今日は、トルコキキョウを仏様にお供えするお花として購入しました。
私は特にひとつの宗派に属するわけではありませんが
神仏をはじめとして、目に見えない人智を超えた力を深く崇拝しています。
といいますのも、それは私の一部を構成する大事な要素だからです。
私は目に見えない人智を超えた力によって生かされておりますが、
それはけして外にあるものではなく、
私の内側にあるものだと感じています。
私は私を大事にするためにも、
私と関わる大切な人々や、好きなモノやコトを
慈しむのが大好きです。
美しい花を見つめるとき、
そこに私に秘められている美しさへの可能性を
感じることができるからでしょうか。
私はとても豊かな居心地のよさを味わうことができます。
私の目指したい方向性を、その美しい花が私に教えてくれるのです。
最近も、私が私になる感覚を高めてくれた香水に出会い、
一目ぼれ買いしてしまいました。
『カルトゥージア トワレ フィオーリ ディ カプリ(Carthusia FIORI DI CAPRI)』
イタリアのカプリ島の花々の豊かな香りが
純度の高い状態で製品化されているからなのか、
地中海の揚々と明るい日射しに培養された草花の歌声が
とても自然に私の体に響き、なじむかのようなのです。
つけた瞬間に、私の内なる豊かさや恵みがパーっと軽やかに花開きます。
華やかに風に舞う、幾重もの花びらのように軽やかに、遠い夢の世界に今すぐにも駈け出していってしまうかのような、心地よさと瞬時につながることができます。
もちろん、この香りに対する感想は十人十色だとは思います。
ただ、私が嬉しいのは、私のこころがこの地球上にある、その豊饒な大地に恋することができるということ――‐、
すなわち、私にもその豊かさや恵みの可能性が眠っているということに気づくことができたからです。
私が人生をもっと私の好きなように生きることができるようになるのには、
この香りのエッセンスを自覚的にふるまっていったらいいのね!
あたかも私がそのカプリ島の花々になったかのように生きているとするならば――‐
あるいは、その花々の心になりきって、今この瞬間を生きるとするならば――‐
こうして、想いを綴りたくなるのが、私なのです(^^)
この10年ほど、自分の想いを綴る気がなかなか起きずに避けて通ってきましたが、
花々が教えてくれることには、
たとえたどたどしくても、私は自分の想いをまっすぐありのままに表現しているときが
もっとも快活で、次なる計画にも前向きになることができるということのようです。
そうそう、私たちが誰か(や何か)に恋をするとき、
それは私たちの中にまだ隠されている
本当の自分の姿を教えてくれているのであります。
たとえば私が今、気に入っている彼に「私が」見ているものは
(心理学用語では“投影”といいます)
「華やかさ」だったり「無邪気さ」「快活さ」「優しさ」
「感受性の強さ」「行動力」「社交性」「個性の強さ」などなどたくさんありますが……。
どれも彼の一部であると同時に、私の一部でもあるのです。
私がまだ自分のものに仕切ることができていないものも、たくさん彼は持っています。
それに「恋している」と知るならば、
まずは私自身がその要素をきちんと今こことで生きることができるようになることが、
ふたりの関係をより豊かなものに変えていくうえでとても有用とも思っています。
なぜなら、恋して、その自分の投影した要素を、相手から受け取ろうと、
相手にあれこれと求めすぎなくても、
ちゃんと自分の内側からその要素を生成することができるからです。
このように精神の自給自足ができている恋愛は、
相手にとって快適な距離感をキープすることをスムースにします。
わかりやすくいうと
「求める恋」や「相手からエネルギーを奪おうとする恋」
「自分の世界観を相手に押し付ける恋」に卒業できるわけです。
そうなると
相手に与えることが苦じゃなくなります。
与える恋愛(おせっかいやくのとは違います。相手のニーズにそう関係のことです。あ、相手がおせっかいを望んでいるのであれば、うまくいくでしょうけど)は、
相手の快適さを引き寄せますので、うまくいかないわけがありません。
ご参考にしていただけたら嬉しいです。
私はこれからハマっているゲーム『信長の野望』を1時間ほど(^^)/
桶狭間の戦いの半年前までに領土を5つに拡大できてしまったので、超夢中☆1日の終わりの楽しみ♪
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