さきほどのブログにかいたように
本日、自分の「中心」を深く意識していたら
「母への愛のお手紙を書きたい」という気持ちが
ふきだしているのに気が付きました。
みなさんにも共有できそうな部分をご紹介します。
母と娘の関係も永遠のテーマですから。
みなさんのご関係をひもとくヒントに
もしもなればこんなにうれしいことはありません。
***
おかあさん、ありがとう。
いままでお互いに大変だったね。
おかあさんの気持ち、すごくよく伝わってきた。
お母さんが、ほんとうの言葉を話してくれたのが
私にはとてもうれしかった。
生まれてはじめて、私はお母さんときちんと向き合って
話し合うことができたような気がしてうれしかった。
お母さんからは、やわらかな桜色のような
空気が漂っていました。
頬がちょっぴりピンク色にそまっていて
白い肌がいっそう強調されてみえて
それは
お母さんの純粋なこころそのものだと
感じることができました。
おかあさん、ありがとう。
恥ずかしさをのりこえて
私にありのままの気持ちを見せてくれたことは
おかあさんにとっては、勇気のいったことだったと
想像します。
「私は、真理子に『ママと話していると苦しくなる』と言われて
傷ついた。
それなら私はしかたがないと距離をとりもしたが
それはとても寂しいとわかった。
真理子がこれまで傷ついてきたできごと(仕事、恋人選び)は
結局は、ママが40年前にパパとの結婚に“失敗した”と思って
毎日、夕方になるたびに涙がとまらなくなって
“このままでは自分が壊れる”と思って
自分の感情にロックをしたことにはじまるのよ。
自分の人生は、おばあちゃんとの関係だけがよすがと、
枠をこりかためてしまったことによるんだよ。
それがまさか真理子のありのままを
分断することになるだなんて、ね」
「ママがこりかためたエゴの世界で
真理子が親や社会から否定されているような気持ちになって
傷ついてきているんだということを
私にはよくわかったから、本当に悪かったと思っている。
お利口さんの枠組みのなかで
社会一般の規範におさまろうとして
ありていを求めたせいで。
もちろんそれが安全で幸せな道だからと
想像したからだけど。
でも真理子は違った。
そして、その真理子らしさとは
私がしめだした本当の私自身だった。
反逆精神をもっていて
ロックで
反体制で
ワイルドな性質」
ここまで言われても
私にはまだ響いていなかった。
でも、次のことばは本命だった。
「その何よりもの証拠に
私はきのう(カウンセラーの)先生のまえでやっと
(昨年末に)おばあちゃんが死んだことが
“悲しい”と泣けることができたんだよ。
先生は目を赤くして一緒に泣いてくれて
ママはうれしかった」
こころからの安堵を感じた。
「よかったね」
間髪いれずに口にしていた。
胸をつきあげるように
涙があふれこぼれた。
いちばん、このことがうれしかった。
表面的なできごとで口論のたえない関係を
子供のときからくりかえしてきていたけど
私がずっと求めていたのは
等身大の私を認めてもらうこと以上に
お母さんにありのままのお母さんとして生きてもらいたいという
切なる気持ちがあったからなんだと気付かされました。
どうしてかって?
私はお母さんに幸せになってもらいたいからです。
お母さんのやわらかなこころと一緒にいたいからです。
お母さんが自分にうそをついて苦しそうにしているのが
私には本能的につらかった。
どことなく存在する、お母さんのなかの「いつわり」。
それに違和感をずっと覚えていたんだね。
私はどこまでも
お母さんの娘だからだし
お母さんの無意識を感じられてしまうからなんだね。
きのうはじめて私も自分の気持ちに
素直になることができた気がする。
その最大の気持ち。
生んでくれたことへの感謝です。
本当にどうもありがとう。
素直なまごころからの言葉に
おかあさんの中にも、私と同じように苦しい物語があるのだと
よく理解できました。
やっと地上に降り立つことができたような気がします。
この日がくるのを追いかけて
40年間、いろいろな冒険をひたむきに
つづけていたのかもしれません。
いっぱい苦労と心配をかけたことを
こころから申し訳がなく思うのと同時に
それでも真剣に支えつづけてくれたことを
感謝しない理由がありません。
残されている時間を
お互いに豊かににこやかに
紡いでいくことができたらいいね。
結果と形を出すことを意識して
お母さんとお父さんに
「生んでよかったね」
と言われる日を目指して
ふんばるからね。
見守っていてください。
私はふたりがいないとまだまだ生きていけません。
私ら家族はこれからが本番よ。
がんばろうね。
智代子 こと 真理子
0 件のコメント:
コメントを投稿