「私たちはみな表現をして生きている」と
昔あるところの世界的に有名な心理学者が
そういった
どのような表しかた、現象のでかた、
巻き込まれていくできごと、そのたもろもろであっても
私たちの【存在】の方向性のひとつである
「表現したい」指向性の結果にすぎない
多くのひとは「表現する」ときくと
何か特別な作品を創造することを
想像するかもしれないが
じつは必ずしもそうでもない
特別な作品であってもそうでなくても
「どのように24時間を使っているか」
そのすべてが、その命、独自の表現なのである
そう考えてみると、どうだろうか?
しかも
その背後で動いているこころは
いずれも
「私を認めてほしい」
「私をわかってほしい」
「私は許されたい」
「私は注目されたい」など
すべての表現は
「愛を求め補おうとする」物語を
輝かせるためにあって
現象そのものに
大きな必要性が
あるわけでもないことのほうが
しょっちゅう
さらに
どのような表現であっても
それがまわりから悪しきと評価されようが
金メダル級と絶賛されようが
その根っこにある思い(元型)には
それほど大きな差はないのではないか
どのような表現も
「愛のドラマ」を伝えようとしている
「ねえ、私はこれほどまでに世界を愛しているのです」
「ねえ、私をどうか素晴らしいと愛してください」
このふたつの思いのどちらかが優れていて
どちらかが劣っているということもない
このどちらもが人間としての
すこぶる自然なハートの動き
どちらもほめたたえるべき、美しい、命のほとばしりで
同時に忘れてはならない
自然界にあるものとして……
「愛している」
「愛してほしい」
その想いの反対側にあるものを
この想いを支える大事なこころの世界
「憎んでいる」
「恨んでいる」
「大嫌い」
自覚的に
意欲的に
「表現して生きる」ことを望むのであれば
憎しみや恨みや嫌悪の想いも
慈しみ憐み大事に抱っこできるようになるといい
醜いと思われるものを
醜いままに
幼子の髪をそっとなでるように
優しく慈しみ、憐れむといい
腹からの力は
「すべて」を愛せるときに
宿される
人間のあるまま
人間の限り
人間の混沌
人間の豊かさ
人間の機知
どれひとつとっても
あなたの力にならないものはない
そのすべてが「表現」されることを
待っている
あの真っ黒色をした
夜空の向こうで
きらりと瞬く白い星たちが
何億光年もの昔から
あなたにこそ
「私」を表現してほしいのです、と
だから。
天高らかに
あるままを羽ばたかせよう
歓喜のラッパが
ファンファーレの高鳴りを轟かせて
あなたを祝福するでしょう
恐れなくていい
怖がらなくていい
その表現が
あなたの純粋なところからきていれば
現実を生きるための
なにもかもは
何億光年もはるかかなたの星々が
そっとあなたの枕元に
用意してくれるから
ゆっくり安らかに
眠りましょう
明日になれば
また新しい風がやってくる
あなたは
この大空の
この大海原の
この広大な大地の
すべてを愛せるか?
あなたの「表現への愛」が
奇跡を運んでくれる
もしも
「表現できない!」
そんな苦しみの中にいるのであれば
表現できない魂にも
愛のまきをくべてあげましょう
どんなにかすかなささやきも
私は見逃さないで確かに受け止めながら
見守っている
だいじょうぶよ、
あなたは今「表現できない!」という一瞬を
表現しているのだから、と
時がくればちゃんと
なされるべきことは
なされるでしょうから
だいじょうぶよ
一生懸命に「表現できない!」ことを
表現したおしなさい
風が次の旅先を告げてくれるときを
待ちましょう
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