透き通った心。澄み切った心。
素直で喜びに満ちた明るい心。
それをつかみとるための手立てとして、
私は心理カウンセリングの有用性が
より広まればいいなあと思っています。
心理カウンセリングとは、とどのつまり「自分を知る」行為であります。
はじまりは病的な症状をおさめるために研究されたものだったかもしれませんが、
ゆきつくところは、温故知新だったのかもしれません。
古今東西「瞑想」という行為が存在していますよね。
マインド(思考)優位に生活していると、「瞑想」状態に入っていくことはなかなか難しいのですが、援助職者が介添人として存在することで、
そのひとだけの瞑想状態に「自然な対話と流れ」で知らぬ間に入っていくことができるのが、
心理セラピーの魅力だと私は認識しています。
(とはいえ、心理セラピーにもいろいろな流儀があります。
深層と現実の両方を視座に据えたタイプの心理療法が、
瞑想の境地をつかみとるのにはふさわしいと私は考えています)
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誰もが答えを探している。
私の幸せはどこにあるの?
私の幸せはどこにあるの?
あなたの胸のうちに隠されているのですよ。
あなたの澄んだ心のなかに住んでいる青い鳥が羽ばたくときに、
あなたの澄んだ心のなかに住んでいる青い鳥が羽ばたくときに、
答えは明かされるのですよ。
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昨日、母親から「たまたま本棚を整理していたら目に止まったから、あげる」といって
渡された小冊子が、算命学会に登録している人に送られる
高尾学館発行の『宝積』のバックナンバーでした。
パラパラとページをめくりながら、インスピレーションとなったのが
こちらの文章です。
「本性が澄み切っていると、腹が減れば飯を食べ、喉が渇いて水を飲むという程度のことしかできないような貧しい生活をしていても、身や心を安らかに保てる。
一方、心が暗く迷っていたら、たとえ禅について議論をし、禅の心を述べるような清らかな生活をしていても、それは全て精神を無駄にしていることになる」
算命学体系の中で宗家は、心の大切さを唱えておられます。
人の運命を語る上では、その人の心を無視できないとおっしゃっておられます。
いかに透き通った心を作るか、澄み切った心を育てるか、素直で喜びに満ちた明るい心を作るかーーー
「心の中には、一つの真実の境地がある。
それを得た人は、琴や笛などの音楽がなくても、
自然に心が安らかになる。
また香や茶によらなくても、自然に清らかな芳しい境地に浸ることができる。
この境地になるには、心を清らかにし、こだわりを捨て、自己の肉体から解放されるべき。
そこで初めて本当の境地で自由自在に行動できる」
運勢を高めるには、家の中、事務所の中を清掃すべきです。
物の堆積は気の流れを悪くし、運気が滞って、主人や家族の運気を落とします。
しかし、それよりももっと大切なのは心の清掃。
心の中に、何か悩みや恨みごと、こだわりを留めていたら、他でどれほど善行をしても、運気は立ち上がりません。
幸せを呼ぶ真実の境地とは、心を清浄し、一切のこだわりを捨て去ったところに存在します。
ーーー「宝積」第3号 2006年1月 中村嘉男 シリーズ東洋の心 42 運の良い人、悪い人
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結局、運を上げるものは、そのひとの「心」であるわけだけれども、
この目に見えない「心」というのは非常に厄介です。
なぜなら、誰もが自分の知っている「心」と他者も等しいだろうという、
誤解をしがちだからであり、
さらには、「心」というものができあがるまでには
発達過程があるということは、あまり知られていないからです。
「心」とは「器」のようなものです。
「器」を知るには、「器」がどのような精神と肉体の意識のありようであるかを
見聞き経験した人とかかわることです。
深層次元と現実次元とともにトレーニングされた専門家による
心理療法はそのひとつの手段です。
そして、この「器」が広く大きく澄んだ形に整えられ、
物事が整理整頓されている状態を
「浄化された心」といいます。
このように「浄化された心」を養ったのち、
この宝積の文章が述べているような精神形態に入っていくことができるとき、
「運勢が良くなる」ということができるでしょう。
ケルヒャーのスチームクリーナーでラグマットをお掃除してみたら・・・ビックリ! こまかーーーーーい、目に見えないようなレベルから、かきだしてくれて、すっきりー。 恐るべし、チリツモな、家のちーさなちーさなホコリたちめ! せっせとお掃除しながら「心のよどみも一緒だよなー、雪だるま式にふくれあがっていくもんなー、そしていつしか自分が何なのかさっぱりわからなくなるよなー」と思いを馳せました。 |
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そんな風に「自分自身と向き合っていくとき」、自然はそのひとに味方してくれます。
その道中はあまりにも自然であるがために、
人為的で操作的に生きているのにくらべて畏怖を覚えるかもしれません。
ですが、それこそが実のところ私たちの魂が求めてやまない方向性であります。
その過程において、1ヶ月先に自分がどうなっているかだなんて、まるっきりわからないかもしれませんが、不可思議な自分をも信じて、進んでいく。
自らをそのように追い込むなかで、「磨かれて光っていく」ものだからです。
鍛えられずして成功はありません。魅力もないでしょう。
自然は、無意識は、よくわかっていて
そのひとのそのタイミングにちょうどよい試練を投げ込んでくるかもしれません。
ですが、そのひとにとって、乗り越えられないサイズや種類のものは送り込んでこないから、
すごいなぁと感動させられます。
また、冒険に必要なのは、勇気と挑戦する心でしょう。
そして、自分を信じる心。
とはいえ、人間ですから、弱い部分もたくさんありましょう。
だから、「支えてくれるパートナー」「ありのままを受け止めてくれるパートナー」として
心理のパートナーは、宗教にとってかわる、現代人に大事なアイテムや選択肢のひとつだと
私は心から思っています。
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