きょうは久しぶりのお天気となりよかったですね!
夏はスムージーが飲みたくなります。
写真は、小松菜とバナナと幸水ナシとレモンで
酸味のきいたさわやかな組み合わせとなっています。
全身にすっきりピチピチとしたエナジーがかけめぐります。
童心を取り戻した私は、幼少のころのようにふたたび ホテルのラウンジ巡りをはじめましたw こちらは有楽町ペニンシュラの24F。 (個人的にはそんなに好きではなかった。先日のリッツのほうが好き) |
子供のころシンガポールに2年ほど住んでいたことがありました。
当時、海外駐在員の40代夫婦の娘としては
それなりの贅沢な暮らしをさせてもらっていたと思い出します。
それが私にとってよかったか悪かったかはわかりません。
(いいも悪いもないし、私が所有しているエネルギーの組み合わせは
恵まれるとむしろ精神が鍛えられず社会適応性とハングリーさがダウンする
指向性がありますため、恵まれた生活環境がよかったかどうかははてさて。
でも両親が頑張って築いたプロセスには今では心から感謝しています。
その要素があるおかげで私は得るものも山ほどあったからです)
母親は昔からアートが好きで
ゴージャスで美しい場所も大好き。
時間があると、ホテルのラウンジのハイティーに連れて行ってもらっていました。
母親の趣味志向を学習した、といえばそうかもしれませんが
タオセラピーでやまほど自己を掘り下げている私からすれば
「私が、風流なことが大好きで、あの母親を選んだ」としか
思えなくなってきています。
心理療法で情緒面のカタルシスをやまほど経験し味わいつくし
未完了のうらみつらみ怒りや孤独と文字通り精神の死を達成するために
やまほど受け入れてきました。
(たとえるなら、武術家が、鍛錬のために、身体にジャブをわざと打ち込んで
肉体の痛みを超越した柔軟な心身を磨くのに等しいと私は理解しています)
そうなってくると、
両親との関係性は精神面において確かに影響するところはあるかもしれませんが
その両親をつくりだしているのも、その子供自身でもあるという観点が
タオセラピーにはあります。
そんなタオセラピーは
量子物理学の非局在性の論理に支えられているわけでして、
この問題に向き合うことができるようになるためには
浮かばれない自分自身の心情と向き合うなかから
「こころと精神の自由、そして解放」を体得することが助けになるのではないかと
私は考えます。
浮かばれない感情が邪魔して
自然が授けた自分自身のネイチャーパワーを真に受け容れることが
難しくなるからです。
そのひとらしいネイチャーを咲かせる旅路のおともが私の仕事。 目に見えにくいからなかなか伝わりにくいのですが 私は自分が自然の一部として機能できている充実感とともに ものすごい生きがいとやりがいを感じています。 その機会を与えてくださる、みなみなさまにいつも感謝しています。 |
そうして解放された自己のエネルギーとていねいに向き合ってみると
驚くべき素晴らしい自分自身にめぐりあうことができます。
たとえば私は
父親に殴られた記憶と
両親がいつも離婚騒ぎを繰り返す胸のちぎれるような痛みと
存在するだろうと期待していたはずの兄(家族の因果により中絶させられた)と
今生でめぐりあえなかった深い悲しみ、など。
(ただの変なブラコンですが、これもタオセラピーだと、干支の配置で、いかに私の幻想であるかが読み解けるのですから、やれやれなのです、人間とは。
私の日干「己」土が、すぐとなりの月干にもうひとつ
そっくり同じものがあるからと読みます)
もろもろに対するやるせなさや怒りを隠し持っていましたが
「そんなもんいちいち気にしてたらやってけない」というわけで
スプリットさせて前進したのですが
なんといっても「こころの器」がつくられないままに大人になったせいで
スプリットさせたものがブーメランのように私にふたたびヒットして
身動きのとれないトラブルだらけに見舞われることとなっていったのでした。
こころの器ができていないと
スプリットさせてしまう、
これは人格障害気質を生成します。
(現代人にはたくさんいます)
これらのスプリッティングしてきた要素と
しっかりと向き合い、自分が気に入ったガイド役のひとに導かれ、
ていねいに受け止めてもらいながら、
「大きなこころの器」をつくることができるとき
自らの悲しみを、自らの胸のうちに
ていねいに優しく、ゴロゴロと音をならす猫の首をなでるかのように
慈しむことができるようになるのです。
そうして見つける自分自身とは・・・
親の遺伝子、満載!
嫌いだった親の姿のなかに見つける、
私のなかの豊かさといったら!
私は、最近、気が付いています。
自分のなかの「鳳閣星」がようやく
広範囲の意味をもって燃焼しはじめているのを。
これまではなんとなく
「風流好き」とか「マスコミ系」とか「ありのまま伝達」とか
ぐらいだったのですが・・・
父親の胸の星なのです。鳳閣星。
どこかでスプリットさせていたのは
「中庸」だったのでした。
父は私を殴る蹴るしました単細胞ですし
アスペルガーも入ってるし
自閉症的でもありますが
見落としていたのは、それはそれで父はバランスをしっかりととれる
のんびりとした精神力があるという点です。
私はそれを長いこと見失っていましたが
ここにきて回復してきました。
父親を許し、肯定的に受け入れることができるようになったとき
私のなかの「鳳閣星」は生来あるべき姿として
燃えてきているのを感じられています。
嬉しいことです。
また私はこれを「西」の位置に持っていまして
そのひとの婚姻関係とは「焦ってはいけない」
「自分がいいと思うまで時期を待つ指向性」と算命学は教えてくれます。
お〜〜〜〜い。
20代の結婚は、見事に「焦ってした」のでしたw
母親の存在が怖くて。
父親の指向性をスプリットして
母に急き立てられるだけの私になったおかげで
見事に、エネルギーは反作用をおこしたのでした。
無意識のおかしなエネルギーに襲われて
離婚という顛末をむかえます。
***
今、私には好きなひとがいますが、
焦りがちなマインドを「こころの器」のなかで手なずけながら
あえて
「のんびり、バランスを大事に、ここぞ!いいぞ!と感じられるまで」
じわじわと、ちょびっとずつその人との関係を見つめることに成功しています。
そのペースは、彼のペースとも合うのかもしれません。
6月から浮上した福岡行きの話は
ようやく8月のお盆の時期で日程がフィックスしました。
そのひとは「南」(精神の未来・自己の夢)の位置に
「鳳閣星」を持っているひとなのでした。
父親を許せる日を夢見て
心理療法や錬金術、タオセラピーそのほかもろもろ
いっぱい頑張ってきてよかった、と思っています。
自分らしい人生。
自分らしいプロセス。
見つけることができれば
地上も楽園になります。