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2014年4月17日木曜日

等身大の<自己の指向性>を知っていますか?許していますか?

 
今年に入ってから
 
正確にいうと
 
去年の終わりぐらいから
 
「一流志向とそのプライド」
 
というものを
 
算命学を日本にもってきた故・高尾義政先生の
言葉の世界にはじまり
 
世界でも冠たるブランドとしての
自尊心をもってつねに「伝統と革新」をキーワードに
冒険をくりかえしてきている
ルイ・ヴィトンに
 
そのエスプリをたくさん学ばせてもらっています。
 
ものすごい庶民気質の私にとって
 
そこに憧れはあっても
 
まったくなじみのないところ。
 
真剣に向き合って
 
そのこころをつかみとるべく
 
精進を重ねております。
 
 
 
雑誌ライターをしていたときから
「本物志向の目利き」としては重宝されておりましたが
 
まさか自分がその頂きを
目指すべきものだったとはね。
 
深層心理の世界を心得ているものであれば
そんなことはいわずもがなの道理であることは
自明の理なんですけどね。
 
とにかく私は「本物好き」ではあるものの
そのマナーとエスプリは
まだまだ未学習。
 
そういえばお友達に
有名会社の社長秘書になったひとがいて
そのひといわく
「よかったのは
一流の流儀を学べたこと」
といっていたのを思い出します。
 
私の得意技のひとつは
 
対象がもっているエネルギーの軸に
意識をチューニングすることで
そこから
そのエネルギーが独自にくりひろげる世界観を
キャッチアップすることであります。
 
その特技をいかして
 
うふふふふ。にんまり、にたー。
 
きょうは修理に出していたルイ・ヴィトンの古い時計を
ピックアップに松屋銀座へ夕方からでかけたついでに
 
ジュエリーも拝見させてもらったのでした。
 
 
 
うんちくもいろいろ聞かせてもらいながら
 
そのジュエリー世界が持っているエネルギーを
身体で覚えて帰ると
 
自分が意識していくといい
境地を補えるからなんですね。
 
錬金術のワークをご存じの方ならお分かりとは思いますが
 
「あちゃー、私はただいま
ルイ・ヴィトンのエネルギーと
マリアージュ状態なのね~」
 
実際に
 
創始者ルイ・ヴィトンと私は
甲己干合もしてるしね!?
 
 
そんなことに思いをはせながら
ぐるりと
店舗内を見渡して
 
数ある宝石のなかでもひときわ
私を見つめていると思われたものを見つけてしまいました。
 
 
写真は帰りにくださったカタログですが
右下の写真のペンダントネックレスです。
ルイ・ヴィトン・カットというんだそうですが
めちゃ細かくなめらかにダイヤをカットしていて
大粒のダイヤなみの輝きを放たせているのですが
 
私が気に入ったのは
 
ブランドのマークのひとつである
フラワーモチーフである点。
 
身につけさせてもらったら
実にしっくり。
 
オーラ的に似合っているということは・・・
それは、私であるしるし。
 
私はこのネックレスを
<自己を映し出す鏡>
とすることにしたのでした。
 
私は頑張る目標として
大きな目標だけじゃ馬力が出にくいタイプ。
(多くのひとがそうですけど)
 
小さな目標として
頑張りがいを感じられる
ターゲットと
出会えるというのも
 
幸運のひとつなのかもしれませんね。
 
 
おしゃれなカタログをお土産にいただいたので
そのミニブックレットを眺めながら
ため息をつきつつ
 
<自分がその世界をあたかも今この瞬間にも生きているところを想像し>
 
さらに
 
<そのこころだったら、いまこの一瞬、
どのような行動を選択するのかをていねいに
確かめつつ、それにそった行動をとるようにする>
 
といった
 
ワークを重ねるのです。
 
 
好きなもの、フラートされるものと
仲良くすることは
 
非常なる
元気のもとだからです☆
 
きょうはちょうど「春の園遊会」が
うちのすぐ後ろにある赤坂御所でありました。
 
私にできること、なすべきこと
 
について
 
しばし瞑想もしてみたりもして。
 
千里の道も一歩からですから
 
焦らず地道に着実に
 
知見を深めることに
 
まずは精を出すのでありました。
 
気が向いたときにはちょこちょこ
サイトのつくりかえ作業を
亀の子の歩くスピードで
かすかにだけいじってみたりもしつつ。
 
「自分がなんなのか」
「自分の人生プロセスはどういう向きなのか」
 
とにかく
 
「自分を知っている」
 
ということほど
 
この世を生きやすくするものはないのではないでしょうか。
 
自分で自分のことを
 
「それでいいのだ~」
 
と擁護できるからです。
 
これは自分に甘いのではなくて
 
自分に誠実であることであり
 
ひいては
 
内なる神への誠意と忠実さともいうことができます。
 
それをもしも非難・揶揄するものがあるとすれば
 
そのひとは可哀そうに
 
無知ゆえ
 
神を冒涜していると思って
 
どうか憐れんであげましょう~。
 
私の先生は
 
「無知ほどの罪はない」
 
ともいっていましたけどね。
 
それもまったくそうなのですが
 
人間はしょせん人間
 
限りあるのが人間
 
もはや
 
無知だろうが
故意だろうが
 
あきれはてたとしても
怒り心頭だったとしても
 
どうしようもない。
 
自らを助けるもの
 
「知恵」「先達の教え」
 
にすがるよりない
 
というのが
私の考え方なのです~。

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