みなさん、こんばんは。
きょうのフォトショットは
まるでブルーのフィルターをいれたみたいですね。
やだわ、奇遇なのか、共時性なのか。
このところずっと私の二次プロセスに「青のエネルギー」が
でてきているなあとはわかっていました。
そして、そのことをより克明に理解するためなのか
「母との関係のテーマ」をひっさげて
午前中にお師匠さまのところへカウンセリングにいってまいりました。
45分のセッションの最後に浮上したものは
「深い青いエネルギーのかたまり」
でした。
結論からいうと、これは私も母も受け容れることができていない
「孤独になること」
裏を返すと
「ひとりの世界を楽しむこと」
がふたりの二次プロセスにでたのだろうと読みます。
またこの「母との関係」のテーマと
私の「自己実現」や「愛情関係」のテーマとも
大変密接な関係があることもよくわかっています。
私が母を無意識にかばって、母との間で無意識に共依存を
長年形成してきていました。
ですが、それをやっていると
ちっとも「本質の自分」を肯定できないということに
年明けに気付いたのでした。
心を動かされた男性をきっかけに発見した
未統合エッセンス「ワイルド」がきっかけでした。
私が理知的にそれを引き受けはじめたら
私の顔つきはぐんぐん、生来の自分を取り戻していくのに気が付き
さらには自分だけの心休まる世界を発見することができたとき
母との関係をべったりさせる必要がなくなりました。
むしろ距離をとっているほうが、安全を感じます。
「私は私でいいんだ」
そして自分が知らないうちにどこかで
「母のいい子を、母と一緒にいると自然とおしつけられている」気がして
イライラさせられているのを感知できるようになっていたのでした。
私がそこに移行しはじめたのをさして
「自分だけ幸せになるのか!」
と母はついに長年、隠してきた本音をぽろっと口にしたのでした。
それはまた母が抑圧・スプリットさせた部分でもありました。
母が心理療法をスタートしたのはこの2年です。
母が自分の本質回帰の問題にまでたどりつくのは
あと数年がいるのではないかと思っています。
それまでの間、私はどうやって
母との関係を適度な距離で無意識的にも意識的にも
キープしたらいいのか、わからなくなりました。
娘の立場に強く同化している私は
「本質」に移行したくてもちっともできない
どうするすべももたなかった
長い年月の
無意識的な苦しみと払った犠牲と
そこで体験した傷つきの大きさを思えば思うほど
非常に大きな怒りがこみあげてならなくなってきたのです。
理知的には、どうしようもなかった家族の因縁や
戦争といった時代背景など
いろんなものが関与していることはわかっているのですが
母がなんでもすぐに「運命だったんだ」と
いい年齢にもなってあいかわらず主体性がないことや
せめて娘が新境地の開拓を目指して努力している姿を
「ねぎらったり、いたわったりするだけでいいんだ」
とリクエストをすると
「わからない!!
ねぎらうってなに?
いたわるってなに?」
という反応。
あげくのはて
「あんたが私をねぎらってよ。
これは親いじめだ」
とまでののしられる始末。
正直、冷静にいって、母娘の要求が逆転しています。
こころが成熟する機会を持たなかったということは
こんなにも永遠の子供のままなのかと
驚かされるのでした。
どんなに私が訓練されているセラピストでも
この段階では、私には無理です。
こんなに自分の娘としてのこころのやり場が未整理のテーマ!
というわけで
「どこに活路を見出したらいいのか?」
自分の無意識にまだ隠されていて
このタイミングで統合することが待たれている
エネルギーを探しにいくのが
心理セラピーです。
師匠とのセッションではっきりしたことは
◎母の甘えが未完了で、私の見立てのとおり
母は私にべったり無意識に依存することで
自尊心を保ってきている。
◎私は私がいなくなると母がひとりぼっちになることを可哀そうに思って
母をかばうべく
私は母の夫選びの失敗を肯定するために
自分も男性選びをうまくいかさせない無意識のシナリオをもち
画家で大成功するセンスを持っているのにがんばってこなかった
母をかばうべく
仕事でもたいして成功しないようにブレーキをかけて
本腰いれきらないようなシナリオに
甘んじてしまう。
母の嫉妬を恐れたからでした。
じつは10歳のときにすでにこれを感じ取っていましたが
それを母にいうとすごく怒られました。
「そんなわけない!」と。
けれども今回いざ自立のときがきたときにちゃーんと
「自分だけ幸せになって」という言葉がでています。
よくよく自分の無意識の持ち物に頭をたれていないと
理性で認識している自分の世界観と
本音がもっている世界観には
大きなかい離がでてしまうのです。
◎私のなかの深い怒りはなまはげのようなスピリットで
ひたすら「甘ったれるな!」と叫んでいるビジョンをみました。
本当にそのとおりの問題なのですね。
私の師匠は甘ったれた童子のロールを
おもいっきり演じ続けてました。5~10分?
「やだー、買ってー、いかないでー、遊んで‐」
ごねる子供の姿。
母の無意識には確実にありますよね。これ。
私はそれをずっと前にして観て聴いていると
だんだんとめいってきます。
「おえー。重いー。やめてー。ぐったり、げんなりだわ」
このセリフは、男女の関係性でよくきくやつですよね。
母は私に未完の異性性を投影しているのですよね。
夫婦仲が意識的にのみならず
無意識的に思い通りにいっていない
ケースのあいだにたたされた子供の背後には
こういう関係性はかなりの確率で存在します。
(それがいいとか、悪いとかではありませんからね)
そしてそのスピリットに無自覚に憑依された私もまた
現実の異性関係でこの構造をつくっていたようにふりかえることができます。
母と私ともにこの強力な依存のエネルギーを
受け止めるだけの器量を育ててきていないために
そのエネルギーをホールドすることもできませんでした。
それによって自分たちが翻弄されてしまう運命になります。
エネルギーの因果とは本当にすごいですよ。
***
結局、私と師匠のセッションで発見することができたのは
私が
「おえー。重いー。やめてー。ぐったり、げんなりだわ」
となって
押しつぶされそうなこころから
じょじょに「吐き気」にまでシフトしていきました。
思えば大学時代に摂食障害をおこした背後には
父との関係性もぞんぶんにありましたが
同時に母とのこの共依存の関係性もあったのだと
新たに発見しました。
師匠はいいました。
「大崎さんのこころが健康になってきたから
このエネルギーをしっかりと
重いー、吐きそうって
感じることができるようになったんだよ」。
つまり
4~5歳の私には
この「重い‐、やめてー、ぐったりー」というこころを
受けとめるだけの度量と器が育っていないせいで
それをどのように処理したらいいかもわからず
母の肩につくよりありませんでした。
無自覚に
自分を失っていくことと引き換えに。
だからといって私は母を責める気もわきません。
怒りが無意識層からわきあがってしかたがないとはいいましたが
それは「ただあるものとして」の話。
私が生まれた70年代は
ヒューマニスティック心理学の生みの親であるカール・ロジャーズに
きちんとトレーニングを受けたわけでもない
ロジャーリアンたちがカウンセリングをあるいは自助グループを
行う試みをはじめたばかりの
精神療法の黎明期です。
ユング派も当然、入ってきていません。
母の世代は、どうすることもできず
ただ自我の枠組みのなかに自分を押しとどめて
「本当の自分」や「自分の本質」などは
息を殺すようにして生き延びるよりなかったのだと想像します。
立正佼成会に通ったりもしたと言っていましたから
せめて新興宗教などに肩身を寄せつつ
そのなかで逆に二次的なトラウマを背負う結果になるなどして
苦しさのなかをかけてきたのでしょう。
今、私が母との間で感じてきた痛みや苦しみを
やはり同じように胸の内に抱えたままに。
ありのままを発見し、それを解放する手立てを
学び、良質なトレーニングとして
ありのままをいだきとめる技術とまごころを手にすることのできている
私の方がはるかに母にくらべて生きやすい人生になっているのではないか。
ここまで支えてくれたことへの
感謝の気持ちはつきません。
それでも客観的に
エネルギーとして生じているものについては
冷静に向き合い、ケアすべきことはケアしていくことを
進歩ある未来のために
私は選択しているだけのことです。
そして師匠のセッションの最後は
「その吐きそうを、思い切って吐いてみると何がでてくる?」
とワーク。
そこででてきたものが
「深い青いエネルギー」
だったのでした。
面接室では、はてな???
なんでしょうね?これ?
たしかにこのところ私の二次プロセスにあらわれまくっている、これ。
きょうの私のお洋服も紺色のワンピースです。
ネイビーのニットとかを着ていると確かに落ち着きます。
その「深い青いエネルギー」をただあるままに味わっていると
次に浮かんできたのが「生物のはじまり」ということばでした。
深い青いエネルギーは、海のようなものにも感じましたが
ひとくくりに「海だ!」といいきれるものでもない感じがしました。
青の世界の全般をさしているんじゃないかしら。
母娘の葛藤に対する二次プロセスになります。
師匠は
「もっとグロテスクな色がでてくるのかと思った。
魂は不思議だよね」
とコメント。
母娘の関係性にこの深い青のエネルギーを加える必要があると
読むわけですね。
私の大好きなマルク・シャガールは青の色だしで有名です。
加えて連想されますのは、ピカソの青の時代。
ネットで調べてみると。
これはピカソの自画像。 |
20歳のとき親友が悲恋によってピストル自殺をしたことがきっかけで
青を中心に描き続けたのですね。
背景にあるのは、深い悲しみ、生きることへの苦しみです。
▼詳しくはこちらをヒントに。
葛藤のエネルギーから万物は生まれだします。
なるほど!!!
私も母も深い悲しみや生きることへの苦しみと
仲良くなることができていないのではないか、と思いました。
それがつらくて逃げようとして
相手に求めてばかりの関係をつづけてしまったのではないかと
反省しました。
私はまだ40歳手前ですし
まわりの同世代はまだまだ楽しいことや明るいことに興味のある
年頃のひとも少なくないと見受けますが
それはそれ。
わたしはわたし。
私の本質(魂)は深い悲しみや生きることへの苦しみに
とどまることを指向しているのだと
認めます。
もともと一匹狼的な性質は古くからありますが
もっともっとそれを堪能してみようじゃないかと
向うべき方向を見つけました。
中途半端に
「でもなー、本当に孤独になっちゃったら、いやだしなー」
などという考えには卒業です。
たとえば好きなひとに私から媚を売らなかったら
何にも始まらないんじゃないかとかそういうのも
私はもうなしです。
知らん。そしたら、それはそれ。
(ちなみにこれは過去のパターンがそうで
それによっていつだって痛い思いをしてきましたからね。
もう本当にこりごりで、勘弁してほしいんですわw)
私は自分に対する「真実の愛」を貫き通したいと思います。
それは「魂に現れているプロセスに従うこと」。
もっとも今までの「痛い経験」もぜんぶ
「魂に現れているプロセス」を吟味して動いてきただけなんですけどね。
とほほ。
トリックスターは、私が天命に従えていないと本当に意地悪だw
これからもそれでもさらに
勇気をだしてさらなる新しい私にむかって
進んでいきたいと思います。
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生きることは
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