みなさん、こんばんは。
きょうも引き続き「知られていない大事なこと」を
ご紹介しようとも思ってはいたのですが、
違うテーマで書きたいことがあったので、
すみませんが、そちらにします。
魂(深い無意識の次元)には、いろんな性質がありますが、
そのひとつに「愛着」という指向性があります。
そしてその指向性は「過去」です。
一度好きになったひとのことがなかなか忘れられない。
過去のことがとても懐かしく思える。
過去の栄光がまぶしく輝かしく思える。
過去のできごとが醜く感じる。
過去をなかったことにしたい。
など。
こういった想いの震源地は
あなたの魂にあり、
そしてそれは自然なこころの動きなのだとすると、
あなたは、どのように感じるのでしょうか?
きょうもクライアントの方のセッションでも
お話させていただいたのですが、
たとえば
ザ・ピーナッツのスヌーピーのその仲間たちのひとりである
「ライナス」の「毛布」なんかも、
まさに「愛着」の対象ですよね。
http://www.snoopy-fan.com/character+index.id+6.htm から画像をコピペしています。クリックすると ライナスについてそのキャラの詳細が。 |
子供のころ、お気に入りの何かが
どんなに汚れても愛しく感じた経験はありませんか?
ですが---。
よく自己啓発のセミナーなどによると
(私の立場からすると、これらは自我啓発セミナーになりますが)
「過去」は過去だから
「未来」を志向せよ。
たる考え方をベースにお話しがなされていきますよね。
それもそのとーりー!
ですが、私たちは人間ですから、
私たちの精神のうちには、善と悪が存在するように
私たちの精神は、非時間性のなかで、
過去にいったり未来にいったりするのが自然。
もちろんそのどれもが「今ここ」に立脚しているものであることを
しかと自覚していることも大事ですが、
想いは時を超越した存在なのではないでしょうか。
だから、いわゆる「過去の思い出って美しいんでね?」
と思うくちなのです。私は。
ユング派の心理学者トマス・ムーアは、
「過去への憧憬や記憶への没頭には
隠微な快楽がふくまれている」
と表現しています。
だから、私たちが過去に愛着するのは、
たとえそれが否定的な感情であれ、
肯定的な感情であれ、
いずれも、根源的な快楽欲求に属するというのです。
わおー。
あ・・・。そういえば。
大学生のときに、放送の研究会に所属しており、
そこでラジオドラマをつくっていたのですが
そのオリジナルのシナリオのタイトルが
『想いでに変わるまで』というのであったことを、
今、突然思い出しました!w
もちろん「過去」に愛着をしめしていたって、
ちっとも前進できないんじゃないの?
という考え方があることも知っていますが、
なんといっても、私の指向性は
大学時代に史学を専攻したタイプですからw
過去を知ることで、現在の未来の切り拓き方のヒントを知ることができる、
と信じております。
また、
過去があるから、現在があり、未来があるのだと思っています。
私たちの現在や、未来の豊かさは、
過去に対する
こころの豊かさに比例するのではないかとも思うのです。
クライアントの方のお話をうかがっていて、
「醜い過去を否定したい」という、
心情を吐露してくださることは多々あります。
その想いそのものについて、私はまごころから尊重しています。
私自身も、どれだけ自分の過去をののしったかはしれませんしw
ですが……。
同時に、私は次の映画のワンシーンのセリフが大好きです。
***
1985年に制作された、作家ホートン・フーテの『バウンティフルへの旅』。
息子夫婦と一緒に都会生活を営んでいる感性の鋭い老婦人ワッツのことばです。
彼女は、テキサス州のバウンティフルにある、長い間打ち捨てられたままの
昔の家族の旧家を訪れたいと憧れるをふくらませるのです。
息子の嫁は、それを単なる老人の感傷とみなして、その旅を邪魔しようとするのですが・・・。
ワッツ夫人は、自分の憧憬と愛着の対象を次のようにいいます。
「二十年間も土に触れていないわ。だから、手が土に触れたがっているのよ」
魂の衝動です。これこそが。
そして、いろんな紆余曲折をへてどうにかこうにか(それも保安官の車で!)
昔の家に連れて行ってもらうことができます。
ですが、その土地は雑草に覆われ、子供時代にいた人々もみな亡くなっておりいません。
それでも彼女はその訪問に満足します。
自分の選択した愛のない結婚や友人たちの問題を考えて、彼女はこういいます。
「そういったことは今は考えないわ。
けれどもそれらはみな豊かさの一部なのよ」
***
過去というのは、
それがどれほど醜いものであっても---
たとえそれが失敗だらけだと思えるものであっても---
おぞましい過去から激しく自由になりたいと---
恨みの想いのつきないものであったとしても---
魂にとっては、それは豊かで、かけがえのないものである、ということが
よくよくわかっていたりするのです。
だから、魂は過去に愛着をしめそうとするのですね。
はい、そうなりますと。。。
いいじゃありませんか!
私たちがどんなに過去への慕情をかきたてようとも。
それもまた豊かなこころある人生の一部なのですから。
私は、こういう視線を過去に投げることができるようになることが、
「自分を慈しむ」ことなのだと思います。
あなたは今、
あなたの過去に
どのような想いで
向き合っていますか?
私が提供させていただいている
心理のセラピーは、
この境地に至ることも、サポートしております。
(スタートの目標が別のところにあっても、
結果的にこういうプロセスも通過することになることが多々です)
もしご興味がございましたら
ぜひお気軽にご用命ください。
では、美しい夜を☆