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2015年4月7日火曜日

安心と奇跡は、魂の道と一致しているときに

安心できているとき、とか
確信を得ているとき、とか。

 

それは、無意識が、あるいは、魂が。
深くよく知っている自分自身とつながることができているときなのだ、と
私は最近、よく思います。

 

(▼ふくよかな花びらは、安らかさの表れのように私には見えます。)



逆に、安心できていないとき、とか、不安を覚えていたり、ストレスを感じていたりするときというのは、
魂の道からそれていることを、無意識に感じるからこそのサインなのだと、思います。
(同時に、こういうときは、「心の器」が魂の大きさに合っていないことも、考えられます。
その場合は、現実に対処する機能を所有する「心の器」を大きくするためのカウンセリングは不可欠であります。
「心の器」というのは相対関係のなかで「受け止めてもらっている」実感とともに育つからです)

 



(▲最近、自分の顔つきが私の日干支である「己酉(きどのとり)」<六十干支のうちのひとつ>
らしくなってきたなあと感慨深いです。自己肯定度が高まり、自分を引き受けて生きられてきているのだなあと)
*****

 

そんな確信を深めたきっかけは、先日10年ぶりに訪れてくださった、
あるクライアントの方のことばからです。
その方は、私がスピリチュアルなレベルとつながりはじめたころに、
口コミでおいでくださった方だったのですがーーー

 

「10年前、子供ができなくて悩んでいて、はたしてできるのかどうかを大崎さんに相談したのでしたが
そのとき、『ああ、できますよ、それも2人。大丈夫ですよ。男の子と女の子』といわれたのでした。
そうかな、と思いながらも、本当にその通りになったのです。
大崎さんにそのように言っていただいて
『大丈夫なんだー』と、その後、安心して過ごすことができたんです。
大崎さんの言葉を支えにしていました」

 

と教えてくださったのでした。
援助者冥利につきるお言葉に私も感謝することしきりでありました。

 

そこで私は考察したのでした。
私が感受していたものは、そのひとの二次プロセスには違いありませんでした。
(二次プロセスとは、そのひとの自我意識にとっては違和感のある世界であり、
深層レベルで進行している無意識世界のプロセスです)
そして、そのときの私の言葉が、そのひとにとって、
無意識にある自分自身の方向性と一致しているのを(専門用語で「自己一致」といいます)
身体的に感じられるから、(おそらくここも無意識レベル)
「子供2人かぁ」と、自分に言い聞かせても違和感なく腑に落ちて

「ああ、いいんだー」と「安心する」ことができたのではないかと、
私は考えるのです。
(その方の魂の方向性に対する素直さも関係しているとは思いますが。
私などは、自我意識も相当に強いせいでw・・・
一般的にこういうのは、我が強い、というのですよねw・・・無意識の進むべき方向性がわかっていても、
なかなかそこにリンクしていくことができなくて、そのためのプロセスにも相当に苦労を重ねて、
魂のためのカウンセリングを幾度もうけてきていますw)

 

さて、そんな私もこの1~2年、魂の道に従う容量とセンスを心得まして、
現実においてもそのための時間をすんなりと刻むことができるようになってきました。
(以前は、自我の抵抗も大きいせいで、理性的には前進を覚悟して進もうとするのですが、
身体レベルから一致できずに、進もうにもなかなか前進できないというありさまでした。
つまり、身体レベルから一致するには、自我意識も納得できていたり、
ソウルからの叫びを主体者が受け止められていたり
味方につけていたりする必要が大なのです。
ここに心技体の重要性および、
スピリット・マインド・ソウル・ボディの一元化がいかに人生を進みやすくさせるかが見えてくるのです。
逆をいえば、スピリット・マインド・ソウル・ボディのどれかひとつでも異なる方向性を指向していると、
人生は進みにくくてなりません

 

・・・そうしましたら、不思議なことが起きてきました。

 

それは、昨年末から福岡に転勤になった好きな人との関係性に「確信」と「安心」が増してきたことです。
昨年の初秋からまったく会っていませんし、連絡は年明けに年賀状の返信をしたのが最後。
私の好意は「有難い」といいながらも「好きじゃない」とか「付き合いたいわけじゃない」などと
野暮なことをさんざん言われているにもかかわらず(私、もしかして、根に持っている!?w)
私のマインドは、「なんて失礼なんだ!」と腹を立てていたにもかかわらず

 

「きっと、ぽんと連絡くるでしょー」

 

と、安穏としていることができているのです。

 

そしてさらには
「お互いにお互いじゃないと自分が自分になれないでしょー」という自信のようなものも出てきました。
私は彼じゃないとダメだし、彼も私じゃないとダメ。
私を理解し受容できるのは彼しかいないし
彼を理解し受容できるのは私しかいないでしょ。です。

 

たくさんスピリチュアルな本を読んできた私として、異論を唱えたい部分がでてきました。
よく「安心していればそうなる」といい、
「恐れを抱いているとそうなるから、恐れを手放して」ともいいます。
けれども、私だったら、ここには条件と前提があることを、付け加えるでしょう。
「自分自身の魂の道と一致していること」であります。
(つまり、彼との関係性は、私と彼、ふたりの魂が用意していたプロセスにそっているから、
私は妙に安心できていられる、と予測できます)

 

人間の頭脳およびマインドは無意識に狡猾な部分があるように私は思っています。
それは「よし!安心しないとならんそうだから、恐れを手放すぞー」と、
頑張って夢世界にアクセスしてふわふわとん~夢見心地、安心よねー、天使さん☆といったとしても、
それは「恐れ」を手放すというよりも、
「切り離した」(スプリットさせた・分裂させた・なかったことにした)だけにすぎないという点を、
見てみぬふりしているだけであるという部分です。
生来「恐れ」が意図するところもつかみとることができないと、
結局は、砂上の楼閣の「安心世界」にいるだけのこととなり、それは「虚体」でしかありません。
「実体」ではないのですね。
「恐れ」は、人間のソウルのものです。ソウルもふくめて人間であり、「実体」です。
そして、現実を生み出すものは「実体」です。
「虚体」は、ふわふわと地に足のつかない精神の浮遊です。

 

非常に繊細なひだのような部分を私は述べていると思います。

 

ですが、この繊細なひだのような部分もまた、奇跡のような循環のうえに成り立っている人間にとっては
とても大切な部分であるということを、私は主張したいし、
ひとりひとりの夢をただ追いかけるのではなく
<本当に>かなえるために、重要なキーであるということも、理解してもらいたい。
なぜなら、「私」という存在は、千載一遇の奇跡のなかから生まれた命だからです。
限りある命と時間を大事に<活かす>ことせずに、命のともしびが消えていくのを漫然とやり過ごすだけで
本当にいいのでしょうか?

 

何のために生まれたのか?

 

社会が是とする成功モデルのためにではなく
自然界が意図する、あなたが生まれた意味を
あなた自身が見つけ出して、達成していくためではないでしょうか?
それがたまたま社会が是とする成功モデルと一致するひともいるでしょうし、そうでないところに価値のある人もいます。

時代は15年、30年の単位で、陰―陽―陰―陽―陰―――と受け継がれていきます。
いちいち社会が是とするモデルに心を奪われては、
次の時代に社会のメインストリームとして活躍するチャンスを逃す方もでてくるかもしれません。
また、メインストリームになるばかりが人間の生きる目的でもなく、
私がとらえている、魂の究極的な方向性は
「無我の境地で、5つの本能(守備・伝達・引力・攻撃・習得)を完全燃焼させて、次元を高めていく、
徳を磨いて光り輝いていく」ことであり、そこには有名無名、財のあるなしは、
まったく関係のないところで、
自然界(つまり無意識・深層世界・ワンネスの世界)からの評価が存在するとも、
私は心得ています。

 

大事なものは、今ここの自分。
自分自身が、自分と闘って生きているか、どうか。です。
そして、まわりの評価はあとからついてくるものであり、
そして、その評価さえも、取るに足りない問題である、ということ、
私はいつも肝に銘じて、時を刻んでいます。

 

そのためには・・・無意識に知っている<魂の夢>をかなえるためには・・・
「私の命の構成を知る」ことや「私が何者であるか」を身体感覚レベルから味わい、発見することも
重要でありましょう。「魂の地図」や「魂の羅針盤」なしに、「航海の達成」もないでしょう。
あなただけの「魂の地図」を知りたくなったら、「タオセラピー」を。
「魂の羅針盤」を必要と感じるときや「心の器」を大きくしたいときには、
「深層心理の個人セッション」を。ぜひお求めください。
ご連絡をお待ちしています。
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