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2010年9月18日土曜日

天中殺のすごしかたー私のなかのファニーでクリエイティブな精霊

 
「天中殺のときってどのように過ごせばいいの?」

とよく質問されることがあります。

人生に山や谷はつきものですよね。

誰にでも思うようにいかないシーズンというのは存在します。

そんな人生の波乗りを極めるには、「脱力上手」になることをおすすめしたいものです。

敬愛するアーノルド・ミンデル氏は、「だるま」がお好きですしね。

上手に、柔軟に、フレキシブルに、状況に適応していく精神。

私もだるまスピリットは大好きですよ。

最近も……

私のなかのクリエイティブでファニー、ラブリーな精霊を
イラスト化したくなって、書き出してみました。

私、絵を書くことはけして得意ではないので、
きわめてお恥ずかしいのですが、

なんともラブリーだったので、ご紹介します。

フィンランドかどこかに住んでそうなキャラクターが出てきました!

(ねずみ×ダルマ×かえる×ちょうちょ ですねw)

私はいつもこの子と子供のころから対話をくりかえし、

ひとり遊びをしてきていました。

その子は、歌を歌うようにこんなことを教えてくれています。



♪ 流されてよし


  気ままでよし

  無理しないが吉

  焦らないのが大事

  俗にいう【ダメ】ぐらいが最高じゃん

  適当でなんぼ

  世間の空っ風もおかまいなし~

  ああ、のらりくらり、その日暮らし、なんて贅沢、いい夢見、気分  ♪

この裏メッセージはこんなんでした。

「何も心配する必要はないのよ。
 なぜって?
 神様がぜんぶお導きくださるからよ」

でも私たちはいつでも判断と選択をつきつけられています!
どうすればいいか、よい知恵が浮かばなくて、途方に暮れることがしょっちゅうあります!

「神様の視点になってみて。
 どうするでしょうね?
 神様なら何を選択するでしょうね?
 そのスピリットに身を委ねてごらんなさい」


そんなお答えでございました。


明るく、楽しく、元気よく、どんな自分だって、なんていい子ちゃん!

みなさん、自分のことをしっかりと撫でて、いい子いい子してあげていますか?

(自己愛あるところに健やかな自我が養われます!)

愛するひとのいる方に~恐れも含めて裸の心を表現しないなんて!

「人生でも芸術でも

われわれが恥じらうことなく愛という言葉を

口にすれば、すべては変わりうる……

真の芸術は愛にあるのだ」


というのは、今、上野にきています20世紀の偉大なる巨匠マルク・シャガールの言葉ですがーーー。

私は想いが実を結ぶかどうかという次元を超越して、

誰かを大切に思うこころをとても愛しく感じています。

もちろん裸のこころでいうなら、想いが実を結ぶことを願わないひとはいないでしょう。

それでも、誰かを大切に思うこころというのは、

そのひとのあるがままをそのままに受け容れる
すばらしい乳化剤となるような気がしてならないからです。


冷静になれば、「これって美化?」と自問自答したくなることもあるかもしれません。
それでも、けっこう!
美化は、超ウェルカムです。
それこそが愛のすばらしい力ではありませんか。

あとから、美化されていなかった面が浮上したとしても、
そのころにはきっと美化されていなかった面もなじみやすくなっていて、
受け入れやすくなっているはずです。

だから、私はもっとたくさんのひとが、
恐れていることもふくめて、(恐れを捨てろとはいいません)、
ありのままに、愛するひとに、表現してほしいな~と願ってやみません。

率直な想いに罪はありません。
むしろ赤子のように、尊い素晴らしい命がそこに宿されているのですから。


ちなみに私は、ちゃんと愛する恋人に言いますよ。

どのぐらい好きであるかということ、感じるたびに、ね。

「哀しいほど好き」って。

彼はまだたぶん私ほどには私を愛してくれているとは伝わってきていないのですが
(「素直になりきれていない」と言ってたから)

それでも私は、私の気持ちと、

ふたりの間に起きている空気を尊重したいから、

しっかりとありのままに気持ちにとどまり続けることを努力しています。


それで実を結ばなければ、それこそが魂と自然のはからいと信じることもできましょう。

わが人生に悔いなしのためでもあります。


恋文屋.comでは、45分間のセッションのなかで、
ちょっとずつこころの奥に秘めていて、自分でもまだ気づいていない、
あるいは無意識に隠そうとしているものをつまびらかにしていきます。
話し終わったあと、

「自分の気持ちをありのままに話すことができて、
うれしさでいっぱいです。
私って、とても素敵な想いを相手に感じていたんですね」

と、おっしゃる方が少なくありません。
ご自身のことをも慈しんでいただけるようになって、
みなさま頬をバラ色に染められます。

そんなお声をいただいた私のこころは
まさに白い鳩となって、喜びの歌をうたいはじめます。

ふわふわパタパタと空を飛翔し、幸せの舞いとともに、
お相手のこころにしみる言葉を織り始めるのです。


私たちのあるがままの想いとは
なんて美しくて素晴らしいのでしょうか!

私は元気100万倍になります!


マザー・テレサの言葉が私は好きです。

「まず知りあうこと。
知りあえばお互いに愛しあうようになるでしょう。
互いに愛しあえば支えあうようになるでしょう。

もしほんとうに愛したいと願うなら
ゆるすことを知らなければなりません」


このためにも、まず
自分を知ることではないでしょうか。

どんなに頭で把握している相手との関係性や相手への想いがあったとしても、
それを超越する「未知なるもの」が、人間関係には必ず存在します。
それもふくめて、自分を知り、自分に起きていることがひも解けると、
相手との関係やコミュニケーションはガラリと変容していくことでしょう。
そして、それを紐解くお手伝いが、私の仕事です。
なんといっても自分ひとりのフレームにおさまりきっていないと部分をも
つかまえていこうというわけですから。

ちなみに私は今、私の恋人とちょっぴり音信不通になっていて、
関係に不安がないといったら嘘になる状況なのですが、

それでも私の夢に現れるようにお願いしたところ、

燃えるように青々とした海と空をバックに、
愛らしくふわふわと風に泳ぐ
ピンク色の花をたくさん束ねて、
笑顔でやってきてくれたので、

吉兆ととりました。
信じて待つことに腹が座りました。
恐れずに、相手の心身を気遣い応援するメッセージを
直観の働いた時に送ることも決めました。

たぶん、この夢の意味するところとしては、
私が彼を深く愛していることがとてもよく理解できたからです。

イコール、可能性として、
彼もまた彼を深く愛しているひとなのだろうことが読み取ることができます。
(関係は、鏡となって、一方のものと同様のエネルギーがもう一方に投げ込まれるからです)
であるなら、私もまた私を愛さずして、どうしてこの関係を育てることができましょうか!

私は私を愛するためにも
彼を深く愛していることを
惜しみなく表現し続けたい。

そんな方程式が成り立つわけです。

2010年9月17日金曜日

「雨が降ってきたので……」~心温まる声のかけ方~

きょう、お友達からメールが届きました。

それは、

「雨が降ってきたので、


何か吐きだせたものがあったかな


と思ってメールしました」

という短い、体調をたずねてくれたものでした。


詩人だなー。

その粋なこころに感激すると同時に、

確かに、

私のこころから何かが吐き出たのか、
(おおむね、イクイリブリアムを塗りまくって助けを
得ているおかげは大きいと自覚しているのですが)

それまでのこだわり

たとえば

男女の愛の形とか、
ブログでの表現のしかたとか、

そういった類のものが

ポロリとかさぶたがはがれるようにとれて
楽になったので、

すごい絶妙なタイミング!なんでわかったの?

と目をまんまるに見張ったのでもありました。


自然界からの便りのなかで

こんな風に私も自分の大切なひとを思いやれているだろうか?

考えさせられる、日常の素敵なできごとでした。

2010年9月16日木曜日

等身大の自分がいい!サヨナラ「かっこつけたい」自分

おはようございます。

どうしちゃったのかしら、今までさんざんブログを書きたくても書けないことで
もがいてきていたのですが、

今朝は、あふれるものがあり、これをせずには先に進めない気がしてなりません。

いろいろな流れがあって、

オーラソーマのボトルに呼ばれた?求めた?プロセスに突入しています。

選ぶボトルも数種類に渡り、必要な方向性がいくつかあったのですが、

(たとえば、自分自身をマザーリングすることだったり、本心で求めていることにもっと素直になることだったり、物質界にしっかりと足をすえる芯の強さだったり)

明らかにそのパワフルな意識のチューニング感によって、

私は私自身のこれまでとの違いを感じています。


「等身大の自分でいい」から

「等身大の自分がいい」になったからです。


頭ではまったくそのようには思っていなかったのですが、

私はどうやら「かっこつけたい」人だったみたいです。苦笑。

長年、女性総合ファッション誌でかっこつけた写真をとったり
かっこつけた文章を書いて、
みんなに夢を見させることを主題としてきたせいも大きいと思うのですが、
そういう世界を指向する私ですから、
やっぱりかっこつけた世界が、たいして根っからかっこいいわけでもない私が
無理してがんばらずにはならなかったりもしたのでしょう。わはは。

そのせいで、「ああ、ブログかあ、素敵な写真をのっけなきゃな、イカシタことを書かなきゃな」
「そうじゃないと、読む人に悪いよな」などと
妙に頭でっかちになってたせいで、ブログをさっぱり書く気になれずにいましたし、

本当は私は書きたくて書きたくて
表現したくて表現したくてたまらない魂のくせに、

それに真っ向からブレーキをかけずにゃならない状況を自分でつくって
自分の首をしめていたわけですから、

危うく筋委縮症にでもなるところでしたよ。ここのところ。

筋肉がこわばりすぎて、ついには腕が動きにくい???と微細な変化を感じるまでになっていました。
やばい!!!と、気づかざるをえない状況に追い込まれて、BE RELAX。

オーラソーマの1番「レスキューボトル」はラベンダーの香りがいいね。

神経からきた首筋いったいのコリに塗りこんだら、

ふわ~~~~~。ゆるんで、深呼吸しやすくなる。

楽なポジションから、自分の気持ちが、ぶわーっと流れ出す。

これは45番の「ブレスオブラブ」を最初に使い始めたときから起こりました。

私にとって「愛の呼吸」とは、内にあるものを表したいという自然な欲求でした。

もうひとつ私のなかで大きなロックとなっていたのは


「お金がたくさん欲しい」という素直な欲求にふたをして

「お金なんて」

という過去の傷つきからくる、いじけた気持ちでした。

(私の離婚の原因のひとつになったものは、大家族をおそった9億ものネットバブルでしたし、
離婚後にかさんだ浪費は枚挙になんとかだったせいで、
私のこころの問題にすぎないといえばそれまでですが、
私の間主観的体験としては、ズバリ自我はボロボロ、パリパリに割れまくっていたのですねえ。
渦中にいると乗り越えることに必死すぎてよくわからないのですが、
後になってふりかえるとよくわかる、この不思議w

だからこそ、ひとの傷つきに対して、自分勝手な憶測や励ましのこころでもって
こころない言葉をかけることが、私は好きではありません。
簡単にいうと「へたなアドバイス」のこと。
ひとの心の内側は、よくよく耳を傾けて寄り添ってはじめて、わかることがやまほどですから…あ、話がそれてる?)


これ(お金に対する傷つき)があると、
私、お仕事に対して、本当に受け身ポジションになってしまって、なってしまって。

けれども、それだと微妙に自分らしくないのか、本当にしんどい。

神経痛がときどき津波のように襲ってきて大変なのです。

この観点に素直になったら、状況がガラリと変わってきて、

活動的になることに対して、元気がでてきました!!!

やった~~~~。(感涙、やっとですよ、やっと!長かった、ここにくるまでっ!!)



おっとっと。ことわりとしましては、
これはあくまでも私個人の場合ですよ。

お釈迦さまがさとすときもそうですが、
ひとによっては「お金が欲しい!」って強く思いすぎるせいでかえってうまくいかないこともあるかもしれず、その場合は「お金なんてね」という諦念に気づくほうがよいこともあるでしょうから。

ひとによっては「かっこつけたい」という気持ちを大事にしたほうがうまくいくことだってありますしね。


とはいっても、すべからくみんな自分の体験や投影からしか表現することができないわけです。
誰かの経験に基づくアドバイスが、他の誰かに役に立つとは限りません。

それだからこそ、
自分だけのアンサーを手にしたいのであるならば
しっかりと心理のトレーニングを受けている人間のもとで
個人カウンセリングおよび心理トレーニングを受けることが、大事であり、

書物やこうしたブログなど
いったん誰かのフィルターを通過した言葉を受け取るだけの限界というやつを

私は強く提唱したいのであります。

もっとも、この手の心理のトレーニングを選択しようとするのは、
そのひとの価値観にも左右されるのも確かです。

いわば、高級クリームに価値を見出しているひとが、
何十万と投資するのにも似ているところはあるでしょうから。

でも、私のように身体の痛みに対する耐久力がほぼゼロに等しいタイプは、

問題の本質に最短最速でアプローチしないと生きられない。


あれ?話の主題が流れまくってますね。ごめんなさい。

たぶん、最後のくだりが私が一生かけても表現したいことだと思う。



「個性」と向き合う大切さ。


ま、そこに主眼をおきたがるのも、
私が30年以上自分の「個性」を受け容れ切れられずに苦しんできたからなんだけどね。
わははは~。


今日も1日、素敵なプロセスになりますように。

2010年9月15日水曜日

ユーストリームに初めてゲスト出演します&近況

  1. みなさん、こんにちは。スーパー久しぶりのポストになってしまいました。外界からのプッシュがない限り、わたしというひとは、なかなか重い腰があがらないのでしょうか。(私は共時性を偉く大事にしている)
    今晩、21時~のユーストリームというのに初チャレンジとあいなりました~。
    USTに初めて参加させていただきます!「麹町ワールドスタジオ」という企画の「原麻里子のグローバルビレッジ」という番組です。
    参加型なんですよね?ご興味あるかた、メディアにアクセスできるかた、どしどしご参加をいただけたら嬉しく思います。
     #kwstudio http://ustre.am/nhFs
    私のコーナーは、あれですよ、あれ。ラブレター指南。お手紙についてのみならず、愛を育てるコミュニケーション、心をつなぐコミュニケーションについてお話しできればと思っています。

    それにしても、いったいどうしてしまったというのでしょう。いろいろなトラウマを経て以後、私の中の引っ込み思案が長らく尾を引いていますなあ。とりわけ、1年前からはじめたユングの『転移の心理学』にある西洋の錬金術『薔薇園』をつかったワークをスタートさせてから、すさまじい変容のプロセスをくりかえしています。この1年余り、精神のジェットコースターやら、精神の異次元空間へのねじれ現象やら、やまほどあって、思い出すのも吐きそう。。。
    でもすべては、対人援助職としての技量を磨くため、そして自分の魂の修業のためと思って、せっせと取り組んでいた結果、
    ただいまものすごい加速度を増して、セルフクロージング中の気分です。その勢いは飛び火して、オーラソーマ(魂の身体という名前をもつ108本のボトルをつかった魂の窓を開くためのワーク)に呼ばれまくっています。
    このあたりはこのあと詳しくまとめてポストすることにしますね。みなさまの何かヒントにでもなればと思って。
    それでもメディアへのご依頼をいただく機会に恵まれるのですから、こういうのをシンクロニシティととらえずしてどうしましょう。
    頑張るのだ‐。
    ちなみに、縁は異なもの不思議なもの。
    今回ご一緒する元テレビ朝日のアナウンサー(大ベテランさんですよ!)の原麻里子さん@haramariko私の大学時代のサークルの大先輩にあたります。
    今年私がそのサークルのOB会の実行委員をしたときにお世話になった事務局の素敵な先輩のご紹介で、今回お声掛けをいただきました。
    どこでどう人とつながるかわからないもの、とかく引っ込み思案の私ですが、もっと社交的になったほうがいいかなと、反省。
    これから新しくした名刺をピックアップにキンコーズにいってきます。