昨日の朝がたに見た夢はーーー
沈没船のなかで魔の追っ手から逃げ回っている夢でした。
「夢自我」の私は、「きゃー、大変!」といいながら
焦ったり慌てたりもがいたりしているのでした。
新宿伊勢丹メンズ館8Fのカフェがお気に入りです。 KIHACHI系列のお店。・・・のカフェオレみたいだけど カフェオレじゃない飲み物。名前を忘れた。 比較的空いているのと、隣の席とのスペースが広いのです。 |
それを客観的に観察・考察している
「半分覚醒している私」「カウンセラーパートの私」は
「あちゃー、まだなんかもがいている感じなの?私?」
と、自分でびっくりするのでした。
なぜならその前の日に「個人的な愛の元型」をつかんで
喜びの安住に入ったと思っていたからです。
微細なところでまだまだツメが甘かったのか?
こういった夢を見たときに、みなさんはどのように判断するのでしょうか?
フロイト的に見るなら、
現実的にも何か焦りや緊張のなかにあるのだろうととらえるのでありましょう。
ですが、私は個性化カウンセラーであります。
もう一歩、深い捉え方を行います。
もっとその「焦りや緊張を引き出す、沈没船」と同化していくことができれば、
このひとの「吉兆」は現れる!
というふうに。
「沈没船」のずぶずぶと沈んでいく感じとか
そこで混乱を巻き起こしていた魔の追っ手たちの
魑魅魍魎とした感じとか。
「夢自我」の私がふるえあがり「うへー」となる対象の
感触のほうのありように、日頃とどまれなくて、
私の現実は実際に右往左往、やきもきとさせられるのよね、ととらえるのです。
この辺に「神のテスト」が布置されている、といえるかもしれません。
愛とは、すべてです。
どっちがよくて、どっちがよくない、というののない境地です。
どっちもが、愛の世界。
沈没船の方向性を恐れてどうする!愛になりたくないのか?
というわけで。
目覚めて、まだツメの甘い自分に逆に驚きつつ
「いまいっぽ腹を据え直そう。」
と意を決しました。
あ・え・て。
沈没船のポジションにはいることにしました。
すると・・・!?
ますます「こだわりのなーい」感じ。
ヒョットコ踊りでもしてみる? とおちゃらけてみたくなるような
ファンキーでファニーな感じ?
人生、かるーくいってみよう☆
(軽すぎて、永遠の少年になりすぎるのも、問題はありますが
私の今のプロセスには、こういう感じがジャストミート、という意味で)
そのほうが、なしたいこと・とりくみたいこともスイスイ♪
みなさんの生きやすさを応援します!
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