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2011年4月28日木曜日

「思うようにいかないこと」が人生という名の【アート】の一部なら?

生きていると色々な事が起こります。

思うようにいかないことを目の前に、

哀しみ、怒り、やるせなさ、せつなさ、ときには絶望さえも

感じることは少なくないでしょう。

そんなとき、私は20世紀を代表する画家の巨匠

マルク・シャガールの言葉を思い出します。

「変容をみるんだ、変容を」。

ほかの画家の作品を見るときのポイントについてのセリフです。
シャガールの記録映像のなかでそのように述べているワンシーンがあります。

画家が絵を描くことと向き合うとき、そこにはその画家の精神の変容プロセスが映し出されます。

そのプロセスを観ることで、その作品の価値や趣き、味わいが現れるというのでしょうか。


私はこの言葉が大好きです。

なぜなら、私たちひとりひとりの人生もまたアートである、

と私は思うからです。

思うようにいかないできごとにでくわしたとき、

その思うようにいかない渦中にもがき苦しみ、絶望を味わい尽くすことの重要性ももちろんありますが、

同時に、絵画を見つめるひとりの画家のように、

自分の人生の「変容」に目を向けて、

そのプロセスをひとつのアートととらえなおし、

どのように修正を入れていこうかと、腕組みしながら模索することも

有用なのではないでしょうか。

また、この言葉は次のようなこともいうことができます。


思うようにいかない出来事とは、

あなたの人生という名の一大作品を

完成させるために必要なプロセスであり、

あなたの中から何か大事な「変容」を引き出そうとするためのものである、とも。


だとするなら、あなたにとって「思うようにいかないできごと」は

どのような意味合いを含むようになるのでしょうか?


これをご覧になったあなたは

どのようなことを連想されましたか?

私はそのあなたの連想に、とても興味があります。

2011年4月17日日曜日

命の花々へ、感謝の祈り

あでやかなもの、小さくかれんなもの、

まっすぐなもの、ふくよかなもの、

淡いもの、濃厚なもの……

どんな種類であっても、私は花々が大好きです。

花のありようを見つめているだけで、

「ただそこにいるだけでなんて愛に満ち溢れているのでしょう!」と感動します。

一生懸命に咲いては、時とともに散りゆく、
その美しくも潔い生命(いのち)に目を見張ります。


私のこころにはいつもたくさんの花々が麗しく咲き誇っています。

できることなら、部屋いちめんが花のじゅうたんと化すぐらい

色とりどりの花々をぎっしりとしきつめたいほどです。

おかげで、花をモチーフとしたインテリア雑貨にはほんっとに目がありません。

あふれんばかりに花弁を広げている花の姿を描いたものがとりわけ大好きです。

目のつくところ、いたるところに置くことで、私のこころはほっと安らぎます。


みなさま、『はてしない物語』の著者である

故・ミヒャエル・エンデ作の『モモ』を読んだことはありますか?

ひとの話を聞くのが上手な不思議な少女モモの
「時間どろぼう」たちとの闘いをめぐる冒険物語。

「時間とは何か?」という問いに対する、
エンデさんの風刺小説なのですが、

そのなかで

<時間の花>が最後に登場します。

私たちひとりひとりの命は、花そのものであり、

その花の咲いてはしおれていくまでの時間が、

そのひとの寿命である、という

ひとつのメタファー(隠喩)が用いられています。


私は“純粋真っ向真剣勝負”となる

クライアントとの時間をこのうえなく愛していますが、

その理由を胸のうち問うと、こんな風に答えが返ってきます。

「そのかたそのかたの“命の花”をそこに見出すから」、と。

あらゆるかたのドラマの中に、

私はそのかたの“命の花”の声を聴き取ります。

すべてのひとに、自分だけの、自分らしい、自分にしか許されていない

“命の花”が咲いています。

その美しさに、その力強さに、その生命力に、

まごころからの誇りと自信をもって生きて欲しいーーー

祈りをこめて、おいでくださるあなたといつも向き合わせていただいています。

私が、あなたのなかの“命の花”を見出す時、

私のなかの“命の花”が、

喜びの歌をくちずさみながら、風にのって合唱しはじめます。

私は花々が咲き誇り、この世界を埋め尽くしていくことが、

こころから嬉しいのです。


喜びをいただき、今日も本当にありがとうございます。

2011年4月7日木曜日

あなたの愛の世界は何ですか?~哲学的な愛の告白とは

キャス・キッドソンのサシェ(香袋)とソーイングクッション。
女性が最高にラブリーな気持ちになれるモチーフを
上手に組み合わせていて、とっても愛らしいのです。
みなさま、こんばんは。
久しぶりのポストです。


このたびの甚大な震災によって影響を受けたみなさまにおかれましては
こころからお悔やみ申し上げると同時に、
一日も早い復旧と復興を祈ってやみません。


そのためにも、街のいたるところで小さくても自分にできることとして
たくさんのかたがたがいろいろな取り組みをしていらっしゃることを
とても素晴らしい人間的な活動のひとつとして敬服いたします。


同時に、こころの世界を大事に生きるものの立場から……


少しでも支えになればと思って、私の意見をここにのべさせていただきます。


震災によって多くの被害を受けたわけでもないにもかかわらず
日常的な報道に目と耳と心を傾けることを続けていたら、
私はがたっと免疫力が落ちて、人生はじめての花粉症に見舞われてしまいました。


そこで学んだことは
「あ、心を砕くのはいいが、砕きすぎて、自分を見失ってはいけない」
ということでした。


そこで私は今まで以上に、自分の愛でる世界にどっぷりと耽溺することを
意図的に選択することにしました。


リボンは、フランスの直輸入ものです。
コラージュする感覚で楽しく
リボンやシール、マスキングテープを配置しました。
好きな哲学書の世界にひたり、
私の愛する花と夢と希望と愛の世界を見事に具現化している
イギリスの今やメガブランド、キャス・キッドソンのコレクターと化し、
目につくところいたるところ、キャス・グッズづくしを試み始めたのでした。
(なんといっても、自分でキャスデザインのペーパーをつかって
ブックカバーをつくってしまわずにいられないぐらい!)


そこに投影しているエッセンスは、
私の幼少のころの記憶。
アメリカで自由を歌い、
のびやかな日差しのもとで、
声高らかに、かけまわり、友達と遊び、
好きなお話の世界や、夢物語にうつつとなり、
すぐそばで母が手編みのセーターをぬい、
キルトのパッチワークをぬい、
そんな家庭的で天真爛漫で、自己に誇りをもって
羽を伸ばすことができていた、あのころの
においや空気のなにもかもが、
私には、キャス・キッドソン女史が描く
花の世界に感じ取るようになってしまったのでした。


キャス・キッドソンが日本で派手に展開しはじめるようになって
4年になりますが、今まで「好きだなあ」ぐらいにしか思っていなかったのですが…
自分でもあれまあ、不思議。
このタイミング(ずっと続けている自己探求のプロセスと
震災の心理的な影響とが交差するように
私を押し出している気がします)で、きてしまいました。


今は「意図的に」選択していますから、
熱狂的なファン状態です。
バッグはもちろん、キッチン、ステーショナリー、ベッドルーム、ソーインググッズ、
バスルーム……日常の目のつくところのそこかしこに、あののびやかで明るい、
日の光をたっぷりと浴びているかのような自由いっぱいの花々の模様を配置したのでした。


(しみじみここまで意図的になると、私は自分のエネルギーの強さというか、
しつこさのようなものが、本当に激しいなあと、可視化できたのでした
かえってよかったです。
妙な自信になったといいましょうかw
やるなら、とことん!
中途半端に手を出して中途半端なところで手をひっこめるという
過去の私のパターンから卒業できた感じがします)


そして、そのこころで魅了された次の文章をご紹介します。


みなさまにとって最大の関心事のひとつであろう「愛」についてです。


私が最近、気に入っているフランスの30万部ベストセラーの
哲学者でソルボンヌ大学の先生でもある、ア
ンドレ・コント・スポンヴィル氏の『哲学はこんなふうに』より。


**以下、抜粋***


哲学的な愛の告白ってどんなものだろうか。
それは、たとえば次のようなものだろう。

プラトンの考えでは、愛とは、
「ぼくは君を愛している。ぼくには君が欠けている。ぼくは君が欲しい」というものだ。

アリストテレスやスピノザの考えでは、愛とは、
「ぼくは君を愛している。君こそがぼくの喜びの源だ。そのことがぼくには嬉しい」というものだ。

シモーヌ・ヴェイユやジャンケレヴィッチの考えでは、
愛とは、
「ぼくは君を、とるに足りないものでありほとんど無に等しいぼく自身のように愛している。
ぼくは君を、神がぼくたちを愛するーーー神がいるとしての話だがーーーように、愛している。
ぼくは君を誰でもと同じように愛している。ぼくは自分の力を君の弱さのために発揮し、
ぼくのささやかな力を君の底なしの弱さのために発揮しよう・・・・・・」というものだ。

エロスはわがものにしようとする愛であり、享受することか苦しむことかしか知らず、
手にいれるか失うかしか知らない愛である。

フィリアは喜びを分かちあう愛であり、自分によくしてくれる相手によかれと望む愛である。

最後に、アガペーは受け容れ保護する愛であり、与え自分を放棄する愛であり、愛されようと思うことさえしなくなる愛である・・・・・・。

ぼくはこれらすべての仕方で君を愛している。
ぼくはむさぼるように君を自分のものにし、君の人生を、君との夜を、君の愛を、喜びをもって分かちあい、穏やかに自分を与え、自分を放棄する・・・・・・。

君が君でいてくれてえありがとう。いてくれてありがとう。
ぼくが生きる助けになってくれてありがとう。


****

おわかりかとは思いますが、
プラトンの考えは、エロスです。
アリストテレスやスピノザがフィリア。友愛です。
最後のシモーヌ・ヴェイユやジャンケレヴィッチの考えがアガペーです。

そしてそれらすべての愛をもって生きるのが、スポンヴィル氏のもの、と。

なぜ私がこれをここで紹介しているかといいますと、

体感していただきたくみなさまとおつきあいさせていただいているのが、

このスポンヴィル氏の唱える3つの愛すべて、だからです。

これはキャスのデザインではないんですが……
艶やかさに惹かれてPC前にピン止めした生地です。
USAのアンナ・グリフィンといって
スクラップブッキング界のデザイナーとして№1のかたのもの。
私はただただこの愛の世界に身をゆだねているとき、
本当に幸せです。
どんな孤独も豊かに感じられてしまう。
むしろ孤独であるほうが、本当の愛を見失わずにすむこともあるかもしれません。

この喜びを少しでもここでお伝えできたら、うれしいなと思って。

意図的にこの自分だけの愛の世界をこの世に見だし
身を寄せているとき、ひとは幸せを感じられるのだと私は考えています。

もちろんそこに親しみたい誰かもいっしょにジョイインしてくれたら
こんなにまた豊かなこともないでしょう。

おかげさまで私の花粉症は見事にケロリとしています。

さて、これからまたカウンセリングの夜の部がはじまります。

また近々ブログでお目にかかれることを祈りながら。

ごきげんよう。
みなさまの愛の世界はどんなものでしょうか?
ぜひいつくしみ倒してみてください。