今日の夜はカウンセラーマインドマスタークラスの授業がありました。
フォーカシングの基礎概念をご紹介しながら
一緒にエクササイズしました。
今ここにいる「実存」感を
「体の内側の感覚をキャッチする力」を得ていただきながら
体験していただきました。
この作用のすてきなところは
「意識できていない自分自身」の指向性とひとつになる瞬間に
違和感でしかなかった身体感覚がふっと軽減されたり
現実において自分が今のプロセスにおいて求めている
一歩が浮かび上がってきたりする点などでしょうか。
そうして、そのときに
心身のリラックス度が高まって
「楽」を感じる方向性がみえてくるということともいえるでしょう。
***
私はこのところ自分自身が
すごーーーーーーく
「本質回帰」していくのを実感しております。
約4年間にも及んで
家系と自分自身の
カルマを解消するために
激しい消費活動にアクセルをふみ
エンジンをふかしまっくってきた成果が実ってきたようです。
(われわれはカルマの中に存在するのですが
カルマに背を向けるのではなく
カルマと戯れる心意気が運命を加速化してくれます)
「陰きわまれば陽に転じる」
ともいわれますとおりです。
消費活動にいっさい心が向かなくなったのです!!
物が本当に邪魔で仕方なくもなり、
現在、実家にいまだに残しているものも含めて
ガンガン一掃しています。
もっぱら気になって仕方がなくなってきたのは
いかにこれまでの長い年月のなかで収集してきた情報を
まとめあげてつまびらかにする作業に専念できるか。
に、しぼりこまれてきました。
そして今ひとつある「違和感」に注意を払ったとき
2006年に戸籍解明した「名前」じゃ
物足りない、と感じ始めたのでした。
つまり
生まれたときの名前「真理子」に戻したいという
気持ちがようやく育ってきました。
2005年のころ。
自分の因縁があまりにも空恐ろしくなって
なかったことにしたくて
(簡単な)家庭裁判までして
変えた名前でしたが、
そんなことしたぐらいで
どうにかなる話ではありませんでした。
根本的な問題としっかり向き合わなければならなかった
その後、やく10年。
未完了だったテーマを
(たとえば、少女性の解放、甘えの問題、
カルマの問題、怒り、嫉妬、恨み、辛み、そのたもりだくさん)
やり倒し、解放そして受容してくることができたおかげで
ようやく待望の「個」ができあがってきました。
正直、家族の因縁との闘いでもあったため
本当に苦しかったです。
必死でした。無我夢中でした。
なんで、自由業しながら、
お金のカルマをうんとこさ解消せにゃならんのか?
(まあ、そういう方はほかにもこの世の中には大勢いらっしゃるわけですけど)
先日、クライアントの方に
「(カウンセラー業をスタートする)
はじめの一歩は怖くありませんでしたか?」
とご質問いただきましたが
「怖い」という気持ちを
左脇に抱えながら
一目散に業火のなかをくぐりぬけていかねればならない
母の姿のイメージで
遮二無二走っただけです。
でも、やり抜いてよかったです。
登山家の気持ちです。
そして、
その因縁解消、嵐が過ぎ去るのを感じたとき。
ふと我に立ち返り始めたのです。
生まれた最初の名前じゃないと
私は「書いて書いて書きまくるひと」になれない気がする!と。
きた!そうきたか!
人生前半に知らないうちに「見失ってしまう自分」というのはけっこうあるものですが
私ってば、自分の名前までも手放してしまったのでした、というわけですか。
そろそろ、
「真理子」意識にもう戻っても大丈夫かな。
そのぐらい確固たる自我意識、
不動の自我意識、
つまり「私は何者か」
がはっきりと浮かび上がり
しっかと引き受ける腹がすわり整ってきたしるしのようです。
そのうえで。
ほかの誰かにはできないこと。
私にしかできないこと。
大事に。
両親がその日に私を生んだ意味、
両親が私にその名前を最初に授けた意味に従って。
これからも精進していきたいと思います。
そうそう、カルマの解消は
大事な「通過儀礼」なのです。
これに背を向けていると肝心の「通過儀礼」をいつまでも
終えられないのです。
因縁って「いやんなっちゃう!」と
愚痴や不満をあげはじめたら
きりありませんけど
言い換えれば
「通過儀礼」でもある、自己刷新、自己開花のための強力パンチ。
ありがたくちょうだいできるような
精神になれたら、相当の大人ものでありましょう。
私も目指しているステージです。
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