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(後)イギリスのライフスタイルブランド
『キャスキッドソン』の秋冬新作を早くも直輸入してしまいました☆
PCケースです。伸びやかに舞う鳥がすてきでしょう?
ベルのように響くさえずりが今にも聞こえてきそうです。
(前)MacBookAir11インチ型を新調しました。
軽快に起動するなど、すっごく使い勝手がよくて重宝しています。 |
みなさん、こんにちは。
久しぶりのポストです。
私のことをよくご存知のかたでしたら
周知のところとは思いますが、
私には大事な悩みがあります。
それは、
「ブログを毎日せっせせっせと書きたいのに、いつも三日坊主的になってしまう」
という問題です(T-T)
先日、お師匠さまの終日セミナーに参加した際、お友達に教えてもらったこと。
「○○さん(門弟のカラーセラピストさん)は、昨年から毎日のようにブログを綴り始めたら、うなぎのぼりにクライアントが増えたんですって!」
と聞いて、耳はおもいっきりダンボのようになってしまいました。
手前味噌ですが、私は幸か不幸か、こんなにもブログ更新がままならないにもかかわらず、
星の流れのおかげなのか、
それはそれで「見つけてくださるクライアントの方のおかげ」で、
けしてクライアントに困っているというわけではないのですが、
私にとって重要なことは、
自分の見つけた、まだこの世界で一般化されていない
大事な世界観をできるかぎり多くの方に
お伝えした方がいいのだろうなあという、
獏とした「伝道者意識」を、しっかりとはたしていくということにあります。
にもかかわらず、「書くこと」「伝えること」に
躊躇しているなんて!!!
正直、自分で自分に泣きたくなります。
そこで、こりゃもう黙っちゃいられません、自分に。
というわけで、ようやくお尻に火がついたのか、
この件についての自己分析を試みました。
チェックしていくポイントは、自分の意識を超えたところ、
無意識が私の知覚を通じて、映し出しているエッセンスです。
そこで洞察された、仮説として考えううる、私だけの問題点とは?
「私にタレントとしての自覚が欠落しているのではないか?」
という問題が、
うすらぼんやりと浮かび上がってきました。
もちろん、日頃の私の意識は、自分のことを「普通のひと」と思っていますし、
「伝道師意識」はあれど、いわば日本の芸能界的な「タレント」としての意識は
毛頭ありません。きっぱり興味もありません。
以前、うちに取材においでくださったバラエティ番組のディレクターさんに
「これまでに芸能事務所にいたことなどはないのですか?」
とお尋ねくださったこともありましたが
こころのなかで
「なんじゃ、そりゃ?
そんな風に見えるわけ??? 私はクールだからね、
自分が美貌も知性も、その器じゃないことぐらい、五百万と知っているんだなー」と
ぞぞっとどっきりしたことがありました。
そんな私です。
そもそもブログ三日坊主の問題に対して、
こんなテーゼが浮かび上がることそのものにも
「は? 関係ないね」と
頭を横に振りたくなるのですが、
いろんな「無意識チャンネル」にその「共時性」が現れていることに、
はたと気づいたために、この観点に立ちどまざるをえなくなりました。
【夜みる夢】嵐の二宮くんが現れて、「おいでよ」と手招きされるのですが、「え?なんで?なんで?怪しいね」と夢自我の私が抵抗を示していた。
<分析> 夢に現れる男性は、女性である私からみたら未完了の「アニムス(男性性)」のテーマがあることを表します。男性の夜みる夢に女性が現れれば、未完了の「アニマ(女性性)」のテーマがあると、とらえることができます。
ここで現れた私の「男性性」が、タレントの顔をして出てきていることに重要な意図があると読みました。もちろん私は、彼のファンでもなんでもありませんw 単純に「一線で飛ぶ鳥を落とす勢いで人気を博している存在」として、私の魂がその形を借りただけのことと思われます。
つまり、私は、
「その類のタレント意識をもって
もっとしっかりと活動しなさいね」
と、無意識および私の魂に、教えられている可能性が大ということができます。
おまけに、「タレント」という一つのメタファーをめぐって、
共時的に思い当たることが、いくつかあります。
1.8年ぐらい前に、雑誌『セブンティーン』で私がライターとしてお世話になった編集者さんと久しぶりにあったとき、私の空気を感じとって「あら?若いタレントの恋人でもできたのかと思った」と言われた。(このときも私は目が点だった。「は?へ?ほえ?」と)【人間関係のチャンネルにおける無意識の現れ】
2.上述したカラーセラピストのお友達が「ブログで公開ダイエットを始めたの!」とうれしそうに教えてくれたのに対して、私はとっさに「タレントみたいだね!」と意識よりも早く、口にしていたのでした。そんな自分にさっと気づいて、「あれ? これ、私の投影からくる評価でね?」と、すこし違和感を覚えたのでした。【言語表現のチャンネルにおける無意識の現れ】
3.つい最近、私は自分の大切なひとの将来の悩みに対して「ほら、タレントになりたいって言っていたじゃない?その道への扉を開いたほうがいいのかもよ?」とコメントしています。実際、それはそのひとの問題としても、このタレントの問題は関係しているのですが、同時にこのようなコメントをする私がいるということは、それは私の投影の産物であるかもしれないと疑うだけの価値は多いにありえたりします。【世界でおきる出来事のなかにみる共時的な無意識の現れ】
4.先日の、お師匠さまの終日セミナーで、私はデモンストレーションのモデル役に立候補しました。そこで、私がふだん接させていただいているクライアントの傾向性からより深い分析、研究を試みたのでした。クライアントの具体事例を用いることは当然守秘義務ですから、全体的な「傾向性」をデフォルメして、「演じて」みたのでした。(もちろん、そこに私自身は出てしまいますが、どんなに演じているつもりでも)すると、本当に驚くことに、お師匠さまもなぜかわからないけど笑うし、会場の皆様もハハハと笑っている!必死にその世界に没入している私には、ただただなんのことかわからず、それでも一生懸命、分析と研究を深めたくて、懸命に演じていたのでした。「れれれ?みんながホットスポット的に笑ったのは、何に対してだろう???(私ひとりで真剣だったってこと?)」と、翌日、冷静になって分析してみたのでした。みていたお友達いわく「大崎さんが、一生懸命に演じながらも、ときどき自分がでてきてコメントしているのが可笑しかった」とのことでしたが。。。総じて言えるのは、ここにも私のなかのこれまで無自覚に発せられてきている、「人を惹きつける何か」ともいうことができるのではないでしょうか?(人を惹きつける力、注目させる力はおのずとあるらしいのですが、だからといって恋愛がけしてうまくいってきたわけではなかった理由は、私があまりにも自分自身の持ち物について、無自覚すぎたからなのだろうと自己分析しています)【世界でおきる出来事のなかにみる共時的な無意識の現れ】
上記4つの観点だけでは、はっきりいってまったくもって意に介しませんでした。
けれども!昨夜みた夢は、私にとっての決定打です!
夢はそれほどまでに、私たちの見失われた何か、統合することでよりよくなる何かを、
いろいろな形をとって、私たちの前に示してくれる、大事な「神のお告げ」なのです(^^)/
夢が、逃げ出したくなったり、遠ざけたくなったり、
忌み嫌いたくなったりするものであれば、あるほど、
私たちは「勇気」をもってそのエッセンスを統合することが
待たれていると理解するとよいでしょう。
たとえすぐには、そのエッセンスを受け容れることができなかったとしても、です。
で、次にたてた仮説はこれです。
「もしもタレント意識を持ったなら、ブログとどのように向き合うだろう??」
でも、これはちょっと難しすぎです、私には。
だって、「タレント」に自我が同化できないのですから。。。とほほ。
そこで、私にとっての「タレント」について分析しました。
たとえばモデルから女優になった杏ちゃんを考えてみよう!
なぜなら、彼女が14歳の最初のお仕事のときから、つかの間、
交流のあったお仕事相手だったから、わかりやすいし、
彼女とは街でもよく偶然、ばったり会うことも多かったからです。
彼女は、はじめ女優を指向していませんでした。
ファッションモデルを夢にしていました。
幼いころから、老成していた彼女は、高校にいるみんなとも肌が合わず、
早々に退学してしまいました。
もちろん、「それは懸命なジャッジだなあ」と傍観者であった私は感想を持っていました。
葛藤のけして少なくない方なのではないかと推し量られました。
その分、本の世界とよく親しんだのでしょうか。
宇江佐真理さんの本を「好きなの。知ってる?」と、愛読していましたっけ。
今の日本の芸能界はルックス優先型のところがなきにしもあらずですが、
ルックスがいいだけでも生き残れないのも事実ですよね。
私の考察ですが、
彼らはみな「運命の流れを引き受け、その運命の流れに応えるだけの努力を惜しまない人間性を持っている」のではないでしょうか。
ここでいう「運命の流れを引き受ける」というのは、「自我の思い通りにならない道に対しても頭を垂れることのできる謙虚さ」に根ざしているのだと想像します。
そう考えていきますと。。。
私の「ブログ三日坊主」はなんとも自我の領分にすぎないのではないでしょうかねえ。
まだどこかで「私の運命(私の場合は、表現者への道)」に抵抗しようとしている自我が、
「ブログなんて書いちゃダメーーーー」とブロックしていたのだろうと思われます。
あきませんね。私もまだまだ修行不足、もっともっと精進したいものです。
昨夜、読んだジョゼフ・キャンベル——–スター・ウォーズの生みの親、ジョージ・ルーカスの先生——–のインタビュー集『神話の力』(早川書房)から。
「伝道者たちは、人々を説得によって信仰に導こうとするからうまくいかない。
むしろ、自分自身の発見の輝きを示すべきだ」
「探求の究極的な目的は、自分自身のための解脱でもエクスタシーでもなく、
他者に仕える知恵と力なのだ」
———というわけで、私は今後、「自分自身の発見の輝き」を
このブログに示していくことができるように、
邁進したいと思います。
そのためにも、たくさんたくさん「発見」を重ねていきたいと思います。
最後に、私は私に問いました。
「私にとって、内なる衝動として欲してしやまない、
みなさんに伝えたいこととは何だろう?」
答え。。。
「世界は、みなさんが今この瞬間に感じている以上に、
実は開かれた、素晴らしくも美しい、冒険にみちたフィールドなのだ、ということ」。
その「ひもとき方」「捉え方」「目線」「立ち位置のとりかた」「表現のしかた」などの
模範と、その輝きをご提示させていただくことができたら幸いです。
あらためて心いれなおす、今日なのでした。