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2015年4月11日土曜日

見失われた「魂の恋人」という概念〜恋愛の深み


40歳を過ぎて色恋のことを述べるのは
クールな私としてはそれほど好みではないのですが

私のなかの「もっともピュアなパート」
(言い換えるなら、一番恥ずかしいハート)
はいつも夢を見ています。

「私の好きなあの人は今頃どうしているかしら?

目に見えない風にのってこの気持ちは届いているかしら?

会いたいな。会いたいな。

会ったら一番に何て言おう?

どんな顔を見せよう?」

でも、ときどき、わからなくなるのです。

私が感じているこの気持ちは、

現実の肉体ある好きな人にはもちろんですが

深層心理的な根源をたどると

行き着くのは「魂の恋人」のところ。

長いこと認めたくなかったけれども
私の「魂の恋人」は
「この世にはいない、亡き兄」であることも
何度もワークを通じて浮上してきます。

私は「亡き兄」に相当愛されているのでしょうか。

いや、わかりません。

なぜなら、私の兄が亡くなったのは
母のお腹の中でのことですから。

私は一度も会ったことがないのです。
なのに、物心ついたときから、ずっと
兄の存在を探し求めていました。

そのあたりから
私はちょっとおかしいんじゃないか、と
ずっと思っていました。

でも、おかしいわけでもない、のです。

タオセラピーでひもとくと
数理的にそれは解明できるのですよ!

***

そして自己を掘り下げてわかったことは

私の恋愛が実を結ぶかどうかは、
私の「亡き兄」のゴーストにかかっているのだ、ということ。

そのためにも私はいつも心を「亡き兄」とひとつにしているのです。

かつての私は
「亡き兄」の面影を、現実で出会う男性たちに映し出しては
恋愛をくりかえしていたのですけれども。
「亡き兄」は、認めてくれず、関係を破壊することを繰り返してきました。

なぜなら「亡き兄」は
私の「心のなか」にずっと潜んでいたからです。
「亡き兄」は、私にふりむいてもらいたがっていたのでした。
「自分の心の内側に目を向けて」と。

あらゆるプロセスをへて私は
今こうしている瞬間も、私は「亡き兄」を感じられるようになりました。

そして馳せられてくる思いは、

「もしも肉体ある兄に会うことができたなら」という心です。
「姿、形を、みたい」「手に手を取りたい」。

私はいつも夢見ているわけなのですね。
(実際に兄妹関係のあるケースをやまほど知っていますから
兄妹がそんなに美なるものばかりでもないことは私は熟知しています)

「今頃どうしているのかしら?」と。

見果てぬ兄への思いを重ね合わせて。

そうそう、だから、私が現実のこの時間世界で
好きになった人というのはラッキーな方だと私は思います。

なぜなら、私は意識的にも無意識的にも
その関係性に「亡き兄」との関係を重ね合わせるため
「永遠に美であるもの」にしようとするからですね。

私は兄の存在を知らないので、ただの幻想であり、
ただの絵に描いた夢でしかないために、

永遠に相手のことを慈しむでありましょうから。

ですから逆をいえば、私と相性のいい方というのは
「非現実的」な人間であることは確かでありましょう。
「亡き兄」すなわち「この世に存在しないような空気感」というのを
生涯放ち続けられるような方でないと。
というわけです。

***

その一方で、私の好きな人は
幼少のころに母親を失った人でして

彼曰く「母親を覚えていない」というのですが
だからこそ!

私がこの人と会うときはいつも
彼のお母さんの気にチューニングして
彼のゴーストロールを演じる心で
向き合うようにしているのです。
メールするときも、ハガキをかくときもそう。

かなり高度なテクニックではありますが、

大切な人に気を合わせたいときの
私のおすすめのアプローチです。



エネルギーは常に、陰と陽の流動性および
ダイナミズムを表現しようとするからです。



もう少し別の言い方をするなら
「見失われたエネルギーをなんらかの形で補おうとする傾向がある」ことを
逆手にとって、積極的に関係性に参加するとき
その関係性は「円」を描いていくーーー
つまり「まとまりをえていく」というわけです。

なんのこっちゃ?
とわかりづいらいかもしれませんね。
こういうのは実際に体験のなかで味わっていただくのが
私のおすすめです。

もしも気になるようでしたらぜひ
恋愛テーマの個人カウンセリングをお求めください。

まごころよりサポートさせていただきます☆



2015年4月10日金曜日

オフィスを増やしてスッキリモード


この春から
オフィスをサロンとは別のスペースにもちました。



整然とされた空間です。
ホテルライクですよね。
私の大好きな、焦げ茶色とホワイトの組み合わせ。
サロンとも同質です。


いろいろなことをスッキリとさせてきた気がします。

私の中身は、いつもいろいろとたくさんのことがごちゃごちゃとありすぎて
ものごとを「抱え込む」のが本当に大好きで。
(我が家の遺伝だと思います)

そのおかげで、勉強や知識も抱え込むことができたのでありますが。

そろそろアウトプットと伝達にエネルギーをまわしたくなってきたから。

身辺をすっきりとした環境に設定して

一意専心できる状態をつくったのでした。

脇目も振らずに!

やりたいことがありすぎて、

時間が本当に足りない感じがしています。

体が一つしかないせいです。


他の誰とも違う、
オンリー1のプロセスを驀進します!

マジョリティーとはまったく違うストーリーで
輝きつづけて
あの世にかえるのです。

そのために
いつも、自分だけのゴールデンルールを探し求めては
一歩一歩前進しています。

今日はこの辺で。

明日も心にレインボー☆

【自分と向き合う】60番目の干支「癸亥」のコンステレーション

きょうの夜、はっと人の気配がとんできた方向、歩道の246サイドを振り向いたら、
目の前にいたのは、黒ぶちのメガネをかけた、明●家さんまさん。ばちっと目があい、
条件反射的に思わず「あ、さんまさんですよね」と声をかけそうになってしまいました。
瞬時に「覚えてますか、3年前に番組に出演させていただきありがとうございました」とか、アホなことを口走ろうとした
私の口許の筋肉をきゅっと引き締めました。
(そういえば、まったくご縁がないわけではないのだった!私が10年以上年賀状を交換している方は、この方と近しい)

 

昔の私は、口が軽いというか、気やすいところがありましたが、
この数年、特にタオセラピーを習得してからは、自分の「干支世界」の通りに生きることを引き受けたため、
街で知人をみかけても、自分から声をかける、というパターンをつとめて控えています。(セルフコントロールです)
タオセラピーでは、私の外の顔は「春を待つ」とか「待ちながら引きつける」という指向性だからです。
(ちなみに昭和48年生まれの同期の方はみな一緒になりますw)
能動性ではなく、受動性と一致してこそ、のエネルギーと私は読み解いているわけです。
ここを積極的に引き受けずに、反対パターンに乗り出すと、思わぬところでトラブルの数を増やすことを
知っているからです。たとえば、「待たず」に「積極的に飛び込む」と、
結果的にその倍ぐらいの遠回りをして「待たされる」方向に引きずり戻されるというように。
ならばはじめから「待つ」ことを私のスタイルとして立脚して行動していた方が、
余計なストレスエネルギーを奪われなくてすむという、人生戦略なのです。
だいたいが私の頭はもともとロジカルなデジタル構築が大好きなタイプでして
下の写真のとおり、デジタル機器オタクに近いものがあります(笑)
(写真は、この春、新たにプラスした、
右:エクスペリアZ3コンパクトと左:iPadAir2)



 
さて、話をさん●さんに戻します。

 

きょうみたいに、左足をポンと地につけて左方向に振り向いた途端に、超タイミングよく
真正面にその人がいるというのは
非常に珍しいケースと私は思いました。
こういうのを「インナーワーク」では
「世界のできごとが知らせようとしている神の意図」をひもとくワークを行っていくのです。
そこで探ってみたところ、センシェント(極微)レベルで「六十干支」が気になったのでした。

 

さっそく、明石家さ●まさんの命式を調べましたら、なーるほど!
この方は、日干支が60番目の干支「癸亥」だったのですね。

 

じつは私は3年前から「癸亥」が10年運として回り始めたのでした。
このところニュースをみていても「癸亥」の干支を持った世界的な画家にフラートされたり、
さらには、「癸亥」といえば、ユニクロとタイアップしている
イネス・ド・フランサンジュ女史も、10年運として今、この干支がまわっています。
そのおかげなのか、私は彼女のファッションコラボレーションに
おもいっきいりハマってしまいました。
これまたキャスのときに引き続いて、9割のアイテムを買い占めてしまったほどであります。

(ユニクロから表彰されたいw 
↓写真は、先日オンラインストアから届いたイネスのお洋服の一部)


「癸亥」といえば、プロテニスプレーヤーの錦織選手や、体操の内村航平選手が、そうです。

 

というわけで、目の前にドンと「癸亥」の神様が、きょうは現れて
「もっと、癸亥の世界のひととなりなさい」と言われたのだなーと
じーんとかみしめました。

 

そこで次に気になるのが、「癸亥」の世界がなにか???
六十干支思想をひもとくと(安岡さんの本とか)それなりの説明はありますが、
タオセラピーは、一般化された概念以上の真実は、本人の小宇宙からひも解くことに価値を置いています。
タオセラピーでは、「エッセンスワーク」と称して、
古代中国の甲骨文字に描かれた「字源」を「小宇宙」につながる窓口として
心理ワークを行います。
「癸」の「字源」と、「亥」の「字源」と、私のなかの2つのエネルギーの指向性を重ね合わせたものが
<私だけの>「癸亥」世界への入り口となるのです。
その結果つかみとりましたものは、
「激しくしつこくこだわってアルチザンと化して、世界のすみずみにその思想をいきわたらせる」という類でありました。

 

感想はただひとこと。

 

がんばらないとねー。

 

コツコツ、どっしりのっしり歩く象のように、はたまた
じわじわと進んでいくために目の前に集中している亀のように。

 

肝に銘じたわけなのでした。

 

身を引き締めて、今日はこの辺で。

 

おやすみなさい。

 

明日も確かな一歩でありますように。

2015年4月8日水曜日

私流<愛犬に教えてもらった「人の愛し方」>


愛犬が我が家にやってきたのは、今から5年前のことです。

私はどれほど、彼に支えてもらったことでしょう。

精神的にも。現実的にも。

私のクライアントのみなさまはご存知でいらっしゃいますが、
第一に、カウンセリングの間じゅう、静かに息を潜めていられること、いられること。
初めての方などは、彼の存在にまったく気づきません。
ところが、第二に。
彼は時たま、クライアントの方の「甘え」のテーマが無意識プロセスで発生しているときには、「くぅーん」「くぅーん」とか細い鳴き声を、
サロンのとなりの待機部屋から投げかけてきます。
私はそんな彼の反応を受け取って、クライアントの方に問うのであります。
「ポリー(愛犬の名前)は、今、なんて言っているように聞こえますか?」と。
そのタイミングで、ポリーがなくところから、
そのひとだけの重要プロセスが浮かび上がってくるのですね。
そう、彼は「天才セラピスト犬」なのです☆(親バカもあるかもですがw)

そんなこんなの365日をくりかえすこと、5回。
ポリーには本当によくいっぱい頑張ってもらってきています。
小さな体の私よりも大きなくるくるの瞳で、
いつもまっすぐに見つめて見守ってくれていて。
本当はたくさん遊びたいのだろうに、けなげに、いじらしく、
午後と夜のお散歩まで耐え忍んでいて。

おちびとは思えない包容力に私はいつも甘えさせてもらっていて。

年々、二人の間の心の通い合いが
現実の「時間世界」を経過するなかで
確かな絆となっていくことが感じられて、

愛しさは日に日に倍増です。

私は、彼から「人の愛し方」を学ばせてもらっている気分いっぱいです。

実際、カップルの愛の交歓も同じようなエネルギー交流があると、私は思っています。

そのゴールデンルールは次の7つ☆

1「待つ」
2「まっすぐに見つめる」
3「見守る」
4「素直に甘える・求める」
5「甘えるときは、ちょっぴり高くてか細い声で」
6「おねだりがNGのときはさっと引っ込む」
7「(ご主人の)ライフスタイルを心得ているから、次に何が起こるのかが読めている」

いかがでしょうか?

みなさんは、大切なひとに、いくつ表現することができていますか?

きょうは思わず写真を「特大サイズ」でアップしてしまいました♪

愛のご相談、大好きです。お待ちしています☆

2015年4月7日火曜日

安心と奇跡は、魂の道と一致しているときに

安心できているとき、とか
確信を得ているとき、とか。

 

それは、無意識が、あるいは、魂が。
深くよく知っている自分自身とつながることができているときなのだ、と
私は最近、よく思います。

 

(▼ふくよかな花びらは、安らかさの表れのように私には見えます。)



逆に、安心できていないとき、とか、不安を覚えていたり、ストレスを感じていたりするときというのは、
魂の道からそれていることを、無意識に感じるからこそのサインなのだと、思います。
(同時に、こういうときは、「心の器」が魂の大きさに合っていないことも、考えられます。
その場合は、現実に対処する機能を所有する「心の器」を大きくするためのカウンセリングは不可欠であります。
「心の器」というのは相対関係のなかで「受け止めてもらっている」実感とともに育つからです)

 



(▲最近、自分の顔つきが私の日干支である「己酉(きどのとり)」<六十干支のうちのひとつ>
らしくなってきたなあと感慨深いです。自己肯定度が高まり、自分を引き受けて生きられてきているのだなあと)
*****

 

そんな確信を深めたきっかけは、先日10年ぶりに訪れてくださった、
あるクライアントの方のことばからです。
その方は、私がスピリチュアルなレベルとつながりはじめたころに、
口コミでおいでくださった方だったのですがーーー

 

「10年前、子供ができなくて悩んでいて、はたしてできるのかどうかを大崎さんに相談したのでしたが
そのとき、『ああ、できますよ、それも2人。大丈夫ですよ。男の子と女の子』といわれたのでした。
そうかな、と思いながらも、本当にその通りになったのです。
大崎さんにそのように言っていただいて
『大丈夫なんだー』と、その後、安心して過ごすことができたんです。
大崎さんの言葉を支えにしていました」

 

と教えてくださったのでした。
援助者冥利につきるお言葉に私も感謝することしきりでありました。

 

そこで私は考察したのでした。
私が感受していたものは、そのひとの二次プロセスには違いありませんでした。
(二次プロセスとは、そのひとの自我意識にとっては違和感のある世界であり、
深層レベルで進行している無意識世界のプロセスです)
そして、そのときの私の言葉が、そのひとにとって、
無意識にある自分自身の方向性と一致しているのを(専門用語で「自己一致」といいます)
身体的に感じられるから、(おそらくここも無意識レベル)
「子供2人かぁ」と、自分に言い聞かせても違和感なく腑に落ちて

「ああ、いいんだー」と「安心する」ことができたのではないかと、
私は考えるのです。
(その方の魂の方向性に対する素直さも関係しているとは思いますが。
私などは、自我意識も相当に強いせいでw・・・
一般的にこういうのは、我が強い、というのですよねw・・・無意識の進むべき方向性がわかっていても、
なかなかそこにリンクしていくことができなくて、そのためのプロセスにも相当に苦労を重ねて、
魂のためのカウンセリングを幾度もうけてきていますw)

 

さて、そんな私もこの1~2年、魂の道に従う容量とセンスを心得まして、
現実においてもそのための時間をすんなりと刻むことができるようになってきました。
(以前は、自我の抵抗も大きいせいで、理性的には前進を覚悟して進もうとするのですが、
身体レベルから一致できずに、進もうにもなかなか前進できないというありさまでした。
つまり、身体レベルから一致するには、自我意識も納得できていたり、
ソウルからの叫びを主体者が受け止められていたり
味方につけていたりする必要が大なのです。
ここに心技体の重要性および、
スピリット・マインド・ソウル・ボディの一元化がいかに人生を進みやすくさせるかが見えてくるのです。
逆をいえば、スピリット・マインド・ソウル・ボディのどれかひとつでも異なる方向性を指向していると、
人生は進みにくくてなりません

 

・・・そうしましたら、不思議なことが起きてきました。

 

それは、昨年末から福岡に転勤になった好きな人との関係性に「確信」と「安心」が増してきたことです。
昨年の初秋からまったく会っていませんし、連絡は年明けに年賀状の返信をしたのが最後。
私の好意は「有難い」といいながらも「好きじゃない」とか「付き合いたいわけじゃない」などと
野暮なことをさんざん言われているにもかかわらず(私、もしかして、根に持っている!?w)
私のマインドは、「なんて失礼なんだ!」と腹を立てていたにもかかわらず

 

「きっと、ぽんと連絡くるでしょー」

 

と、安穏としていることができているのです。

 

そしてさらには
「お互いにお互いじゃないと自分が自分になれないでしょー」という自信のようなものも出てきました。
私は彼じゃないとダメだし、彼も私じゃないとダメ。
私を理解し受容できるのは彼しかいないし
彼を理解し受容できるのは私しかいないでしょ。です。

 

たくさんスピリチュアルな本を読んできた私として、異論を唱えたい部分がでてきました。
よく「安心していればそうなる」といい、
「恐れを抱いているとそうなるから、恐れを手放して」ともいいます。
けれども、私だったら、ここには条件と前提があることを、付け加えるでしょう。
「自分自身の魂の道と一致していること」であります。
(つまり、彼との関係性は、私と彼、ふたりの魂が用意していたプロセスにそっているから、
私は妙に安心できていられる、と予測できます)

 

人間の頭脳およびマインドは無意識に狡猾な部分があるように私は思っています。
それは「よし!安心しないとならんそうだから、恐れを手放すぞー」と、
頑張って夢世界にアクセスしてふわふわとん~夢見心地、安心よねー、天使さん☆といったとしても、
それは「恐れ」を手放すというよりも、
「切り離した」(スプリットさせた・分裂させた・なかったことにした)だけにすぎないという点を、
見てみぬふりしているだけであるという部分です。
生来「恐れ」が意図するところもつかみとることができないと、
結局は、砂上の楼閣の「安心世界」にいるだけのこととなり、それは「虚体」でしかありません。
「実体」ではないのですね。
「恐れ」は、人間のソウルのものです。ソウルもふくめて人間であり、「実体」です。
そして、現実を生み出すものは「実体」です。
「虚体」は、ふわふわと地に足のつかない精神の浮遊です。

 

非常に繊細なひだのような部分を私は述べていると思います。

 

ですが、この繊細なひだのような部分もまた、奇跡のような循環のうえに成り立っている人間にとっては
とても大切な部分であるということを、私は主張したいし、
ひとりひとりの夢をただ追いかけるのではなく
<本当に>かなえるために、重要なキーであるということも、理解してもらいたい。
なぜなら、「私」という存在は、千載一遇の奇跡のなかから生まれた命だからです。
限りある命と時間を大事に<活かす>ことせずに、命のともしびが消えていくのを漫然とやり過ごすだけで
本当にいいのでしょうか?

 

何のために生まれたのか?

 

社会が是とする成功モデルのためにではなく
自然界が意図する、あなたが生まれた意味を
あなた自身が見つけ出して、達成していくためではないでしょうか?
それがたまたま社会が是とする成功モデルと一致するひともいるでしょうし、そうでないところに価値のある人もいます。

時代は15年、30年の単位で、陰―陽―陰―陽―陰―――と受け継がれていきます。
いちいち社会が是とするモデルに心を奪われては、
次の時代に社会のメインストリームとして活躍するチャンスを逃す方もでてくるかもしれません。
また、メインストリームになるばかりが人間の生きる目的でもなく、
私がとらえている、魂の究極的な方向性は
「無我の境地で、5つの本能(守備・伝達・引力・攻撃・習得)を完全燃焼させて、次元を高めていく、
徳を磨いて光り輝いていく」ことであり、そこには有名無名、財のあるなしは、
まったく関係のないところで、
自然界(つまり無意識・深層世界・ワンネスの世界)からの評価が存在するとも、
私は心得ています。

 

大事なものは、今ここの自分。
自分自身が、自分と闘って生きているか、どうか。です。
そして、まわりの評価はあとからついてくるものであり、
そして、その評価さえも、取るに足りない問題である、ということ、
私はいつも肝に銘じて、時を刻んでいます。

 

そのためには・・・無意識に知っている<魂の夢>をかなえるためには・・・
「私の命の構成を知る」ことや「私が何者であるか」を身体感覚レベルから味わい、発見することも
重要でありましょう。「魂の地図」や「魂の羅針盤」なしに、「航海の達成」もないでしょう。
あなただけの「魂の地図」を知りたくなったら、「タオセラピー」を。
「魂の羅針盤」を必要と感じるときや「心の器」を大きくしたいときには、
「深層心理の個人セッション」を。ぜひお求めください。
ご連絡をお待ちしています。
contact@fiore-salon.com

2015年4月2日木曜日

自然物そのものたる人間―――問題を感じるときは、おのれの自然に還るとき

タオセラピーの研究にも余念のない私ですが

訪れてくださるみなさまのプロセスおよび私自身のタオと向き合いながら、


 

驚くほど、その通りに生かされていることがあまりにも多く、


 

つくづく「タオは笑っている」とか「自然や宇宙に生かされている小さな私」というのを感ぜずにはいられません。


 

ところが人間のマインドというのがこの「おのれの自然物」を知らないままでいるとき(引き受けることができないとき)


 

自然界は、本人に過酷となります。

極端なはなし、それは「不妊の問題」においてですらである、というのが私の持論です。

(あるいは妊娠の問題だからこそ、かもしれませんが)


 

幸運を感じて生きることができている(精神的にも現実的にも)ひとというのは

観察すればするほど、

自分の自然物の何たるかを深く理解し、

それにそったぴったりの生き様を受け容れ、引き受け、

そのスタイルを通じて、自然界の意図にそって

命を燃やすことができているひとである、というのが、私の結論です。


 

★みなさまからのご相談をおまちしております

contact@fiore-salon.com