みなさん、こんばんは。
ようやく私の腕のしびれと目の充血が完治しました。
※この件はこちらの話が前提に▼
結局、病院には行きませんでした。えへへ。
精神の問題点を見出して、修正したことによって
快方への傾向性を見出すことができたからです。Vサイン☆
どんなインナーワークがあったのか、ご紹介します。
---人間関係の問題を「鏡」としましたーーー。
みなさんも、気になる身体症状や人間関係の問題を感じている方は、
ぜひ参考になさってみてください。
精神の無意識りにおけるストレスには、
くれぐれもご用心です。
テーマは「他者を鏡にするには、どのようにすればいいか?」
その実践論をご紹介したいと思います。
鏡としたのは、数日前の晩の私の母との口論でした。
自分の腕のしびれと、目の充血の件をこぼしたくて
電話をしました。
「最近、いろんなことに気持ちが拡張しやすくなっているせいなのかなぁ・・・」
とうすらぼんやりと感じられていることをくちにすると・・・。
母の切り替えしは、
「親戚のおばちゃんも似たようなことを言っていたわ。
私も最近、なんか気が変だし。
なんか宇宙からそういう信号でもきているのかしらねえ」
・・・しーん・・・
「お母さん!私が言いたいのはそういうことではないでしょ!
お母さんはどうして私を受け止めてくれないの?
ほかのひとがどうかなんて話は、今ここでは関係がないじゃない。
私の問題があって、腕のしびれと、目の充血が発生して、
私はとってもしんどいから、一刻も早くこの問題をクリアにしたいと言っているのにー」
私の言い分は
「私自身に問題があるのに、
なぜ他者との共時性にはてはめようとするのか?」。
「焦点を私に絞ってください」とクレームしているのですね。
母がとかく「広角レンズ」で人の問題をとらえようとすることに
私は異論をのべているわけです。
すると母は、
「どうしてお母さんを責めるんだ!」と
怒りかえしてきます。
話がいっこうにかみあいません。
母にしてみれば、母の世界観を理解しない娘のほうこそ
「受け止めてくれていない」といって文句をのべてきます。
私からすれば、
受けとめるとか、受けとめないとかが主題ではなく、
テーマは、「私の腕のしびれと目の充血」でしょ?
と言いたいわけです。
会話は恐ろしいぐらい平行線どまり・・・。
「だめだこりゃ」と、がっかりし、電話を切りました。
それぞれがそれぞれの世界観を固持しつづけるかぎり、
「理解しあう関係」は生まれません。とほほ。
それに対して私たちはとかく
「あのひとは私のことをちっともわかってくれない!」と
悲しみ、ときに怒り、永遠のスパイラルの中に巻き込まれていくのですね。
ですが、じつはこの悲しく、怒りの対象にさえ思われる
「関係性」のなかにこそ、
そのひと自身が、今このタイミングで磨き上げると
より生きやすくなるであろう
因子が潜んでいます。
もしもあなたがこの「因子」をひもとくことに
ご興味がありましたら、
ぜひご相談をご依頼ください。
さて、そこで、私は電話を切ったあとに、
こんな風に考えました。
「さきの電話の私と母の関係性のなかにも、
私の腕のしびれと、
目の充血と(身体症状)につながる 因子が隠されていると
仮説するなら、それはどんなことだろう????」
1.私の母に対する態度:
「私」に焦点を当てたいという想い
2.母の私に対する態度:
ほかのみんなも似た状態よ、と「広角」でとらえる視点
3.身体症状がもっているエネルギーの指向性:
「ひねりあげるような、絞りあがるような感覚」
上記3つのポイントがこの問題のかなめだろうと分析されたので、
この3点を、じーっと強く意識して、
「何かが浮かび上がってくる」のを待ちました。
しばらくこのポイントに焦点付していると、ふっと答えが浮かび上がってきました。
それは、
私の二次的なテーマが
「私が私自身に焦点づけしようとするのに反して、
私の大きな自己が、拡張したがっている、
もっともっとワイドな視点から世界を見たがっている」
というポイントにあるのだろうと、
ひらめいたのでした。
だから、私はすでに感じ取っている
「最近、いろんなことに気持ちが拡張しやすくなっているせいなのかなぁ・・・」
と、母にこぼしているのであり、
その「気持ちの拡張」を、「小さな自己」(自我、意識レベルの私)が
抵抗するから、母の「広角レンズのもののみかた」に腹立ちを覚えるのであり、
実際、自らわきあがってきている「気持ちの拡張」に従い切ることができなくて、
(本当は、今こそ拡張しなくてはいけないときであるにもかかわらず、
いつまでも自分という小さな点にとどまろうとするから)
「ひねりあげるような、絞りあがるような感覚」をもって、
腕はしびれ、目は充血しなければならないところまで
追い込まれてしまったと見て取ることができるわけです。
そこで次にチェックしたのが、
私にとっての「気持ちの拡張」
「ワイドな視点」とは何か?
でした。
すると妙に私の視界に飛び込んでくるもの、
私の目に留まるものがありました。
それは、キャス・キッドソンのミニシューティングスター柄のジップパースと
スター柄をアレンジしたトップスと、
ジルスチュアートのメガネの柄の星がらでした。
つまり、
「宇宙のこころと視点」
に同化することが、必要だ
というのが答えだったわけです!わお。
確かにワイドです。ワイドなんてもんではありませんw
私はいつも「宇宙に抱かれているところ」を感じとることはできていますが、
その抱いている側の「宇宙」そのものになりきることは
いまだチャレンジしたことがありません。
だから、げげげ、と思いました。
自我親和感がないのです。
違和感ありまくり。
同化しようにもできない。
でも同化しないと腕はしびれるし、目は充血して、ごろごろするし。
困った~~~~~~~~~。
3秒ぐらいならテストが可能ですから、
少しトライしました。
私が「宇宙のこころ」になっているところを想像すると・・・・!?
やっぱり!
腕のしびれはすとんと
おさまるではありませんかっ。
この「方向性」が今このタイミングで
進むべき「私の道」であることが
わかったのでした。
そのこころから、現実の「もういやだ~」というできごとを見つめると、
はっきりいって、「どうでもいい」ですw
なるようになれば?
という感じです。
ふだん、これまであまり「どうでもいい」という境地に慣れ親しんでいないものですからw
非常に自我違和感がありますが。。。
でも、そうならないと、私の身体症状はこのままではどうにかなってしまうのでしょう。
私にとって人生の優先順位は「健康が第一」なので、
(私の感受性は、傷みにすこぶる弱くできているのです(T-T))
進むべき「私の道」に、第一歩を踏み入れることが待たれています。
そのためには、私はまたまたキャス・キッドソンの力をかりなくちゃなあ。。。
※キャス・キッドソンの「シューティング・スター柄」が
まさしく私の感じている「コスモス」のドツボにはまっているのです。
とほほ、とまた自我の悶絶がはじまるのでした。
「もういやだよ、いったいあとどんだけ私はキャス・キッドソンを買わないと、
本当の意味で、魂の扉は開かないのかい??? づがれだぁ~~~~」
今度は、こっちの問題がでてきたので、
さすがにこれは、ひとりで取り組むのが難しく、
いそいそとわが師匠のところへ
相談にでかけたのでありました。
それについてはまたあした。
大事な大事な
「自分の道をはばむ、
社会の枠組みから自由になる!」
というテーマでお届けする予定です。
おやすみなさい☆
空にまたたく満点の星々に
あなたの健やかな寝息が届きますように。
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