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2012年12月31日月曜日

【2013行動の指針のヒント】結婚したくば「外」指向、仕事をおさめたくば「内」指向~無意識の補償作用でパワーアップ

 
みなさん、こんばんは。
大晦日をいかがおすごしですか?
 
私は新しい年に向けて
下準備万端です。
身も心も。
 
何をしたか?
 
今、このタイミングで
私が進むといい方向性を
ひも解きました
 
チェックしたポイントは次の2つです。
 
★その1★
 
おてんとうさまが私にちっとも再婚話を
もってきてくださらない問題について
 
★その2★
 
再婚話になるどころか
「男性のマザーコンプレックス」の対象となって
「切られる」側にばかり回ってしまうパターンについて
 
 
***「その1」***
 
ここまでの私の仕事の歩みは
めっぽう「自分の愛情の問題」を掘り下げまくっているうちに
それが「お金やお仕事につながるパン種」になっていました。
ごく自然に、です。
 
私のクライアントさんのなかに
「仕事で一旗揚げて稼ぎたい」というテーマの方がいますが、
 
そういう方におすすめしたいのは
「内実を整えること」です。じつはね。
 
※但し※
そうはいっても、私たちは自分でそのことに身をもって気づかないと
本気でそっちにシフトすることができませんから、
やみくもに私がこの考えを押し付けることはけしていたしませんけれど。
 
 
なぜか?
 
 
「無意識の補償作用」が働くからです。
 
私たちの無意識はすこぶる強いパワーをもっています。
理性や知性にすがって自力でどうにかするだけでは
どうにもわいてでることのない無尽蔵のパワーを
秘めているのは、無意識の領分です。
 
昨日のブログでは
「真の闇にもぐってそれとひとつになると
真の光や明るさに到達する」
という話題をしました。
手前味噌ですが
この手の光は本物です。
 
 
 
無意識の補償作用に身をゆだねて
手に入れたものは
ゆるぎありません。
 
この力を利用すれば
自然に欲しいものを手に入れることができます。
 
 
 
合理や理知、理屈だけでコーチング的に
がんばってもどうにもいかないのー
 
というときにはこんな観点も取り入れてみるといいでしょう。
 
で、ですね。
 
私は自分の愛情の問題について
この視点を意識するのをすっかり見落としていました。かはは。
 
なぜって?
 
今年まで、愛情をどうのこうのも重要だけど
それ以上に4年前の元旦に啓示のあった問題
「いかにして小説家の魂を生身の私が引き受けられるか」という
魂のテーマにめっぽうエネルギーを
費やしていたからです。てへ。
 
これは何をしていたか?
下のマトリックスでいうところの
「内」をせっせと耕して満たしていたのですね。
 
私にとって「内」を耕すとは・・・
 
★見失われていた自分自身を取り戻す作業
★発掘、そして結合、統合、抱擁
★現実面でのライフスタイルの創り直し
★インテリアも一新した
★衣服のスタイルもかえた
★食生活もかえた
まさに「衣食住」を
「魂そのものが求めている形」にシフトさせました。
そしたら、私は知らないうちに「外」、
つまりお仕事が自然と形作られていきました。
ですが指向性が「内」にばかり向いていても
私の場合「伴侶」には恵まれませんでした。
どうも、私の場合、「頭」や「理屈」や「形」だけの結婚は
おてんとうさまが許してくださっていないようです。
自然が認める結婚のみか!?
ドキドキ。
 
プラス縦軸は「死ー生」となっています。
「生きること」に執着していると「死」が足早にやってきます。
逆に「死」を意識しながらいると「生」が促されます。
 
たとえばもし「子供」を授かりたければ
「先祖(すでに亡くなったもの)」を敬うといいといいます。
 
私は神仏を大事にすることは欠かしません。
お墓詣りも。さらにはきょうは大晦日なので
両親を招いて黒毛和牛のハッシュドビーフをふるまいご馳走しました。
(今年はハートブレイクでおせちをつくる気力まではでませんでしたw)
 
家族や目上を敬うこころは、無意識の補償作用によって
新しいものを生み出す力になります。
 
 
照明が暗くてすみません。中央にあるのはコールスローサラダ。
 
 
そんなこんな。ともあれ。
 
私はこの補償作用をつかって
来年から「外」を意識的にがんばるわけです!
「内」のこと---異性との恋愛関係ーーー
をひとたび忘れて猛然とお仕事に精を出しますよぅ。
 
 
 
「先生、いままではお仕事に精を出していなかったんですか??
 
と、みなさまにあきれられてしまうでしょうか。
 
いえいえ、いままでも「誠実さと本物探究心」が中心でした。
 
ですが「指向性」はやっぱり「内向き」でした。
 
「求めてくださる方に対してがんばる」というのが今までの私でしたから。
私自身の引っ込み思案のテーマも残していましたし。
 
けれども、今度は違います。
「外」指向にスイッチオン~~!!!
 
求めてくれようとくれまいが、
あっちを向いてしまっている方にも
振り向いていただく勢い!(笑)
 
そうしたときにおそらく無意識の補償作用によって
ふたたび「内」にかえりたくなるときが必ずやってくるのでしょう。
そのときは「伴侶」を得るという形をもって☆
 
 
じつは
このプロセスは
私の背後にある「男性のマザーコンプレックス」テーマが
教えてくれることと
とっても共時的でした!!
 
いまこのタイミングだからこそ
この大事な要素に気付くことができたようです。
ふ~
 
 
***その2***
 
それにつけてもどうしてこうも
私には「男性のマザーコンプレックス」問題が
顕著にぶつけられるのかしらん???
 
そりゃまあ、日本の男性は
マザーコンプレックスを抱えているひとは
多いのは確かですが。。。
 
私自身の問題として
ふりかえる必要のあるポイントがあるとしたら
どんなことだろう???
 
こんなお題を自問自答していて、あ!
 
「私のなかの『マザーコンプレックス男』を受け止めていないのでは?」
 
理由は、関係性には、自分のシャドウ
(自分が切り落としてしまった自分の嫌いな顔)が
投げ込まれるからです。
 
私は女性だから、自分のなかの
『マザーコンプレックス男』はノーマークでした。
 
女性にもマザーコンプレックスはあります。
私も持っています。
ですが、女性のマザーコンプレックスと
男性のマザーコンプレックスとは性質が違います。
 
さらに私のなかにはちょいと複雑な問題がありまして
水子のお兄さんの分も
私の精神でごった煮になっているということもあって・・・
男性性要素も強めの私です。
 
それゆえ日本男性に多い「ホモセクシュアルの気質」をもった
男性に好かれるという傾向もあるんですねえ。
 
(※もちろん、ご当人のマインドには
そんなものはあがっていません。
ですが、私の目には、潜在意識に
隠されているホモタイプはわかってしまうのですね。
今回の若い彼も、ジャーナリストの彼も、
その因子をたぶんに孕んでいました)
 
というわけでチェックしてみました!!
 
投影を反映させやすい、ぬいぐるみワークをしました。
 
以下、
(左)私のなかのマザーコンプレックス男くん
(右)美しき癒し系母
 
あくまでも私のなかのマザーコンプレックス男くんに
意識をチューニングして
ワークしてみました。
それに対して私のなかの母が
どのように応じるかを見守りながら。
 
<<<ミニ劇場のはじまり、はじまり~♪>>>


 
(母)あなたはなんて素敵なの。なんて素晴らしいの。
(息子)お母さん、ありがとう。僕、嬉しいな。
 
<私の恋愛初期は決まってこの構造ですw>

 
(母)あら?どうしたの?
(息子)僕をみないで。僕、このままじゃダメだ。
 
<私の恋愛関係の雲行きが怪しくなるのは
だいたいこんな感じだっw

 
(母)え?なに、なに?私が必要なんじゃないの?
はじめと話が違うわ。
(息子)いやだ!いらない!お母さんなしで頑張りたい!

 
(母)そう、それもしかたがないわね。
あたたかく見守っているわ。
おもいっきりがんばってね。
(息子)・・・・・・。

 
(息子)お母さん、見てちゃダメ!
お母さんのいないところで僕、立ちたい!
(母)どうして、そんな・・・。
(息子)だって、僕、お母さんに認められる立派な男になりたいもん!!!
(母)いまだって十分に認めているわ。
(息子)違うよ!僕が納得のいく仕事で成果をあげて、社会に評価されて
お母さんをもっと喜ばせたいんだよっ!!!
 
<あわわ。私のなかのマザーコンプレックス男くんたら
そんな想いを抱えていただなんて。
きょうはじめて知りました。主体者の私>

 
(息子)お母さん、さよなら!!(だっ。駆け出す)
必ず大きくなって帰ってくるから、
それまで僕のことは忘れてて。
お母さんを苦しませたくないから。
(母)・・・・・・。わかったわ。好きにがんばりなさい。
 
<そらおそろしい・・・。なぜなら、私が見落としていたこのロールが
こんな発言をすることを知っていたら
私は、若い彼にも、ジャーナリストの彼にも
まったく同じ要素のことを口にさせなくてすんだでしょうに・・・。
ことわっておきますが、
彼らにこのセリフを言われたから
きょうこのぬいぐるみがそうしゃべっているように見えたのではありません。
彼らのことを忘れた境地で
このぬいぐるみのワークをしたら、まったく同様の展開に
みるみるなっていったのです。
 
これが運命だったのです。
 
このことに気付くまでの私と男性との関係性の。
 
私がこのマザーコンプレックス男くんに気が付くために
彼らふたりとも異口同音に同じようなセリフを
私の無意識のマザーコンプレックス男くんに言わされたのかもしれません。ぶるる>
 
***
 
みなさま!
わたくしが強く主張したいのは
 
関係のなかには見事に見失われた自分が存在し、
その自分と結合する必要があるために、
現実で、関係の事件が発生するという
真実です。
 
これと同じことがセラピスト・クライアント関係にも発生します。
私はこころと向き合う現場に関して
生徒さんにお伝えさせていただいているのは
「どのような運命にそのクライアントとの間で巻き込まれているか、
アウェアネスを持ちながら引き受け、
さらにそれについてともに話し合うことができるようになるマインドを磨くこと」です。
 
***
 
話題を元に戻しまして、
 
結局、私がこの私のなかの
「マザーコンプレックス男」くんを引き受けていないことが
問題だったわけですね。
だから、彼らのほうが自然とこの「マザーコンプレックス男」役を
私との関係のなかで負わされていってしまう。
じゃあ、私が「マザーコンプレックス男」くんを引き受けて
現実を生きるとは、どういうことか?
もちろん!
仕事で一旗揚げて、母親が満面の笑顔になる
お土産と実績をたくさん持ち帰ることです!!
故郷への凱旋の日まで、お仕事一筋っ」
というわけで、
みなさま、本年は大変お世話になり誠にありがとうございました。
来年は
「新風を社会に」をスローガンに頑張りたいと思います。
どうぞ引き続きご愛顧いただけましたら幸いです。
 
みなさまのさらなるプロセス、ザ・2013を
まごころよりお見守り申し上げます。
 
私が静かな気持ちにかえるとき見つめている
私がつくった「祈りのコラージュ」を最後に。
私はこれを見ていると物語が浮かんでくるの。
スキャンがいまいちでちょっとグレーがはいっていますが
基本は白一色の世界を想像してくださいませ~。
 
 

2012年12月30日日曜日

エネルギーが変わると、人間関係も変わる~私の愛のテーマ、ハートブレイク第2弾

 
みなさん、こんばんは。
 
師走のドタバタ期に、たたみかけるように
ハートブレイク 第2弾です!!!
上の写真は、どんより顔~「直後」の表情です。
 
エネルギーが変わるとき
人間関係も変わります。
 
私自身、それを知識としても経験としても
やまほど熟知しておりましたが
このほどまたそのような出来事がやってまいりました。
 
 
2012年は私は「節運」といいまして、
変化の激しい年、運気の変わり目だけに大変なとき
といわれている時期でした。
実際に1年をふりかえればふりかえるほど
嬉しいことも苦しいこともふくめて
いろんなことがわんさかとやってきて
しかもありがたくも「統合」「結合」「自己の抱擁」が加速化され、
 
「私は何者か」の答えのうえに
やっと基盤をすえることができるようになった
重要な1年でもありました。
 
新聞もテレビも私のなかでは
大きいお話をいただいて
私のなかではドキドキの多い年でもありました。
 
で、2013年からは「統合」された私として
本気スイッチでがんばろう! と意気込んでおり
そのためにも大事な問題として、
夏ごろから自然消滅していた彼と向き合ったんです。
 
私の丹田に存在する「シヴァ神」は
「よせ、やめとけ、傷つくぞ」
メッセージをくれておりましたが
 
生身の私は、それではけじめがつかないし
自分の身に起きている現実としっかりと向き合いたいという
気持ちがあったので、たとえ傷ついたとしても
前向きにしっかりと、そこに存在する関係性を受け止めたいと思って
私からコンタクトしたのでした。
 
彼も人生の流れがちょうど変わってきていて
この数年一緒に励ましあってきた
彼の仕事の方向性が決まったタイミングでもありました。
 
ところが!!
まだ若くて(一回りも年下!)経験もこれからという彼は
フロイトのいう「リビドー」が完全に仕事にシフトしまくっていまして
私をみても「感じない」「好きじゃない」になってしまっていたのでした。
おーい!
 
「リビドー」は、「性的エネルギー」にいくか
「自己の達成」に向かおうとするか
コインの表と裏のように放出されます。
 
彼がけして器用な人間ではないことは
この数年のおつきあいのなかで知っていました。
で、晴れて2年かけてやっと仕事の指針が決まった!
よし!これから5年のうちに起業するまでに成長するぞ!
というやる気エネルギーがぜんぶ自己の達成に向かってしまったこと、
 
同時に、
 
私のエネルギーが
彼とであった当初、
彼が投影する好きな私では
なくなってしまっていたこととがあいまって
 
「(関係を)解消したい」と言われたのでした。
 
なんとなく「二次プロセス」を観察していて
このひとが夏あたりから違う方向にエネルギーが向いているのは知っていました。
でも人生のプロセスはいろいろですから、
そのすべてを大局的に抱きとめることができれば
物理的な関係を超えて、そこに関係は存在するから、いいやと受け止めていました。
 
ですが、私の本質がくっきりとしたとき
彼の目にそれが響くものとしてうつらないのであれば
今は彼の申し出をそのまま受け入れるよりはありません。
 
彼のことばでは「大人っぽい」とか「子供っぽい」という表現になるのですが
よくよく分析をしてみるに
彼は「不安定さ」や「暗さ」を自分のなかで抱きとめられずに
外にオーラとしてそれを放ってしまっていた時分の私を
気に入っていたようでした。
 
下の写真は春ごろのものです。
このころはまだ彼の愛情を感じておりました。
そのときはせいいっぱい明るい自分のつもりではいますが
今の自分と比較すると暗さがにじみでているのがわかります。
この暗さこそが、彼には「大人っぽさ」としてうつり
私が恋愛対象に見えていた理由だったようなのです。
 
 
なぜそこがキモかって?
理由は、私が彼にこう聞いたことに対する
彼の答えからわかりました。
 
私「久しぶり(4か月ぶり)にあって、私がどのように見える?」
 
彼「最初にぱっとみたとき、髪の色が明るくなったな、って。
それがいちばん印象的だった」
 
私の髪の色はじつは変わりません。
けれども。
 
彼の目には
明るくなった。
 
それは私の雰囲気です、本当は。
ここが彼のこころのエッジだったのです。
 
そして、明るくなった私には
恋愛感情が動かなかった。
 
それを久し振りにあって確かめた彼は
私と関係を「解消したい」と。
 
みなさんにもおすすめできることがありますのには
 
「あなたに、私はどのように見えている?」
 
という質問は大変有用です。
相手の自分への投影が何かがわかります。
そこにそのひとのこころの動きのヒントが満載です。
 
 
下の写真は最近の私です。
自分が「影」におしやっていた
「自分自身」を引き受けることを覚悟したことで
(私の場合「小説家=自殺する存在」という思い込みがありましたので
そのためにいっこうに「小説」を書き始めることができず
それなのにそれをのどが渇くほど求めているから
人生がどんどんおかしなことになっていっていました)
 
私は自分のこころの「闇」を
自分のうちに抱えることができるようになりました。
そうしたときに、私は明るくなることができました。
 
この明るさこそは
自己実現の形です。
 
真の明るさや光は
真の闇と向き合うときにのみ
その闇のなかから生まれ出でます。
 
 
そして、たしかに納得するのです。
私が人生ではじめて高価な贈り物を
独身男性にしたのは彼でしたが
私がプレゼントした一眼レフカメラで撮る
彼の世界は本当に暗い!!!
でも、私はその暗さをこころから愛していましたし、
今でも自分のもののように愛しています。
なぜなら、私の内面にもその暗さはしっかりとたゆたっているのを
日々感じているからです。
 
私が好きな彼のとったある一枚。濡れる砂浜をこんな風にとるって!
私の深い部分がうるうるしてしまうのです。
 
 
 
ですが、彼の人生もまだいろいろな経験が待っていて
彼もやがては自分の内なる暗さを
引き受けなくてはいけないときがやってくることでしょう。
 
そのとき「明るくなった私」をみても
明るさが前面に感じられるのではなく、
この明るさの奥に隠されている私の本当の暗さに
ふたたび反応するときがくるかもしれない、と
私は見立てをするのですが、
 
すっぱりと解消しないと
気持ちが「すっきりしない」とも
主張していましたから。
 
引き受けることにしました。
「また時があったときにお茶でもして会う関係」
というのりしろだけを残して。
 
そして、さらにどうも
知らない間に私は彼の「グレートマザー」の
ロールに入ってしまっていたのでした。
おお、ここでも「グレートマザー」のテーマが!
 
子供が自立をするとき
親をすっぱりと切り落とすことをする必要があります。
そうしないと子供の自立へのパワーはでません。
 
私には子供はひとりもいませんが、
 
先のジャーナリストの彼にせよ
この若い彼にせよ、
「自己に向かう自立」のために
「自己を見つけるサポートをしてきた」私を
切り落とさせるという
無意識の力が
働いてしまう
私っていったい・・・???
 
答え。
 
私は
(自分で言うのはなんですが、
私のなかのセラピストロールで自己分析をしますに)
 
母なる存在。
愛と慈悲の菩薩のような
包容力をもった存在。
 
これを表現して生きなくてはいけない。
 
そうでなければ
こんなに似た男女関係のパターンが
繰り返されることはありません。
 
さて、そんな私に見合う男性は
これからやってくるのでしょうが、
でもどうやって?
 
はい、それは・・・
 
私が私に忠実に
内なる愛の世界を正直に
表現し続けているときに。
 
やっぱり私と同じようなテーマと性質を
おもちのかたが好相性のはずです。
 
私は、自分の恋愛に対する依存傾向が自ら苦しくて
精神分析の面白さにはまってしまいました。
私は現実の男性に夢を見すぎるし、
またその夢見の力が大きすぎるのです。
 
ですが、それもまたやっぱり投影。
 
私はその大きな
現実の男性との間に夢見ている世界を
「現実の形にする」ことでしか救われない人間なのだと
つくづく思い知ります。
 
いま私のなかに小説のアイディアは
ジャンルを超えてやまほどでていまして
今回のいっけんで浮かび上がっているのは
 
「女光源氏」の構成です。
 
モデルは誰か?
私です☆☆☆にゃははは!
(いうねえ!)
 
でも本当ですよ。
私と付き合ったことのある男性は
だいたいが「本当の自分の還るべきところ」を
見つけてしまうんですから!!!
そして胸のうちに傷跡を残すのは私ばかり(涙)
でもね、しょうがないのです。
 
私がそれでおてんとうさまに対して
私の生きる意味をしっかりと
表現し、恩返しすることができていれば
本望ですし、それ以上の幸福もないはずでしょうからね。
 
がんばれ!煩悩の私!w
私はこのちょっと特殊な才能をつかって
たくさんのひとを癒すお話をつむぐのが幸せな人間、
あとは来年からの10年をかけて
じっくり熟成、仕事に集中したいと思います。
 
そうそう生身の私はなんのかんのいったって
やっぱり傷心。
 
年末のすべきことがいっさい手につかず。
 
こういうときは自分に優しくなるよりありません。
 
のろのろと亀のように
直感にしたがって
新宿の伊勢丹のメンズ館8Fにあるカフェへ。
こんなところふだんから行きません。
はじめてです。
ですが、なんとなくここがいい気がして行ったんですね。
そしてたまたま空いていた席の目の前にあるのは
 
エルヴィス・プレスリーの写真が2枚!!!
 
 
あらまー。
このコーナーにのみプレスリーの写真があり、
ほかの壁にはそのたの往年の俳優たちの
写真がずらずらありました。
 
じつは私の「自己実現」の方向性には
コンステレーションとして、プレスリーが
はっきりと存在するのです。
 
ユングがみつけた西洋錬金術
『哲学者の薔薇園』(1550年)の挿絵10枚の最後のワークは
下のとおりでした。
 
 
私の本質のこころはハートだらけ、
ともすると無垢でむき身。
 
私はこの自己達成の完成形である
両性具有体が
プレスリーにしか見えず
プレスリーの「ONLY YOU」しか
聴こえないのです。
 
私はけしてプレスリーを好きになったことは
一度もないのですがね。
 
これが私の究極の世界観。
 
この『哲学者の薔薇園『』の10枚の絵の挿絵は
隠された本当の自分を映し出す
すこぶるシャープな鏡、魔法の絵ですから。
 
 
そのこころだから私は「恋文屋」として
そのかただけの愛の物語をつむいでいるとき
至福でもあるわけです。
 
そこではたと気づいたのでした。
 
今回の若い彼に私が投影していたのは
プレスリーだったのではないか?と。
 
出会ったばかりのころ
彼は私を「未知のひと」とよび
私は彼を「愛のひと」といいました。
 
まさにここに投影がでていましたが。
 
2年たってお互いに向き合わなければならなくなったのは
本質的な誤解かプロセスゆえの変化かです。
 
いまはまだそれについての答えは正確にはわかりません。
 
でも可能性として
私は彼にプレスリーを無意識に夢みていたのだ、ということ。
 
私はプレスリーのファンになったことは一度もないから
ここは盲点でした。
 
彼はプレスリーではありません。(当たり前ですがw)
そのことをもっとよく自覚しながら
私は男性と向き合う努力したいと思います。
 
 
自分が無意識にしっかりと
隠したものの投影は
大事な関係のトラップにもなるからです。
 
そしてそう意識できると
彼のことももっと楽に
解放することができるようになります。
 
 
***
 
ああ、私は本当に愛だけが糧の人間。
スイートな世界さえあれば、私は百人馬力!
たとえ狂気といわれようとも、
それが私の個性なのだからどうしようもありません。
 
このこころを放置していると
 
私は恋愛に過剰に夢見るか、
スイーツ(甘いもの)を嗜好して体重が増加するかです。
プレスリーも晩年、摂食障害でしたよね。
自我の枠組みを再構築しないでいると、その道しか許されない私。
(つまり、私は何者ぞ、というのをしっかりと無意識の世界もふくめて受け容れ
新しい私としてのアイデンティティをしっかりさせること
 
いやだ!もう疲れましたよ!
 
だから、きょうから恋愛小説も書き始めてみたいと思います。
私はいっぺんに7つのことを同時進行するのが
エネルギーが分配されて
ちょうどいい性質のようですし。
(これは子供のとき夜みた夢からの自己分析)
そうしていれば、
余計な思考にわずらわされなくてすみますからね
今ここを生きる、ということでもあります。
 
 
さて、今年のみならず、この10年の歩みをふりかえって。。
 
私が、愛のテーマで
この境地に至ることになったのは、
これまで出会ってきた
個人的な間柄となるご縁のあった
男性たちのおかげは大きいところになります。
 
私のお相手をしてくださった
すべての男性にこころから
感謝の気持ちを捧げたいと思います。
 
もちろん常日頃より
エネルギー交換をさせていただいている
クライアントの方々との意義深い対話を通じてもまた
 
社会の一部を見つめるきっかけともなっており
そのなかでもまた自分のこころの動きを
見つめることができているという意味において
 
すべての関係性に敬意をもって
深く頭を垂れるばかりです。
 
いつもありがとうございます。

2012年12月28日金曜日

「ありのまま」とは?自分にうそをつかないと壊れるひともいることを知ること~私の考える「愛ある世界」について

 
みなさん、こんにちは。
 
「ありのまま、ってなんでしょうね?」について
きょうは。ちょっぴりと。
 
私自身は、自分にうそをつくと自分が
バラバラになって現象や出来事が「何か違う」と
知覚できてしまう性質・体質です。
これが私のありのままに生きるということですが……。
 
私がよくクラスの生徒さんにお話しさせていただく
大事なポイントのひとつに---
 
とりわけ精神世界を指向する方は
「ありのまま」や「自分にうそをつけない」とか「純粋であること」を
基準としますし、「ありのまま」であることを
「純粋性」と心理学でもいうことは多々です。
たしかにそれは「全体性」に向かいたい人間にとって
必須の通り道であることは、精神世界の真理です。
ですが、
 
同時に
 
それをしたら逆に壊れてしまう性質・体質のかたもいるという点です。
「自分にうそをついても自我の価値観を守り通したい」という正直さも
存在するということです。
 
それを尊重しない心理学がもしもあるとしたら
それはそれをはじめに提示した
心理学者の世界観なのでしょう。
 
私たちはうっかり自分の価値観を標準として
世界のできごとを判断してしまう傾向にあります。
これは非常にやむをえない、どうしようもないポイントです。
 
ですが、そのことをきちんと受け容れないと
結局は、永遠に
「なんであなたはありのまま、
すなわち純粋性を指向しないのだ!」
と相手を攻めてしまうことになってしまいます。
 
「ありのまま=純粋性」とは
たしかに心理学的定義ですが・・・
 
それをふまえたうえで
それでもその純粋性を受け容れられない指向性こそが
「ありのままだ!」という世界もまた存在するのだということと
 
しっかりと向き合うことこそが
私の考える「愛ある世界」です。
 
たとえばユートピア思想を指向する方がいたとしましょう。
それも素晴らしいことですが、
同時にユートピア思想を指向しないひともまた
素晴らしいということを忘れてはいけないと
私は日々、肝に銘じております。
 
私が目指している世界は
地球まるごとを包み込むタイプだからです。
 
ここに本当の意味での
「ひととひとが理解しあう」とか
「わかりあう努力をする」
という行為の価値がでてくるのだと思います。
 
そして、
所詮、どんなに似た者同士、親子であっても、
ひととひとは別々の小宇宙です。
本当の意味で、
まるっきり一緒ということはありえません。
 
だから、お互いがお互いの立場を
立てて尊重しあい
歩みあい、ともに
歩むことができるための努力に
こころをくだいたりという
 
関係に橋をかける行為は不可欠です。
 
 
「愛しています」というセリフをいうとき
私は、自分の心をしっかりと知っていますから
「ねえ、私のことを愛してほしいわ」という気持ちが
あってのことであることを正直に認めます。
 
同時に
自分が愛してほしい分だけ
 
「相手が求める形を表現すること」を
惜しみなく与えたいと思っています。
 
 
もしもお相手が
「おまえとはもう会いたくないのだ」というタイミングにいて
そういった形を求めているのであれば
「OK」と引き受けることもふくめてです。
 
それは「聞き分けのいい子になりさがる」のとは違います。
自分の気持ちをしっかりと主張し、
自分の想いをしっかりと大事に守ったうえで
 
相手の言い分にもそうということです。
 
補足しますに、
 
この境地に入るには
自身の人間としての強さを磨くことは必要かもしれませんね。
古い「依存体質」の私の立場からしたら。
 
ひととしての強さをどのように磨くものなのかについて
またどこかでご紹介できたらと思います。
 
きょうは、
きのうFM東京の「シンクロのシティ」さんでお話させていただいた内容の
背景にあった私のこころのうちをまとめさせていただきました。
 
下の写真は番組が終わった直後。
スタッフの方が番組のHPのためにとってくださったものを
サイトからコピペさせていただきました。
後ろがガラス張りになっていて
たくさんのひとが観覧なさっていました!

 


ではまた、ごきげんよう!

2012年12月27日木曜日

本日18時10分~18時30分FM東京に生出演です&本気スイッチの心境ご報告

 
みなさん、こんにちは。
 
本日、これから18時10分より18時30分まで
FM東京の「シンクロノシティ」さまに
生で出演させていただきます。
 
相手を思いやるラブレターについて
お話させていただく予定です。
よろしければダイヤルをFM東京80.0にあわせてみてください。
 
きょうはメディアデーなのか、
来年の1月21日に放送予定の
NHK Eテレさまの番組打ち合わせもありました。
 
愛や恋について
その深みを一緒に考えていくことは
私の大好きなこと!
 
 
***
さて。
 
脇目も振らずに生きなきゃ!
私は完全に包囲されている。
無意識の神の意図に」
 
これが今の私の気持ちです。
大坂夏の陣のように
外堀を埋められて、
本丸もついに白旗~~~
降参、降伏。
そしてそれは
幸福へのはじまり。
 
きのうのブログでは
「傷つき」を通じて「自己」に目覚めることができるという
お話をしました。
 
同時に、「傷ついた私」にも「施し」を与えることが
「個性化」には重要といいました。
 
昨晩、20年来の男性のお友達に
「愚痴なんだけどね」と
今回の彼とのことをこぼすと・・・
さすが、いいことをいいました。
「そのパターンは、きみの離婚した男性のものと同じだね」
 
ぎっくー。やっぱりそうか!!!
長いこと変遷を観察してくれている友人は実にありがたい。
 
つまり、今の段階では
私の特殊性や器の大きさとは違う相手だったと考察されますよね。
(彼がこの先の未来、目覚めたとき、
本性は大きな器だったというなら話は別になりますが)
 
なぜこのかたと向き合わなければいけなかったか?
 
私が最後の最後のところで
自分のアースサイズの器の大きさを見つけられていなかったから、
それをうつしかえすかっこうの相手を探していたのですね。
私の魂が。
 
でも離婚した男性と違うところがあるとすれば、
私はこの男性を愛しているままに
さっと距離をつくることができたことでしょうかね。
 
サーカスの空中ブランコなみの曲芸です。
 
うまくまわろうとしないものを
うまくまわそうと躍起になると
それは関係を壊す方向にいたります。
 
 
うまくまわろうとしないものは
愛と勇気と癒しのこころをもって
そのあるままに解放することがポイント。
 
すると、やがては時の流れが
また別のパターンをつくりだしてくれるため
うまくまわっていなかったと思っていたものが
じつはうまくまわるようになるということも
あるものです。
 
 
 
 
おかげさまでエゴは傷つきましたが、
 
精神の原理構造をよく知っている私は、
一気にふるい立ち上がりましたよ。
 
自分自身という私の本性から逃げ続けているかぎり
私は同じ傷つきを繰り返すことは、自明の理です。
 
私のエゴはもう
スプラッターホラー映画の傷つけられる女性のように
血みどろなんです。
 
これ以上、血みどろにさせては
目も当てられないところまできたーーーー!
かわいそうすぎる、いたすぎる。
本当に、最近心臓がばくばくおかしいときがありますから。
自分にうそをついて、ふつうの奥さんになることばかりを夢みていると。
 
というところで、立ち位置をようやくかえることができました。
 
私、本当に「器の大きい男性」を探す旅にでなくちゃ!!!
 
つまり、自分の魂の命題から目をそむけない、
本気でアクションをくりかえして
その自分を完成させることだけに集中する!
というふうに。
 
 
 
 
さくじつ、久しぶりにスケジュール帳を買いました。
なかなかよくできているものをみつけたのです。
 
夢をかなえるマイスタイルアジェンダというものです。

 
そのなかのある見開きに、
年齢別にライフプランを書き出す項目があります。
 
上段に「AGE_」と4か所並んでいて
下線部分に年齢を書きこむことができます。
 
各年齢のときの
「キャリア」「ライフ」「ヘルス&ビューティ」「マネー」
についてのプランを書き出すことができるようになっています。
 
これを見たとき、じつは私まっさきに思い浮かんだのが
 
「40代」「50代」「60代」「70代」
 
という数字だったんです。
 
ふつう「40」「41」「42」「43」と思い浮かべるところなのでしょうけど。
 
そして「あーあー」と思ったのです。
 
20代のときだったら、最後は50代でまだあるのになあ。
 
もう人生の終わりが見えちゃいますよね。って。
 
私、20代、30代と、どのように過ごしてきたんだっけ?って。
 
20代は、書くことの修行、そして
美容と健康とは何か?と向き合いました。
 
30代は、一気に物質から精神へと研究の対象を鞍替え。
本気で「愛」について考え、
それをどのように実践したらいいのかを
体験をもって学びました。
 
40代は・・・
 
この20年に見つめてきたことを形に
まとめていくときなのかな、と考えています。
 
そして残るは
50代、60代、70代。
 
人生なんてアッという間に終わりそうです。
 
私の場合は、このタイミングで
本気スイッチがやっと入りました。
言い訳をしますと、
だって「自分が何者か?」だなんて、
経験のなかでたんこぶをぶつけながらでもないと
わかるものじゃないもの!!
 
いいのです。時間がかかってきていて!
私の場合は、
本気の闘いはこれからでございます。
 
みなさまのプロセスは千差万別。
 
あなただけの進むべき道は
周りの誰かのそれとはまったく違うから素晴らしい!!!
 
おひとりおひとりが
自分自身の道に胸を張って進むことができるように
誠心誠意サポートさせていただくことができていることに
 
いつもこころから感謝と畏敬の念を持っております。
 
世界がハートのじゅうたんで
うめつくされる日を夢見ながら---。