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2010年4月2日金曜日

純粋でいたい















子供のころのこと。


「大人になるとどうして“純粋でいられなくなる”というのだろう。私はそんな風にはならない。ずっと純粋でいたい」


こころに決めたのを覚えています。


中学生、高校生、大学生と
成長していくにしたがって


「純粋ではなくなる過程というのは、いったいどのタイミングで起きているというの?」


首をかしげたものでした。
いつしか年月が流れ、いろいろなことに苦しみ、もがき、ひととしていっぱしの(?)体験を経たときに気づいたのでした。


「あれ? 純粋ではなくなっている?」


何をもって純粋でなくなっていると感じたかというと、


恐れ、
ひがみ、
怒り、
嫉妬、
憎しみ、
自己卑下、
自己過小評価、


などに行動がふりまわされるようになったからでした。


それでも私は自分に正直に生きていたつもりでした。
自分を大事にしていたつもりでした。
けれども結局、ベースの思いに上記のような感情がいりまじったままだったせいで、
私の「意識」だけではどうすることもできない
行動に駆り立てられたのでした。


「いったい、いつの間に。。。」


そんな自分を残念に思えば思うほど、
そういった感情は無意識下で私をますます支配するようになります。




すべてのひとは自分の「傷つき」と闘っています。
「闘う」ことの目的は、「傷つきを受け容れる」ことだと私は思っています。
「闘う」方向性として、
「傷つき」を抑えこみすぎると、無意識に無理しすぎていることとなり、
ーーー無理を通せば道理は引っ込むという言葉のとおりにーーー
現象界で、トラブルの因子を引き寄せます。




さてそのような理屈はここでは少々控えさせていただくこととして、


私の願いは、どんなときも純粋に自己を正直に表し続けて生きることにあります。


ひょんな運命の流れに身をまかせたら
心理セラピストを目指す道程に入り、
せっせと心理のトレーニングを受け続けた結果、
た~くさんの「傷つきを受け容れる」プロセスがくりかえされました。


無意識に眠れる魔性の怪獣たちは、
美しき変容をくりかえし、
白い精霊の鳩となり、こんどは
さまよえる私を導くガイドとして
一羽また一羽と、飛び立つのでした。


おかげで、ふたたび本来の私の純粋さにリターンしはじめ、
穏やかさと静けさを、胸のうちに見出しました。


透明な水晶を左手のひらにおいて、
毎朝と夜、瞑想をするのが習慣です。


純度の高い存在として、
あらゆる光を透過し、
まじりっけのない輝きを放つこと。


水晶の存在感に意識を合わせて、
何者にも汚されることのない、
高貴な魂の輝きそのものを
はっきりと外に表して生きること。
少々デフォルメするぐらいがちょうどいい。
より強くイメージしながら。




そうすることを恐れないこと。
誇りに感じること。


弱き小さき私へ、
心を込めて願いを送り届ける朝から
私の一日ははじまります。

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