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2012年2月2日木曜日

「甘え」は重要 そして「境界線」も重要(その1)

「甘える」ことが上手なひとは
どれぐらいいるのでしょうか。

「甘えるのは苦手」という方をよく耳にします。

日本のお国柄も関係しているのかもしれません。

もともと村社会の文化と伝統のなかで
歩んできた、私たちに受け継がれてきているものは、

明治時代以降に輸入されてきた「個人主義」と
まだ本当の意味で融和していないように
個人的な感想を持っています。

「甘えるのが苦手」と自ら認識している方ほど、
実は無自覚に「甘えた行為」を外に向かって放散していることが多いと、見て取れます。


それは「境界線を持たない」という形においてです。

他者と自分との線引きがあいまいとなって、
無意識に「自己同一視」するなかで、

「これぐらい許されるよね」とか
「自分がこれを許容するんだから、相手もこうだよね」と
世界がまわっていくのですね。

ところが、これに対して世界は意外とクールに
こういったアプローチに対して切り替えすようになったのは
戦後の欧米化のおかげでもありましょう。
世界的な経済システムの問題とも関係しているでしょう。

このとき問題視すべきと私が思っているのは、


私たちはいったいどこで「甘え」を完了したらいいのか?


というポイントです。

といいますのも、かつては村社会が
その「甘え」を無自覚に(当たり前のこととして)受け止めてくれていたのに、

今ではその構造がなくなってしまった--- ということは、

発達不全の大人たちが社会をつくっていくことになるからです。

そこには無自覚な「甘え」がやまほど飛び交うでしょうから、

(未完了のエネルギーを自分の内面で統合できないときは、
私たちの外側に現象を引き起こします
---それは「人間関係」「身体症状」「依存症状」「嗜癖」などです)

無自覚に「腹立たしさ」を覚える他者たちが増えていくことをも意味します。

するとどうなるか? いさかいか、
自らのこころを押し殺すことを過度に学習した
「うつ」状態の人間が、増大することが、容易に想像されるのです。

あえて私はオーバーに表現しています。

発達心理学の考え方では、

「甘え」が完了するときに「個」が確立される

としています。

昨日、ある政治家が「パラサイトの若者が増えている」ことをテレビの向こうで話していました。

未来の政治を考えていくうえでは、それは考慮しなければいけない現象のひとつであるとは
私も思いますが、

同時に、この現象は
「社会がはじきだした未完了の甘えを統合する大事なプロセス」ではないかとも思うのです。

したがって、政治や経済のことでいうなら、

社会がどうやって「人間の自然な甘えを受け止める器をつくっていくか」という観点も

意識するのがよろしいのではないかと、私は考えています。

あいにく私は、幸か不幸か政治家向きの体質ではありませんから(苦笑)

偉そうなことは何も言えないかもしれませんが、

ひとのこころという、人間の歴史の生みの母と、日々向き合っている立場からしたら、

そんなことを考える日々なのであります。

より洗練された社会と人間関係と
個人のホリスティックで豊かなライフスタイルのためを思うとき、

この問題は相当重要なポイントです。

目指したいのは、

洗練された「甘え」を表現しながら、
きちんと他者と自分との間の
「境界線」を自覚して
生きること

です。

ので、きょうは時間がきたのでこの辺で失礼しますが、

明日もこの続きについて述べさせていただきたいと思います。

どうぞよろしくお願いします。


P.S.この問題に対する答えのひとつとして、下記のクラスをオープンします。
よろしければぜひご参加ください。
http://chiyokoosaki.blogspot.com/2012/01/2512.html



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