みなさん、こんばんは。
私のウリ(?)は、激しい情動です。
高校時代、後ろの席のお友達は私を「パッショネイト」と呼んでいました(笑)。
子供のころから喜怒哀楽が強くて、
自分でもそんな自分の激しいパッションエネルギーをやまほど持て余しては
「問題」をたくさん抱えていったわけですけど
心理のセラピストをしていてつくづく
「いやー、この仕事は私にうってつけだ!」
と、関心することしきりなのは
自分の激しい情動をフル活用しながら
喜怒哀楽のすみからすみまでを
クライアントの方にかわって表現することができるほど、
クライアントの方の複雑なお気持ちを
あまねく受け止めてさしあげることができる!
という点です。
私はひとの話を聞いていると
たくさんの「隠された声」がふつふつと浮かび上がってきてしまいます。
とりわけ多くの方が隠してしまうにもかかわらず
ありのままのこころで快く生きるうえで
とても大切な声というのは
「喜怒哀楽」のうちでも
一般的にネガティブと言われている声です。
「もうやだー」
「私はダメなんだー」
「つかれたよー」
「さびしいよー」
「かなしいよー」
「腹がたつ」
「むかつく」
「いらいらする」
「やってられない!」
「ぶんなぐってやる!」
などなど、枚挙にいとまはなく。
そしてそれらをていねいにお伝えさせていただくと
みなさまこのようにおっしゃいます。
「そうです!それ、確かに私の中にありますけど、
ずっとなかったことにしていました!!
そのために、現実が進みづらくなってしまっているんですね!
では、それをどのようにして受け入れていったらいいのでしょう?」
そうですね、そこで、私がその方にかわって
これまで忌み嫌ってなかったことにしていた一面の言い分を表現してさしあげます。
同時に、その言い分を「どのように受け止めたらいいのか」も表現しておみせいたします。
このささやかな言葉の投げかけ愛をくりかえすなかで
「大嫌いだった自分の一面ではあるけど
大切な自分のこころの一部、
慈しみの対象として
どのようにかかわったらいいのか」
ということを体験的に覚えることができていきます。
さらにいうと
一般的にネガティブと思われる声であっても
その声を専門家と一緒にていねいに味わい、聞き取っていくと
肯定的な「願っている世界」がちゃんと存在するのです。
その「願っている世界」を
実際にどのようにして生み出していくかについてまで
話し合うことができるとき、
不思議なのですが、ネガティブにうめいていた声も
昇華されていったりします。
こうしてそのかたの「新しいこころの器」ができていきます。
すると面白いことに---
こころが変わるから、世界の見え方が変わります。
世界の見え方が変われば、
世界との関わり方も変わります。
すると自然に、世界のその方に対する反応も変わるわけです。
このとき、そのかたの
人間としての器も大きくなっている
ということができるのです。
ひとことにおきかえるなら
「成長」
ということですネ☆
こころほど成長の場と成長のしかたを求めているものはないのに
戦後のいまの教育の歴史のプロセスには
その具体的な方法の提示がまだ未統合だよなー
などと思う私。
日本はもともと東洋思想の国で
陰陽五行、タオの考え方と
なじみが深いはずなのに
いったいどうしてこうも
損得や、善悪などの
二元志向にはまってしまっているのでしょう。
あれはいい、これはいけない。
そういって、大切なこころの一部を切り落としていくひとたちの
なんて多いことでしょうか!!
人間は無自覚かもしれないけど
無意識もふくめてみるとき
ロボット(無機物)ではありません。
有機的な命と心のある自然の一部です。
それに対して、切ったはった、よい悪い、で生きていると
知らぬ間にたくさんの「傷つき」がくりかえされていきます。
無自覚の「傷つき」は
「事件」を引き寄せます。
「傷つき」は
受けとめてもらいたがっていて
ケアされたがっているからです。
私はこの社会全体の深みに蔓延している問題に対して
救いの一手を投じていきたいと
考えています。
みなさま、今後ともご愛顧のほどどうぞよろしくお願いします☆
この秋からすっかりサロンのインテリアがさまがわり。 私の夜みる夢が教えてくれたとおりに 現実化させてみましたの♪ |
クリスマスリースです。 |
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私が憧れているロマンスの世界にちょっぴり 近かったので、衝動買いしました。 |
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