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2015年11月2日月曜日

恨み辛み怒り:否定的感情もあるままに〜振り回された人生に別れを告げるために


あなたの心の扉の奥深くに閉ざした
感情のあるままを
大切に受け容れお守りしたい

思い通りに体がなかなか動かない場面に遭遇するたびに
私はインナーワークを繰り返します。

ヒントは

「私のなかに、そう(望む方向に向かわせ)させたくない
意図や理由があるとするなら
それはどのような声や、どのようなエネルギーでしょうか?」

という問いかけから浮かび上がってきます。

すると「カッツーン……」何かにぶつかるような感触。
(きょうの私の場合です)

ぶつかった感触をしばらく味わっていると

うわ〜〜〜〜〜〜!!!

アラジンの魔法のランプから何かがあふれだしたかのように
出てまいりましたのは

「恨みつらみと怒り」

だったのでした!!!

この恨みつらみはすごく新しいものではなかったのですが
その量と質が、過去最大級!!!
という意味で、お初感たっぷり。

どかーんと私の存在の根っこから
噴火したものでした。

そうそれは何かと言いますと

「両親家族への恨みつらみ」

自分のなかにそれがあることは知っていましたし
それを浄化させることもたくさんしてきましたし
ある意味では、恨みつらみを抱いていてもどうしようもないという
理性も働いており、適当に手なずけもしてきました。

ですが今回の「怨恨」は

私の「存在不安」の正体でもあるような気がしました。
とにかく驚くほど大きな大きな魔神のような怨恨なのです。

その「怨恨」の言い分はこんなかんじ。

「だいたいが、私の感性を片っぱしから否定しまくっていた
あの9歳から30歳までの出来事による
トラウマの数々がいかほどのことだったことか!
うまいこといって
私の感性の声をことごとく否定して
私ではないものにさせられて、
こちらの心は木っ端微塵。
心の器が育たないまま
社会に出ることになり
おまけに結婚しても、
両親はちっとも私を守ってくれなかった!
むしろ義理の両親にへこへこ頭を下げて
私を全員で見下していた。
親が娘をディスカウントして
その主張を強力にゴリ押ししてくるために
私は立つ瀬がいつだってなかった。
私が傷だらけになって前途怪しい状況になってから
耳を傾けてきたって、
二度と帰らない大事な「心の器を育てる時期」を
いったいどうしてくれる。
心の器をしっかりと育てることに成功していれば
今頃私は云々etc.」

理性的にみれば、いやー、私にはこのプロセスが必要だったのだよ
という側面もおおいにあるんですけど・・・

感情とは、おりこうさんになってやりすごしても
けして活かせるものでもないのでありました。


「感情はいい悪いはなく、それは魚や犬猫のように
ただ存在するものなので」
それをちゃんと認めてあげないことには、
長い年月のなかで
主体者にのろしをあげて暴挙をふるってくるのであります。


今回も私は
「思い通りに体が動かなーい」という
(今、書き進めたいものがあるのだけど、
突然ぴたっと筆が止まってしまって困ってしまったのでした)
問題にでくわしたのでしたね。

情けないことに
その「感情」の言い分としては
「あることを認めてくれなけりゃ、
別の形であることを認めさせてやるんだから」というわけです。
それは、「難破船」あるいは「空転」。。。ひー。

私のなかの「怨恨」は
やすやすと理想的な人物像になって(成功して)
親を喜ばせたくない、というのです。

頭ではナンセンスと思うのですが

感情はエネルギー。

(実際、これは多くのかたの集合的無意識としても
働いている心の動きでもあります)

頭だけでコントロールしきれず
コントロールしようとすると
こんどは体がコントロールできなくなり、
このままでは私の人生そのものを
私自身でコントロールできないことになっていってしまうのです。

感情をコントロールすることを手放したほうがいい
私が思うわけです。

感情とは、ともにダンスを踊れるようであること。

これが理想的な心の状態であると私は
深層心理学的見地から思うのです。

さて、私はこの大きな感情を見つけて
ひとしきり泣きましたよ。
く〜〜〜悔しさも胸に迫り
どうにもすることのできない恨み辛み。
かわいそうにかわいそうにと
いっぱい心のなかで頭を撫でましたよ。
なんならいっそ「恨み辛みの文学」とか追及してみるのは、どう?
とも言ってみました。

実際、私のサロンは「秘密の本音部屋」です、
私が「恨み辛み」の声を
「今に見てろ!焼き殺してやる!」などと
肩代わりして演じていくと
みなさん実にこぎみよく嬉しそうなニヤリ笑顔になること、なること。

私の「怨恨」魂は
ぴたりと落ち着いたのでした。

まあ、この辺も、書けそうなところから
紐解いていこうと思います。

みなさんも、「思い通りに体が動かなーい」と違和感をかんじたら
ぜひ「感情」のことを心得ている、あなたがいいなと感じる専門家のところに
たずねてみるといいかもしれませんね。

「見失われた感情(エモーション)」をレスキューすることで
思う通りに体は動き出してくれることでしょう。

GOOD LUCK☆

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