きょうの夜、はっと人の気配がとんできた方向、歩道の246サイドを振り向いたら、
目の前にいたのは、黒ぶちのメガネをかけた、明●家さんまさん。ばちっと目があい、
条件反射的に思わず「あ、さんまさんですよね」と声をかけそうになってしまいました。
瞬時に「覚えてますか、3年前に番組に出演させていただきありがとうございました」とか、アホなことを口走ろうとした
私の口許の筋肉をきゅっと引き締めました。
(そういえば、まったくご縁がないわけではないのだった!私が10年以上年賀状を交換している方は、この方と近しい)
昔の私は、口が軽いというか、気やすいところがありましたが、
この数年、特にタオセラピーを習得してからは、自分の「干支世界」の通りに生きることを引き受けたため、
街で知人をみかけても、自分から声をかける、というパターンをつとめて控えています。(セルフコントロールです)
タオセラピーでは、私の外の顔は「春を待つ」とか「待ちながら引きつける」という指向性だからです。
(ちなみに昭和48年生まれの同期の方はみな一緒になりますw)
能動性ではなく、受動性と一致してこそ、のエネルギーと私は読み解いているわけです。
ここを積極的に引き受けずに、反対パターンに乗り出すと、思わぬところでトラブルの数を増やすことを
知っているからです。たとえば、「待たず」に「積極的に飛び込む」と、
結果的にその倍ぐらいの遠回りをして「待たされる」方向に引きずり戻されるというように。
ならばはじめから「待つ」ことを私のスタイルとして立脚して行動していた方が、
余計なストレスエネルギーを奪われなくてすむという、人生戦略なのです。
だいたいが私の頭はもともとロジカルなデジタル構築が大好きなタイプでして
下の写真のとおり、デジタル機器オタクに近いものがあります(笑)
(写真は、この春、新たにプラスした、
右:エクスペリアZ3コンパクトと左:iPadAir2)
さて、話をさん●さんに戻します。
きょうみたいに、左足をポンと地につけて左方向に振り向いた途端に、超タイミングよく
真正面にその人がいるというのは
非常に珍しいケースと私は思いました。
こういうのを「インナーワーク」では
「世界のできごとが知らせようとしている神の意図」をひもとくワークを行っていくのです。
そこで探ってみたところ、センシェント(極微)レベルで「六十干支」が気になったのでした。
さっそく、明石家さ●まさんの命式を調べましたら、なーるほど!
この方は、日干支が60番目の干支「癸亥」だったのですね。
じつは私は3年前から「癸亥」が10年運として回り始めたのでした。
このところニュースをみていても「癸亥」の干支を持った世界的な画家にフラートされたり、
さらには、「癸亥」といえば、ユニクロとタイアップしている
イネス・ド・フランサンジュ女史も、10年運として今、この干支がまわっています。
そのおかげなのか、私は彼女のファッションコラボレーションに
おもいっきいりハマってしまいました。
これまたキャスのときに引き続いて、9割のアイテムを買い占めてしまったほどであります。
(ユニクロから表彰されたいw
↓写真は、先日オンラインストアから届いたイネスのお洋服の一部)
「癸亥」といえば、プロテニスプレーヤーの錦織選手や、体操の内村航平選手が、そうです。
というわけで、目の前にドンと「癸亥」の神様が、きょうは現れて
「もっと、癸亥の世界のひととなりなさい」と言われたのだなーと
じーんとかみしめました。
そこで次に気になるのが、「癸亥」の世界がなにか???
六十干支思想をひもとくと(安岡さんの本とか)それなりの説明はありますが、
タオセラピーは、一般化された概念以上の真実は、本人の小宇宙からひも解くことに価値を置いています。
タオセラピーでは、「エッセンスワーク」と称して、
古代中国の甲骨文字に描かれた「字源」を「小宇宙」につながる窓口として
心理ワークを行います。
「癸」の「字源」と、「亥」の「字源」と、私のなかの2つのエネルギーの指向性を重ね合わせたものが
<私だけの>「癸亥」世界への入り口となるのです。
その結果つかみとりましたものは、
「激しくしつこくこだわってアルチザンと化して、世界のすみずみにその思想をいきわたらせる」という類でありました。
感想はただひとこと。
がんばらないとねー。
コツコツ、どっしりのっしり歩く象のように、はたまた
じわじわと進んでいくために目の前に集中している亀のように。
肝に銘じたわけなのでした。
身を引き締めて、今日はこの辺で。
おやすみなさい。
明日も確かな一歩でありますように。
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