

「どうしてあのひとは、私の自由を奪うの???」

などなどです。

40代前後に、男女ともに不倫や浮気に逃げ出したくなりやすいにも
この影響です。

このあたりの説明をしはじめると長くなるので、
興味のある方はぜひ、ユングの『転移の心理学』(みすず書房)をご覧ください。
(すでに絶版なので、図書館か、古書ならあるはず)



(そうはいっても、専門家向けの研究論文になっているため
難解のところ多々…苦笑。たぶん一般の方には「なんのこっちゃ」なので、
私のところでは、この『転移の心理学』を用いながら、
これを簡単にわかりやすくお伝えしつつ、理解を深めていただいて、
同時に、この書物のなかで披露されている、秘儀!錬金術のワークを
ご提供することもしています。
ご興味ありましたら、お気軽にお問合せください♪

私はこれで「私自身」になるスピードが一気に加速されました☆)



で!話をカルマに戻します。

惹かれあった男女が結婚をし、一緒になるということは、

ふたりで精神のありようを変容させていくことのスタートラインにたったということであり、

それはふたりが苦しみもがきながらも変容をとげていく無意識の喜びを

ともに体験していこうではないか、という一つの「器」を設けることでもある

今の私は解釈しています。

したがって、ここでいっている「苦しみもがく」とは、

自分のカルマだけでも私たちはひーこら、ひーこら、なのに、

同時に

相手のカルマもかけあわせなくてはならなくなるわけですね。

もちろん、「ひとりよりもふたりでいるほうが、乗り越えやすいじゃん!」

というケースがあることも知っています。

ですが、このとき、片方の人間は、

当人のカルマの問題のほかにも、相棒の問題のためにも、
「自分の古い精神のパターン」を手放さざるをえなくなり、

いわばひとつの「精神の死」を体験させられることになるわけです。

自分のカルマを超えるときにも、もちろん同じことが起きます。

ただ、私たちは、自分のことに対しては、自己への愛に支えられやすいですから、
いやおうなしに、その「精神の死」を引き受けさせられ、勇気をふりしぼらなくてはならなくなっても、
やむをえずその流れにのることができやすいかもしれません。
(注)なかには、それができなくて、
本当にこの世から去る「自殺」や「身体症状による死」を迎える方もいます。
これも、カルマの関与するところなので、
本当に簡単にひとことでここで申し上げられるような話ではないのですけれども。

それが、今度は、パートナーと一緒になるということは、

相手のカルマを引き受けざるをえなくなることになります。

自分ではない存在のために、

どこまで自分を滅することができるか、

他者のありのままをどこまで受容することができるのか

ということが試されてきます。

ひとつの家族の一員のカルマなので、
「あなたのカルマは自分ひとりでなんとかしてください」
というわけにもいきません。

相手のカルマが、その因縁を解消するために、
その相手としてあなたを選んだことにもなるからです!

きゃーー。

カルマのエネルギーの矛先は、あなたにまっすぐ向けられてくるからです。

逃げおおせることのできるものではありません。



ふと、

葛飾北斎の孫が、ずっと北斎に無心(お金をせびること)していた、

というエピソードを思い出しました。

逃げても逃げても、追いかけてきて、大変だったというお話です。

だから「誰かと関係を強固なものにする(絆を強くする)」というのは、

それ相応の「覚悟」と「自覚」が不可欠だと、私は思うのです。

どんだけの「覚悟」か?

そうですねえ、
「割礼」クラスがあると、きっと違うでしょうねえ。

まさに、
「自分を滅する」ぐらいのです。



ところが、私たちは頭でこう思っていても

実際に葛藤関係におちいったパートナーを前にすると、

自分を滅しきることも難しく、そこで激しく身もだえすることになるのですね。(涙)


自分を滅しきれない自分は
相手への出会ったころの夢と幻想も手伝い、
「相手にもっともっと甘えたいのに、私の思う通りになってもらいたいのに
ひどいわ、ひどいわ、相手は私の思う通りに愛してくれないということは、
相手は私を愛していないんだわ」
と悲嘆にくれてしまうのですね。

(おお、可哀そうな話だ。これって、異性同士に限らず、
親子関係、友人関係、上司部下関係などにも見受けられますよね☆)


こういうときには、
その幻想と夢を、こころある心理セラピストにぶつけてはいかがでしょうか?
心理セラピストが、その夢と幻想を引き受け、
たっぷりと「甘えたい気持ち」を受け止めさせていただくことにより、

あなたは、相手のカルマを引き受けることができるだけの
タフネスを育てていくことになるからです。
(このからくりについて説明すると、これまた長くなるので割愛しますね)


とにもかくにも、否が応でも
もつれあってしまう、ふたり以上の「関係性」があることを

はっきりと知っておくだけでも、

目の前の好きな人を見る目が変わるんじゃないかなぁ、

と私は思っています。

そのもつれあう関係性をひもとき、
その相手のカルマを引き受けることができるようになるだけの
メンタリティを磨くお手伝いをするのも、

私の大好きなお仕事のひとつです☆

ご興味および御入用がありましたら、

ぜひご相談ください♪


で最後に質問です。


あなたは、あなたの
今の好きなひとのカルマを引き受けるだけの
覚悟は整っていますか?



現在の私は、このカルマの力のすさまじさを
自らの体験としても、
はたまた
セラピストとしてたくさんの方の人生ドラマを傍観させていただきながらも、
確信を深めていっている次第です。

それゆえ、

好きな人ができても、

相手の意思や態度や
ふたりの関係性の質を

じっくりと見定めるようになってしまいましたw

よく「結婚とは勢いとご縁とタイミングだ」といいますが、
これは先に申し上げたような
「衝動的な投影」の本能の力のなせるわざです

私自身、人生において二度とそのようなことは起きないだろうと予見しています。

そのかわりじんわりと関係を見定めながら、

「OK,カルマのもつれあいという火の海も
このひととなら一緒に超えていくことができそうだわ」

と、はらから実感できたときにだけ、

人生のパートナーとしての関係へと進展させていくのかもしれません。


まあ、そうはいっても
人生は、どんなに考え予測したところで、
すべては不確実性の中にあるものです。

神(私の無意識および魂)が投げてくるサイの目に
したがうだけですけどね。私は。


きょうのお話は、読むタイミングによっても
個々人への響き方がぜんぜん違うでしょうから、

適当に吟味して、適当に参考にしてくだされば、光栄です。

真に受けたくなかったら、真に受けなくってもOKです。

その方だけの無意識(タオの道)が求めるものこそが
その方の人生においての、最良の選択

私は思っているからです。


ではでは、ごきげんよう!

人生は、いつ何が起こるからわからないから、
楽しいのかもしれませんね☆

(多くの方は、それが不安で怖いということも知っていますが)


(おお、今日は長くなりましたね!
最後までご一読いただきありがとうございました)


おまけ:きょうのご機嫌ワンポイントアイテム
「キャス・キッドソンの鳥のピンバッジ」

鳥が帽子のつばもとで、

楽しくおしゃべりしているのが聴こえてきそう♪

手持ちの帽子にプラスするだけで、

表情がガラリとチェンジするから、なんか得した気分。

うきうき心躍る1日を演出する、大事な脇役です。

こちらよ▼
この秋の最新アクセサリーです。日本未入荷!
生き生きとした表情に、ふっくらコロリンとした
ボディがとってもラブリーです。









2011年8月28日日曜日

「心の扉を開く呼吸法」~思考優位の方、瞑想やヨガが苦手な方に~



















みなさん、こんばんは。

週末は、いかがおすごしですか?

きょうは「呼吸」の重要性についてです。

せちからい現代社会は、私たちを思考優位にしやすい---。

合理性を追求する、拝金主義経済の、副産物かもしれません。

みなさま、そんな風に感じることはありませんか?



「思考」以外の大事な精神の機能が忘れ去られかけているのではないか

というと少しオーバーかもしれませんが、


毎日あくせくと目の前の仕事に心身ともに追われ続けていれば誰でも、


「思考」優位に傾きすぎてもまったく無理からぬ話!


私たちには「慣性の法則」が働いていますからネ。


私はそう思うのです。

思考の大切さはもちろん100も承知ですし、

思考の力によって、私たちは学習することも発明することも、

開発することもできるようになります。

ですが、「思考」オンリーに傾くと、精神の機能においては、一辺倒であり、

すなわち豊かであるはずの人生を、

一側面からしか生きることができなくなっていることになってしまうのです。

わっ。びっくりマークです!

私は、うちで開催しているスクール「人間関係の達人を目指すクラス」で、

いちばんはじめの授業で、この「思考」+αを、

しっかりと識別して、おのおのに対するアプローチを

試みることを、訓練する(意識する)ことから、

こんこんとお伝えさせていただいています。

この+αの部分についてですが、

ユングの定義では、

「思考」⇔「感情」
「感覚」⇔「直感」

合計4つあるといいます。

「思考」のほかにある

「感情」や「感覚」「直感」に開かれていくことができるとき、

人生はより彩り豊かに展開するようになるわけですネ♪

これらに対してどのように開かれていったらいいか?

それについては、言葉で説明するだけでは、不十分ですから、

いちばんいいのは「体験」をお求めになられることをおすすめしたいですね。

「習うより慣れろ」だからです。

私の個人セッションでは、ばんばんにそのパートに開かれる試みを

ご提案&ガイドしていきます。

ゆえに、みなさんの内なる自己成長力や自己治癒力が賦活されていくわけですね。
(もちろん、この観点に因るばかりでもありませんけれども。
大事な一部であることは確か、必要最低条件のうちのひとつ、
ぐらいに認識していただけると、嬉しいです)


そして「思考」優位にばかり傾くと、
観念奔逸(running thought)となり---精神医学用語です---、

双極性のそううつを体験しやすくなります。

(この件については、近々ホームページでコラムにしてご紹介の予定)

そうなりますと、「身体の声を聴こう!」といっても、なかなか大変です。

何をしていても思考がついてまわってしまうのです。

頭からっぽ~~~~~~~~~~~。ほっけ~~~~~~~~~~。

を不得意としてしまうのですねえ。


そう思って、「よし!ヨガや瞑想にチャレンジだ!!!」と決意したとしましょう。

それそのものはグッドアイディアです。

ところが、ヨガや瞑想のDVDや本を読んだり見たりしながら

トライしようと思っても、なかなか思うようにできません。

ここでもやはり「頭の声」がついてまわるからです。

(昔の私がそうでしたw---
私の場合は現代社会によって加速されはしたものの、
子供のときから、頭でっかちなタイプでしたねえ。
小学生のときの水泳の先生に
「君の泳ぎ方は右足と右手を
同時に出して歩いているようなものだ」
と注意されたことがものすごく心に刺さった
---なにげに傷ついていたけどw
---のを覚えています)

たとえばヨガや瞑想のお教室で講師の方にガイドをしてもらったとしても、

なかなか大変です。

なぜなら、講師の言ったとおりに身体を動かそうと

「頭の声」が必死に働いてしまうからです。

こういった方は、概して、睡眠が浅い傾向もあるのではないでしょうか。


そこで、このようなケースには
「個人セッションによる体験」のほかにあげられる

次に考えられることとしては、

「意識的に呼吸を
全身に送り込む」

練習することをおすすめします。

自分の肉体に、自ら積極的に酸素を送り込んでいるイメージをすることです。

全身にくまなく酸素が行渡るまで行い続けます。

ただこれだけを、何度もくりかえすだけでOKです。

自分の身体の感覚を調律していくだけです。

自分の内なるリズムにあわせて、ゆっくりと息を送り込みます。

身体のどこかに「つまり」や「こわばり」「緊張」を感じたら、

もっと意識的に強くゆっくり大きく息を送り込むのです。

積極的に。

動作をともなうことができると、より集中しやすいことはうけあいです。

自分のペースでよいのです、いやむしろそのほうがいいですよね。



だから、とっても簡単で、気やすいです。

30分~1時間、そのことだけ一生懸命に行うとすごくよいでしょう。

これで、瞑想やヨガの入門レベルはクリアできるはずです。

(私は、瞑想もヨガも入門レベルはチャレンジしてきているので、比較ずみw)

え?そんなに?

と驚かれるかもしれませんが、

自分の身体に酸素を送り込むことに一生懸命になっていると、あっという間ですよ。

「今ここ」にとどまることができます。



コツは「自分の流れ」にそうことです。

自分の世界にこもることです。

自分だけの内なるリズムと

仲良くすることです。

一緒にダンスをするような

イメージもいいかもしれません。


一方、DVDやCDなどのガイドは他者の声が介入してきます。
他者の声に気を奪われてしまい、
その声によって思考がまわりはじめるから、
観念奔逸型には、向かないわけですね。


そうすることで、自然と意識が思考からは離れて、

その瞬間、身体機能に集中することができているからです。


よかったらお試しください。

お役に立てたらうれしく思います。

ごきげんよう♪


2011年8月27日土曜日

悩みが悩みでなくなる日のために~アーシングの秘密



















みなさん、こんばんは。

きのう、私がつくったコラージュをもとに

「涙の還る場所」についてご紹介しました。














こちらが、きょう、日中に撮影したものです。

といっても、撮影しようとした時間に、

豪雨が降ってきてしまったため、やっぱり暗くなってしまいました。。。

ふと、きょうの豪雨を、私にとっての「世界の出来事」として、

それをひとつの鏡としてとらえ直してみようと思いました。

もしかすると、

私のこころの一部が

昨夜のコラージュを受けて

「大泣きしたがっているのかなあ?」

などと思いが馳せられました。

それに従って、私のなかで「大泣き」しているかもしれないパートの

顔を見つけ出してみると・・・

それは、世界のみんなのシャドウ(影)の顔でした。


私の仕事は、そんなみなさんの

悲しみや苦しみを

マザーリング(mother-ing)し、

アーシング(earth-ing)することが、

大事なポイントのひとつです。

だから、私はこのコラージュを「祈るような気持ち」、

それも本当に深い部分とつながりながら、

ひも解いたのでした。


だから私にとっては、「とても神秘的でスピリチュアルな仕上がりになったなあ」、と

これはこれで私の一部としてとても気に入っています。

自分の内なる「神秘性」や「スピリチュアルな面」というのは

なかなか意識しにくい部分です。

それをこうして、かたちにすることができ、私はとてもうれしく思っています。

理由は、

このこころに瞬時に「自覚的に」つながることが、よりスムースになったからです。

きょうからさっそく、ルームの私の席から真正面の視界に入る壁に飾り、

このこころとひとつになって、セッションに取り組みはじめました。

今までも、このパートとつながれるよう意識はしてきたのですが、

私は大変視覚の影響を強く受けやすい性質を持っているため、

今まで以上に、このパートそのものになれている感じが高まり、本当にご機嫌なのですw


今まで以上に「呼吸を深く保って、取り組むことができたなあ」というのが

きょう1日をふりかえっての感想です。

その神髄は、このコラージュ全体の雰囲気であり、さらにその中央に配された写真---

グレートバリアリーフの美しい海と空、そして
白く輝くまばゆい太陽が奏でる
自然界の美しいシンフォニーを切り取った、一枚の写真です。


私は、「この世の苦しみ」のすべて、

クライアントの方の苦しみや
わけあって切り落としたシャドウ(影)のなにもかもを

このコラージュにアーシングしながら
セッションをします。

そうすることで、

私は、このコラージュの中に描かれた

神秘的でスピリチュアルな世界から

恐れとは無縁の、広大無辺ではてしない、

この地球の、さらには宇宙の素晴らしいパワーを循環させ、

クライアントの方々に反射させることができるようになるのです。

その意味でいうと、

私の仕事は、光のスペクトルである「虹」となって、
その方だけの生きる道を映し出すことでもあるのかもしれません。

実際に、北欧の神話の世界では、
神々の世界と、現実の世界との間に虹がかかるといわれます。


そんなこころから、
私は自分のルームを、ひとつの仮想空間として
「ガーデン」に見立てています。













もちろん完璧を求めればきりはありませんが、

大好きなキャスキッドソンのファブリックの力などをかりながら、

私は、先のコラージュと同様、

この部屋全体をガーデン様になるよう、意識しています。


そして、この空間にぽーんと身を預けて、

クライアントの方のお話をうかがいながら、

各ニーズに応じていく、その背後で、

私はアーシングとマザーリングを同時並行して行うことを

セッションの大事な基本生命線としているのです。


このアーシングとマザーリングは、

私たちの「悲しみ」や「苦しみ」を軽くするうえで、

大変重要なポイントだからです!!




***


ここでみなさまへの質問と提案です。



あなたにとって、裸のこころのあなた自身に還れる、

地球上の大地は、どこにあるように感じられますか?

あなたが涙を流すとき、

どのような自然界のパワーに、抱かれることができると

安らぎを感じられるように、想像できるでしょうか?



そのエッセンスが見つかったら、

それをかたちにしてください。

絵でもインテリアでも写真でも、
一筆書きでも、ぬいぐるみでも、コラージュでも、
ファッションでも、なんでもOKです。

自分のすぐそばで日々、それとひとつになっていることを

感じられる何かであることがキーです。

今すぐ見つけ出してください。

あなだけのマザーやアースのエッセンスを、

この世に今すぐおろしてください、かたちにしてください。


それができたら、次に、

悩みや苦しみを

それがすべて包み込み、吸い上げ、抱きとめて、

あなたのこころの澱を浄化してくれるところを

イメージしてください。


そして、その優しさや大きな包容力に
そっと身も心もあずけて、静かにくりかえされる、
あなた自身の呼吸に耳を澄ましてください。

それを1~2分、行いましょう。

何がこころのうちで、起きるでしょう??

ただただ興味と好奇の眼をむけて、
静かに「待って」みてください。



このプチアーシングとプチマザーリングのテクニックを通じて、
こころがふっと軽くなるのを感じられると、

私は嬉しいのですが。


こんな風に、あなたがあなた自身とひとつになることができていくと、

そのうち、悩みは悩みではなくなりますよ☆

ぜんぶ

「my motherとmy earthに

おまかせするだけなんだよな~」

と、悟っていくことになると思います。



あなたが、あなた自身になることが、

私のこころからの喜びです☆



ご興味がありましたら、ぜひお気軽にご相談ください。


明日も美しい1日です。

たとえ、雨でも曇りでも嵐でも、もちろん快晴でも。

Life is beautiful.

こころある心理セラピーの有用性が

ひとりでも多くの方々に伝わることを願いながら。


おやすみなさい。

私は私の海に還ります。
ごきげんよう♪




2011年8月26日金曜日

「涙の還る場所」~無意識は母なる海~コラージュにしました



















みなさん、こんばんは。

きょうはセッションがすべて終了した夜から、

むしょうにコラージュをつくりたくなりました。

何か激しく胸が揺さぶられたようでした。

人間というものについて。

テーマは、涙の還る場所」。


で、できあがってみて、びっくり。

あれ?















過去の私の作品の傾向と全然違う!!!

なんかすごい淡泊といいましょうか。

クリックすると拡大されるので、
よかったらご覧ください☆

でもすごく私の内的感覚としては、
神々しくもあるのです。。。
そう、自分では感じています。

(写真は、夜、蛍光灯のしたでとったから暗い。

明日また自然光のもとで撮り下ろしてみたいと思います)


無意識の深い世界にチューニングしながらひもといたのでしたが。。。

派手さが感じられないのが、私の「自我」レベルではなんかものたりないのですが、

私の身体感覚は「OK」といっています。

このところ、空の白んだ青色にこころがとまることが増えていましたっけ。

それと、胸の奥深くに宿されている無意識の深淵な世界への

畏怖の念があわさり、こんな風にできました。


れれれ?何が起きたんだろう?自分に。


この作品にこころをあわせていると、次の詩か浮かび上がってきました。

***

一滴の涙が、頬を濡らすとき。

こころの海が、波打ち際に寄せては返す。

マ・メール。

生きていると、喜びや楽しみもあるけれども、

それと同じぐらい

ある日突然、

苦しみや、悲しみが、襲ってくるから、

私は、溺れそうになる。

マ・メール。

溺れまいと必死にもがけばもがくほど、

苦しみは大波となり、

そして、私は途方に暮れて、恐怖におののき、身もだえするのだった。

マ・メール。

どうしてそんなにも私たちを飲み込んでしまいたいのか。

私はあなたにはかなわない。

あなたのすべてを孕み、

すべてを包み込む、

底なしの力の前に、

私は涙色ののろしをあげる。

あなたに抱かれて、

海と空がひとつになる、

宇宙にかえろう。

あなたを内に宿す私にできること。

それは流れる涙とともに、

あなたの懐に飛び込むことだ。

マ・メール。

私はあなたの手足だ。

私はあなたの腕に抱かれたときの、

歓びの涙が忘れられない。

マ・メール。

あなたが私に息を吹き込むとき、

私は、命を取り戻す。

私をあなたの絵筆として、

この世界に彩りを施す

戦士として、ふたたび生まれ変わろう。

マ・メール。

私のこころのふるさとよ。



*****

あらまあ。これは、西洋の錬金術の世界観でもあります。

アブラハム・マズローでいうところの「自己」の実現です。

この「自己」の実現、

みなさん世間一般的に誤解されている大事なポイントがあります。

それは、「自我」の実現とはき違えている点です。

「自我」がたとえ実現されたとしても

必ず「自己」の実現を希求して、私たちは戦わなければならなくなるのですねえ。

それを手に入れるというのは、「無意識」世界との対決を試みる必要があり、

けして平坦な道ではないのですが、

それでも「自己」を実現させることを、求めて求めてならない動物みたいです。



みなさま、一緒にがんばりましょー。


涙が流れるとき、どこに着目すればよいのかが、

ちょっとは伝わったでしょうかぁぁぁ???

(たぶんわかりにくいかも?)


わかりやすく言い直してみますと・・・


苦しみの嗚咽と涙があふれるとき、

それが還りたがっている、

もとある場所(無意識の意図)に、

きちんとおかえしすることが、

大事なんです。


無意識にある意図や目的をひもとき、

自我レベルにおける苦しみを軽減させるべくサポートしながら、

一緒に、あなただけのマ・メールに還ることができるように

ガイドするのが、私の仕事になります。


そして、

不思議なぐらいに素晴らしいのは、

あたかも自分を襲って脅かしていたように思われた

マ・メールが、

実は、ものすごく深い安心と平和を約束してくれる、

とても豊かであたたかなものであるという

結論にまで昇華することもできるという点です。


もはや、自分ひとりの思考回路だけでは、

答えが出ない!お手上げ!という類の

苦しみを抱えている方よりの

お問い合わせをまごころからお待ちしておりますm(_ _)m


きょうはおやすみなさい。

ドリームランドでお会いしましょう。

2011年8月25日木曜日

自覚的に寝るとこころは育つ



















みなさん、こんばんは。

きのうは、島田紳助さんの突然の引退報道に、びっくりしましたね~。

きょうおいでくださったクライアントの方に

「どう思います?いろいろと裏があるのではないかという噂もありますが」と

質問いただきましたが、

私は「クリーン」だと思います。

ただ、無意識にうすうす、この数年、
引き際を探しはじめていらしたのではないかと想像されます。

みなさんは、どのような見解をお持ちでいらっしゃいますでしょうか。


さて、きょうは「自覚的に寝るこころは育つ」と題して、

「積極的で意図的な睡眠」をおすすめしたいと思います。


クライアントの方々のお話を聞いていてのこと


ーーー現代社会で、あくせく、論理や合理性を重視しながら
日常でするべきことに追われて生きているうちに
そうなっていったのだと推察されるのですがーーー

じょじょに「身体の声」を聞き取りにくくなっている傾向を

よくお見受けいたします。

だから、こころが折れたり、ぐったりしていたりするときにさえも、

何か動き続けないといられない傾向が本当に多く見受けるのです。

それも、反射的に、何かすることを求めてしまうようなのです。

つまり、終始、脳が覚醒しっぱなし。

じつはこれ、「隠れうつ」が増殖している理由のひとつでもあると

私は見ています。




残念ながら、このままでは、最後は

出がらしのお茶みたいになってしまいますよ~~~っ。

・・・と、私は緊急警報を発令もうしあげたい!?

私たちは、「新陳代謝」をくりかえす、有機体です。

覚醒しっぱなしは、身も心も摩耗しっぱなしなわけです。

「健全な魂は健全なボディに宿る」のルールにのっとるなら、

覚醒のあとには、休息をたっぷりと与えることが、不可欠です!



とはいえ、こころがショックを受けすぎたりしたり、

神経が昂るようなできごとが続いたりしたりすると、

アドレナリンがでまくって、なかなか深い眠りにつくことはままならないかもしれません。


そういうときは、自分なりの「頭がからっぽ」になる方法

いくつか知っているととってもナイスです。


私の祖母はよく昔、

「羊を1~100まで数える」と言っていましたっけ。

「どんぐりころころ」を歌うこともあるとも言っていました。

私は、夜、寝る前に瞑想をして、心身をからっぽにしてから眠るようにします。

あまりにもヒートアップしすぎてしまったときには、

ゲーム「スーパーマリオブラザーズ」を1ステージだけやれば、あっという間に

「飽きた、あほくさっ」とおとぼけた脳みそになるように習慣づけてしまいました。

ひとによっては、難解な小説を読むだけで、1~2頁もすると、
ころっと眠りの世界に落ちていく方もいるかもしれませんね。

ここでポイントなのは、

漫然と眠りとつきあわないことです。

「よ~し、私はしっかりと睡眠をとろう。
意識的に、自覚的に、心身の休息を大事にするために眠るのだ!
だから、よろしく、しっかりと深い眠りにつかせてください!」

と、眠りの神様に語りかけてから、

布団の中に入るとよいでしょう。


「意識的に眠りと向き合うこと」は、

現代社会をサバイバルするための

大事な大事なお仕事のひとつだと

私は思います。

自己の心身メンテナンスのためにも。

だから、「なんとなく気分」にまかせて

睡眠とつきあうなんて、タブーです。

しっかりと「身体の声」を聴きとりながら、

「睡眠」と向き合うようにしましょう。



夜の睡眠に限りません。


私などは、精神的な「うつ」がやってきたのを察知したら、

「うつ」のおもたーいエネルギーに従って、
そのエネルギーに誘われるように

どっぷりと休日に
集中的に寝続けることもあります。

ときどき
「自我」が

「え~、家の仕事をした~い」
「読みかけの本をよみたーい」

とか、反発してもくるのですが、


「だめだめ、こんなにこころも身体も重いのだから、
今はとにかくとことん眠りに集中的に落ちていくことが先決!」

と自分を戒めて、お布団をかぶって、泥沼にはまったかのごとく、

睡眠とべったりとおつきあいするようにつとめています。


日中、突然、ふと身体の重みに眠気を察知したら、

30分でも時間を見つけて

昼寝をするように心がけています。


・・・そういえば、何年も前に女優の大地真央さんを
取材させていただいたときも
「10分だけでも、そこが楽屋であっても
さっと寝るようにしている」
とお話しなさっていましたっけ・・・。



私は、それをライフスタイルに組み入れるようになって、2年ぐらいになりますが、

昔は、激しくマッサージサロンを駆け込み寺にしていた私がまるで嘘のよう!

(ひどいときは、夜中の2時でも仕事のあとに
タクシーを飛ばしてマッサージサロンに駆け込んでいた、
哀れな時代もありました、ぐすん)

今じゃ、ち~っともマッサージを受ける必要がなくなってしまいました!!!


寝れば、ぜんぶよくなってしまうようになったのです。(嬉しい)


ちょっと体調が悪いときは、

その体の不調に潜んでいるエネルギーに従って、
インナーワークをして
精神的な調整をはかり、
あとはたっぷり休養をとるだけで、ケロリ。


あ。もちろん、ゆったりと寝心地のよい
パジャマを選んでいることも関係しているかもしれませんが。


毎日、当たり前のようにとっている

眠りを、ぜひ見直してくださいね。


「意識のもちかた」を一つ変えるだけで

グンと睡眠の質は変わるし、

心身の健やかさもがぜんアップするはずですから☆


それでも心身の疲労が抜けないというときは、

是非一度、いいなと興味を感じる心理セラピーにトライしてもいいかもしれませんね。


こころとからだはひとつだから。



2011年8月24日水曜日

トリックスターと仲良くなろう~カルマを抜け出るコツpart2


みなさん、こんばんは。

この写真で私が手にしているのは

バリのトリックスターの置物です。

先週、下の写真のかっこうをして

先生のもとに個人セッションを受けにいったときに

くださったものです。


理由は、

私のファッションの色彩が、
至極、この置物と似ているという理由からでした。





















白地に、蛍光っぽいオレンジやグリーンの小花柄に、
真鍮のイヤリングとペンダントネックレスをしていたのでした。
(もちろん、キャス キッドソン☆)


先生のルームに入った瞬間、
話をしている間じゅう、私自身も妙に
その置物にフラートされているのが不思議に感じていたのですが、
先生に「あげるよ」と言われて、合点がいきました。

な~るほど~。

私のなかに、こういう「トリックスター」いるわ!

この1~2年ほど、私のなかの「トリックスター」は頻繁に現れていました。

ただつい、その部分はなかなか「自覚」することが難しく、

ーーーなぜなら、あまりにも普段ベースの自分のありようになじみすぎているからw---

そのトリックスターなスピリットがごく当たり前に慣れ親しみすぎてしまっているため、

この頂き物はありがたかった!

視覚化して外在化することができると

以前からお伝えしている

「自己反射」活動が、促進されるからです。

その置物をみるたびに、

自分の内なる「トリックスター」と対話がしやすくなるからです。

おまけに、私がキャス・キッドソンに激しく惹きつけられている、もうひとつの要素が、

キャス・キッドソンの内奥にひそむ「トリックスター」だったか!!!

と妙に納得がいってしまったからでした。

「トリックスター」。

その性質について、

ここで山口昌男さんの『道化の民俗学』p233からご紹介します。

1:小にして大、幼にして成熟という相反するものの合一。
2:盗み、詐術による秩序のゆう乱。
3:いたるところに姿を現す迅速性。
4:新しい組み合わせによる未知のものの演出。
5:旅行者、伝令、先達として異なる世界のつなぎをすること。
6:交換という行為によって異質のものの間に伝達(コミュニケーション)を成立させる。
7:常に動くこと、新しい局面を拓くこと、失敗を恐れぬこと、それを笑いに転化させること。

これは、皆様のなかにも必ずや存在するであろうパートです。

いかがでしょうか?

自分のなかのこういう側面に覚えはありませんか?

もしも、こういった要素を見つけ出すことができたら、
そのパートの言い分を大事にしてください。
内なる「トリックスター」と一緒に人生を旅することができるように
「トリックスター」と人生のすすみ方をともに話し合ってください。

ちなみにシェークスピアの『真夏の夜の夢』に登場する妖精パックも、この類です。

そして、こういったなことをひも解いたのは、
カール・グスタフ・ユングの『元型論』でした。

永遠の少女、女性性、男性性、芸術家、シャーマンなどなどあるものと並んで、

トリックスターは、私たちの深い部分に存在します。

ですが、これはあまりにも深いところにありすぎて、
私たちはなかなか気づくことはありません。

ところが、もしもあなたがこのスピリットに

気づくことができないままですと、

あなたの人生は悪戯されてしまいます、このトリックスターによって☆


私なんか、その最たる例かもしれません。

トリックスターなんて、当然、知るよしもありませんでしたから。

トリックスターにふりまわされて、人生の進路を翻弄され、

あれよあれよとアラフォーまでやってきてしまいました☆

もちろんいい面もありますよ。

「恋文屋.com」が思い立った瞬間なんかは、

完全にトリックスターが舞い降りたときだったと思い返されます。

ただ、それが「トリックスター」のおかげであることに気づくことができないと

私たちの自我はときに、そのトリックスターの道に抗おうとするかもしれません。

するとトリックスターは反撃してきます。

それで、日常を生きる私たちは、わけわからず、あれれれ、と

なんとなく人生にふりまわされているような気がしてしまったりするわけです。

そこで秘訣は、これ。

自分の某行動に対して
「ああ、今トリックスターががんばろうとしている」
と認識、自覚することです。

それによって、その行動に深い意味がでてきますし、
自分の行動を慈しむように味わうことができるようになることでしょう。
「トリックスター」と仲良くなれるのです。

次に選択する行動も変わってきます。
精神的な安定感も変わってくるはずです。


おまけに・・・

大変面白いことに、このトリックスターが、
あなたのカルマの輪を
回し続けている可能性も大だったりします。

もしもあなたがいつまでもカルマの輪にはまって
同じことでいつもくよくよしているのに
ほとほと疲れていたら。。。

自分のなかの「トリックスター」と
向き合う準備はもう整っているかもしれません。


もし、このトリックスターと仲良くすることができるようになると、
カルマの輪の存在までもが、別の意味に転化していくようになりますヨ。

ではトリックスターとどのように仲良くしたらよいか?

それについては残念ながら、
言葉でお伝えすることはとても難しいところです。
(いつか、私も成長して、そうはいってもできるようになっているかもしれませんが)



なぜなら、

この深淵な領域に存在し、私たちをつかさどっているひとつのパートである

この「トリックスター元型」を

エネルギーとしてつかまえる必要があるからです。


そのつかまえかたは、熟練した深層心理の専門家とともに見つけるのがおすすめです。

そして、そのエネルギーをつかまえたあと、

専門家のガイドによって、トリックスターと仲良くする道をともに見だしていくのがよいでしょう。

(もちろん、このほかにも、たくさんチャンネルはあると思いますが。
今ここでざっくりとご説明できるのは、こんなかんじ)


ご興味のあるかたは、ぜひお気に入りの専門家のもとを
おたずねください。

2011年8月22日月曜日

大切なひととの「ことばのドッジボール」回避術













みなさん、こんばんは。

昨日の朝から夕方まで
私は、私の先生が主催するセミナー
「統合失調水準とプロセスワーク」
に参加していました。

じつに奥が深く興味のつきない話題であったことか!

精神医学と心理療法はたもとをわかっていてはいけませんね。

なぜなら、私たちすべてのひとには「気質」があり、

その「気質」のなかのひとつに「分裂気質」というのがあることからも、

私たちの「分裂気質」が強く発動したくなっている方を支えるためには、

心理セラピストにかぎらず、対人援助を意識するかたがたが

精神医学の深淵な構造を理解し、

そこと向き合うだけのかまえをとことん叩き込んでおくことが

「実践的な対人援助」の理想の姿だと、私は思うのです。

さてここで、私が昨日、学んだ症例(『精神分析研究』Vol.53p407)からひもといて、

「良い受けとめ方、悪い受けとめかた」

の世界観をご紹介します。



これは、精神病理の症例ではありますが、精神病理の方に対するときに限らず、

私たちはごくふつうの日常でも、他者に向けて

このような「ことばのドッジボール」
に無自覚にはまってはいないでしょうか?


それは、下記の「こころの声1」「こころの声2」

実際にくちにして、相手にぶつけること---。


大切なひとをあるがままに受け止めたいと思う方が

目指すとよいと思われるのは、下記のドクターの「実際の声」の部分だと

私は思うのです。

ぜひ参考になさってみてください☆

私も日々修行の身です。
*****

クライアントAのうったえ:

「先生は先生の先生でいてくださいね。
先生が先生の先生でなくなっては困ります。
先生は先生の先生で〜(じょじょに早口になる)」。
「吐き気がします。吐き気がします。吐き気がします」
「先生なら私の言っていることがわかるはずです。
わからなかったらただの馬鹿です」

ドクターのこころの声1:

「心が壊れようとしている...!」

ドクターのこころの声2:

「反復語唱だ。薬増やそう」

ドクターの実際の受けこたえ:

「僕が先生の先生、つまりAさんの言っていることを
理解できる先生なら安心できるけれども、
そうでなかったら(Aさんは)安心できないものになって
吐き気をもよおすのでしょう」

クライアントA:

(喜んで肯定)

ドクターのこころの声2:

「(私が)不理解に満ちた対応をしたならば、
(Aさんは)吐き気を現実化することになり、
絶望的で暴力的な排泄を生み出したことだろう」

クライアントAのうったえ:

(再び表情を重くして、自分の服のボタンを指差す)
「これ何だと思います?」

ドクターの実際の声:

「ボタンでしょ?」

クライアントAのうったえ:

「ボタンがボタンでなくなってしまったら
どうなると思います?」

ドクターのこころの声1:

「形骸だけが残り、本質が解体して
散り散りになる
不安を汲んでもらうことを
(Aさんは)切望している」

ドクターのこころの声2:

「哲学的な本質論のような
知的な議論という、
躁的体制にはまる」

ドクターの実際の声:

「ボタンから大切なものが抜け出ていってしまったら、
ただ形だけがそこにある。
ただのアンポンタンでしょうか」

*「○○でない」を表す「un」にボタンをかけた駄洒落(!)

クライアントA:

(駄洒落について
説明をする必要もなく、
笑顔になった)

****

いかがでしたでしょうか?
少し、難解に感じられたかもしれませんので、
私流に解説を補足します。

理想的なアプローチは「ドクターの実際の声」です。

「誰の」行為なのか、「主語」をはっきりとさせながら、

【クライアントAに見えているふたりの関係】を

そこに浮かび上がらせています。

ドクターに見えているクライアントとの関係ではなく、

というのがミソです。

こうすることにより、

話し手は「自分(の世界観)が理解されている」という

安心感をえることができます。


ところが!

私たちは、自分になかなか理解しがたいテーマが目の前におきると

うっかり、つい、上記でいう「こころの声1」「こころの声2」

ぱんっととっさに相手にはなってしまうことがしばしばあります。


それは「自分の世界観を主体とした、
客観的な想像や冷静な判断」
です。

もちろん、これらがなければ、
私たちは相手のことに想いをくむまでには到達しないことは確かでもあります。
このような理性や知性も大変重要ですが、私たちのマインドは、
自分の軸を中心としてはじまるからこそ、
健康的に身を守って生きることができるわけです。

このことそのものは、大変素晴らしいことなのです。


ですが、この自分の想像や判断を相手に渡すときに、

この「こころの声1」「こころの声2」をあくまでも
自分の思考体系の「過程」にとどめて

もう一歩先に進化した、
より洗練された「受けこたえ」に
変換させてはいかがでしょうか?

コツは、

相手の立場にそってひも解かれた「こころの声1」

相手の世界観にわかりやすい言葉に、咀嚼しなおし、

うつしかえすことでしょうか。

***

このことのメタファーになるであろうものとして、

私は私の先生の幼児のころのエピソードがお気に入りですw

なんでも、先生が幼児のころ、お母さんとおばあさんは

おせんべいを分け与えるときに、いったん自分たちの口にふくんで

くちゃくちゃにしてから、それを口のなかにいれてあげていたそうです。

先生は、それが大好きでとってもおいしいものに感じたのだそうですが、

ものごころつくころ、弟ができ、

お母さんとおばあさんが弟にも同じことをしているのを目撃して、

「げ!俺が気に入っていたあれは、それだったのか!」と

げんなりしたとか、しないとか。。。w

***

私たちは、つい「自分が相手をなんとかしてあげたい」と思いがちですが

その必要はじつはなくて、

相手に安心を感じてもらうことができるようになるには、

このドクターのように、

ただただ咀嚼してうつしかえしてあげればよいだけだったりします。


私の先生のお母さんやおばあさんのように、

おせんべいをくちゃくちゃにかみくだいてあげるのが大切です。

消化しやすいように。

そのためには、本人に親和性の高い世界観を

ひもといてうつしかえすことで、じゅうぶんです。

私たちの誰もに「自己成長力」や「自己治癒力」は存在するからです


そんな視点で、ここであらためて
上記の症例を読み直してみてください。


いかがでしょうか?



***

あ。私、自分の好きな人にこれ、できていないことってあるなあ。

あらためて反省。精進、精進。

自分の「自我(エゴ)」のからむ話は、実にハードだわ。。。


だからこそ、私たちのような第三者的目線で

ガイドしサポートする専門家は必要なのでしょうね。


この手のトレーニングにご興味がありましたら、

ぜひお問い合わせください。