今週の御仏花から。花びらの一枚一枚があるから、 そのあるがままの美しい姿があるように。 みなさまの花びら一枚一枚をていねいに 見つけだし描きだすお手伝いをするのが、私のお仕事です。 |
先週「うつは新機軸のチャンス!」とお伝えしました。
そのなかで「後日」とさせていただいていた
私の先々週のプチうつ脱出のプロセスを
きょうはご紹介します。
答えはかの名曲中の名曲!
「Let it be」の秘密を知ったことにありました。(私の場合です)
暗中模索をしていた作者のポール・マッカートニーさんは当時、夢のなかで亡くなった母親から「let it be」と諭され、それを曲にしたのだというエピソードがTVで流れていました。そうしたら、世界的な大ヒットにつながったのでした。
精神分析的に申し上げますと、
大ヒットする作品というのは、
深い無意識にしっかりとつながることのできたものから生まれ出でると考えられます。
なぜならユングのいう「集合的無意識」にがっつりとアクセスすることになり、
すなわち、同時代同社会を生きるひとたちの無意識下におなじように眠っているものに
まきをくべることになるからです。
まさに「魂に火をつける」!です。
私のうつの原因は、
長らく慣れ親しんでいた自我の信念(ビリーフ)である
★私は再婚するのだ!むふふ。
とか
★私は子供も産むんだし。むふふ。
とかいった
シナリオが
どうも私の「自己(セルフ)」や「魂」には用意されていないようだということを
知ったことによる、幻滅と失望と絶望感にありました。
私は心理のセラピストですから
おそらく心理の世界に親しんでいない方にくらべて、
「魂」の脅威を大いに畏怖しています。
私たちは確かに無限の可能性を秘めた存在ではありますが
同時に
千差万別のおのれの「魂」以上になることはできません。
(※多くの自己啓発書が、この大事なポイントに触れていないことに
私は声を大にして反発したい!
なぜなら私のもとを訪れるクライアントの多くは
すでにたくさんの自己啓発書を読んだ後のかたがたであり、
自己啓発書を読んでもちっともどうともならないという疑念を抱いているかたがただからです)
「自分を知ること」
とは「自我」のレベルで、意識のレベルで、思考のレベルだけではありません。
自我や意識や思考ではとうていびっくりな
「自己(セルフ)」のレベルや「魂」のレベルで見出すことも重要です。
そして
「うつ」の現象は、
「もしもし、●●ちゃん、
あなたの魂はそっちではありませんよ。
間違えないでくださいね」
という隠されたメッセージであり、
そのメッセージを汲みとることができる時に、
ひとは心底からの「幸せの一途」につくことができるようになります。
さて、私の場合に話しを戻しますが、
意識レベルでの解析を行うと、
私が「家族」や「家庭」、「子供」を望む意図として
★愛する対象が欲しい
ということが想定されます。
であるなら、私は愛犬もいるし、
大勢のクライアントもおみえになられているし、
ありがたいことに両親も健在です。
愛を向ける対象はちゃんとおります。
それでもどうにもこうにも
身体反応はあいかわらずです。
重い。気力もダウン。
この意識レベルでの解析だけでは、お話しになりません。
そんな折に、Let it be のエピソードを耳にして、
スコーンと抜けることができたのには、
****
私の(魂が)本当に望んでいることは、
この「集合的な無意識」につながりたい、ということであり、
そこに「(真の)家族(ファミリー)」を見出したいのだ
****
ということを悟ったからでした。
血縁を超越した真に感じあえる家族を創りたい。
これが私の本当の安らぎの形のようなのです。
この話を私の師匠に申しますと
案の定「瀬戸内寂聴さんのような」と言われまして、
「あれええ、やっぱりぃ!?」と
がっくりうなだれるのでありました。←肉体レベルの声。
ちょうどそのころペ・ヨンジュンさんが来日していて
ファンのみなさまを「家族」と呼んでいらっしゃったので
「ギクリ」としました。
おそろしいことに、
私の魂は、これを実現しないかぎりは、
けして幸せを感じることがないのだ、と知ってしまったのです。
嗚呼。大それた魂……。←肉体レベルの声。
(私は幾度も自分の心理セラピーのなかで、
「私は、降りてくる肉体を間違えた。
こんな利己的な自我じゃ、ちっとも前に進めない」という
魂の怒りの声に直面化しています。とほほ
ちなみに「とほほ」、といっているのは肉体レベルの私です。苦笑。
私の人間としての苦悩は、
この自我と魂のすさまじいかい離にあります。
それを引き受けるために、私は論理的に
精神の世界をこつこつと体験的に学ぶよりほかなくなりました。
論理的に体験的に、腹におちたときようやく
諦めがつくようになった次第なのです。とほほ←肉体レベル)
さらに、この感覚を自分のものとして
駆動できるようになるには、
自分の「こころの曼荼羅」を見つけることが
大変重要なキーとなります。
曼荼羅とは、
自我も自己も、
その境界線がない境地です。
自我と自己が
分離したままでは、
結局は「どっちを選択するのか?」という
せめぎあいと苦悶が続きます。
ところが、曼荼羅の境地にいたることができると
まさに「平安」のなかを進んでいくことができるようになります。
この曼荼羅ぞ、ME!!!
けしてぶれることのない核心ともいえます。
この感覚を私がいかにしてつかんだか、
また次回にご紹介させてください。
そしてこれが、私の「あるがまま」 let it be
だって、もはや、こんな自分なんだから、しょうがないじゃん!
…というわけで、きょうもこのような
「新しい自分」のための時間が待っています。
一歩一歩、身を引き締めてまいりたいと思います。
たくさんの方のこころの平安をお祈りいたします。←魂レベルの声ですw
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