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2011年2月6日日曜日

自己実現をはばむ「恐れ」と和解する

こころの闇にとどまることは勇気を必要としますが、
勇気をもってとりくんだあとの「待望していた世界」は
感動ひとしおです。闇を経ることなく「自己の実現」の頂きに
のぼりつめることはないでしょう。
だからどうか「闇」を嫌わないでほしい。
一面的な「ポジティブシンキング」に私は警鐘を鳴らしたい。
みなさん、こんばんは。

ギリシャ神話に登場する
半人半馬の怪物であるケンタウロス族の賢者「ケイローン」は

自分のこころの傷つきとやまほど向きあい

どうすればその傷つきを自ら癒すことができるかを探求した結果

随一のヒーラーに成長したといいます。

今日は、このほど私が
インテリアをちょいチェンジをしたくなり
軽やかさと安定感を高めた背景をご紹介します。


いよいよ魂の大本命に向けて
エネルギーを注力することに
がっちり合致することができるようになった
最終局面についてです。

それは「自己実現をはばむ恐れとの和解」でした。

きっかけは、

「なにかよくわからないけど、
なぜこの期に及んでもまだ
今ひとつヴィジョンがぶれるのだろうか」

というような、
“身体感覚的な落ち着きのなさ”

自分の内側に微細に体感したことでした。

これは自分の仕事のヴィジョンほか、
恋人との関係性にも感じられていました。

本当にごくごく微細な感覚なので、
言語にしたときに、一般感覚的な言語基準から誤解されるのではないかという
恐れがないかといえばウソになりますが

あえて言葉にするなら、上記のとおりという次第です。


さてこの微細な“感覚”はいったい何に起因するのか?
いったいどんな自分が未統合なのか?
見失われて、切り離されて、ひとえに
私によって受け容れられるのを待ち望んでいるのか?

もはや「理性」で掌握できるレベルには到底ありませんでした。

心理カウンセラー友達に相談すると

「恐れがあるように聞こえる」と指摘されました。

ナルホド!!

自分の腹の感覚にとどまってチェックします。

「あるかも、まだ残されているものが」

でも、自分ではそれが「何」かさっぱりわかりません。
(相当深いところに封印されてしまったテーマとみゆる)

そこで、私は「カモワン・タロット」を利用しました。

展開された複数のカードを見て、無意識レベルからの声にまかせて
解読をはかりました。

結論だけお伝えしますと、

ペンタクルの9が逆位置で。
隠されたものを現実の明るみにすることが
はばまれていると読みました。
恐れているのは……「深く隠されたものに光をあてること」

鍵は握るのは「コミュニケーション」だ、と。

出たのは「選択」や「コミュニケーション」を意味する
「LOVERS」のカードでした。

※占法によってはこれを「恋人」とストレートに解釈することもあるのですが、

カモワン流は少し異なります。

至極、合点がいき、思わずほろりとしました。
はらにジャブをうちこまれたような感じでした。






私は、ひとに理解されないことを、恐れている。

それによって、傷つくこと、恐れている。

と。

**

ここまでわかったところで、

さっそくこの「恐れ」に下降していくことを試みたのでした。

すべてのこころの動きには
大事な無意識からのメッセージが隠されているからです。


「恐れている」パートそのものとの和解のために。

大事なことは、


「恐れている」気持ちを理屈で理解し統御しようとするのではなく、


「恐れている」気持ち、「傷つくことを恐れている」気持に


形を与えて、その言い分をしっかりと受け止めていくことです。

そのこころの動きの背後に隠されている「真実の欲求」に光をあてることです。


私はひとりワークを試みました。
ぬいぐるみを数あるなかから、ひとつ選び出し、形を与えました。


「恐れ」のエネルギーにぴったりと合ったのは、茶色い悲しそうな目の小さい、クマのぬいぐるみでした。

その子が何と言っているのか、耳をすませました。聞こえてくるまで待ちました。


すると、なんと!驚くことに……


「どうせ私は何をやってもダメなんだもん」といじけていたのでした。

「私に才能なんてあるわけがないじゃん」ともいっていました。

それを目撃したとたん、私はおんおんと泣きました。

あまりにも可哀想だったからです。

そして

確かに幼少のころ母に

「あんたに才能があるわけない」

となんのきなしに言い放たれたセリフのせいでもありますが……

それをゴショウ大事に
「その通りだ」と賛同した瞬間の、幼い自分に舞い戻った感覚もありました。

母のメッセージどおりにいじけ続けていたのは
私の責任ではないでしょうか!

(そのように思えるようになったのは、
ほかの問題をあれこれと3年間の心理トレーニングと
たゆみないセルフインナーワークを通じて
しっかりとクリアにしてきたからでもあるわけですが)

それがため、むしょうにその子が可哀想でたまらなくなり、気が済むまで泣きました。

おまけにその子の目が怒りに燃えているようにさえも感じられる

私はひたすら謝りました。

「ごめんね、ごめんね、本当にごめんね、
ずっと長いこと、そんな気持のままにさせ続けてきて
本当にごめんね、つらかったよね、
やるせなかったよね、いたたまれなかったよね、
所在がなかったよね」と。

するとその子はいいました。

「そこまで泣いて詫びて、やっとわかってくれたのであれば、

もうだいじょうぶ」と。

そこで私はたずねました。

「あなたはどうなりたいの?」

「私は小説家になりたい」

「OK、きっと才能あるよ、みんなもそう思ってるよ。
だからがんばって。長いことロックをかけ続けてしまって、
本当にごめんね。こころから謝るよ」

「うん、そうする。私はどうしたら小説が完成するかだけを
がんばって追いかけ続けるよ。これから努力を重ね続けよう。
まかせて。わたしが、この先を守って見せるから。
あなたの臨床の経験をすべて集約させた、
真に豊かな大作を編み上げましょう」

といってその子は、腕組みをしてじっと考え始めたのでした。

**

そして翌日。さすがにぐったりでした。
開かずの間に30数年も眠り続けていた姫とのご対面でしたから。

ところが、安堵して一夜があけたかと思いきや

朝、テレビで小山薫堂さんが空間プロデューサーとして

東京スカイツリーの展示コーナーを手がけるというのをみると……、

また悲しみがやってきました↓

小山さんとは15年前に仕事で接点があったのですが、

彼はこの15年でめきめきと実力をあげていったのにたいして

なんだか私はぐんぐん減退していったような気がしたこともあるのですが、

さっそく深層にもぐってみると

またもや私は、あのぬいぐるみの部分に愚痴られました。

「信頼されてない」「くらべて、なんになる?(怒)」と。



うっ。そんな一夜で一気に信頼できるようになるなんて、難しいことも確かだけど、

この信頼を回復せねばわたしは、変われないのだとも思い、肩をすぼめました。やれやれ。



ですが、その日、ちょうどある本を読んでいて、稲妻に打たれたような
啓発を受けました。

モーセが十戒を神からおろして民衆を導いたとき、

神に委ねたことによって授かったーーー

そのように表現されていました。



して私は、どのように委ねたらよいのだ?

これこそがこころを開く、ということなわけですが、

はてさていかんせん?



すると、ふと降りたのでした!



「あ!あのクマこそが神なんだ!」と。



神がずっと私によっていじけさせられていたと知って、

またもや私は申し訳のなさでいっぱいになりました。



私は神を幼い頃からこころから愛しています。

内なる神の啓示にしたがって生きねばならないと夢を通じて

いくどもつきつけられた経験があるため、

人生のふしぶしで生きる

意味を見出せなくなっても

がむしゃらに進んでくるよりなかったわけですが、

そんなところに神様が隠されていたとは!あああ。

なんてことを長いことしつづけてしまったんだ。

もっとも愛する存在を自ら、抑圧していたのだと知しり


おのれの愚かさと悲しさと申し訳のなさにひたすら涙を流すよりありませんでした。


「本当にごめんなさい、本当にごめんなさい、


今まで許して待ってくれていて本当にありがとう。


これからは私はあなたを舟の船頭としておまかせをします。


あなたの言葉を私に響き渡らせてください。


私の体を使って、あなたの言葉を世界に響かせたいと誓います」




私の核心に触れた癒しがやっと訪れました。

これからはどこに向かって自分のエネルギーを集約させていったらいいのか

つかみとることができてきました。

長いことがんとしてその鉄壁をくずさずにいたのですが、

ついに氷解したのを感じます。

不思議なもので、この数日は、このおかげですこぶる快調です。





自分とのコミュニケーションがまずはなされること、


それがなければ他者とのコミュニケーションも


望む深いものにはならないでしょうから、

これは大変重要な転換点でした。


おかげでこの日以後の、クライアントとのセッションも
いっそう下りていくこと、下りていくこと、すごい深みへと。

話題の核心へのアプローチ度がアップしたのを実感します。

自分の世界のとらえ方が、
そのまま関係性にもまるごと投げ込まれるとは、まさにですよね。

(むろん、これゆえ、どれだけしっかりと心理トレーニングを
自ら積んでいる臨床家であるかどうかが大変重要だと、
私が強く信じるわけですが。

もちろんそれは臨床家にとどまることなく、

人間である以上、すべてのひとに共通している普遍的なからくりです。

だから、私はひとの表面的な言葉だけを聞いて勝手にジャッジしてしまうことが大嫌いです。

言葉の奥にあるものとは、まったく計り知れないからです。宇宙規模で)



さて、今日のこれは、大変深い深い深層のテーマです。

この類の「傷つき」は多くの方の胸の内にも似た形としてあるのではないでしょうか?


もしもあなたが

「進みたいのに、思うように進まない」
「うまくいかせたいのに、いつもきまって同じ局面で堂々めぐりしてしまう」

などといったことに
頭を悩ませていらっしゃったとしたら、

必ずや私はお力になってさしあげられるのではないかと自負します。

あなただけの「失われたパート。でもそれがないと本当は生きにくい」という部分を
ともに探り出し、現実界でしっかり合致させて
自然に・スムースに進むことができるようにと、
しっかりサポートさせていただきます。

こころの豊かさを追いかけるみなさまのコンタクトを
お待ちしておりますm(_ _)m

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