クロウリーのトートタロット、今日の一枚は「運命の輪」でありました。 何かよいことが起こる前触れのように感じました! |
パーソナリティ障害という分類法が
精神医学的に一般化しています。
愛を貪る 境界性
賞賛だけが欲しい 自己愛性
主人公を演じる 演技性
悪を生き甲斐にする 反社会性
ひとを信じられない 妄想性
頭の中で生きている 失調型
親密な関係を求めない シゾイド
傷つきを恐れる 回避性
一人で生きていけない 依存性
義務感の強い 強迫性
DMS-Ⅴの判断基準にのとってですね。
ひとつの大事な見方であると私も理解しています。
そのかたの成熟した自我を構築するためには
そのアプローチ法は、各タイプによって異なるので
私もそれを大事に、対話を重ねています。
だけどイメージとしては
血液型の分類とか
星座ごとの分類とかと
同じぐらいの気持ちでとらえているところが
私にはあるかもしれません。
A型のひとと接するときには
こういうことを気をつけようっと。
とか。
さそり座のひとはこういう傾向があるよねー。
だから、
こういう関わり方にしようっととか。
私は人間のありようをひとつの
「個性」と「魂の成長ドラマ」としてみるため
「発達プロセス」として
今どの辺の方かな、と
「こころの発達段階」を大事に意識しているのですが
「ああ、病態水準の問題だわ」
とレッテルをはって
「らちあきませんわー」「大変ですなー」で
とらえることはありません。
おおむね「自己愛」の問題であり
いいかえるなら「愛情失調症(愛のディスオーダー)」である、
と大枠でとらえている私です。
(いかにそのひとに愛を撒くか、
その方にとっての愛をいかに知っていただき受け取っていただくか、
ここが癒しと成長の核心だと私は思っているのです)
特に古代中国思想をベースに開発した
タオセラピーを通じて
いろいろな方のご苦労話に耳を傾けていますと
「どうしようもないのよねえ。
そもそも生まれたその瞬間に、
天から授かった自然エネルギーが
偏ってるからねえ。
ご当人も大変だろうなあ。
よくがんばってるなあ」
という局面はよくあるのです。
たとえば伝達本能がゼロとか。
引力本能がゼロとか。
陰陽五行そろってバランスとれていると
世界はスムースに流れやすく感じるのですが。
所有しているエネルギーが
水性と土性しかないために
すべてから剋されて世界が見えてしまうために
よっぽど擁護してくれる誰かがそばにいないかぎり
心が育つことは難しかったろう、というような。
「こんな風に偏ってるの、私だけですか?」
とタオセラピーでご自身の所有エネルギーをご覧になると
驚かれる方もいるのですが
いえいえ。
みんな、偏っていますよ。
けっこう、かなり。
(私も相当)
その「偏り」をどのように
「受容」し「調整し」「伸ばし活かすか」が
「自然物を活かして生きるということ」と
タオセラピーではとらえています。
ここが心理学的にいう
自我の「発達プロセス」の支援どころ
ともいえるかもしれませんが、
「あなた、生まれた誕生日のせいで障害になっちゃったのね、
気の毒ね」
なーんて見方はありえませんわね。
だいたい私個人が言葉に敏感な
それこそパーソナリティ障害タイプだからかもしれませんが(笑)
「障害」とレッテル貼られると
私は反発的になってしまうのです。
ある方は「私、障害なんだ、じゃあしょうがないよねとなる」
と言ってましたが。
私の場合は、私の投影ですけど
まるで「社会のならずもの」と言われているような気がしてしまうのですよ。
ですが
時代は、心の病も受け入れましょう、誰にでもあることだから、という
言い方をします。
それはとてもけっこうなこととして喜ばしいことと思いますが。
「病」いうな!
「障害」いうな!
と、個人的には嫌いなのです。
「個性」といって!
「キャラ」といって!
とはいえ、時代の概念にそくして生きていかなくちゃいけない
私も社会のいち構成員だから
ひとつの表現として使わせてもらうこともありますけど。
本質的には
みなさん「自己をどのように受容し愛したらいいか」
見つけられずに(体験できずに)
さまよっている「愛の旅人」だろう、と見えてしまうのです。
(もちろん、病態水準を意識してアプローチしないと
とんでもないミステイクが起こることを知っているので
そこは大事にそれとなく自然に展開させていくのですけど)
簡単にいうと
パーソナリティ障害や病態水準別に
世界観が異なっていてるから
それらに即してアプローチすることが
愛あるペーシングですよ、というわけです。
そして、下記の新書でも書いていらっしゃいますが
「特性」や「偏り」をのばして「いかに個性にするか」
ここが肝心です。
パーソナリティ障害は
蝶々になる前の幼虫というだけのことかもしれないと
とらえてみるのもいいかもしれませんね。
**
そうはいっても、この分類法の利点としては
「理解できない相手の態度」を「理解」したり
「あきらめ」たり「受容したり」するのにはもってこいかもしれません。
相手は自分と一緒だろう、
ぐらいに見てしまうところが
私たちには大いにありましょうから。
とんでもない!あのひとのおかしなところは、
こういう人格障害水準なんですよと知っておくことができると
「どうしようもない・・・」と腹落ちしやすくなり
許しやすくなるものではないでしょうか。
簡単な新書を見つけたので
紹介しておきます。
『パーソナリティ障害 いかに接し、どう克服するか
〜現代人の生きづらさの正体がわかる決定版!』岡田尊司著(PHP新書)
大切だけれども理解できなくて葛藤しているあのひと、
きっとどれかに当てはまるのではないでしょうか。
ちなみにもう一歩深いことを申し上げますと・・・
その不可思議なお相手に惹かれてしまうということは
それはあなたの一部であるからでもありましょう。
そんな視点でおそるおそる「げ!私って・・・」と
向きあってみるのも、人生のよいスパイスであるかもしれません。
★生きやすさを探究するあなたの右腕になります。
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