罫線の入ったレポートパッドを愛用するようになったことは 私にとって新しい動きのひとつです。 これまでは「無地」タイプのほうが「自由に浮かんでくる」から 好きだったのですが、最近の私は 枠のなかにきっちりおさめる作業が心地よく感じられるようになりました。 個性化作業が極まってきて意識の枠組みがしっかりとしてきているのと共時的ですが、 タオセラピーでいうと今年は私にとって「牽牛星」という役割意識の強い、 枠組みをしっかりと守るエネルギーが回っていることも関係しているのでしょうから、 人間の運命とはなんとも不思議で面白いものです。 |
長い冬眠の時期もようやく春を迎えつつあるのか
「人間関係」を必要と感じている自分に素直になってきています。
とはいっても、長いこと
「自分の無意識プロセスにもう翻弄されたくない」という目的のために
おのれの本質や未知なるものを引き受けたり、
ひとつになったりするためのワークを繰り返し、
なかなか「私は○○だ!」とはっきり強く
「自己(魂レベルからの)統合の姿としての私」という、
新しい自我を構築するまでにはいたっていなかったため
自分の外の世界のものと関わることを
意図的にコントロールしていました。
たとえるなら、さなぎの中身はむき身でぐちゃぐちゃだからです。
外のエネルギーに対して積極的ではない
いわば冬の時期だったのです。
目覚めはじめた肉体レベルにおける
「新しい私」の指向性ときたら、やたらに芸術志向。
もともと「きれいなもの、美しいものが好き」とは
自負していましたが、自らがそれを表す立場としてアートを指向しているとは、
もっとも避けてきた部分でした。
しかも、居並ぶお洋服と向き合いながら
「もっとも深い私」が「これ!」と指名するもの、
および「やたら、似合ってない!?」と感動させられるものは、
「モード」ルックのものが多々。そのたびに私は
「ぎょぎょぎょ」と葛藤させられるのですが、引き受けるしかない。
だって、ネイチャー(内なる神)の私がそうなのだから!
いくしかないね!!
…といいながら、きょうもルイ・ヴィトンのスタッフと問答状態。
「こんなにモードなお洋服来てたら、
一般的な男性はひいちゃいませんかね?
こんなにお高いお洋服を自分で買っちゃう女って!?
ってひいちゃいませんかね?」
セラピストロールの私からしたら
「おいおい、答えはもうとっくにわかっているくせに!」なのに
つい愚痴てしまう私もいるのです。とほほ。
80年代生まれの若い女性スタッフの方
「素敵じゃないですか!」
90年代生まれの若い男性スタッフの方
「僕が好きなのはこういう服を着る女性ですよ」
むむむむ。
若い方の価値観が変わってきているのか、
ルイ・ヴィトンにおつとめのスタッフの方は
そもそも革新的スピリットの方が採用されるなのか
私のお嬢様学校あがりの
「女は引っ込んでろ」的コンサバ世界観パートは、
ぐぐぐぐとうなるのでありました。
そこで、私は思ったのです。
人間関係を新たに探してみようかな、と。同類を探せ!
「ねー、どこにいったら純粋にファッションを
アートとして好きな人に会えるのでしょうか?
私はそういうひととのおしゃべりが本当に大好き」
(売り買いの関係性ではない、ショップスタッフの方はのぞいて、の意のつもり)
90年代生まれの若い男性スタッフの方
「私は、幼稚園のときからの幼友達が、文化服装学院にいって本職へ行ったんです」
のわにー。そんなにおちびさんのときから、
類友の法則を地でいけちゃえるひとがいるなんて、うらやましいですぅ。
そんなこんなで
私、ただいま考え込んでしまっているのでした。
このところ行動の選択肢の幅が広がってきて
(スポーツジムや自炊のこと)、ただでさえ忙しくなっているのに、
ここへ新しいサークルに出かけていくような
パワー残されているのかしら? 作
品を書く時間をおさえるのも頑張っている状態だというのに。
ライフスタイルの枠づくりは、スピリット(創造性)解放の決め手ですから
もう少し入念に吟味してくつもりです。
いろんな意味で、人生を見つめなおすときとなっています。