何のために人は生きるのか?
私のなかにすでに答えはあります。
ズバリ、それは「永遠の命」を追いかけてです。
ここ「永遠の命」に到達することが
魂の無意識のうちの希求であることは
魂の心理学を
たくさん学んだものとして
かなり腹落ちしているところであります。
「永遠の命」とは
死んだ後も
引き継がれる魂のことでもあります。
近頃、私は「ルイ・ヴィトン」に強くフラートされているわけですが
私の性分はさらに
「気に入ったものをとことん知りたい」
という情熱にあらわれます。
今日のケースが終わった足で
タクシーを飛ばして
六本木ヒルズのルイヴィトンへ!
その華麗なる歴史を表した本を求めたところ
ちゃんとありました。
写真と絵が満載のヒストリーブック。
そして
ヴィトン家にコレクションされているトランクを題材に
フランスの現代小説家の手によって
織りなされた短編小説集。
深層心理のワークの試みとしても
「フラートされるエッセンスに、私がいる!」
という考え方がありまして
私をひきつけるもののエスプリ(精神)を
理解し、その世界に浸りたい。
とっぷりと浸かりきって
そのエスプリをマスターすることから
新しい(本質からの)私は生まれだすからです。
***
この2つの書物を買うひとなんて珍しいんですかね。
アテンドしてくれた若い女性のスタッフの方に
経緯に関心を持たれたので
簡単に説明したら
心なしかうるうるされてしまって
ドギマギとしてしまいました。
そしてさらに・・・
案の定といいましょうか・・・
ほかのもう少し先輩の女性スタッフの方に
「先日もいらしていましたよね。
洋服にも袖を通していらしてお似合いだったのが
印象的だったので・・・」
とにっこり。
表の私は、たとえお世辞でも
ありがたいのでやはり笑顔で
「ありがとうございます」
内心の私は、「げー、またここでも、覚えられてる!」と
ドキドキ。
一流のショップは顧客の顔を覚えるものなのかもしれませんが・・・
ルイ・ヴィトンの世界はじつは
私にとっては
やわらかな心にものすごくふれるために
ひりひりとします。
ちょっとでもひとの目線が意識化されると
自意識がひくひくします。
私の表向きの八方美人ぶりとは正反対に・・・。
コンプレックスぎりぎりのところだからだと想像しています。
私のどこかが冠たるセレブブランドとLVをみていて
それと比して
我(われ)に卑屈になっているのでしょうか??
すなわち裏を返すと
私は相当本気でそのエスプリが好きなんだなと発見します。
***
さて、ここにもまた私の元型を発見し、
「自分の快適世界」に一歩前進できたと喜んでいます。
私は幼少期から歴史ものが大好きで
不思議なぐらい歴史の勉強はすいすい呑み込みが早いため
大学は史学科にしたほどでした。
好きなエスプリの歴史をひもとく行為が
結びついていたものは
私にとっては
ロマンの塊でした。
時間と空間をこえて
世界的な成功者のはたした世界を
追いかけるというのは
まるで
タイムマシンにのって
豊かな時の旅人になったかのような気持ちです。
私は悠久の時の流れに思いをはせるのが大好きなのでした。
そうだ、そうだ、忘れてた、この心地よさ!
歴史のなかにみをひたしているときの恍惚感!
ロマンある世界を背景にした
小説という言葉の美術。
行間から浮かんでくる色気ある世界観。
そういったものが大好物だったのだわ!
せちからく生きぬくことに必死になりすぎて
「自分の好きな世界が何か?」を
すっかり見失っていたため
なかなか取り戻せなかったキーワードでしたが
きょう、無事に回復できて
楽しみと喜びも倍増。
何よりも私が好きなのは
「永遠の命」を見つけて
それを世界に放射させることに成功した
人物のドラマだったわけです。
美容ライターのかけだしのころ
ヘアスタイルを1000パターンもかき分けることを
なりわいとしていたことがありましたが
「ヘアスタイルにはこころのドラマがある」
と解して
その仕事を好んでいたことを思い出します。
カウンセラーのお仕事が大好きなのは
人間ドラマとともにいるからです。
あれから15年以上たち
今は「ドラマ」もただの「ドラマ」以上に
「永遠の命」の輝きとともに
生きるドラマが
私は大好きなんですね。
それがひとのものであれ、
自分のものであれ。
ルイ・ヴィトンに惹きつけられる
こころの動きを通じて発見した
大切な宝物です。
「永遠の命」とは
「集合的無意識」からのものでもあり
別名を
「愛」「魂」「絆」
ともいいえるでしょう。
私が必要な方に
「錬金術のワーク」を
推奨しているわけでもあります。
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