3年ぶりに岩塩ランプに明かりをつけました。
9月はずっと要らなくなったものを大掃除し
なかには、心身の逆転意識を磨くために1年前に運び込んだ
大きなカウンセリングベッドも含まれていました。
本当にたくさんのものが
今の私には合わなくなってしまいました。
月日の流れを感じます。
逆に、しばらく点されていなかった岩塩ランプを
チャージしたくなりました。
すっきり一掃して精神の浄化がまとまったところで
着火☆
魂の火をともしたかのような心地がします。
キャンドルを燃やすのとどちらにするか迷いました。
五行でいうところの「火」のエネルギーは
大切な「伝達パワー」になります。
でも、すでにあるもののなかでナイスなものを使うほうを
優先したかったのです。
***
きょうは「9月の共時性セミナー」最終回。
守護神法をベースにした
バランサーワークを
「時の流れ」のなかで大整理しました。
人生は雄大なストーリーです。
10年、20年、実はあっという間に
ともすると流れ行くものなわけですが
少年老いやすく学なりがたしともいいます、
天から与えられた「命のとき」を大切に活かすために
「何をすべきか?」
「どうするべきか?」
私の場合は。
その答えを緻密に見つけて参りました。
かなり込み入ったエネルギー世界の展開図でしたが
たとえば
「なんのために守護神(バランサー)が38歳まで
1度たりとも、私には回ってこなかったのか」
(よって本当に生きづらさ満載だったわけですが)
向き合うこともできました。
またこの先、私は
「何に意識をまわし、何を大事に行動していると、
今ここが促され、結果がまとまっていくのか」も
はっきりとつかみとることができました。
生きていて、思い通りにいかないことなんて私もしょっちゅうあります。
防衛心という名の私の欲望が傷つけられることもやまほどあります。
それでもたくさん自己と向き合い
こころを磨く努力をしつづけることが
私のタオです。
自然界の法則を読み解くなら
私の場合、その答えは
「たくさんの方々を愛し、禄(お金)と存在の価値を知らしめるために」
となります。
そのためにも
どれほどの暴風雨が吹き荒れる日であっても
「自己」という大きな幹(大木)を育てること、
厳として微動だにしない確かな館を築くこと、
これが今の私の
活動する(生きる)ことの
重要なモチベーションになっています。
***
7年前、セルフワークで自分が恵まれないものについて
「何のためにそれが恵まれない必要があるのか?」
と問うて、取り組んだとき
「自立」と答えがでて青ざめたものでした(苦笑)。
運命とは不思議で
私のエゴが自分でも驚くほど
嫌がって逃げ回り続けたのにもかかわらず
遥かなる時をこえて流れてきた風が私をさらっていったかのごとく
私をその目的である
「自立した私」にまでしっかりと導いてきてくれたのでした。
運命の波は本当に自然界のものだけあってパワフルです。
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そのなかにあってさらにそのパワフルさを最大に活かしたいと願うなら
エネルギーの抵抗をできるかぎり小さくすること。
ではないでしょうか。
目下「アジア大会」が展開されておりますけれども
どの種目のアスリートでも効率的な競技を
求めるときに考えることですよね。
こころも同じ。
現れている指向性に従うことがもっとも抵抗を小さくしてくれます。
ミンデル流にいうと「後ろ向きに馬にのる」ですね。
精神もさらに同じ。
でも人にはエゴもあるし
おまけに「心の器の大小」も関係して
そうはいってもなかなか問屋がおろしてくれない!
そんなこともありましょう。
ではどのようにして「エネルギーの抵抗レスな精神と心」をつかもうか?
「心の器を大きくすること」にあります。
心の器が大きくなれば、
その器のなかで、抵抗もまるっとおさめてしまうため
そもそも抵抗も抵抗ではなくなっていくのですね。
ですが
残念ながらこれはひとりではできません。
そのひとを映し返してくれる「鏡」の存在(専門家)がいります。
すると
うまくいかないことがやまほどあっても
風のようにケセラセラ。
頭と理屈で強引にケセラセラではありませんよ?
自然体のままケセラセラ、どうとでもなるさ〜。
要は、「こだわりがそぎおとされた姿」となるわけです。
***
ひとくちに「こだわり」といいましても
ひとによって表出する場所は実にさまざまです。
学歴、知識、父親、母親、兄弟、友達、仲間、上司、部下、恋人、夫婦、子供、
仕事、キャリア、お金、物質、名誉、名声、防衛心、施し、
安らぎ(実は、安らぎを求めない方が成功するのに、
安らぎを求めすぎるという欲望のパターンもあるのです!)、
食、美醜、若さ、ファッション、住まい、
所有物(車など)、肉体、健康、セックス、薬、
結果や形、未来の形、精神世界、生、死、
などなど。
じつにさまざま。
おまけに「こだわったほうがいいプロセス」と
「こだわりから離脱したほうがいいプロセス」と
陰陽のごとく、人生の流れと文脈に応じて、いろいろ。
これだから、生きていて物事の選択に悩まされてしまうのよん、というのも
まったく私は首を縦に振りたい派です。
生きることの謎解きに興味ある方々に
届けたいことは、もりだくさん。
けれども体は我が身、
たったひとつ。
一歩一歩、焦らず、着実に。
一瞬、一瞬を大切に刻みながら
確かな現実を積み上げていきたいと思います。
今日もお求めくださった皆様
心からありがとうございました。
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