みなさん、こんばんは。
師走のドタバタ期に、たたみかけるように
ハートブレイク 第2弾です!!!
上の写真は、どんより顔~「直後」の表情です。
エネルギーが変わるとき
人間関係も変わります。
私自身、それを知識としても経験としても
やまほど熟知しておりましたが
このほどまたそのような出来事がやってまいりました。
2012年は私は「節運」といいまして、
変化の激しい年、運気の変わり目だけに大変なとき
といわれている時期でした。
実際に1年をふりかえればふりかえるほど
嬉しいことも苦しいこともふくめて
いろんなことがわんさかとやってきて
しかもありがたくも「統合」「結合」「自己の抱擁」が加速化され、
「私は何者か」の答えのうえに
やっと基盤をすえることができるようになった
重要な1年でもありました。
新聞もテレビも私のなかでは
大きいお話をいただいて
私のなかではドキドキの多い年でもありました。
で、2013年からは「統合」された私として
本気スイッチでがんばろう! と意気込んでおり
そのためにも大事な問題として、
夏ごろから自然消滅していた彼と向き合ったんです。
私の丹田に存在する「シヴァ神」は
「よせ、やめとけ、傷つくぞ」と
メッセージをくれておりましたが
生身の私は、それではけじめがつかないし
自分の身に起きている現実としっかりと向き合いたいという
気持ちがあったので、たとえ傷ついたとしても
前向きにしっかりと、そこに存在する関係性を受け止めたいと思って
私からコンタクトしたのでした。
彼も人生の流れがちょうど変わってきていて
この数年一緒に励ましあってきた
彼の仕事の方向性が決まったタイミングでもありました。
ところが!!
まだ若くて(一回りも年下!)経験もこれからという彼は
フロイトのいう「リビドー」が完全に仕事にシフトしまくっていまして
私をみても「感じない」「好きじゃない」になってしまっていたのでした。
おーい!
「リビドー」は、「性的エネルギー」にいくか
「自己の達成」に向かおうとするか
コインの表と裏のように放出されます。
彼がけして器用な人間ではないことは
この数年のおつきあいのなかで知っていました。
で、晴れて2年かけてやっと仕事の指針が決まった!
よし!これから5年のうちに起業するまでに成長するぞ!
というやる気エネルギーがぜんぶ自己の達成に向かってしまったこと、
同時に、
私のエネルギーが
彼とであった当初、
彼が投影する好きな私では
なくなってしまっていたこととがあいまって
「(関係を)解消したい」と言われたのでした。
なんとなく「二次プロセス」を観察していて
このひとが夏あたりから違う方向にエネルギーが向いているのは知っていました。
でも人生のプロセスはいろいろですから、
そのすべてを大局的に抱きとめることができれば
物理的な関係を超えて、そこに関係は存在するから、いいやと受け止めていました。
ですが、私の本質がくっきりとしたとき
彼の目にそれが響くものとしてうつらないのであれば
今は彼の申し出をそのまま受け入れるよりはありません。
彼のことばでは「大人っぽい」とか「子供っぽい」という表現になるのですが
よくよく分析をしてみるに
彼は「不安定さ」や「暗さ」を自分のなかで抱きとめられずに
外にオーラとしてそれを放ってしまっていた時分の私を
気に入っていたようでした。
下の写真は春ごろのものです。
このころはまだ彼の愛情を感じておりました。
そのときはせいいっぱい明るい自分のつもりではいますが
今の自分と比較すると暗さがにじみでているのがわかります。
この暗さこそが、彼には「大人っぽさ」としてうつり
私が恋愛対象に見えていた理由だったようなのです。
なぜそこがキモかって?
理由は、私が彼にこう聞いたことに対する
彼の答えからわかりました。
私「久しぶり(4か月ぶり)にあって、私がどのように見える?」
彼「最初にぱっとみたとき、髪の色が明るくなったな、って。
それがいちばん印象的だった」
私の髪の色はじつは変わりません。
けれども。
彼の目には
明るくなった。
それは私の雰囲気です、本当は。
ここが彼のこころのエッジだったのです。
そして、明るくなった私には
恋愛感情が動かなかった。
それを久し振りにあって確かめた彼は
私と関係を「解消したい」と。
みなさんにもおすすめできることがありますのには
「あなたに、私はどのように見えている?」
という質問は大変有用です。
相手の自分への投影が何かがわかります。
そこにそのひとのこころの動きのヒントが満載です。
下の写真は最近の私です。
自分が「影」におしやっていた
「自分自身」を引き受けることを覚悟したことで
(私の場合「小説家=自殺する存在」という思い込みがありましたので
そのためにいっこうに「小説」を書き始めることができず
それなのにそれをのどが渇くほど求めているから
人生がどんどんおかしなことになっていっていました)
私は自分のこころの「闇」を
自分のうちに抱えることができるようになりました。
そうしたときに、私は明るくなることができました。
この明るさこそは
自己実現の形です。
真の明るさや光は
真の闇と向き合うときにのみ
その闇のなかから生まれ出でます。
そして、たしかに納得するのです。
私が人生ではじめて高価な贈り物を
独身男性にしたのは彼でしたが
私がプレゼントした一眼レフカメラで撮る
彼の世界は本当に暗い!!!
でも、私はその暗さをこころから愛していましたし、
今でも自分のもののように愛しています。
なぜなら、私の内面にもその暗さはしっかりとたゆたっているのを
日々感じているからです。
私が好きな彼のとったある一枚。濡れる砂浜をこんな風にとるって! 私の深い部分がうるうるしてしまうのです。 |
ですが、彼の人生もまだいろいろな経験が待っていて
彼もやがては自分の内なる暗さを
引き受けなくてはいけないときがやってくることでしょう。
そのとき「明るくなった私」をみても
明るさが前面に感じられるのではなく、
この明るさの奥に隠されている私の本当の暗さに
ふたたび反応するときがくるかもしれない、と
私は見立てをするのですが、
すっぱりと解消しないと
気持ちが「すっきりしない」とも
主張していましたから。
引き受けることにしました。
「また時があったときにお茶でもして会う関係」
というのりしろだけを残して。
そして、さらにどうも
知らない間に私は彼の「グレートマザー」の
ロールに入ってしまっていたのでした。
おお、ここでも「グレートマザー」のテーマが!
子供が自立をするとき
親をすっぱりと切り落とすことをする必要があります。
そうしないと子供の自立へのパワーはでません。
私には子供はひとりもいませんが、
先のジャーナリストの彼にせよ
この若い彼にせよ、
「自己に向かう自立」のために
「自己を見つけるサポートをしてきた」私を
切り落とさせるという
無意識の力が
働いてしまう
私っていったい・・・???
答え。
私は
(自分で言うのはなんですが、
私のなかのセラピストロールで自己分析をしますに)
母なる存在。
愛と慈悲の菩薩のような
包容力をもった存在。
これを表現して生きなくてはいけない。
そうでなければ
こんなに似た男女関係のパターンが
繰り返されることはありません。
さて、そんな私に見合う男性は
これからやってくるのでしょうが、
でもどうやって?
はい、それは・・・
私が私に忠実に
内なる愛の世界を正直に
表現し続けているときに。
やっぱり私と同じようなテーマと性質を
おもちのかたが好相性のはずです。
私は、自分の恋愛に対する依存傾向が自ら苦しくて
精神分析の面白さにはまってしまいました。
私は現実の男性に夢を見すぎるし、
またその夢見の力が大きすぎるのです。
ですが、それもまたやっぱり投影。
私はその大きな
現実の男性との間に夢見ている世界を
「現実の形にする」ことでしか救われない人間なのだと
つくづく思い知ります。
いま私のなかに小説のアイディアは
ジャンルを超えてやまほどでていまして
今回のいっけんで浮かび上がっているのは
「女光源氏」の構成です。
モデルは誰か?
私です☆☆☆にゃははは!
(いうねえ!)
でも本当ですよ。
私と付き合ったことのある男性は
だいたいが「本当の自分の還るべきところ」を
見つけてしまうんですから!!!
そして胸のうちに傷跡を残すのは私ばかり(涙)
でもね、しょうがないのです。
私がそれでおてんとうさまに対して
私の生きる意味をしっかりと
表現し、恩返しすることができていれば
本望ですし、それ以上の幸福もないはずでしょうからね。
がんばれ!煩悩の私!w
私はこのちょっと特殊な才能をつかって
たくさんのひとを癒すお話をつむぐのが幸せな人間、
あとは来年からの10年をかけて
じっくり熟成、仕事に集中したいと思います。
そうそう生身の私はなんのかんのいったって
やっぱり傷心。
年末のすべきことがいっさい手につかず。
こういうときは自分に優しくなるよりありません。
のろのろと亀のように
直感にしたがって
新宿の伊勢丹のメンズ館8Fにあるカフェへ。
こんなところふだんから行きません。
はじめてです。
ですが、なんとなくここがいい気がして行ったんですね。
そしてたまたま空いていた席の目の前にあるのは
エルヴィス・プレスリーの写真が2枚!!!
あらまー。
このコーナーにのみプレスリーの写真があり、
ほかの壁にはそのたの往年の俳優たちの
写真がずらずらありました。
じつは私の「自己実現」の方向性には
コンステレーションとして、プレスリーが
はっきりと存在するのです。
ユングがみつけた西洋錬金術
『哲学者の薔薇園』(1550年)の挿絵10枚の最後のワークは
下のとおりでした。
私の本質のこころはハートだらけ、
ともすると無垢でむき身。
私はこの自己達成の完成形である
両性具有体が
プレスリーにしか見えず
プレスリーの「ONLY YOU」しか
聴こえないのです。
私はけしてプレスリーを好きになったことは
一度もないのですがね。
これが私の究極の世界観。
この『哲学者の薔薇園『』の10枚の絵の挿絵は
隠された本当の自分を映し出す
すこぶるシャープな鏡、魔法の絵ですから。
そのこころだから私は「恋文屋」として
そのかただけの愛の物語をつむいでいるとき
至福でもあるわけです。
そこではたと気づいたのでした。
今回の若い彼に私が投影していたのは
プレスリーだったのではないか?と。
出会ったばかりのころ
彼は私を「未知のひと」とよび
私は彼を「愛のひと」といいました。
まさにここに投影がでていましたが。
2年たってお互いに向き合わなければならなくなったのは
本質的な誤解かプロセスゆえの変化かです。
いまはまだそれについての答えは正確にはわかりません。
でも可能性として
私は彼にプレスリーを無意識に夢みていたのだ、ということ。
私はプレスリーのファンになったことは一度もないから
ここは盲点でした。
彼はプレスリーではありません。(当たり前ですがw)
そのことをもっとよく自覚しながら
私は男性と向き合う努力したいと思います。
自分が無意識にしっかりと
隠したものの投影は
大事な関係のトラップにもなるからです。
そしてそう意識できると
彼のことももっと楽に
解放することができるようになります。
***
ああ、私は本当に愛だけが糧の人間。
スイートな世界さえあれば、私は百人馬力!
たとえ狂気といわれようとも、
それが私の個性なのだからどうしようもありません。
このこころを放置していると
私は恋愛に過剰に夢見るか、
スイーツ(甘いもの)を嗜好して体重が増加するかです。
プレスリーも晩年、摂食障害でしたよね。
自我の枠組みを再構築しないでいると、その道しか許されない私。
(つまり、私は何者ぞ、というのをしっかりと無意識の世界もふくめて受け容れ
新しい私としてのアイデンティティをしっかりさせること)
いやだ!もう疲れましたよ!
だから、きょうから恋愛小説も書き始めてみたいと思います。
私はいっぺんに7つのことを同時進行するのが
エネルギーが分配されて
ちょうどいい性質のようですし。
(これは子供のとき夜みた夢からの自己分析)
そうしていれば、
余計な思考にわずらわされなくてすみますからね。
今ここを生きる、ということでもあります。
さて、今年のみならず、この10年の歩みをふりかえって。。
私が、愛のテーマで
この境地に至ることになったのは、
これまで出会ってきた
個人的な間柄となるご縁のあった
男性たちのおかげは大きいところになります。
私のお相手をしてくださった
すべての男性にこころから
感謝の気持ちを捧げたいと思います。
もちろん常日頃より
エネルギー交換をさせていただいている
クライアントの方々との意義深い対話を通じてもまた
社会の一部を見つめるきっかけともなっており
そのなかでもまた自分のこころの動きを
見つめることができているという意味において
すべての関係性に敬意をもって
深く頭を垂れるばかりです。
いつもありがとうございます。
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