おはようございます。
どうしちゃったのかしら、今までさんざんブログを書きたくても書けないことで
もがいてきていたのですが、
今朝は、あふれるものがあり、これをせずには先に進めない気がしてなりません。
いろいろな流れがあって、
オーラソーマのボトルに呼ばれた?求めた?プロセスに突入しています。
選ぶボトルも数種類に渡り、必要な方向性がいくつかあったのですが、
(たとえば、自分自身をマザーリングすることだったり、本心で求めていることにもっと素直になることだったり、物質界にしっかりと足をすえる芯の強さだったり)
明らかにそのパワフルな意識のチューニング感によって、
私は私自身のこれまでとの違いを感じています。
「等身大の自分でいい」から
「等身大の自分がいい」になったからです。
頭ではまったくそのようには思っていなかったのですが、
私はどうやら「かっこつけたい」人だったみたいです。苦笑。
長年、女性総合ファッション誌でかっこつけた写真をとったり
かっこつけた文章を書いて、
みんなに夢を見させることを主題としてきたせいも大きいと思うのですが、
そういう世界を指向する私ですから、
やっぱりかっこつけた世界が、たいして根っからかっこいいわけでもない私が
無理してがんばらずにはならなかったりもしたのでしょう。わはは。
そのせいで、「ああ、ブログかあ、素敵な写真をのっけなきゃな、イカシタことを書かなきゃな」
「そうじゃないと、読む人に悪いよな」などと
妙に頭でっかちになってたせいで、ブログをさっぱり書く気になれずにいましたし、
本当は私は書きたくて書きたくて
表現したくて表現したくてたまらない魂のくせに、
それに真っ向からブレーキをかけずにゃならない状況を自分でつくって
自分の首をしめていたわけですから、
危うく筋委縮症にでもなるところでしたよ。ここのところ。
筋肉がこわばりすぎて、ついには腕が動きにくい???と微細な変化を感じるまでになっていました。
やばい!!!と、気づかざるをえない状況に追い込まれて、BE RELAX。
オーラソーマの1番「レスキューボトル」はラベンダーの香りがいいね。
神経からきた首筋いったいのコリに塗りこんだら、
ふわ~~~~~。ゆるんで、深呼吸しやすくなる。
楽なポジションから、自分の気持ちが、ぶわーっと流れ出す。
これは45番の「ブレスオブラブ」を最初に使い始めたときから起こりました。
私にとって「愛の呼吸」とは、内にあるものを表したいという自然な欲求でした。
もうひとつ私のなかで大きなロックとなっていたのは
「お金がたくさん欲しい」という素直な欲求にふたをして
「お金なんて」
という過去の傷つきからくる、いじけた気持ちでした。
(私の離婚の原因のひとつになったものは、大家族をおそった9億ものネットバブルでしたし、
離婚後にかさんだ浪費は枚挙になんとかだったせいで、
私のこころの問題にすぎないといえばそれまでですが、
私の間主観的体験としては、ズバリ自我はボロボロ、パリパリに割れまくっていたのですねえ。
渦中にいると乗り越えることに必死すぎてよくわからないのですが、
後になってふりかえるとよくわかる、この不思議w
だからこそ、ひとの傷つきに対して、自分勝手な憶測や励ましのこころでもって
こころない言葉をかけることが、私は好きではありません。
簡単にいうと「へたなアドバイス」のこと。
ひとの心の内側は、よくよく耳を傾けて寄り添ってはじめて、わかることがやまほどですから…あ、話がそれてる?)
これ(お金に対する傷つき)があると、
私、お仕事に対して、本当に受け身ポジションになってしまって、なってしまって。
けれども、それだと微妙に自分らしくないのか、本当にしんどい。
神経痛がときどき津波のように襲ってきて大変なのです。
この観点に素直になったら、状況がガラリと変わってきて、
活動的になることに対して、元気がでてきました!!!
やった~~~~。(感涙、やっとですよ、やっと!長かった、ここにくるまでっ!!)
おっとっと。ことわりとしましては、
これはあくまでも私個人の場合ですよ。
お釈迦さまがさとすときもそうですが、
ひとによっては「お金が欲しい!」って強く思いすぎるせいでかえってうまくいかないこともあるかもしれず、その場合は「お金なんてね」という諦念に気づくほうがよいこともあるでしょうから。
ひとによっては「かっこつけたい」という気持ちを大事にしたほうがうまくいくことだってありますしね。
とはいっても、すべからくみんな自分の体験や投影からしか表現することができないわけです。
誰かの経験に基づくアドバイスが、他の誰かに役に立つとは限りません。
それだからこそ、
自分だけのアンサーを手にしたいのであるならば
しっかりと心理のトレーニングを受けている人間のもとで
個人カウンセリングおよび心理トレーニングを受けることが、大事であり、
書物やこうしたブログなど
いったん誰かのフィルターを通過した言葉を受け取るだけの限界というやつを
私は強く提唱したいのであります。
もっとも、この手の心理のトレーニングを選択しようとするのは、
そのひとの価値観にも左右されるのも確かです。
いわば、高級クリームに価値を見出しているひとが、
何十万と投資するのにも似ているところはあるでしょうから。
でも、私のように身体の痛みに対する耐久力がほぼゼロに等しいタイプは、
問題の本質に最短最速でアプローチしないと生きられない。
あれ?話の主題が流れまくってますね。ごめんなさい。
たぶん、最後のくだりが私が一生かけても表現したいことだと思う。
「個性」と向き合う大切さ。
ま、そこに主眼をおきたがるのも、
私が30年以上自分の「個性」を受け容れ切れられずに苦しんできたからなんだけどね。
わははは~。
今日も1日、素敵なプロセスになりますように。