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2015年11月30日月曜日

喪失の哀しみをどのように受け止めるか?〜なりたい自分になるためにも


愛犬ポリーちゃん。きょうもセッション中に
セラピスト魂を発揮してくれました☆クライアントの方の声の
波動の変化を察知して、「クゥーン」となくのです!
そのひとにとって大事な二次プロセスのテーマを
スピリチュアルに知らせてくれるのです。

みなさん、こんばんは。

ひとの苦しみの種類は枚挙にいとまがありません。

私はそれらすべてをリスペクトしています。


クライアントの方をはじめ
私の身辺には
「喪失の哀しみ」を抱えているお話が少なくありません。

これは正直言って

とても骨身にしみるキツイものであります。

複雑な心情がからみあっています。


ひとつには

よすがとなる存在が
この世から姿を消したことによる
ぽっかりとした心の空洞感

ふたつめには

その存在がこの世を
去らなければならなくなった因果が
自分にあるのではないかという
罪悪感

相手が自己同一視している
(自分と心の距離が近い存在である)
対象である場合ほど、
まるで自分で自分を傷つけているかのような
痛みと苦しさが隠されています。
少なくとも無意識には。

この2つの心の動きを
親身に理解してくれる誰かに
受け止めてもらうプロセスは

心の浄化(整理・クレンジング)として
とても有用です。

無意識に抱えていたイライラやストレスも
すっきりとします。

この観点も私は大切に
耳を傾けていきます。



そして三つ目が
無意識レベルで
いちばん苦しい理由になるであろうと
私は察するのですが

それは

その存在と「円を描く関係」でありたいのに
その存在と「交わり合いたい」のに
その存在と少なくとも精神レベルで
「手を取り合い微笑みあう関係」でいたいのに

さまざまな感情が交錯するために
(そのなかには、無意識レベルの怒りや後悔、悔しさなどもあります)

求める「精神的な寄り添い愛」に
至りたくても
至りきれない

無意識のもがきとあえぎが秘められるわけです。

これは

現実レベルで、どのような
行動・現象につながっていくかといいますと
(ひとにもよるのですが)

多くは

「なりたい自分になりにくい」

となるわけです。

なりたい自分になろうと一歩踏み込もうとするとき
無意識にスイッチが入って
「それは許されない」さっと迂回・退いてしまうパターン
繰り返してしまうのですね。

***

したがって
ご依頼のテーマが「願望実現」である場合も

身辺に「喪失した存在」があられる場合、

この部分を精緻にとりあつかうことを
暗黙のうちに頭の片隅に置き
お話し合いをすすめさせていただいています。

「許されている」
境地を体感していただくための
創意工夫をこらしていきます。


***

この手のテーマの場合
多くの場合、困った(?)ことに
この心情世界に蓋をして闇に葬り去っていることから
(それはそれで健康的な自我の働きであるゆえ)

ご本人の意識にはまったくのぼってこないという点です。

そもそもは健康的な自我の働きのなせるわざではあったとはいえ

そのために幾度も
「なりたい自分になりたくてもなれないパターン」を
繰り返すこととなってしまうのです。

それが問題とか悪いとかそういうことはまったくないのですが

依頼者の方が「なりたい自分になりたい」というテーマを
持っていらっしゃる場合には
ここは捨て置けない重要な観点、
積極的に見つめていくわけなのです。


心理カウンセリングでしたら、ゆっくりじっくりていねいに
ご本人の口から表現されるのを確かめるようにして、

霊能(スピリチュアル)カウンセリングでしたら、
やんわり知らぬ間にそっと優しく深みに降り立ち
極微レベルに感知されるエネルギーをしっかりつかまえて
核心にドキューンと迫るかのように


読み解き、受け止めていきます。


きょうの夜ごはんはスッキリさっぱりめ。そうめんの冷製パスタ風。
ツナとトマトと焼きなすと玉ねぎとベビーリーフを
オリーブオイルとニンニクのすりおろしであえました。
ちゅるっとお腹に入ってしまいました〜♪

ふりかえってみれば
私は自分が想像していた以上にデリケートな体質すぎるためなのか
「なりたい自分になれない」ことへの「言い訳三昧な体質」(苦笑)なのか

この「喪失の哀しみ」は予想外のところのものを受け取ってきています。

1つは、母が中絶した水子の兄について。
会ったこともないのになぜか8歳のとき母親に
「お兄さんが欲しい」と無茶振りをしていたのです(苦笑)。
ぎょっとした母は告白してくれましたが
子供のころは「流産だった」と聞かされてたのが
30歳をすぎたとき「実は中絶だった」と教えられ
半端ない怒りと悲しみの噴火に襲われたのでした。
会ったことがあるわけでもないのに!
この問題と向き合い癒し、見失われた兄との対話を繰り返し
進むべき道を見つけることができました。

でも、クライアントの方のなかには「望まずして中絶せざるをえない苦しみ」を
語ってくださる方もいて、そういうお話を耳にするたび
私は自分が癒されていくのを感じます。
同じできごとも、立場が違うことによって、
いろいろな苦しみがそこにはあるのです。

2つめはーーこれも、それ!?と驚くのですが
戦死した父方の祖父について。
正直、ここにチューニングすると肉体レベルでの
壮絶な苦しみの波が押し寄せてきます。
私が生まれる30年も昔の物語なのに、
異様にリンクしていて、きつかったです。
おそらく、夫を失った
祖母のこころも半ば入っているようにも思われますが。
この問題と向き合った時にも、
戦争と平和について真剣に向き合うことが答えとなり、
それを意識しているときに
私は「なりたい私になる」流れにストンとのれるのでした。


「喪失の哀しみ」についての話題に面するとき

私は自分に起きたこの2つの哀しみを思い起こし
周囲にいる「喪失の哀しみ」を経験した人間の気持ちに想いを馳せ

深い黒い涙の海にともに沈みながら
受け止めさせていただいています。

あなただけの「許された」世界をご体感いただくために。

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