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2010年10月25日月曜日

恋する相手の中に自分の一部を見つけるからこそ、それを慈しむのが大事。

今日は、トルコキキョウを仏様にお供えするお花として購入しました。

私は特にひとつの宗派に属するわけではありませんが
神仏をはじめとして、目に見えない人智を超えた力を深く崇拝しています。

といいますのも、それは私の一部を構成する大事な要素だからです。
私は目に見えない人智を超えた力によって生かされておりますが、
それはけして外にあるものではなく、
私の内側にあるものだと感じています。


私は私を大事にするためにも、

私と関わる大切な人々や、好きなモノやコトを
慈しむのが大好きです。

美しい花を見つめるとき、
そこに私に秘められている美しさへの可能性を
感じることができるからでしょうか。

私はとても豊かな居心地のよさを味わうことができます。
私の目指したい方向性を、その美しい花が私に教えてくれるのです。

最近も、私が私になる感覚を高めてくれた香水に出会い、
一目ぼれ買いしてしまいました。

カルトゥージア トワレ フィオーリ ディ カプリ(Carthusia FIORI DI CAPRI)』

イタリアのカプリ島の花々の豊かな香りが
純度の高い状態で製品化されているからなのか、
地中海の揚々と明るい日射しに培養された草花の歌声が
とても自然に私の体に響き、なじむかのようなのです。

つけた瞬間に、私の内なる豊かさや恵みがパーっと軽やかに花開きます。
華やかに風に舞う、幾重もの花びらのように軽やかに、遠い夢の世界に今すぐにも駈け出していってしまうかのような、心地よさと瞬時につながることができます。

もちろん、この香りに対する感想は十人十色だとは思います。

ただ、私が嬉しいのは、私のこころがこの地球上にある、その豊饒な大地に恋することができるということ――‐、
すなわち、私にもその豊かさや恵みの可能性が眠っているということに気づくことができたからです。
私が人生をもっと私の好きなように生きることができるようになるのには、
この香りのエッセンスを自覚的にふるまっていったらいいのね!

あたかも私がそのカプリ島の花々になったかのように生きているとするならば――‐
あるいは、その花々の心になりきって、今この瞬間を生きるとするならば――‐

こうして、想いを綴りたくなるのが、私なのです(^^)

この10年ほど、自分の想いを綴る気がなかなか起きずに避けて通ってきましたが、
花々が教えてくれることには、
たとえたどたどしくても、私は自分の想いをまっすぐありのままに表現しているときが
もっとも快活で、次なる計画にも前向きになることができるということのようです。

そうそう、私たちが誰か(や何か)に恋をするとき、
それは私たちの中にまだ隠されている
本当の自分の姿を教えてくれているのであります。

たとえば私が今、気に入っている彼に「私が」見ているものは
(心理学用語では“投影”といいます)
「華やかさ」だったり「無邪気さ」「快活さ」「優しさ」
「感受性の強さ」「行動力」「社交性」「個性の強さ」などなどたくさんありますが……。
どれも彼の一部であると同時に、私の一部でもあるのです。
私がまだ自分のものに仕切ることができていないものも、たくさん彼は持っています。

それに「恋している」と知るならば、
まずは私自身がその要素をきちんと今こことで生きることができるようになることが、
ふたりの関係をより豊かなものに変えていくうえでとても有用とも思っています。

なぜなら、恋して、その自分の投影した要素を、相手から受け取ろうと、
相手にあれこれと求めすぎなくても、
ちゃんと自分の内側からその要素を生成することができるからです。

このように精神の自給自足ができている恋愛は、
相手にとって快適な距離感をキープすることをスムースにします。

わかりやすくいうと
「求める恋」や「相手からエネルギーを奪おうとする恋」
「自分の世界観を相手に押し付ける恋」に卒業できるわけです。

そうなると
相手に与えることが苦じゃなくなります。

与える恋愛(おせっかいやくのとは違います。相手のニーズにそう関係のことです。あ、相手がおせっかいを望んでいるのであれば、うまくいくでしょうけど)は、

相手の快適さを引き寄せますので、うまくいかないわけがありません。

ご参考にしていただけたら嬉しいです。

私はこれからハマっているゲーム『信長の野望』を1時間ほど(^^)/
桶狭間の戦いの半年前までに領土を5つに拡大できてしまったので、超夢中☆1日の終わりの楽しみ♪

2010年10月20日水曜日

無意識を信頼していますか?オンリー1の命を生きるキモ

上に向かってまっすぐにのびようとする草木のように、
無意識はいつでも現れたがっている。
いや、意識ではわからないところで、すでにそれは「在る」のです。
私たちの命の秘密を一生懸命に教えようとして。
「うえを向~いて、あ~るこ~♪」

かなり古いですが、故・坂本九さんの名歌よろしく、

私としては

「無~意~識を~、しーんじて、あーるこー♪」

です。
(▲いったい、どんな曲調なんでしょか、これは!?)

今日のクライアントの方とのお話しのなかで

ぱっと私の口からついてでていた言葉

「無意識を信じようよ!」 。

我ながら、俯瞰のカメラでそれをとらえつつ

「そーだよ、そーだよ」と感じ入ったので、ポストします。

簡単に説明すると、

他者に対して距離をとること = 冷たい人間に見られるのではないか

という恐怖心にかられるせいで

おもいっきり面倒見がよろしく、
相手の感情を過度に請け負ってしまうために
ぐったりストレスを感じるというお話しだったのですが……

対話の受止め手である
私には、
微塵もそんな空気が伝わってきません。

むしろ、大きく相手を包み込もうとする
度量の広さみたいのが、

むおーーーーーんと、
その方の背後に空気として現れています。

私には心を開いて話して下さっているからという部分を
省いて観たとしても、

この空気は、
ご当人にしてみれば、かなり無意識からのもののよう。

「この無意識のエネルギーは
他の方の前でも作用していないはずがない類だわ」
ととらえた私が、

「無意識を信じようよ」と思わず言ったわけでした。

私たちは、日常のなかの

表面的なやり取りをみては、不安を感じることが、多々あるのではないでしょうか。

ですが、これは「自我」レベルであり、「意識」のレベルでの葛藤です。

それ以上に、大事なのは

私の愛犬ポリーです。
このまっすぐな瞳をみていると、
私もこんな風に純粋な想いといつもつながっていたいと
私の本当の「想い」を教えてもらえるのです。
自分の中の

「熱い想い」


「生きざまの信念」


「人生で大事にしていること」

そういったものへの信頼を寄せるだと
私は強く確信しています。

なぜならその「想い」は、
その方の本質からこんこんとわき出でているものであり、

たとえ、どんなに身を飾って誤魔化そうとしても、
本人の自意識がどんなに「そんなものは私にはない!」と主張したとしても、



その「想い」はいつなんどきも衆目の的にならん、と見事に現れ出ているものです。

だからこそ、
自分の無意識を信じ、想いを信じ、
信念を信頼すること。

そうすれば、現象的に現れる
いろんなことは些細な、ただそこにある事実として
受け容れ易くなるのかもしれません。


御釈迦様が、菩提樹の元で悟りを開くときに、
たくさんの誘惑にそそのかされても、「立ち去れ!」と
けして誤魔化されることがなかったというエピソードもありますよね。

表面的なやりとりは、あくまでも表面的なものでしかありません。
けれども、もっと大事な深層で
私たちは突き動かされていることを忘れてはいけないと私は信じています。
表面的なことは、その深層の想いが、歪んだ形となっているにすぎません。

そして、私たちは本能的な嗅覚を持ち合わせており、
すべての人間は無意識の深いところでつながっている存在です。
ひとつです。
恐れる必要は何もありません。
表面的なことに付和雷同する必要もなく、でんと構えて、自分を信じること……。

企業のマーケティングは、意識レベルで行われていますが、
それでも大多数へリサーチをはかれば、集合的無意識がそこに垣間見えることでしょう。

ミリオンセラーをたたき出すアーティストは、神様と言われますが、

自分の中の熱い源泉へと深く降りていき
井戸水をくみあげるかのごとく、
現実で形にするからこそ、
たくさんの人の心を打つのであり、

その深さが、「自我」から遠く離れていれば離れているほど、
集合的無意識に大ヒット!!!

というからくりのようです。


さて、少し話がそれましたが、


そんなわけで誰もに存在する「無意識」。


仲良くすると、たくさんいいことあるよ。

…と、平たい言葉でお伝えしたいです。

ユングも言っていますが、
まず、あなただけの「無意識」はいつなんどきも現れたがっています。

「無意識」が現れるチャンネルは複数あります。

●視覚(夜見る夢もこのチャンネル)
●聴覚
●身体感覚(身体症状)
●何気ない動作(体の動き)
●人間関係
●外の世界
など。

自分が普通に意識したり、判断したりする範囲では
とうていキャッチできないであろうこと、もの、違和感などに遭遇したら、
それをとても大事にします。

そしてこんな風に自問自答します。

「私の中のどんな声が、どんな役割が、
そういうシグナルに心を動かしているのだろう?」

その答えに、
無意識からのメッセージ(意図)が隠されています。


たとえば……

なかなか会えないので
「身につけるもので、一番大事にしているものを頂戴」
とおねだりしたら、くれた指輪。
彼は「セールで見つけた安物」と言っていたけど、私が
自分の深い「想い」につながる大事なチャンネルとして愛しんでいます。
昨夜、私の夢に、1カ月以上もご無沙汰してしまっている
私の好きな彼が出てきました。
不思議なことに、こんがり真っ黒、つや光のする肌の色になっていて、
少しやせ細って、体のラインがシャープになっています。
「だ、だいじょうぶ??」
夢の中の私は言っていましたが、
本人はケロリとしていました。

朝、起きて、「なんだ、なんだ?」となり、
さっそくこの夢とワークをします。

一番気になったのは、夢の中の「真っ黒つや光してやせ細った」彼です。(当たり前!?)
そこで、私がこの彼を演じるなら、どんなセリフが出てくるであろうかをチェックしました。

「もう大変だよ、ぎりぎりのところを走っているよ、
でも僕はこれで男として自分を立証して見せるんだからね!」

というセリフを感じられたのでした。


この私の夢の中の彼は、私の中の一部ですが
時間と空間と距離を超えて
無意識で私と彼がつながっていることを信じるなら

…少なくとも、私が感じている彼への素直な気持ちや熱い想いを信頼するなら……

そろそろ彼にエールのメッセージを送るタイミングがきているんだろうなぁ~、という
カンに変わるのです。


そして、この「無意識」のサインは、大変、固有性の高いものです。

誰かの事例はけして当てはまりません。


たとえば私の母はせっかちなタイプなので、
「そんな1カ月も連絡くれないのは、あなたのことが好きじゃないのよ」
とそそのかし(心配し)てきますがw

私とこの彼の間にあるものは、
私の母と私の父の間にあるものとは
当たり前のように異なるわけです。

だから、そんなときこそ、私は自分の周囲に存在する
無意識チャンネルに意識を向けるようにします。

オンリー1の答えを教えてくれるからです。


P.S.
ちなみに、この「無意識」を、深いところでキャッチできて、
それを視覚化するのが得意な方は、
ドリーン・バーチュー博士がいう「天使」や「フェアリー」という
存在としてキャッチすることもあるかもしれません。
彼女が「天使は誰にもいて、私たちにメッセージを送ってくれている」というのは、
ここに通じるのだと、これまた確信。。。
日本の場合は、やおろずの神々が、そういう存在に値するように思います。

ゲーム『信長の野望』に学ぶ「今を生きる」姿勢

ユングの唱えた錬金術の発想からいうと、

「忌み嫌うものの中に宝がある」

といいます。

近頃、私はまた自分がここ20年近く忌み嫌ってきたものを

あえて選択してみました。


それはKOeIさんが出している大ベストセラーゲームの『信長の野望』です。
(私が買ったのは、天下創世バージョンです)


錬金術の論理からすると

「ひょっとすると、ここに今の私への本質的な答え見失われた自分の一部があるのでは?」

と、ふと直感したからです。


といいますのも……

約20年前、私はこれで、
大学受験に失敗したからです(笑)

当時、私の大本命は東大の文Ⅲと
早稲田の一文でしたが、

慶應の受験が終わった瞬間、きゅーに風船がしぼむかのごとく、疲れがどっと出てしまいまして……
気分転換にでもと、母が持っていた98ノート(当時はまだWindowsが出る前でした)に
初代『信長の野望』をインストールしたら、
もののみごとに、はまってしまったのでした。
気分転換のはずが、“脱線”しまくってしまい、
早稲田の試験までのまる2週間すべてゲーム漬へと堕ちていったのでした(T-T)
 嗚呼、わが青春……。

そして、もともと私は自分に自信がないせいなのか、
本命を避ける傾向がこのころからあり、
受かりっこない「東大後期試験があるからいーよ」などとタカをくくり、
肝心の早稲田の受験を無視することを決めたのでした。
(ああ、今ふりかえっても、お馬鹿さん)

よって決定した、慶應義塾大学生活も“脱線”の連続でして……

おおもととなった我が選択『信長の野望』をずーーーーーっと
忘れたい過去の産物として、避けて通ってきていたのでした。
笑い話にこそしていましたけど。
それ以後、ゲームを選択するライフスタイルとは程遠かったというのもありますけどもね。

さて、ここで注目すべきポイントがあります!

それは、そこまで自分を見失わせてしまうほどの
私にとっての『信長の野望』の吸引力です。

何かが貝合わせのように、私のなかでカチッとハマってしまったから、
そこまでの非常識な脱線が発生したと、今だからこそ振り返ることができます。

して、その要素とは????

その要素をつかみ直すことで、

私の本質(ネイチャー)がじつは求めているものとご対面できるはず!!!

ジャ、ジャーン!!

ふたたびゲームの扉を開けてみて、続々と発見したのでした!!!!

1:足場を固めないことには、敵陣に攻め込めないこと
まずは、足場を固めることが、超大事!

2:しかも、足場が固まるのには、大変長い年月を必要とするのです。
1年のうち春に税金がおさめられ、秋に兵糧がおさめられるのですが、
2~3年ぐらいへっちゃら。あっという間。
じっくりと時間をかけて、やっとそこそこ隣国を攻略してもなんとかなるだけの
物資がそろうといった具合なのです。

ここで、私はものごとは、じっくり、
 じっくりあたためてこそなのだと、痛感しました。

とかく、すぐ結果をみたがる、私の焦りんぼ気質にはよい人生勉強です。

3:忍者をつかった情報戦を展開していくのですが、
これまたしつこく、しつこく、です。つかまっても、つかまっても、何度でも送り続ける。
そして、そのなかから、自分と同じ毛色の武将の寝返りを計っていきます。
桃太郎さんのお話しもそうですが、
自分と同じ(共鳴する)仲間を探す旅でもあるのだと、思うのです、人生は。

4:さらに、他国の大名との外交戦略も、重要です。
「3」のように忍者を使って、内部をかく乱して敵の勢いを弱めて
(その国の大名はその間に、そっちに気が殺がれますので、
自分の国に立ち入らせる勢いを与えない)
共に闘ってくれる大名を探すなどします。


この1~4って、今の自分のサロン運営および
心理カウンセリングの有用性の啓蒙活動にも同じことがいえるわ!
とわが身を反省したのでした。

面白いのは、いったん「忌み嫌う」と
その対象が持っているパターンをすべて手放してしまっている点です。

私は、1~4の現実を生きるうえで、とても重要な要素を
避けて?いや、さぼって?通ってきておりまして、

この3年間、このサロンを運営することができているのは
すべて受け身のスタンス!!
「いいのか、それで?」と自問自答はしていましたが、
それでもどうにかここまで泳いでこれたのは、
奇跡としかいいようがなく、
すべては支えて応援してくださっている、みなさまのおかげにほかならないのですが、、、


そろそろ私は「始動する」タイミングがやってきたようです。

今までは機が熟していなかったから、それでよかったのかもしれませんが、

自分のあらゆるテーマがクリアになり、
自我と自己が統合され、個性の枠組みがハッキリとした今、
エンジンかけにゃーなーと思っていたからこそ、
ふと、このかつての「忌み嫌っていたもの」を選択する気になったのでしょうね。
無意識からの観点でいうと。

そこで早速、私は、今年に入ってお知り合いになった
慶應義塾大学時代に所属していたサークルのOBにコンタクトしました。
とても顔の広い方なので
ビジネス相談にのってもらおうとすると……
(↑外交のつもりw)

びっくりしました。今ほどメールのお返事をいただいたのですが、
私が今度セミナーを行う、鎌倉市役所の市長さまとの会合が
私のセミナーの翌日にちょうどある、との話(@¥@)

すごーーーいーーー、シンクロニシティーーーーーー。

そうなのです、無意識のシグナルの足跡を、
あたかもパンくずを拾っていく
ヘンゼルとグレーテルのように辿っていと、

ビンゴの鐘が鳴り響く、奇跡に遭遇することしきり。
(たくさんのクライアントの方の証言からも確信しています)

この大先輩は大変、御顔の広い方なので、その姿勢を学ばせていただかないとなりませんねえ。
やっぱり外交って大事!

(ビジネスマンには当たり前でしょうけどもね。
私はリクルートにお勤めしていたとき広告の営業担当だったし、
その頃は大変な社交家だったはずなのですが、
泣く泣く、私の頭でっかちのせいで強引に広告営業の仕事を頑張って
自律神経失調に至ったという、プチトラウマのせいで
この外交ってやつも、思いっきり手放してしまってたんだなあぁ…と振り返る)


ともあれ、この1~4を駆使して

お坊さんに仏敵と言われようとも
「今をひた走りに生きる」信長の生きざまに惚れ込んで(?)
うつつをぬかし、大学受験まで棒にふったのですから(笑)、
そのままそれを手放してしまってちゃ、悔しいっっ。
さほどまで惚れ込んだ生きざまを、しっかと頂戴せねばー。
ゲーム『信長の野望』を通じて、バーチャルにその感覚を体感中です。

そういえば、私が今大好きな彼も
「あの世なんてどうでもいい」という現実派です。
結局、私のセルフ(自己)は、
外界の刺激に対する投影を通じて
「現実を生きよ」、と私に指令を出し続けているのですね。
私の頭はどちらかというと
「この世なんてどうでもいい、あの世が大事」に傾きすぎるところがあります。
ですが、そればっかりでも、本当の私は居心地が悪い。

それを教えてくれたのが、
20年後に再会した『信長の野望』だったのです。


……でも、このゲームをきっかけとして(?)
慶應に入ったからこそ
今度コンタクトさせていただく素敵なOBの方との出会いもあったわけですよね。
そういう意味では
心で「忌み嫌っていた」としても、反転すれば、
このゲームは豊かさも運んでくれているわけです。

かなり「風吹けばおけ屋が儲かる」式の論法ではありますが、
縁は異なもの不思議なもの~。
まさに、禍福はあざなえる縄のごとしです。


人生の道のりに落としてきた大事な忘れ物、
このブログを読んでくださっている
あなたも、今「忌み嫌っている」モノの中にあるかもしれませんネ。

どんな「忌み嫌っている」モノがパッとひらめきますか?

そんな「見失われた本当のあなた」を見つけ出して、
現実の自分との折り合いをつける方法を
サポートしていくのが、今の私のお仕事です☆
毎日をグンと生きやすくするカギを握っています。

さ~て、これから1時間ほど、
ゲームの世界にいってきます。

頭がからっぽになって、今日一日のいろんなストレスもすっきり、しゃっきり。
寝つきがよくなるのも、お気に入りです。

2010年10月18日月曜日

河口湖でセルフケアセミナーを行いました。

㈱マウスコンピューターの社員のみなさま
土曜日の午前中は河口湖で株式会社マウスコンピューター様
セルフケア・メンタルケア研修の講師をつとめさせていただきました。

総勢150名強の方がそろう「場」の力に
後押しされて(助けられて)、
めいいっぱい、今の自分の中にあるもの、
実際の個人セッションで多様に発揮している智慧(アイディア)を
ご紹介させていただいてかえってきました。





テーマは「自分を大事にする方法」について。

自分をケアするというのは、
自分のありのままを愛することです。

完全な人間を目指すことではなく、
自分の全体性を見つけていくプロセスです。

そのためには自分と向き合い、自覚を深めることがとても有用である
お話しをさせていただきました。
(一般に、自省自覚といいますよね)

そのためには
自分の全体性というのを
どのようにすれば生きることができるのか?

ユングのとらえた、つかみどころなき無意識、
そして、あまりにも無自覚すぎてしまうと、
逆に無意識に私たちは殺されかけてしまいかねない、
というお話しをイラストやアート、フィギュアの写真なども使って、

みなさんに6つの心理ワークに取り組んでいただきながら、

わずか2時間のなかで、
セルフケアのキモをお伝えしました。

猛威をふるい、たえず現れ出たがっている
無意識の神様の前で頭を垂れている、
ユングが描いた絵
●自分の感情(無意識的なシグナルもふくめて)に注目して
あたかもモノと同じように大事にすること





















シャガールの絵画『ロミオとジュリエット』に投影してもらって
個人個人がいかに独自のフレームを持っているかを
みんなで共有しました
●隠された感情は、多角的なフレームを用意することで浮き彫りにされること

●同じものや人、出来事に対して、私たちが判断・認知をする、フレーム(世界の切り取り方)は千差万別で、ひとそれぞれめいめい勝手に(←個人が背負ってきた体験や環境の影響のもとにあります)持っているものであること

●客観フレーム、主観フレーム、守りのフレーム の体感

●なかでも守りのフレームは、
メンタル護身術のエッセンスが大。

私たちをストレスのもとからガードするうえでとても重要です。

自分が守ってもらいたい恋人や母親の
心象風景を大事にしてもらいました
好きなフィギュアを選んでいただくワークを行いながら、自分の内側に見つけていただき、
体感していただきました。

●更に、コミュニティのフレームと、個人のフレームの「境界線」を自覚するワーク

「境界線」を持つことも「メンタル護身術」のうえで重要です。
「境界線」を意識したうえで、そのコミュニティの役割(ロール)を担っていくことで、
無境界のまま、ロールを請け負うよりも、はるかにストレスフリーになります。

すごい!ホテルにはこんな富士山のベンチソファが!(笑)
●そして……自分を理解してくれる相手を見つけること。

マズローの5段階欲求説にもあるように、
愛情・所属欲求は、私たちの心のベースにあります。

「誰かと自分のありのままをシェアしあうことができている」


「自分の居場所を確かめることができている」

これは、ストレスケアのためには不可欠です。
もしも、この気持ちを抑圧しているとしたら、要注意です。

私たちが理解してくれる誰かを求めることは、大変自然だからです。


研修所となった「静岳ホテル」では小花が輝いていました
最後にステージ袖で小松社長様
「お話し、上手ですね」とお言葉をかけていただき、
恐縮しつもも、本当にうれしかったです!!
どうもありがとうございます。


㈱リアルビジョンの営業担当
後藤さんにとっていただいた
このセルフケアの原理をお伝えしながら
一番、セルフケアされたのは私だったのだと思います。

なぜって?

帰宅してその日の熱がカームダウンされはじめたころ
ふたたび私が自己を内省していると、
これまでまったく日の目を見ることのなかった
私のなかの

「のんびり、無邪気な本当の自分」

を見出すことができ、
ストーンと肩の力が抜けたのを
感じることができたからです。

このパートは、私の中核にあるもののようで、
かなり深いところからくみ上げた実感が高く、
まさに150名ものヒューマンエネルギーの
大きな刺激を受けることなしには、
見つけられなかったものと感動してしまいました。




昔から、ミュージシャンがライブで
聴衆からパワーをもらう、という言い方をなさるのを聞いて
「どんな体験なのかしら?」と首をかしげていましたが、
なんとなくこういうことなのだろうなと感じたのでした。

貴重なステージをくださった、
私の内なる無意識、社会全体を支えている集合的無意識、
そして、天地のすべて、

すなわち…
日頃から営業してくださっている
組織のメンタルヘルス総合管理支援パートナー、
㈱リアルビジョンのスタッフのみなさまもふくめて、

心から頭を深く垂れずにはいられません。

これからも一人でもたくさんの方の
見失われた自己を回復するお手伝いして生きていくことができることを
願っています。