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2015年11月30日月曜日

喪失の哀しみをどのように受け止めるか?〜なりたい自分になるためにも


愛犬ポリーちゃん。きょうもセッション中に
セラピスト魂を発揮してくれました☆クライアントの方の声の
波動の変化を察知して、「クゥーン」となくのです!
そのひとにとって大事な二次プロセスのテーマを
スピリチュアルに知らせてくれるのです。

みなさん、こんばんは。

ひとの苦しみの種類は枚挙にいとまがありません。

私はそれらすべてをリスペクトしています。


クライアントの方をはじめ
私の身辺には
「喪失の哀しみ」を抱えているお話が少なくありません。

これは正直言って

とても骨身にしみるキツイものであります。

複雑な心情がからみあっています。


ひとつには

よすがとなる存在が
この世から姿を消したことによる
ぽっかりとした心の空洞感

ふたつめには

その存在がこの世を
去らなければならなくなった因果が
自分にあるのではないかという
罪悪感

相手が自己同一視している
(自分と心の距離が近い存在である)
対象である場合ほど、
まるで自分で自分を傷つけているかのような
痛みと苦しさが隠されています。
少なくとも無意識には。

この2つの心の動きを
親身に理解してくれる誰かに
受け止めてもらうプロセスは

心の浄化(整理・クレンジング)として
とても有用です。

無意識に抱えていたイライラやストレスも
すっきりとします。

この観点も私は大切に
耳を傾けていきます。



そして三つ目が
無意識レベルで
いちばん苦しい理由になるであろうと
私は察するのですが

それは

その存在と「円を描く関係」でありたいのに
その存在と「交わり合いたい」のに
その存在と少なくとも精神レベルで
「手を取り合い微笑みあう関係」でいたいのに

さまざまな感情が交錯するために
(そのなかには、無意識レベルの怒りや後悔、悔しさなどもあります)

求める「精神的な寄り添い愛」に
至りたくても
至りきれない

無意識のもがきとあえぎが秘められるわけです。

これは

現実レベルで、どのような
行動・現象につながっていくかといいますと
(ひとにもよるのですが)

多くは

「なりたい自分になりにくい」

となるわけです。

なりたい自分になろうと一歩踏み込もうとするとき
無意識にスイッチが入って
「それは許されない」さっと迂回・退いてしまうパターン
繰り返してしまうのですね。

***

したがって
ご依頼のテーマが「願望実現」である場合も

身辺に「喪失した存在」があられる場合、

この部分を精緻にとりあつかうことを
暗黙のうちに頭の片隅に置き
お話し合いをすすめさせていただいています。

「許されている」
境地を体感していただくための
創意工夫をこらしていきます。


***

この手のテーマの場合
多くの場合、困った(?)ことに
この心情世界に蓋をして闇に葬り去っていることから
(それはそれで健康的な自我の働きであるゆえ)

ご本人の意識にはまったくのぼってこないという点です。

そもそもは健康的な自我の働きのなせるわざではあったとはいえ

そのために幾度も
「なりたい自分になりたくてもなれないパターン」を
繰り返すこととなってしまうのです。

それが問題とか悪いとかそういうことはまったくないのですが

依頼者の方が「なりたい自分になりたい」というテーマを
持っていらっしゃる場合には
ここは捨て置けない重要な観点、
積極的に見つめていくわけなのです。


心理カウンセリングでしたら、ゆっくりじっくりていねいに
ご本人の口から表現されるのを確かめるようにして、

霊能(スピリチュアル)カウンセリングでしたら、
やんわり知らぬ間にそっと優しく深みに降り立ち
極微レベルに感知されるエネルギーをしっかりつかまえて
核心にドキューンと迫るかのように


読み解き、受け止めていきます。


きょうの夜ごはんはスッキリさっぱりめ。そうめんの冷製パスタ風。
ツナとトマトと焼きなすと玉ねぎとベビーリーフを
オリーブオイルとニンニクのすりおろしであえました。
ちゅるっとお腹に入ってしまいました〜♪

ふりかえってみれば
私は自分が想像していた以上にデリケートな体質すぎるためなのか
「なりたい自分になれない」ことへの「言い訳三昧な体質」(苦笑)なのか

この「喪失の哀しみ」は予想外のところのものを受け取ってきています。

1つは、母が中絶した水子の兄について。
会ったこともないのになぜか8歳のとき母親に
「お兄さんが欲しい」と無茶振りをしていたのです(苦笑)。
ぎょっとした母は告白してくれましたが
子供のころは「流産だった」と聞かされてたのが
30歳をすぎたとき「実は中絶だった」と教えられ
半端ない怒りと悲しみの噴火に襲われたのでした。
会ったことがあるわけでもないのに!
この問題と向き合い癒し、見失われた兄との対話を繰り返し
進むべき道を見つけることができました。

でも、クライアントの方のなかには「望まずして中絶せざるをえない苦しみ」を
語ってくださる方もいて、そういうお話を耳にするたび
私は自分が癒されていくのを感じます。
同じできごとも、立場が違うことによって、
いろいろな苦しみがそこにはあるのです。

2つめはーーこれも、それ!?と驚くのですが
戦死した父方の祖父について。
正直、ここにチューニングすると肉体レベルでの
壮絶な苦しみの波が押し寄せてきます。
私が生まれる30年も昔の物語なのに、
異様にリンクしていて、きつかったです。
おそらく、夫を失った
祖母のこころも半ば入っているようにも思われますが。
この問題と向き合った時にも、
戦争と平和について真剣に向き合うことが答えとなり、
それを意識しているときに
私は「なりたい私になる」流れにストンとのれるのでした。


「喪失の哀しみ」についての話題に面するとき

私は自分に起きたこの2つの哀しみを思い起こし
周囲にいる「喪失の哀しみ」を経験した人間の気持ちに想いを馳せ

深い黒い涙の海にともに沈みながら
受け止めさせていただいています。

あなただけの「許された」世界をご体感いただくために。

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2015年11月29日日曜日

知りたいことを感知する鍵→宇宙からの愛と一つになりきる


こちらは大好きなスワロフスキーの蓮のお花クリスタル。
キラーン、ピカーン。癒される輝きです。
こんな風になって活躍している自分の姿のイメージングを大事にしています。

フィギュアスケートNHK杯の羽生結弦選手の
世界最高得点出し、異次元の舞に
感涙とまりませんでした。

私のなかでは「あれって、ピカソ並の芸術性でね?」
と驚嘆・感服の的でした。

日本中のひとを総毛立たせ、わなわな震わせましたね。
たくさんの愛と勇気をふりまいていたように
私にはみえました。

あの境地が私にはこころから羨ましいですし

私とはまったく異なった持ち物の方ではありますが

天と地をつないで
それとひとつになって訓練と
表現をくりかえす姿勢は

尊敬の的であり
見習いたい・追随したい
お手本のひとつとさせていただいています。

愛はいたるところにあふれているんですよね。
いつもどんなときも包みこんでくれているんですよね。
受け取るか受け取らないかは本人次第。

選手のかたの生活というのは
特殊であろうことは
想像に易いところですが

私も一介の援助職者として
「並の援助職者」ではなくて
「特殊な援助職者」として生きることに
生きがいとやりがいを見出すひとりですからして

生活スタイルは普通ではないことを諦め受容・遂行しています。

私流スタイルは
「棺桶・墓場スタイル」と自分で呼んでいますが
3年前にインナーワークで発見したビジョン
(墓場から白装束着た自分がでてきてゾンビダンスを踊っていた)のとおりに
今なっていることに
驚くような、言わずもがなだったかのようなであります。
このサロン内でダンスはしていませんが(笑)
そのぐらいいつも心を動かしまくっています。



自炊と掃除と散歩のほか
サロンから一歩もでない生活です。
クライアントのかたと向き合う時間と
自分が表現したいことと向き合う時間と
疲れたら横になる時間と
それだけにシンプルにまとまっています。

大学受験のときはこんな感じだったのを思い出します。
食事と勉強と入浴だけ。

命をかけて取り組むからには!
という私の勝気パートがそうさせるのでありました。

とにもかくにも

宇宙の愛とたえず交信しつづけている存在でいたいのです。

この世のものではなーい領域を表現できる自分でいたいと

切望しているので。

修行と訓練
そして
生活スタイル

と大事にしています。

一定の枠内に自ら身を投じることで

現実的な問題からいっさい自由でいることを
守り貫いています。

だって
「私という存在は、宇宙の愛のシャワーの
恵みの中心にいるんですもの!」

問題と思われることも、
ぜんぶどうにかなってしまうものだったりします。

くよくよする日もあるけど

くよくよしている時間ぶん

自分であれひとであれ「お手当」「ケア」するための
時間を設けてあげるほうが
結果的には得策だと
私は思うのです。

「お手当」するとき「宇宙の愛」を私たちは
無意識に受け取ることができるからです。
(簡単な行為としては、「睡眠」があげられますよね)





「あなたは宇宙の愛に24時間包まれている」

「現象は時間の流れのなかで
まだ追いつかないこともあるかもしれないけど
どんな状況にあっても宇宙の愛は
あなたにその優しさに目覚めて
安らいでもらいたがっている」

…と「なりきる」と、

あなたにとって今、目の前にある
「問題」「課題」「願望」は
どのように「feel」されるでしょうか?

私の感じは

ぜんぶなるようになるし〜

です。

自分のケアをたっぷりして
ひとのためになることを一生懸命に追いかけて
やるべきことやって(自分で決めた生活スタイルのこと)
積み上げるべきことをしっかり積み上げていれば

うまくいくときにうまくいくし
うまくいかないようにみえても
ぜんぶ豊かな肥やしだし
「大変だ〜」「辛いよー」は
ぜんぶ愛と優しさのための
美しいスパイスでしかないね、

と。

人生がうすっぺらいものに終わらないように

多層多次元の宇宙は
やまほどトレーニングネタを
投げ込んできてくれるかもしれないけど

ひとつひとつ挑戦して、勇気出して、乗り越えるほどに

清々しいオーラの持ち主
つまり
魅力あふれる人物として

ひとの笑顔のために頑張れる!
彩りグラデーション豊かな人材にと
育ててあげてくれるのではないか

と。

こういうのを
やわらかな人間性とでもいうのではないか、と。


がんばれ、みんな!(いや、私も!)

辛い時や疲れた時は、たくさんあったかいおふとんに
くるまって安らぐことも忘れないでくださいね。

「宇宙からの愛をいつも感じ取ることができるようになると」……

好きなあのひとの気持ちだって感じ取ることができるようになるし
どうなるか不安かもしれないビジネスの案件だって
どうするともっと発展するかの鍵だってみえてきたりする

ひとよんでそれ、インスピレーションといいます。

注意点としては

このとき「オンリー1」のプロセスがインスピレーションとして
浮かび上がってくることは
しょっちゅうなわけですが

「一般的なパターン」しかアイディアが存在しない場合
あるいは
「素敵な◎◎さんのようになることが私の幸せよ!」と
自分と他人を一緒くたにしてしまってたりもすると。

この「オンリー1のパターン」を見落としてしまう、
ということがおこります。

そうなってはせっかくの
「宇宙の愛」がもったいないので

「この世には時空を超えてどんな不可思議なパターンもありまさねー」

きわめて心を広く持つ意識を大事にされると
よろしいかと、私などは思うわけであります。

・・・とはいえ
現実的な雑音をどうやって遮断するのか
それなりの努力が必要かもしれませんね。
精神的なトレーニングが役に立つことでしょう。

さてさて私は今宵はもうちょっと。

「内なる神様」「feel様」「inspiration様」の声に
もう少し耳を傾けてアウトプットしてから
お休みするといたします。

今日もご利用いただきありがとうございました。

みなさまの、心ある道が、宇宙の愛とともに
安らかなものであるよう、お祈りしております☆



今日の晩御飯は、大好きなすいとん汁と、
もやしと豚肉のザーサイ炒めでした。


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2015年11月28日土曜日

【恐れも不安も超越する世界】feelingに身をゆだねて道を知る


きょうの昼下がりは
ニューオータニの中にあるカフェラミルで一服。

カプチーノのクリームをシナモンスティックで
混ぜながら。

その柔らかくてモフモフした弾力を感じ取りながら
思うに至ったのでした。



あかんわ。

私はfeelしているときのほうが
ちゃんと「安心」できているし
so goodな感触でいられているじゃん!

と。

現実の状況がまったく同じであっても、です。

何と比較しているかといいますと。

私の思考回路はとかく「恐れ」とか「不安」とかからくる
「あーかな、こーかな」思考で、おまけに
とかく「自分に厳しすぎる、自己否定的」中毒感が大。

そのせいで
「過度に不安ストレス」とお友達になりがちなのですよね。

多少の客観性はもちろん大切ですが
度を越しすぎると、私はノイローゼぎみになります(苦笑)
(俗に、不安神経症系)

それもまた身体が思い通りに動かない一因になるじゃーん。
(はい、乖離性タイプ。ゆえ目指せ、心技体・自己一致、と)

なーんだ。

私のどこかが問題なのではなくて、

feelにアクセスしてりゃー、
身体はスムースに動くんじゃーん。

と。

実際、さきほどの、
ちょうどサロンに通い始めてまる1年を迎える
クライアント様にも
この話をしましたら
「ふつふつと湧き上がる使命感に同化していればいいのか」
物事がシンプルに整理されたもよう。


私も、気がかりなことはなんでも feel  様に

おたずねしてみるのでした。

feel 様いわく、everything is OK!

そりゃそうさー。
なんといってもね〜。
自己浄化しまくってきましたからね。

数々のトラウマを癒し
問題の根源やカルマの姿も自覚して受容したおし
私の指向性のあれもこれも
事細かに分析しつくしたね。

10000枚のジクソーパズルのピースが整然と揃った感じ。
逃げることも隠れることもできない
自然が私に与えた
自分の真実と本質との
マリアージュも達成しましたし。
そのため
私のfeelはほぼinspirationという感も大。

ぞんぶんにfeelしていることを受け取りやすい
回路のお掃除をいっぱいしてきたおかげか、と。

(自己のなかが意識的にも無意識的にも
感情的に混沌としているとfeelを
受け取りにくいところはありますね)

ぜんぶ、うまくいってる、その調子、と。
おまけにfeel 様は、さしあたってまとめたい
テーマも、ライフワークとは別に
教えてくださいました。
(すごい!やった!待ってたのです!)

それは、いまはまだここではナイショ。

でも、きょうはfeelをおもいっきり解放した感覚を
つかみとることができたので、うれしくて
ここにつづってみました。

たとえるなら……
まるで女性の曲線のように
なめらかな流線が美しい
真っ赤なポルシェが、
風をきりながら
ヨーロッパのアウトバーンを
疾走していくような感じを
つかみとったのでした。

なめらかな滑走感

意識して

エレガントに。

私の頭のなかは

そんな感じなのです。

みなさまのなかから
個性という名のエレガンスを引き出すお手伝い

ますます丁寧に向き合っていくことができたらと
願うきょうでした。

今日の晩御飯はパワーアップレシピ。
ほうれん草と卵のチャーハンと鶏肉の四川風野菜炒め
そしてセロリとトマトの中華風スープ。満腹〜♪自炊できる幸せを満喫。


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2015年11月27日金曜日

エネルギーは伝染(うつ)るから。誰と、何と、暮らすか?


みなさん、こんばんは。

マンションの階下に今年は
クリスマスツリーが飾られました〜。

ホタルみたいにぽわんぽわんと浮かび上がる
ライトのおかげで
あたたかなぬくもりある印象を演出してくれています。

いらした際にはぜひ見ていってくださいね。


先日、私は
「ノイシュバインシュタイン城に住まう
お姫様のような豪華絢爛好き」
ということを発見しましたが、
残念ながらセレブの出自ではアーリません。

ですが「気分」を演出することぐらいはしてみようということで
実家の母に下の写真のような
ゴールドの縁取りあるロマンティックティーカップを
譲ってもらったのでした。(嬉)



お茶の香りも、ブラックローズティーと
華やかなタイプをチョイスしてみました。

たったこれひとつですが

気分が高まります☆

もともと空想するのが好きなタイプでして
バスタブにつかりながら
「ここは◎◎ホテルのジャグジーのつもりで♪」と
イマジネーションごっこをするのが得意なほうではあります。

さすがにノイシュバインシュタイン城クラスには残念ながら
あまりにかけはなれているせいでひたれないので
アイテムの力を借りたのですが

まずまず「エレガントな貴婦人」気分
うまいことトレースできました。(やったー)

感想はといいますと、最高ですね。

そりゃそうです。

自分の本質が指向している世界観ですものねー。

あ!ちなみに贅沢な生活をしたいという意味ではないと
私なりには解釈しています。

「エレガンス」を身に纏いたいのですね。
そのためには日々「優美さ」を意識した生活してないとね。

本当はバレエのレッスンとか復活させたいんですけどね。
(さすがにもう体が硬くなりすぎたので諦めモードなんですが)

つくづく「日々、どのようなことに意識をまわし、
どのような衣食住で暮らしているかは
そのひととなりを決定するのだなあ」と思いました。

私たちはエネルギーですから

「伝染(うつ)る」んですね〜。

その意味でも「どのような人間とおつきあいするか」
大切ですよね。

これもまた「伝染(うつ)る」からです。

ちなみにあけすけにいいますが
SEX(性交渉)は要注意です。
もろもらいます。
ちなみに私は、エネルギーで誰と
誰ができているか、わかってしまいます(笑)
パートナーが変わったり、新しくできたりすると、
そのかたのエネルギーが変質するので
わかってしまいます。

その意味で同じように、気をつけなくてはいけないのは
体をふれてくれるエステティシャンやボディセラピスト
さらには
メンタルに介入してくる援助職者のエネルギーですね。

これらはそのかたの本質と援助職者とのEnergieの相違を識別して
クライアントのかたの持ち物を守れるように
援助職者側が自己エネルギーのコントロールができるようにと
「大きな心の器づくり」の訓練がされていない場合
もろくらいます、ご注意あれなのです。

(簡単にいうと、援助職者側が
自己分析を深く深く掘り下げて
光も影もすべて
それらあるまましっかり認めて
肯定して、そにれふさわしい自我意識を
再構築できているかどうかにもよりましょう)

そういえばあるクライアントさんがこうおっしゃっていました。

「ひとと話しをすると咳がとまらなくなるんです。
ですが、このサロンでお話しているときは、咳はでませんね」

そんな感じです。

今年のクリスマスリースは赤とゴールドを
基調にしたデザインにしました〜☆

そのためにも
自分と向き合うための瞑想やインナーワーク
タオセラピーなどを通じて
「私の本質が何を指向しているのか」を
つまびらかにして

その本質が求めるエネルギーとのおつきあいを
人であれ物であれ暮らし方であれ
なさることを
私は強くおすすめするわけであります。

なぜかというと
自分の本質と異なるものと交わっていると
いろいろな意味で私たちは不調和に
遭遇することになるからです。

人間もエネルギーですから。
そう、このブログを読んでくださっているあなたは
デリケートな有機体ですから。
気をつけないと敏感にうっかり
いろいろなエネルギーに染まってしまって
自分が何なのかわけがわからず
自分ではないものにどんどんなっていってしまうことは
よくあることなのでした。

コミュニケーションレベルの境界線も大事ですが

エネルギー体として「自己を知り、自己を確立する」ことなくして
「自他を分かつ本質的な境界線」はつくりえることができません。

ここがしっかりとつくられてきますと
いっそう自己の本質にとどまりやすくなります。

人間はとかく自己の本質から逃れたくて
仕方がないという性質を持っているのです。
くわばら、ですね。
そのための創意工夫は
やまほど私は繰り返してきています)

さて、あなたの本質は
どのような方向性の有機体として
残りの人生を形づくっていきたいのでしょうね?

見極めて、形成する、お手伝い
よろこんでつとめさせていただいています☆



愛犬ポリーちゃんは
スツールの上が近頃、お気に入り♪
いつでも私を見つめて見守ってくれている
愛しい奴です☆
彼は私にいつも「邪心ないピュアでまっすぐな行動力」を
伝染してくれています。(と、本人は思っている)

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2015年11月26日木曜日

【因縁解消と精神の自由の方向】徳を積む生き方がカッコイイよね

自撮り棒で、斜めにとってみたりもして。

何のために生きるかだなんて
簡単に見つけられるものでもないけど

私は私なりの答えを見つけています。

それは、ジャーン!

「徳を積むこと」

かなっと。

私が自分のことを
「一般的な流れにおさまらない」と思うところって
20代のときから、いっぱい気づいてきてたけど

独身生活で「私とクライアント」という関係性を中心に
時間と労をつぎこんでいるって
ちょっとやっぱり特殊なんでは?と。
しみじみ思うのですね。

でもカエルの子はカエルだし
アヒルの子はアヒル。

自分ではないものには誰だってなれない。

だから私は「世間一般の成功モデル」とかいうやつが
だーい嫌い!
そんなの誰かの憧れの投影の産物じゃん!ってね。
千差万別の世界において
そんなの宇宙の端っこの端っこもいいところ。


「世間一般の成功モデル」を追いかけているひとは
私には不幸にうつるのです。
それは幻想だからです。

自分の真実を生きているひとが
幸福に私にはみえます。

そんななんでもありの自由世界のなかで
ぽつーんと生きていくうえで
何をよすがにしたらいいんだろう?

そう思うこと、誰にもあるんじゃないでしょうか。

そこで問いたいのが

興味関心と生きることの価値を
「世間一般の成功モデル」を追いかけることではなく
「徳を積むこと」に置くことができると

生きることって
もっと楽になるのにな〜

と思う今日この頃です。

そうすると周囲と自分を比べる必要が
まったくなくなっていきます。


偉そうなことをいえるほどのことを
なせているわけでもないのですが
でも私なりに「身を切って生きている」実感があります。

誰のために?もちろん自分のためという要素もありますが
同時に、その自分のためが、ちゃんと、ひとのためにもなっている、っていうところ
大事だと思うのです。

私は長年「過小評価」する傾向が抜けなくて
かなり苦労してきています。
「いえいえ、私なんかがそんな、とんでもない、おそれおおい」とかね。
その反対側にあったものは
「のらくら楽したい」とか「責任取りたくない」とかもあったりして、
「ケチ子」さんだったんですね〜。反省。

「自我肥大」するつもりもないんだけど
自分がお天道様から授かった力量は
ちゃんとお天道様にかえさないとね、と。

だから自分の力量が何なのかも
やまほど相対関係のなか(自分をうつし返す鏡との間)で
吟味しぬいてきましたよ。
この辺は私は相当にオタクだし、
こだわりん坊だし、職人気質マンサイなんで
かなりニュートラルに考察しぬいてきたと自負してます。

それもふくめて「私は何者か」がはっきりとして
「自己愛」を成熟させることができた今、
こころから思えるようになったのでした。

(タオセラピーの功は大きい)

ここまで生かさせてもらってきていることそのものにバンザイ。

そして、その「徳の積み方」はひとによってまちまちですよね。

そのひとだけの「徳の積み方」について
いっぱいいっぱい探っていくことができると
そのぶんだけ「因縁消化」とか「幸福感」とか
高まっていくんではないでしょーかっ。

私はいま、思わぬところで「因縁消化」を実感しています。
(ちなみに因縁消化が促進されると、
いろんなことがどうでもいい度や柔軟度がアップします)

8年続いているカウンセリングサロンの運営も
因縁消化の方向性を感じていましたが
(私は研究者気質なので、運営するのとかが大の苦手であるため)
そこから一歩進んで
「霊能」世界で「鑑定」を重ねていて
もっとさらに因縁消化されているのを感じるのです。

これってものすごいグレーな世界だから
正直、逃げ腰及び腰
思いっきり蓋をしていたんですけど……

私が表現したい「愛の世界」を発見したとき
時空を超える鑑定技術
spiritualに展開しないのは
ギフトの出し惜しみってこったかーと
反省したわけだったのでした。

日々、せっせと損得感情抜きに
自分の力量を惜しみなくご奉仕していくこと。

もったいぶらずに自己を開示していくこと。

苦手なことであっても、それが自分の力量内であれば
しっかりと身を投じていくこと。

勇気いるけど大事な

「徳を積む道」なのね〜。


もとが「けちん坊さん」の私だけに

「ほら、徳を積みたいでしょう?」
自分で自分を鼓舞しています。

日々精進つきませぬ。


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2015年11月25日水曜日

【夢の現実化の鍵】充足した自尊心のために《何になりきる》か?


みなさん、こんばんは。
最近、やっと「自撮り棒」を購入しました〜。

いろんなアングルからショットをおさめられるので
楽しいです〜。

きょうは早速、こんな写真をとってみました。
愛犬ポリーちゃんがスツールに座ってたので
床に腰を下ろし・・・
目線を彼に合わせて、上めアングルから〜。

いい思い出をいっぱい残せそうです。ふふふ。

艶やかな赤いお花を眺めていると
エレガントさを思い出させてくれます。

きょうはパワーの源について書きます。

「自己を一致させること」

(自分の中にあるあるままのエネルギーを、
単に対立しあうエネルギーのままに終わらせるのではなく
1つの個性にまとめあげて行動に落とし込むこと)は、

豊かさを感じて生きるうえでとても大事なテーマです。

(*私の問題解決のカウンセリングに
はじまり個性化のためのカウンセリングは
心理レベルであれ、霊能スピリチュアルレベルであれ
つきつめるところ、このための対話が繰り返されていくわけです)

みなさんの行動は、その根っこに
「どのようなアイデンティティ」の
あなたがいると思われますか?

もしもそれで「思い通りにならない」ストレスを感じているとしたら
「(主体者によって)取り残された」「見失われたあなた自身」の
某(ある)キャラクターが
あなたのどこかで隠れて待っているということができるでしょう。

これは「充足した自尊心」にも通じる大事な問題です。

どういうことか?
たとえば私も、今日こんなことがありました。

つくりかけのサイトと向き合っていて
言葉をおろしているのですが
ややもすると「書く気が失せて眠くなる」のでした。(笑)

そこでこんな風にチェックしました。

「どのような環境(枠組み)があれば書く気がするのかしら?」

最も深い自分を自分の内奥に
見つけ出して、たずねます。

するとボンと飛び出したビジョンは「ノイシュバインシュタイン城」!
(シンデレラ物語にでてくるお城です)

そこに投影されているエネルギーは、豪華絢爛なお姫様世界です☆

私の今のサロンは一応小ぶりながらホワイトカラーベースに
ゴールドをアクセントにしたインテリアです。
スワロフスキーのクリスタルや
ルイヴィトンのトランクに
白いマリア様をあわせて
ヨーロッパの空気を感じられるようにしています。

それでも十分、幸せであったのですが
「ノイシュバインシュタイン城」は、もっと派手!

私のなかの「少女パート」がそのお城のなかで
ロマンティックなドレスを着てお絵描きをしているのです(笑)

きょうのランチは鶏肉のブロッコリーと
きのこのカシューナッツ炒め、そしてコーンリゾットでしたよ

つまり、私が文章をストレスなく書き続けられるようになるには
「論理的レベル」や「理屈」や「思考」や
「アイディア」レベルではなかったのですね。
それを頑張ろうとすればするほど空回りしてしまうのです。
(この辺が、魂のテーマのおっそろしいところでもあります。
論理が通用しない!

あくまでも「豪華絢爛なお城に住まう少女の心」とつながらないと!

音楽でいうとヘンデルとかバッハとかメンデルスゾーンとかなのです。
(1年前はリストにはまりましたっけ)

ここで重要なのは、次の意識になります。

「あなた(少女のこと)はね
豪華絢爛なお城にふさわしいだけのキャラクターよ!
すばらしいわ!素敵だわ!」

です。

豪華絢爛なお城と少女を
イコールでつなげてあげるのです。
ちゃんと。
「絆」を与えるのです。

それを意識しないと
「豪華絢爛なお城」と「少女」は
分離したままに終わってしまうからです。

ここに「絆」を与えることを
私は「愛」と呼びますが

ここをつないであげることで

「真の自尊心」がアップします!

(真の自尊心とは何かについては、またいつか)

「真の自尊心」がアップすると
泰然自若としてストレスフリーを生きられるようになります。


事実、私も。
「あなたには豪華絢爛なお城がふさわしい!」と声をかけられた
「内なる少女」はルンルンご機嫌です。

「内なる少女」がルンルンになると
「お絵描き」がはじまります。

私の場合、好きなことを
自由に書きたいモードになるのでした。
それができると多少は
「主体者が求めるお仕事のための原稿書きも書いてやるかー」
と言ってくれます(歓喜の涙)。

逆をいえば、私は
「豪華絢爛なお城に住む少女」の気持ちと一致していないと
いつもどこかで無意識に
「自尊心や自己愛が傷ついたような気分」
囚われたままとなってしまい、
精神(霊魂)と心と体と行動を一致させることができずに
うんうんとうなりつづける
不具合な人生を構築していくことになるわけなのでした。

大事なことは
他の誰がなんというと「自分は自分!!」

他の誰が認めなくったって評価なくったって
「私は豪華絢爛なお城が似合う少女なんだから」!

なりきることにあるのではないかと
私は思うのです。

こんな大事な部分、
自分のための人生なのに
誰かの評価などを気にして
なりきらないのは、もったいなさすぎます。

だってそうしないと
「個性」は際立っていかないからです。
中途半端なことやって、なりきらないと、
箸にも棒にもかからない結果になりかねないのです。

この「自分のネイチャーからくるキャラクター」に
「なりきること」こそが
「パワーの源」になっていくのではないか。


私が、いろんな成功されている方々を観察していての見解です。

個性化人生、充実した人生を創造していくために
あなたが
「なりきらなくてはならないキャラクター」は
なんでしょうね?


でね。

この豪華絢爛な少女になりきりますと
何が起こるか?何をしたいか?

私の場合は・・・


「おこもり世界が大好き!」
「ひとりワールドが大好き!」
「だって私はお姫様だもん!」

なのでしたー。

「人間関係」の問題は
いっぱしの社会人としてもろもろ心得ていますし
某のマナーも知っています。

ですが〜

個性化を追求した私というのは
「ひとり世界」が本当に大好き。
だって、私の内面世界はとっても刺激に満ちていて
いろんな情報にあふれていて飽きることありませんし。
めくるめく魔法世界や神秘の秘密とともに
パズル遊びのように、色々な出来事と
出来事をつなぎあわせているのが
本当に楽しい。

荘厳で華麗。
深紅の花びらが舞い散るなか
愛の讃歌をうたような気分で
生きていきたいと
新たにセットアップしなおした私なのでした。


よって、これはほとほと本当に申し訳がないところなのですが、

私から知人友人をお誘いさせていただくことは
本当になくなってしまったわけなのでした。

自己同一視の範囲内の方(簡単にいうと《家族圏の方》)としか
交流が持てなくなってしまったのでした(T-T)

友人知人を求めていないわけではないのです。
ですが、それは慎重に取り組まないと私の場合、
なんだかおかしな不一致現象につい飲み込まれて
影響を受けてしまいやすい、
自分の弱さを多分にはらんでいるからでもあるのです。

いやはや、ここまで自己を認められるようになるには
やまほど「孤独」へのエッジを乗り越えてきましたよ。
勇気と覚悟がどれだけいったことでしょう!


生きることへの

愛をもって
愛のために
愛ゆえに
私は火の中に
飛び込んだ

といって過言ではありません。


ちょいと変わってる私でゴメン。
と思いつつ
どうしようもなーい。
自分のあるまま自然な姿を大事に生きられないと
他の誰かを大事にすることなんてできないし。

・・・というわけで
きょうも元気よく明るく楽しく
自己研鑽を重ねる1日なのでした。

日々の小さな幸せに感謝。

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