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2011年9月17日土曜日

「愛着したい」~魂の自然な欲求を貴ぶことも、生きやすくなるコツ



みなさん、こんばんは。

きょうも引き続き「知られていない大事なこと」を

ご紹介しようとも思ってはいたのですが、

違うテーマで書きたいことがあったので、

すみませんが、そちらにします。

魂(深い無意識の次元)には、いろんな性質がありますが、

そのひとつに「愛着」という指向性があります。

そしてその指向性は「過去」です。


一度好きになったひとのことがなかなか忘れられない。

過去のことがとても懐かしく思える。

過去の栄光がまぶしく輝かしく思える。

過去のできごとが醜く感じる。

過去をなかったことにしたい。


など。


こういった想いの震源地は

あなたの魂にあり、

そしてそれは自然なこころの動きなのだとすると、

あなたは、どのように感じるのでしょうか?


きょうもクライアントの方のセッションでも
お話させていただいたのですが、

たとえば

ザ・ピーナッツのスヌーピーのその仲間たちのひとりである

「ライナス」の「毛布」なんかも、

まさに「愛着」の対象ですよね。

http://www.snoopy-fan.com/character+index.id+6.htm
から画像をコピペしています。クリックすると
ライナスについてそのキャラの詳細が。
















子供のころ、お気に入りの何かが

どんなに汚れても愛しく感じた経験はありませんか?





ですが---。


よく自己啓発のセミナーなどによると
(私の立場からすると、これらは自我啓発セミナーになりますが)


「過去」は過去だから
「未来」を志向せよ。


たる考え方をベースにお話しがなされていきますよね。

それもそのとーりー!


ですが、私たちは人間ですから、

私たちの精神のうちには、善と悪が存在するように

私たちの精神は、非時間性のなかで、

過去にいったり未来にいったりするのが自然。

もちろんそのどれもが「今ここ」に立脚しているものであることを

しかと自覚していることも大事ですが、

想いは時を超越した存在なのではないでしょうか。


だから、いわゆる「過去の思い出って美しいんでね?」

と思うくちなのです。私は。



ユング派の心理学者トマス・ムーアは、

「過去への憧憬や記憶への没頭には
隠微な快楽がふくまれている」

と表現しています。

だから、私たちが過去に愛着するのは、
たとえそれが否定的な感情であれ、
肯定的な感情であれ、
いずれも、根源的な快楽欲求に属するというのです。

わおー。


あ・・・。そういえば。

大学生のときに、放送の研究会に所属しており、
そこでラジオドラマをつくっていたのですが
そのオリジナルのシナリオのタイトルが
『想いでに変わるまで』というのであったことを、

今、突然思い出しました!w


もちろん「過去」に愛着をしめしていたって、
ちっとも前進できないんじゃないの?

という考え方があることも知っていますが、

なんといっても、私の指向性は

大学時代に史学を専攻したタイプですからw


過去を知ることで、現在の未来の切り拓き方のヒントを知ることができる、

と信じております。

また、

過去があるから、現在があり、未来があるのだと思っています。

私たちの現在や、未来の豊かさは、

過去に対する

こころの豊かさに比例するのではないかとも思うのです。


クライアントの方のお話をうかがっていて、

「醜い過去を否定したい」という、

心情を吐露してくださることは多々あります。

その想いそのものについて、私はまごころから尊重しています。

私自身も、どれだけ自分の過去をののしったかはしれませんしw


ですが……。


同時に、私は次の映画のワンシーンのセリフが大好きです。


***

1985年に制作された、作家ホートン・フーテの『バウンティフルへの旅』。

息子夫婦と一緒に都会生活を営んでいる感性の鋭い老婦人ワッツのことばです。

彼女は、テキサス州のバウンティフルにある、長い間打ち捨てられたままの
昔の家族の旧家を訪れたいと憧れるをふくらませるのです。

息子の嫁は、それを単なる老人の感傷とみなして、その旅を邪魔しようとするのですが・・・。

ワッツ夫人は、自分の憧憬と愛着の対象を次のようにいいます。

「二十年間も土に触れていないわ。だから、手が土に触れたがっているのよ」

魂の衝動です。これこそが。

そして、いろんな紆余曲折をへてどうにかこうにか(それも保安官の車で!)

昔の家に連れて行ってもらうことができます。

ですが、その土地は雑草に覆われ、子供時代にいた人々もみな亡くなっておりいません。

それでも彼女はその訪問に満足します。

自分の選択した愛のない結婚や友人たちの問題を考えて、彼女はこういいます。

「そういったことは今は考えないわ。
けれどもそれらはみな豊かさの一部なのよ」


***

過去というのは、

それがどれほど醜いものであっても---

たとえそれが失敗だらけだと思えるものであっても---

おぞましい過去から激しく自由になりたいと---

恨みの想いのつきないものであったとしても---

魂にとっては、それは豊かで、かけがえのないものである、ということが

よくよくわかっていたりするのです。



だから、魂は過去に愛着をしめそうとするのですね。



はい、そうなりますと。。。


いいじゃありませんか!


私たちがどんなに過去への慕情をかきたてようとも。



それもまた豊かなこころある人生の一部なのですから。


私は、こういう視線を過去に投げることができるようになることが、

「自分を慈しむ」ことなのだと思います。




あなたは今、

あなたの過去に

どのような想いで

向き合っていますか?




私が提供させていただいている
心理のセラピーは、
この境地に至ることも、サポートしております。
(スタートの目標が別のところにあっても、
結果的にこういうプロセスも通過することになることが多々です)


もしご興味がございましたら
ぜひお気軽にご用命ください。


では、美しい夜を☆

2011年9月15日木曜日

【知られていない大事なこと①】変容と改善に不可欠!上質な睡眠を積極的にとるべし




















みなさん、おはようございます。

きょうはいつもとスタイルをかえて、朝のポストです。

といいますのも、

私は今週から六本木ライブラリーに入会していて、

ここを第二の書斎として積極的に使いたーい☆

というわけで、きょうは午前中があいているので、

朝8時からチェックイン&お仕事&読書研究モードに

はいっている次第なのです。

(ここは無線LANも使いたい放題、とっても便利です♪)
















はい、朝のまばゆくも神々しい光でございます。

東京タワーをはじめ、東京の街を眼下に一望し

その土地のあらゆるシーンに想いを馳せることは、

私にとって楽しくて幸せな夢想のひとときです。

さて、きょうは、おとといお話しした

「知られていない大事なこと」

のひとつめをご紹介します。

テーマは




「変容と改善を求めるなら


濃密な睡眠を!」


です。

みなさん、睡眠をまんぜんととってはいませんか?




ストレス社会、情報社会の中にいると、

睡眠をとっていても、

それが浅かったり、


結局、睡眠中も思考がまわっていたり、


せっかく寝たのに、かえって疲れちゃった(笑)

だなんて声をよく耳にします。


5年ぐらい前まで美容のライターとして
10数年ほど活動していましたので、

ちょくちょく「質の高い睡眠をとる方法」なる記事をつくったものです。

上質な静養は、お肌の新陳代謝をよくする!

からです。


ですが、深層心理の世界の勉強をスタートして、

さらなる「睡眠の効用」を知りました。


睡眠は

「浄化のプロセスを促し、
(自動的に)癒しと再生をもたらす
大事な、あの世への旅立ちの時間」

でもあるのです。

「あの世」あるいは言葉をかえるなら、
たとえあなたが自覚していなかったとしても、
誰もに存在する「夢の世界」との
エネルギー交換が
行われる、貴重な行為(作業/プロセス)と
ご理解なさることを、おすすめします。

「現実の世界」で疲れを感じたとき、
私たちに次なる命の脈動を与えてくれるのは、
「あの世」「夢の世界」からの
あるいは「無意識の深い世界」との
深いつながりを得ることができているときだからです。

私はプロの専門家として活動をしていますから、
日中の目覚めているときであっても、
この「あの世」あるいは「夢の世界」「無意識の深い世界」と
つながることができるようにスキルとセンスを磨き続けていますが、
(これができるようになると、シャーマンの領域に入っていきます)

こういった特殊な訓練を積んでいない方でも

容易に「あの世」あるいは「夢の世界」および
「無意識の深い世界」とつながることを
可能にしてくれるものが、

「上質な睡眠」

というわけです。


だから、もしもあなたが今、

●こころのショックを負った
●うつうつとした感覚を抱えている
●悲しい
●苦しい
●変わりたい
●現状を変えたい
●本気で自己を実現させたい

など。


の状況にいるのであれば、


どうか自覚的に睡眠と仲良くなる」ことを

強くおすすめします。


ですが、うつの治療現場でも、
このことを適切にサポートしているところは
どうもまだまだ1割程度なのではないかと

クライアントの方のお話をうかがいながら
想像させられます。



*「うつ」は多様で多層次元に存在しますが、
とかく「受け容れがたい何か」に直面化したときには
概して生じやすいです。
私たちは人間ですから、
理性だけでは陶冶できないものはやまほどあります。



***


たとえば私自身が自らの「うつ」を
センサー&キャッチした場合は、




「よーし、意思や意識レベルでは本当は嫌だけどw
どうもうつうつとしている、疲労の蓄積を感じる、から。

睡眠の神様、よろしくお願いします!

といって、勢い込んで、布団をかぶって、

あの世へと旅立つようにしていますw



このことは、私が

そのタイミングがきているクライアントの方がたに

口を酸っぱくして繰り返し、

お伝えさせていただいていることでもあります。


また、実際に、ケースによってではありますが、

今すぐ睡眠が必要な方を前にすると

私自身が眠気に憑意されます。

その方の「意思」とは別の次元で


それを選ぶことが待たれているものと判断し、

その場で一緒に睡眠に入っていくことを

ガイドすることもあるぐらいです。


私たちは自然界の動物でもあるわけですから、

この眠りの時間をないがしろにしては、

生き生きとした命をもって時を刻むことはなくなるのではないでしょうか。


「寝る子は育つ」


あれは幼少のころまでの話かと思っていましたが、


じつは、死ぬまで言い得ることだったのですねえ〜〜〜。(しみじみ)


ぜひ上質な睡眠を味方にして、


あなたの人生をより

生き生きと快適なものに刷新しましょう。


何かのヒントになりましたら幸いです。


もちろん「睡眠」を積極的にとるよう努力しただけでは
どうにもならないこともたくさんありますから、

そういうときはぜひあなたのお気に入りの
対人援助職者のもとにおたずねください。

私たちひとりにできることには、限りがあるからです。


ではでは、きょうも

あなたらしい1日を過ごすことができますように☆

2011年9月13日火曜日

私とは何者か?天地人、その生き方を目指して。〜個人的個性化のプロセス、その一部をご紹介





















みなさん、こんにちは。

きょう、わたしは2〜3ヶ月に1回のペースで
承っている、小山での出張カウンセリングの日。

写真は、東北新幹線のなかでのものです。
















新幹線のなかはひまなので、

ノートPCと愛読書がかかせません。
















2週間ぐらい前に左腕がしびれて

インナーワークをした結果、

意識の拡張が魂の次元で求められていたので、

私はそれに従いました。

(そしたら、身体症状はいまではけろり)

それに従うために、

私はキャス・キッドソンのスター柄を

またごっそりとイギリスから取り寄せたのでした。

写真は、そのPCカバーと携帯電話カバーです。

ぱっと意識が拡張される感じしませんか?

ひとことでいうと、あがる、といいましょうか。


そうしたらこんどは、次なる心情の変化がやってきました。

「宇宙のこころ」と同化したら、

むしょうに「現実に急降下」したくなったんですねえ。


夢の世界にとどまることにあきてきたというかw

夢の世界を生きる感覚を、自分のものにできてきたからかもしれません。

こんどは、その「夢の世界」を「現実で表現すること」に挑戦したくなってきたのです。


***

3年ぐらい前から

私は、心理セラピスト業の精神的な修行をはじめたのですが、

いろんな自分が分裂していく体験をしました。

途中、激しい神経痛に苦しみ、身悶えしたこともありましたし、

自分がバラバラになっていくのではないか、という恐怖も味わいました。

古い自我はもはやどこに存在したらいいのか?

その居場所を失いました。

世界の喜怒哀楽のなにもかもが、自分の内側に飛び込んできて、

悲しみと苦しみ(もちろん歓喜もあった)に、

うちひしがれ、酩酊した時期も長くありました。

とてもじゃないけど、私の古い器で

受け止められるような、しろものではありませんでした。

そして、ゼロから私は私をつくらなくてはなりませんでした。



「私は何者か?」


「私の肩書きは何か?」



ある時期、私は、これに対する返答が
何もできなくなりました。


答えが「わからなかった」のです。

アイデンティティを限定できないのです。


終始、私とは何だろうか?


私の先生は、ずっと定義しつづけてくれました。

研究会のメンバーに紹介くださるときも

「このかたは作家の魂をもったかた」

と。

*心理のセラピスト業は、
私の作家の魂が必要としている体験なのです。
真にひととふれあうなかで見つける真実の物語を
世に送りたいからです。

私が答えることばを失って

先生のことばをただいぶかしく

きょとんと、「ほんまかいな?」と

受け止めきれずにいたときも、ずっと、そのように接してくださいました。

私はこのことに深く感謝しています。


「大崎さん、作家だったら、どういう洋服を着るんだい?
どういう生活をするんだい?」


これはちょうど今から1年半ぐらい前に
投げかけられた問いでした。


私にはさっぱりわかりませんでした。

ただなんとなく直感されたのは、

アップルコンピューターのMacBookのキーをたたいている

自分の姿でした。

ですが、1年半前の私は、

「え〜。ウィンドウズを使って、それで機材がそろっているのに、
乗り換えたら、お金がかかっていやだー。
変なビジョンだー」

とあらがって、無視をしていましたw


ですが、それから1年後、結局、
MacBookを買う運びとなり、

確かにこのノートとともにいると、

イマジネーションがふくらむのですね。


そのほか【私】というアイデンティティを構成する

ライフスタイルとは何か?


皆目検討がつきませんでした。


ですが、それから半年後ぐらいから、

ずっと繰り返し続けてきていた、

魂が映し出しているものを、
(現実界でどんなものに心が動くかを、つぶさに拾い、追いかけ続けました)

ていねいに自分のものとして取り込んでいった結果、


私の魂の方向性と、キャス・キッドソンの放つエネルギーや世界観と

重なることに気づき、

最終的には、私の宇宙(コスモス)は、

「満天の星空」そのものであることにまでたどりついたのでした。



そして次に必要となったのは、

もっと具体的なライフスタイルでした。


私のカウンセリングルームは、

ガーデンをイメージとしております。
(本当は天井いっぱいに星屑がいっぱいの
夜空のウォールペーパーをしきつめたいのですがw)

どちらかというと、大地に近いイメージです。


同時に「満天の星空」に近い世界とも

日常的に触れていたくなったのでした。




で、たまたま従兄弟が入っているという情報が
家族から耳に入り、
心のアンテナが触れたのが、

六本木ヒルズにあるアカデミーヒルズ内の六本木ライブラリーでした。

なんと49階にある図書館です。

高い天井のもとにある白い空間の明るい窓越しには、

ご覧ください!

この壮観。

















最初の月だけ10500円で、
後は毎月9450円で、

ここを借りの書斎にできてしまうのですから、

こんなに嬉しいことはありません。

まさに「意識の拡張」が実現。


高い空のうえから、東京の町並みを抱き、

イマジナルな世界にいくらでも飛翔することができるようになります。


自分の本質に近い、
ライフスタイルが
復活しつつあるのがわかります。


これにあとは、
運動ライフを
どのように組み込むのか?

私はもともと身体を動かすことも大好きだからです。


この2〜3年、自分をいったん解体したとき、
運動にまで気を回すゆとりを失ったので、

無理せず、静観していましたが。

フィジカルなことは、

現実を生きる、
まさにグラウンディングした生き方でもありましょう。


そこで、
勇気をだして?
2年前から気になっていた、

ティップネスの丸の内スタイルに
入会することにしたんですぅ〜〜〜。
(わくわく、どきどき)


これこそが、


私の


天地人。


天があり、地があり、人がある。


まさにそんな世界を形にした
ライフスタイルが実現しつつあり、
私はごきげんめです。

あとは、私が「人」になることですね。

「天」と「地」をつなぐ———。


そのために、これからの人生があるのだと
意を決する次第です。

がんばろっと。



これをご覧くださっている皆様、

皆様にとっての

「天地人」とは、

どのようなライフスタイルの中から
編み上げられると、

直感なさるのでしょうか?




これから私の日常は、もっと忙しくなりそうです。

活気づいてくると、

きっと創作意欲ももっと高まってくるものと、

自分で自分を楽しみに、

待っているところなのでした☆



みなさま、

「私とは何者か?」


ひもとくことに興味がありましたら
ぜひおたずねください。

少々根気のいる領域ではありますが。

一度しかない人生ですからね。

もしかすると根気よく取り組んだ分だけ、
人生後半が色豊かになるかもしれませんね。


みなさまの、
彩り豊かなライフを
こころより応援しています。



ごきげんよう。

P.S.
きのうの話題は、また明日以降にアップします。
お待ちいただきすみません。
よろしくです。














2011年9月12日月曜日

知られていない大事なことがたくさんあるから! 問題の改善を試みるなら、こういう臨床家を探して! 日本の精神医学教育の課題と限界と自然


みなさん、こんばんは。


きょうは、ちょっぴり「こころと精神の問題」について、

その大事なポイントをご紹介したいと思います。


私のところにおいでになられるクライアントの方は、

人生相談の類から、精神的な不具合を実感していらっしゃる方まで、

幅広くおいでくださっていますが。

いつも、クライアントのお話を教えていただきながら、

「?」と思うことがありまして、

「ひょっとしてクリニックや病院のドクターたちも
学んでいない(教えられていない)のではないだろうか???」


と。


私は残念ながら、ドクターコースに進んでいないので、

日本のドクター教育がどうなっているのか、足をふみいれて

自ら体験しているわけでもなく、

その世界でいったい何が起きているのかも

まったく知りません。

だから、いつも

「こういう大事なことは、はたして日本のドクターたちは
ちゃんと学んでいるのでしょうか?

学んでいるなら、

私のもとにおいでになられるクライアントの方が、

たとえば薬だけが増えていく、ということもないのでは?」

といぶかしくおもい、

30年選手でドクターたちとも交流の幅広い、
私の師匠に

業界の実情について教えていただいているのですが、

どうも肝心(本質的)なことが普及していないようです。

大変残念です。

私が師匠に

「先生、これは日本の精神医学の授業できちんと
教えているのでしょうか?」

とたずねると、

「大崎さん、これは教えられていないのですよ。
どちらかというとヲタクの専門家向きになっているのですよ」

とたいていは、この返事。


ええええ??

「でも先生、これって、
どれもこれも実用的、実際的、
実利的なことばかりですよね?」

先生は、にこっと笑うばかりです。


はい。

でも、私、ここに「限界がある」こともわかっているんです。


なぜなら、私がここで追及している「実用的、実際的、実利的」なことは

ひとつには、シャーマニズムの原理をも統合することだからです。

もちろんそれだけではありません。

発達心理学の考え方を発展させた、治療モデルに有用性を
見出すことができるほど、

人間の本質的な問題(私の言葉でいうなら、愛の重要性)を

重視できるかどうかもポイントです。

そして、その「愛の世界」を生きることができいるセンスが養われているかもキーです。

ひとのこころは、ひとの温かみを通して癒され、育つと私は考えています。

だから、論理的に治療構造を理解するタイプでは、

少なくとも私のようなタイプは、

けして治癒することはできなかったでしょう。

(ひとは私のペルソナをみて、
よもや私が、神経症圏、人格障害圏、統合失調圏にはまっていたとは
誰も理解してくれないのですが。涙)



そして同時に正直、この類が

「一般的な理性や知性」だけで手に入るものではないことは、

私は自ら訓練の火の海に飛び込んだ経験上、わからないわけではないのです。


実際、亡き河合隼雄先生が追及した領域は、

「それができるのはそうそういるものじゃない。
それでは、メンタルヘルスのケアは流布しない。
それはそれで問題だから、
もっとマニュアルにできるものじゃないと」

いう批判もあったといいます。

(はい、これも私の先生が話してくれたこと)


河合先生の京都大学の退官を前にした
最後の授業にして、

やっとはじめて1度だけ「共時性、コンステレーション」について
語ったといいます。

京都大学では共時性やコンステレーションを教えることはできない、

とのことです。

なぜならそれは客観的な科学の領域ではないから、というのだそうです。


ああああ!


こういう話をきけばきくほど、

私はイギリスのほうがいいのでは?

と思ってしまいます。

代替療法やスピリチュアルな領域もひとつの学問として
認めて、国で支援しているからです。



え~と、ここで批判するつもりは毛頭ないので、
誤解なさらないでいただきたいです。

なぜなら、日本の精神医学の教育体系の問題であり、

まだまだ前人未到だから、どうしようもないのではないか、というのが私の見解だからです。


で!


もしもあなたが何かのトラブルにあっているのなら、

その病気を、みずからも経験していて、

それを治癒させることのできた方のもとに

通われることが、おすすめです。





もちろん、「こころと精神の問題」に限らず、

家族のテーマ、恋愛のテーマ、人間関係のテーマ、
経済的なテーマ、自己実現のテーマ、しかりです。





つまり、先に私が「精神医学の教育体系の問題」と申しましたが、

真に統合失調圏や、人格障害圏、神経症圏、

そのほかもろもろの病態を

体験(通過)していない方が、治療にあたるとしたら、

そこには「見えない部分」が多数残されるとは思いませんか?

だからといって、患者さんは、毎日のようにどしどしくるわけですから、
自分の体験的には知りえない方に対しても、
マニュアルをつかって治療するよりはなくなると思うのです。




個人的意見としては、

実際に統合失調圏の病理をさまよった方はもちろん、

そのほかにも、いったん統合失調圏におちいるまでに

精神の解体をしっかりと行って、

きっちりと治癒へのプロセスを体験している方でなければ、

なかなか知りえないことも多いのではないかと思うのですね。




わかりやすい例は、ユングとフロイトの例。

フロイトはユングの先生でしたが、

フロイトは神経症圏の人間、

ユングは統合失調圏の人間。


そりゃ、最終的にふたりの見解が異なり、
けんか別れしてしまったとしても、
無理ありません。

だって、前提が違うんだものー。対象の。

だから、日本の精神医学の基準をつくったひとは、

ぜったいせいぜいが神経症圏どまりなんじゃないかと

私は想像するわけですね。




実際にドクターのもとに通われている方に

ーーー「どういう治療を受けていますか?」とーーー

ドクターとのやりとりを教えていただいて




えええ?
そのアプローチは本質をおさえてないぞ!

と私が疑問に思う点を、

明日から2~3回にわけて

ご紹介していきたいと思います。


きょうは、まずその背景のところを
簡単ではありますが、ご説明しました。


明日いこうもどうぞお楽しみに☆






2011年9月9日金曜日

こころが皮向けしたら、内なる母性からのことばを。「だいじょうぶだから!」

みなさん、こんばんは。

きょうはちょっぴり秋の空気を意識して、
トマト色のワンピースを着てみました。

私の内心は、「目立ちすぎたりしやしないかしら?」と気にするのですが、
赤は、ぱきっと元気がでるから好きなのです。

こころなしか肌の透明感も引き立つ気もしますしね。


さて、きょう、

ユングの錬金術のワークをレクチャーさせていただいたなかから。

「母性」や「優しさ」について。
細かいことをきちんと定義づけてあれこれと述べようと思うと、
たぶんブログではまったく足りないので、
いちばんお伝えしたいこと、
「こころが皮向けしたかたを、
守る愛のことばを!
~だいじょうぶだから~」
に付随して、ざっくりと思うところを書き記したいと思います。



※▼ユングが多数研究したおしたなかで見出した
秘蔵っこ!錬金術の秘密『薔薇園』を用いていきます。

こんな感じの絵を全11枚、
毎回塗り絵をしながら、集合的な無意識に
ビシバシと刺激をおくっていきます。

同時に、そのときに生じた共時性を記録していただき、
ワークをこころみ、
この絵の意味や意義を、ユングの研究論文を実際にひもときながら
知的な理解も深めていきます。

理解が深まる分、
ワークの働きも深まります。

ご興味ある方は、お気軽にお問合せください。





みなさん、「母性」や「優しさ」と聞いて、

どんなことを連想するでしょうか?


「優しい」とは、どのような


being (存在のしかた/ありよう)

&doing(行動/態度)


 だと直感されるでしょうか?


あなたにとって

理想の
「母性」のイメージ

とは、どのようなものでしょうか?


面白いことに、私は気づいているのですが、

ユングの錬金術のワークを行っていくと、

ーーーこれまで何人かのクライアントの方と取り組んできたところーーー

思考が優位で、客観性の高い
現代女性からも、

まるで乳搾りをするかのように、

ぎゅー、ぎゅー、ぎゅーっと

「母性」のエキスが、しぼりだされていくようです。

恋人のいなかった女性も
このプロセスで、恋人ができたり、

客観性が強いために
ひとにとかくアドバイスをする傾向の強い方が、
アドバイスをくりだすよりも先に、

親身に相手のエモーションによりそい、
まるで優しい母がそこにいるかのように
接することが得意になったり。



・・・


そこに論理的な因果性はありません。

論理や理屈で

「母性とはかくあるべきだからこうしよう」とか
「人にやさしくあるためにはこうしよう」とか

そういう次元を超越したところで、

このワークを試みたかたたちは、

「自然な変容」を体験されていきます。

ですから、しごくご本人にとってはとってもナチュラルに

これまでとはまったく異なる

ものごとが起きていくようなのです。

本人にとって親和性がとても高いのです。


誰かの衣服を借りたときのような違和感は、
そこにはありません。


(私は行動療法や論理療法に、human being として
不自然な一面を感じます。
もちろんその考え方も役に立つひとつではありますが、
人間という存在を全体的にとらえるなら、
無意識の深い問題は、理屈を超えたところに由来するからです)


無意識にあるものを

自然にかえすための取組を行うことで

(別の観点でいうと、神秘主義の範囲になりますねえ)

かってにそのひとが本来あるとよいような方向性に

導かれていく、見事な西洋錬金術の秘儀中の秘儀だ!

私はいたく感嘆することしきりです。


私もこの錬金術のワークを行ったとき、

自らの「母性」が開花していく変容プロセスを体験しています。




特別「母性」にふたをしていたつもりもないのですが、

論理性や合理性を重視する、

経済社会に身を投じていると、

自己防衛の観点からも、
自然にそのひとのなかの男性性が
優位にならざるをえないと思うのですね。

ですが、その無意識りにかたまってしまった、
自分のありようも、

この錬金術のワークを行っていくと、

勝手に自動調整されて、

勝手に「自己(魂)」の目覚めが起き出すようなのです。


だから、小手先の色気を装わずとも、

内面の人間性から色気が

におい立つようににじみでるようになります。


そして、そのかただけの
本質的な「引き寄せ」が生じるようになるようです。


男性のクライアントの方と
私はまだこの錬金術をともにしたことがないので、

男性の場合、どのようになるのかは定かではありませんが、

原理だけ、あるいはユングの目的にそっていうなら、

男性もまた、そのかただけのありように立脚されていくことと思われます。

なんといっても、ユングはこれを

「自己の実現」のためのツールとみたわけですから。

(注)自我の実現とは異なります。魂の実現です。


さて、この理屈を超えたところで---

「母性」や「優しさ」をひもといたとき・・・。


きょうのレクチャーで浮上したのが、

「赤」にみる「母性」や「優しさ」でした。


赤は、子宮の色を想像させます。

赤は、母なる大地を思い出せます。

赤は、第一チャクラの色であり、グラウンディングの色でもあります。

しっかりと地に足を根ざした、

強さと頼もしさをもった、包容力でもあるでしょう。




もしもあなたが今、何かに問題を感じているとしましょう。


それに対して、

この「強さと頼もしさをもった包容力」で

応じるなら、どんな言葉が思い浮かぶでしょうか?





強さをもった母たちは、いちようにしてこういいます。


「大丈夫だから!私が守るから!」



(注)ただし、母性が陰転すると
「すべてをのみこむような」側面に変換されてしまいます。
このような集合的な無意識のパターンを、
「グレートマザー」とよんでいます。
私たち日本の社会は、この「グレートマザー」が
ゴーストのように、支配しており、
それがゆえに引き起こされている家族のトラブルを
よくおみうけいたします。
このとき概して重要なのは「グレートマザー」の存在に
無自覚に憑依されるのではなく、
自覚的に、この「グレートマザー」とどのようにつきあっていくか、
ということに直面化することです。



この言葉を胸にしっかりと刻みながら、

人生を進むことができるようになるとき、


私たちは生き抜くたくましさやしなやかさを磨くことができるようになっていきます。



あなたの内なる母は、目覚めているでしょうか?

(もちろん、男性のなかにも内なる母は存在します)




また、もしもあなたのまわりで

「こころが皮向け」をおこして、

いろんなことに疲れてしまっている方がいらっしゃるとしたら、

ぜひこの言葉をかけてさしあげてください。



「大丈夫だから!」

あたたかく、包み込んでさしあげてください。


そういってくれる誰かがひとりでも
いると知ることができるとき、

そのひとは、ほっと安心して、
羽根を一休みさせることができるようになるでしょう。

「こころが皮向け」をおこしたときは、
一休みすることが、すごく有効です。

しっかりたっぷりと休みをとることができると、
私たちは自然に元気を回復し、
気が熟したときにふたたび、鳥が飛翔するように、
離陸していくことができるようになります。


(私はもともと美容のライターをしていたから、このメタファーを用いるわけですが)

たとえば、肌が日焼けをしてひりひりと皮向けを起こしたらどうするんでしたっけ?

ひんやりローションで冷やして、
うるおいミルクをたっぷりとぬって、
お肌をあたかも真綿でくるむかのように、
そっと優しく手当てをするのが

美容の理想とされています。


あなた自身が「こころが皮向け」をおこしてしまったとき、
あるいは
大切な誰かが「こころの皮向け」をおこしてしまったとき、

どうかこのアプローチを思い出していただけたら幸いです。


ひとりでも多くのかたが、
自己をとりもどし、
心の安らかさとともに、
この世をまっとうすることができることを
支援することをお仕事に選んだものとして・・・
ひとりでも多くのかたに、
こころからお願いします。




もちろん固有の問題も多数あるでしょうから、

それらひとつひとつをていねいにつぶさに

ひもとき、受けとめるお手伝いをさせていただきながら、

「こころの皮向け」をおこされたかたを

しっかりと守って差し上げる、

こころのガーゼ役となることは、私のお仕事です。

何かありましたらお気軽にお申し付けください。




あれ?

きょうもやっぱり長くなってしまいましたね。


最後までご覧いただきありがとうございました。


きょうのひに感謝しながら、

また明日の日を夢見ましょう。


おやすみなさい☆


2011年9月8日木曜日

「誰も私を愛してくれない」と悲嘆するその前に。脱!良い子オンリー。「見捨てられ不安」のトラップにご用心~キャス・キッドソンの恐竜フィギュアを導入!~













みなさん、こんばんは!

その昔、私は萩本欽一さんの番組で登場する
「良い子、悪い子、ふつうの子」というのをみて、
育ちました(笑)。
(みなさんもそうではありませんか?)


そして無意識に「良い子」として
評価されたいなあという想いを抱いたのかもしれません。

いつしか、気が付けば、いや、今ふりかえると。

「良い子」のイメージをどうすれば完成させられるか、という

レールのうえにのかって、突っ走ってしまっていたようです。

どこかで「良い子絶対主義」に陥ってしまっていたのかもしれません。

私は、暗いストーリーが苦手でした。


もしかすると、初恋のひとが楽観的なひとを好むために、
失恋し(もちろん、理由はほかにもたくさんあったと思います)
それがこころの痛手となって、

「悲観的な私はダメなんだ」と

自らを強く制してしまったこととも関係があるかもしれません。

そのくせちっとも「良い子」であったわけでもないのですけどねw


でも心の奥深いところで

●暗いこと
●悲観的なこと
●しみったれたこと
●悪い自分
●悪い母親像
●世間悪
●怒り
●嫉妬
●醜い自分

・・・etc.


こういった側面を、まるっきり受け容れることができずに、

忌み嫌い、顔をそむけて、はじめから存在しないかのように、

生きるようになってしまっていたようです。


まったく気づかないうちに!


ところがじつは・・・

これほど、ストレスフルのタネはありませんw

なぜなら自分の半分をどこかに隠して、
もう半分だけで一人前の顔を装って、人生を歩もうというのですから。

そもそも、無理があるわけですw


そりゃ、「疲れたー」
「なんかよくわからないけど、やりにくいー」にもなりましょう。

こういう状態を「スプリッティングされている」と、専門用語ではいいます。

スプリット/SPLITとは「引き裂く」という意味の動詞です。

良い世界と悪い世界を、まっぷたつに引き裂いて、
良い世界しか見ることができなくなってしまうことをいいます。


この根底には
(本当に奥深いところにあるものなので、意識化できていることは少ないでしょう)

「(大切な対象から)見捨てられることへの不安」

が存在します。
(誰にでも大なり小なりあると思います、大事な問題です)

このパートに直面化することができると、

このスプリッティングされた状態が癒えることを加速化させます。



私はコレが、やまほどありまくりでした。

誰も私を愛してくれない。
私をわかってくれるひとはどこにもいない。
私は両親から結局は信頼もされていないし、
私の才能を大事とも思ってくれていない。
私がありたいようには、私の存在価値は認められない。
私はしまいには社会からも見捨てられる存在なんだ。



・・・まあ、自分でも驚くぐらい、すごい思い込みっぷりですが、
なにせ感受性の問題でもあり、これが理屈を超えて
肌身にしみついているのですから、どうしようもありません。

(さらに私の場合、幸か不幸か、私の表向きの表情や顔つきが、
こんな想いにまさかさいなまれているとは、まわりのひとには伝わり難い、
元気印ときていますから、
ますます内なる孤独感は相乗効果で
天高くつのっていってしまったのでした。
確かに、周囲から「おまえは、被害妄想が強い」と評価されることはよくありました。
ですが、本人は「なんのこっちゃ」でわけわからずでしたからねえ。
お手上げでした)


こういった想いが根底にあるせいで、

どんな男性と親密な関係になっても、ダメでしたねえ。(遠い目)

いつだっておびえているんですから。深層で。


恋愛の場面で、

「相手が自分のもとをさっていくイメージが強くて、
つい相手をいつも確かめていないと気が済まない」

という感覚をお持ちのかたも要チェックです。


結局、いく千万もの愛の言葉をつくされたとしても、

私自身が、私自身の

「見捨てられることへの不安」から解放されない限りは

どんな言葉もけして胸にはしみてこないのでした。

(ああ、幻想とはそら恐ろしい。

だから、こちらが一生懸命に言葉をつくしても、相手が無反応であるとき、
けしてしょげる必要はありません。

お相手にもお相手のこころの世界があり、
その方特有の自己評価や自己価値観が存在するからです。

そのひと自身が目覚めて、自らを変えようという意思をもつときがやってこない限り、

周囲の人間は、ひたすら温かい目で見守り、待つことが、最善の策になりましょう)



このパートとの直面化を必要に感じられるかたは、
よろしければ、ぜひご相談ください。

ひとつのチェックテストとして、下記の恐竜フィギュアが
あなたの胸のうちにいることを想像できるか、試してみてください。



もしも、こんなのが自分のなかにいるの?
やだよ、そんなわけがないじゃない!

と感じられるようでしたら、

もしかすると、上記の青字でつづった私の
体験的、苦しみの声も、
ご自分のものとしても、理解しやすかったのではないでしょうか。


もしもその苦しみの臨界点をオーバーしたなと感じることがありましたら、

あなたがいいなと感じるこころある、そしてスプリッティングのことがわかる
心理セラピストのもとをおたずねになられることをおすすめします。

私たちは善と悪の両方ある存在ですから。

その両方を自然なかたちで受け容れられるようになるために、

「見捨てられることへの不安」から自由になった境地

ガイドしてもらうことが、とても有用のはずです。


ちなみに私のなかにいる恐竜さんは、これです☆




「ぎゃおー。あたしを見くびったわねー!ぎゃははは、今に見ておれー」。


です♪

家族の構成員も、同様にトライしてみましょう。

できるかな?


私の父はこれです。



「うるせー。俺が一番えらいんだ!」


個人的に、爆笑です。


次に、私の母はこれです。















「ふんっ。あたしをなんだと思ってんの!馬鹿にするんじゃないわよ!
あたしを馬鹿にするひとは、天誅くらいなさいっ。あんた、やる気?」


体力がない、ない、といつもこぼし続けてきて40年の母ですが、

じつは相当の魔人です。わーい☆


フィギュアをつかった心理ワークは
私の大好きなワークのうちのひとつです。


憎たらしい相手も、苦手な相手も、困った相手も、

ありのままに見つめて、受け容れて、いい意味であきらめるうえで、

とっても便利なツールです。

あれこれ、人形たちのいろんな姿かたちをかりて、

それらにあてはめ、

問題としている対象の精神を見つめて、受け容れて、理解を深めていく作業は

ストレスの発散にもなります。


「大崎さんところは、かわいいぬいぐるみばっかりだからな」

と率直なご感想が多々寄せられたため、

このたび、キャス・キッドソンから秋冬の新作として登場した

キッズ向けの恐竜フィギュアを導入しました~♪



「キャス・キッドソンは、花柄ブランドかと思っていた」
というそこのあなた!

キャス・キッドソンの奥の深さは、そんなものではなかったのです。

ちゃーんと、こういう恐竜フィギュアにもまた
子供の夢を育てる大事なファクターとして、
フラワー同様に、大事にしているんですねえ。

私はキャスのそういう
あらゆる LIFE STYLEを
支援しているところが大好きなのです。LOVE。


みなさんも、よかったらぜひ、フィギュアのワークを
お求めにいらしてくださいね。

きょうはこのへんで。

おやすみなさい☆


2011年9月6日火曜日

幸運の扉を開くキモ!あなただけの宇宙のありかたを信じよう


みなさん、こんばんは。

きのうのお話の続きです。


私の身体症状「腕のしびれと目の充血」を生み出していた


精神の問題についてです。


きょうまでで3回にわたってご紹介していますので、

ちょっと整理します。


前の2回までのところで見出しているポイントは、


1.身体症状の創造主は、「もうこんな状態はいや!」といっていた

2.「こんな状態」とは、私が「宇宙のこころ」と同化できていないこと

3.「宇宙のこころ」と同化するための心理ワークとして、
  キャス・キッドソンのスター柄を必要としている自分の本質からのうずきがある


でした。


これが私の「大きな自己」が求める方向性であることは見えました。

ですが、「小さな自己」が、違和感をもっています。


ひたすら、困った。どうしよう。


でも、確かに存在する、私の意識がどんどん拡張しようとしている、というプロセス。

それをどうやって受け容れたらいいのだろう?

私が特に抵抗しているポイントは、

意識の拡張にあわせて、キャス・キッドソンを購入せずにはいられないからです。

私の人格は、この半年の間で、東が西になったのではないかと思われるぐらい、

反転しているかのようです。

「大きな自己」の統合のプロセスが加速すればするほど、見失われた「永遠の少女」が

むくむくと頭角をあらわし、着るものも、視界に用意したいもの(インテリア)も、

「文明開化の音が鳴る」勢いで、激変していったのです。

だから、本当に変な話に思われるかもしれませんが、

お金が出ていく、出ていく・・・。


通常の自我のレベルでとらえたら、
「買いすぎです」「バッグは2個~3個もあれば十分です」という私であるにもかかわらず、

「意識の拡張を求める私の大きな自己」にあわせていると、

とてつもなく求めたがります。

私の生来のエネルギーが大きいせいなのか、

私の魂の開花にあわせて、それが欲するところに従っていると、

本当に膨大なお買いものになるから、どきどきします。

私は依存症が悪化しているんではないか???

そら恐ろしくなって、お師匠のところに何度もこれまでにも確かめにいっているのですが、

私の魂は、これを経なくてはならないようなのです。

ここを経ないと、私は私の魂の開花にたどりつけないようなのです。


どうしてぇぇ???


自我が抵抗をすると、私の場合、身体に不調サインがやってきますから、
すぐに抵抗を意識的に解除して、

購買を許可するようにはしているのですが・・・。


自我レベルにとっては、このことそのものがとってもストレス。


そこで師匠さまにこんがらがった
私の「小さな自己」と「大きな自己」の知恵の輪を
ひも解くおつきあいをいただきました。


私の主訴は「もうやだ、疲れた、こんな変な生活、こんな変な自分の本質」。

そこで「疲れ」に意識をフォーカスしていきました。


私だけの本質的なパターンのチェックに入りました。


すると私の場合、「疲れ」からぱんっと

ポップアップのように、万華鏡のようなビジョンが飛出し、展開していきます。

真空管がぱっと浮かび、そこに細いフィラメントがちりちりと光を放っています。

しばらくそれをこころの目で見つめていると、

その真空管にぱぱぱぱと、花々が咲き始めます。


それをさらに見届けていると・・・


美しい花、醜い花、枯れた花、可憐な花、、、いろんな花々で

真空管がぎーっしりと埋まってしまいます。

それでももりもり花々が増殖し続けて、しまいには濁りもでてきて、、、

次には、真空管がパリーンと割れて、

そのなかにとどまっていたエネルギーが、一気に宇宙に飛び出します。

そして、その宇宙をさらに観察していると、やはり同じことが自然発生します。

宇宙にたくさんの花がぱぱぱと咲き始めて、また気づくと

宇宙がいろんな種類の花たちでいーーーーっぱいになってしまうのです。

するとその宇宙をぽーんと打ち破って、次の宇宙へ・・・。

つぎつぎに器を大きくしながら、宇宙がふくらんでいくのです。






ここで、師匠がひとこと。

「腕のしびれは、どう?」


げーん。ゆるんでいる!


「どこで、ゆるむ気がする?」


器に花がいっぱいになって、ぱーんっとまた飛び出して、

いったんせいせいして、そこでまたじわじわと増殖させて、そしてまた飛び出して・・・。

この「サイクル」「代謝活動」に、身体がゆるみを覚えるのでした。



・・・しーん・・・


この流れは、私のこれまでの人生の歩みそのものではないですかっ!!!

私はとどまれないネイチャーの持ち主だったのね、やっぱし(T-T)


改革、革新、変容、変化。

それを肥料のように生きる魂。。。あああ。

母の算命学でも、たとえるなら「開拓の農婦」と
位置付けられている生まれであることは
昔から知ってはいたけれども。


「先生!これじゃ、私は遊牧民族みたいだ。
どうして農耕社会に生まれたのかしら。ううう」


「何に困っているの?」


え?そりゃさー、農耕社会にありながら、遊牧民族の魂じゃ、
気の合うひとと一緒に家庭なんてつくれないのでは~?ガーン。


「そんなことないよ。
日本にいながら遊牧民族の魂をもったひとはいっぱいいるよ。
依存症になるひとたちというのは、その傾向が高い」


そ、そうなのか。。。

私は、やっぱり依存症なの?

「この気質に無自覚に翻弄されていれば、依存症だけれども、
この気質を自覚的に利用することができれば、立派な経済活動だ」

と、お師匠のきりかえし。


きた!すごい、リフレーミング!w

そして「蕩尽」活動を教えてもらった。


エスキモーのある部族は、
ある時期がくると、
それまでに蓄えていたもののなかから最高によいものを
隣の村に贈り物としてさしだし、
そして、自分の村をすべて焼き払ってしまうんだ、という。

カナダ政府が、現代社会でこれは困る、やめてくれと
訴えると、
彼らは「これをやめちゃ、俺らは生産意欲を失うから、やめられない」といったんだそうだ。


あ、それ、わかるなあ。

私は、「刷新」が行われるとき、
古いパターンをすべて総とっかえして、
新しいパターンをそろえるわけだけど、
このリズムのなかから、強い生産意欲や
創作意欲が盛り上がるのを感じるタイプなのです。


そうか、私のこの感覚は、少々常軌を逸しているのではないかと思っていたが、

れっきとした集合的無意識からくる経済活動のあるタイプにすぎなかったか。。。


「きみは、このことについて、たくさん書いたらいい。
この世の中には、その気質をもてあまして
依存症となってもがいている人がたくさんいるんだから」

というお達しもいただき。


そうなのでしょうか?

これをご覧になられている、
みなさまのなかにも、このような気質の方はいらっしゃいますでしょうか?


お達しのとおり、さっそくこうやってはじめの一歩として
書き記してみてはいるのですが。


で、先生。

私は、どうしたらいいのでしょう?


「そのまま、楽しんだらいい。今のままでいい」


げーーーーん。

お買い物していい、と公認許可がおりて、嬉しいが、

それじゃあなんか私、半人前みたいじゃない???


「君の一人前は、現代日本社会の
経済活動の枠組みにすぎない」


といわれ。。。


うぐぐぐぐ。おっしゃるとおりでさー。

私ってばすっかり、
現代日本社会の経済活動の枠組みに毒されてしまいやしたw

節約とか、倹約とか、貯蓄とか。

でもそれじゃあ、私の魂は、開花をみれないのです。


「でも、先生。私、風来坊みたいじゃないかしら?大丈夫かしら?」


「風来坊は、きみのように
一点に対するこれだけの集中力は持たないよ」


そっかー、そうだよねえ。
私、自分を誤読してたわ。

自分が風来坊ではないかと恐れてたのだけど、

確かに私のひとつのことにはまったときの集中力は
岩をもうがつ勢いだわよねえ。

そのエネルギーの強さや意思の強さは
かなり確信できるようになったわ。
そんな自分にもっと安心してみよっかなあ。


そこで・・・

「これでいいのだー!
これでいいのだー!
これでいいのだー!」

バカボンのパパみたいに、

何度も呪文をとなえて、

キャス・キッドソンのお買いものも、

肯定的に楽しむことにして、

このブログでの自由気ままな記録も楽しむようにしたら、


あら?


腕のしびれも、目の充血もなおっちゃいました~~~☆


きょう私がここで声を大にしてお伝えしたいのは、


「あなただけの宇宙のありかたを信じよう!」


です。

そして「あなただけの宇宙のありかた」は

じっとまっすぐ、あなた自身と向き合うときに、

ひもとかれていきます。

どこぞの誰かの書いた本を読んでも、

それはけして見つけることができません。


そのオリジナルの宇宙のありよう
---現代社会の枠組みに縛られることなく、
どこまでも自由に心地よく息つぎできる---


をひもとくお手伝いが、私のお仕事です♪


行き詰まりを感じたり、
積極的に、自分自身を花開かせることにご興味ある方、
自我の実現を超えて
自己(魂)からの、真の自己実現を目指される方

嗜癖を感じているかた、
何かに依存せずにはいられないかたは、

是非一度、頼りにしていただけましたら光栄です。


で。


私は、私と同じような遊牧民タイプ、
エスキモータイプを
探すことにするのでした☆




明日は、
「善も悪も【私】自身として仲良くしていますか?
~キャス・キッドソンの恐竜フィギュアを入手しました~」


どうぞお楽しみに~♪