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2010年4月12日月曜日

日吉とセドナ。場が示す共時性と布置されているものを読む~過去の足跡から



抜けるような青空を背に、花びらを幾重にも折重ねて、たわわに枝をしならせているのは、お見事な八重桜。


場所は、神奈川県日吉にあります
慶應義塾大学のキャンパスです。




今朝の雨空とは対極的でしたね、
昨日の日曜日は。気持ちのいい小春日和でした。



14年ぶりに足を踏み入れましたヨ(@-@)




この初夏に私がプロデューサー役をつとめることになった(…といってもほとんど20期の大先輩さまが仕切ってくださっていて、私の仕事のほとんどはサポートすることでしかない、いやそれさえもままなってない???)
慶應義塾大学在学中の所属サークル「放送研究会」OB・OG会「放研三田会」のからみで、「新入生歓迎発表会」を拝見にうかがったのでした。
今年で設立65年目を迎えるとのこと、私は47期の卒業生ですから、ひとまわり以上も若い元気な感性にふれてきたわけです。


左の写真は「塾生会館」ですね。(懐かしいや。無茶苦茶をたくさんやっていたアホな学生時代――― 私は相当に分裂症的だったと思う(笑)―――が思い返されて、しみじみ。時の川をずっとずっと泳いできたかのようような気がして、これまでの流れと歩みをつと振り返るのでした)

2Fの大ホールに午前中からびっしりと若い学生さんたちが所せましと座っていて、驚きました。
写真はDJ番組のご披露中です。限られた製作費のなかで、創意工夫のあとがあちこちにみられて、ほほえましかったです。純粋に創ることを楽しんでいる姿勢は、今の私にとても必要な(取り戻したい)エネルギーでもありました。あらためて「バカといわれるぐらいおかしなことやって、人と違うことをたくさんやって生きることが、クリエイティビティの真髄だったよな。自分の中にあるトリックスターを存分に開花させることが、クリエイティブ魂の本質だったよな」などと感じられて、素直に良かった。


「縁は異なもの不思議なもの」といいますが、“たまたま”私の席の前にかけた新OG1年生(61期)のきれいな女性が、この春に読売新聞社に記者さんとして入られたのことで……。
私のところ(恋文屋.com)をこれまでにご取材くださっている新聞社さまは、90%以上が読売新聞社系ですから、“たまたま”もあまりにも重なると、“必然”のように感じられてきます。
(明後日も読売新聞のサイト「大手小町」内の情報動画番組の取材・撮影です)


そんな不思議なご縁も、この週末には、もうひとつ。


セルフ(自己)とつながる感動を人生で初めて私に教えてくれた、
アメリカのアリゾナ州セドナのご縁です。
写真は、セドナ一人旅のときのものです。あいにくの曇り空でなのと、この写真では到底伝わらない、すごさがこの土地にはあるので、よかったらリンクしたHPをご覧いただけたら嬉しいです。


2002年のころ私はずーっと口癖のように「力がほしい」と言っていました。
現代社会を生きる日常的な自分にずっと違和感があって、“何か”に渇望していました。
その“何か”がずっとわからずに彷徨うように奔走していたわけですが、
当時『COSMOPOLITAN』という雑誌のライターをしていた私は、
親しい編集者が、ヒューマン記事で某スターメイクアップアーティストの方とセドナ取材にでかけたときの逸話を直接耳にして、「ここだわ!」と、直観。勇んででかけたのでした。ひとりで。


そこにあったものは、ネイチャーの強大なパワーでした。
宇宙とひとつになる歓喜でした。ナイアガラの滝が天空から落ちてくるかのような衝撃でした。
地底から、マグマが噴出すかのような、エネルギーの爆発を全身で受け止めました。
滞在していた5日の間、毎晩私は嗚咽しながら涙を流し続けました。
歓喜の涙を知ったのは初めてのことでした。
悲しくもないのに、涙がひたすらあふれては流れ落ちるのです。
見た夢は、母親の子宮からワールプールのように、滑り落ちていくというものでした。
おまけに1年後、母の告白によると・・・・・・
「そういえば1年前にあなたがアメリカに渡っていたとき、
私は、あなたが赤ん坊になって泣き続けている夢を見たわ」というのです。


エネルギーがいかに時間や空間を超越することが可能であるか。
われわれは、ひとつのものから発生している存在なのだ。


そんなことを教えてくれたような気がしたものでした。


無意識の世界や魂の世界でどんなことが起きているのかについて
いろいろと学びを進めてきた今だからわかります。


あの感動は、日常を生きる自我を超越した、
セルフのど真ん中につながった証だったのです。


あの感覚に、今ふたたびつながりながら、言葉を紐解くと、こんな言葉が浮かんできます。


「私たちはみな宇宙の子」


これをしっかりと目を開けながらも自覚しつづけることができるとき、
すべては時間をかけながらも「奇跡」(=現実的な悩みやトラブルから解放された世界のこと)に近づいていくのであろう。


そんな確信を呼び覚ましてくれます。


この1ヶ月ほど
「だいぶ私もセルフが求める生き方に近づいてきたし、
もう1度、セドナに訪れて、大自然そして自己とふたたび直面したいなあ。
あともう一歩のパワーは、セドナの大地と大空が教えてくれるかもしれない」
などと思っていたのですが……
この週末に、高校時代の同級生が人生相談に訪れ(なんとこちらは18年ぶりの連絡&再会でした)、 その彼女は、2週間後にセドナに引越し、そちらでエナジーワーカーとしてがんばっていくというのです(!)。


その彼女はもちろんですが、私も呼ばれてるよなぁ~~~。セドナに。うーん。


そうそう。魂は、とても正直ですから、外界の刺激に対してとても素直です。


私は忘れていたのに、彼女が覚えていた、私の18歳のときのセリフはこんなものでした。


「(高校最後のとき将来について学級のみなで発表しあっていたとき)


私は、自分らしく個性をもって生きたい。
けれども母親のいう『普通の人生もいいのよ』という言葉にゆれる。
そのどちらにしようか悩んでいる」


彼女いわく「なぜかわからないけど、ただそのセリフだけを覚えている」というのです。


彼女の魂もまた、「普通 or not普通」というテーマを持っているからなのだと、
心理セラピストの私は見て取ります。


・・・そして、そのことを教えてもらった私は・・・・・・


「なーんだ、私ったら、18才のときから、同じテーマで悩んでいるんじゃん!(笑)」
(つい1ヶ月前まで、私は心理のトレーニングを受けていて
「大崎さんは普通じゃないよ」と師匠に言われると「きゃー、やめてー」と身もだえをしていたw)


面白いことに魂のテーマは、
自分の描いてきた“軌跡”に布置されまくっているわけですね。
ヘンゼルとグレーテルがパンくずを落とすように、
私たちは魂の片鱗をちょっとずつ人生の道程に落としてきています。


けれども最近は私も変容してきていますよ。
自ら心理のトレーニングを受け続けているおかげです。
無意識に眠っている自分の言い分を、
専門家の介在のもと、しっかりと意識化してきているからです。
not普通であることを受け容れて、むしろ誇りに感じることができるようになってきました。


私のもっとも苦手だった
ブログも
このように自己を表現することも、楽しくなってきたぐらいですから!


「私」という魂を映しかえしてきてくれている
過去と現在のまわりのすべてのひと、もの、できごとに、
心からありがとう!!!


感謝の花束を、遠い空に向かって
おもいっきり投げたいほどに。

2 件のコメント:

  1. ぴこたんさん、
    コメントをどうもありがとうございます。
    ぴこたんさんが「素敵」と感じてくださった部分が
    きっとぴこたんさんの魂のテーマかもしれませんね☆

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