上なるものは下にもあり。
下なるものはまた上にもあり。
上昇する精神
下降する精神
どの次元を行ったり来たりしても
【私】が見出すもの、
追いかけるものは
ただひとつ。
それは外にはなく
内にしかないもの。
【私】から生まれいづるもの。
「自分に振り回されるのは
もうこりごり疲れ果てた」
混迷を極めるとき
出口は近づいている。
疲れた、疲れた、疲れた。
本当に疲れた。
舞い上がる精神がエスカレートして
肉体から離れてしまったあと
ふと「もっとも深い私」を
身体の内側に見出すなら
それはあなたに言うだろう。
「【私】にもどってきて。
あなたの求めるものは
【私】が手にしている。
躁転して
あれかな、これかな、と思いをめぐらせ
身をやつしても、答えはそこにないから。
あるのは
かりそめの一時しのぎの
気休めのハイテンション。
上昇しすぎた精神を
地の底にまで下降させよ。
ダウン、ダウン、ダウン。
墓場に眠れるわが肉体の
腐敗する姿が目に見えるか?
腐敗して粉々にくだけた
わが肉体のすべてを
取り戻すべく
奈落の底にまで降り立ち
そこで夢を見るのだ
夢を見るのは
躁転した天上にてではない。
夢を見るのは
下降してうつうつと
沼のように大地の深みにしみこむ
あの世にてだ。
泥の中にとどまりながら
光を見ることができるとき
天上の鐘が鳴り
下界の百鬼たちの祝福に
あずかることができる」
疲れたなら
泥沼に沈めた境地のまま
そこでみる
夢世界の感触と
ひとつになれ
あともう一息
ただひたすら
眠りの中へ
ダウン、ダウン、ダウン
さあ、とろけるように
ダウン、ダウン、ダウン
地底の夢見のなかへ
ようこそ、いらっしゃいました
インナーワークのレッスンの終盤戦で練習する 「極微のエネルギー」をつかまえるワークのファーストステップは カードをつかったワークです。 カードの意味どおりにリードするのではなく カードの意味を無視して、シンプルに パっとこの絵にどのようなエネルギーを見るかのエクササイズです。 これを上手にできるのを発見するとき 「私もカードリーダーとして占い師になれる!」と 自信を持ってくださいます。 ここにくるまでレッスンを重ねてくることで あの世の世界と仲良くなる技術がだいぶ鍛えられるからです。 |
きょうは「グラウンディング(肉体化)のヒミツ」を
ポエムにしていますね。
***
「もっとくるくると」
「もっと遊び心でいい」
そんなメッセージを
土曜日のレッスン時、
私の二次プロセスから
いっぱい受け取りました。
私の喜びのひとつは
レッスンをお求めくださっている
生徒さんの練習のために
私に対して
ワークを施していただくこときです。
クライアントの方の成長を
そこに発見するからであり
それは精神世界のガイドとしての誉れでもあります。
インナーワークのレッスンのひとつに
「極微のエネルギーをつかまえる」
というテーマがあります。
インスピレーションや直感の一歩手前レベルで
「実存する極微のエネルギー」を
キャッチする練習です。
目には見えない何かを
「あ!ある!」という感触をもって
実感と確信をもって
伝達(表現)する練習です。
そのインナーワークのレッスンが
土曜日は立て続けにありましたが
そこでのデモンストレーションや
生徒さんのワーク練習で
メッセージをいただいたりなどしたなかで
どの回も
「もっとトリッキーに」
といった意味合いが
私に提示されました。
私に今起きているストーリーを知らない
クライアントの方に
カードによるワークをしてもらったときに
見事にそのエネルギーをつかまえてくださって
拍手したのでしたが
同時に
二次プロセスに発生しているエネルギーとは
本当にそら恐ろしいと
あらためて感嘆しました。
私がその二次プロセスをかかえて
社会を歩いていると
私と向き合ったひとは
なんでだがわからないけど
この「トリッキー」エネルギーにからめとられて
なんでだがわからないけど
トリッキーに私にかかわりたくなってしまわせてしまう、
というドリームアップ現象も生んでしまうのです。
***
「アウェアネスをもって意図的にいかに
もっとトリッキーに生きるか!?」
これが私の大命題。
実際に算命学で読むなら
私の「天剋地冲」は
それを表してもいます。
(これでタオと
私の現実と、
第三者からのフィードバック
という二次プロセス
すべての符号が一致!)
====
余談ですが、実は私の母も「天剋地冲」をもっており
最近の私たち母子のヒットネタは
母の「陽世界」における「現実線」が
ルイ・ヴィトンのアートディレクターを今季終了した
マーク・ジェイコブズと一致している!ことなのですが
母に「マーク」がどのような人物か
ググって写真を見せたら・・・
「あ。ほっておいたら、ママこうなる気持ちある」
といったことに私は
目を丸くしたのですが
それはもしかすると母の「天剋地冲」の
「トリックスター要素」のなせるわざでもあり
http://www.french-code.com/news_9_28から転用 |
さらにはそれを持っている私もまた
「マーク」のこういった姿勢をどこかに秘めていると
解釈してもおかしくないなあ~
とうなってみたりもしたのでした。
=====
話を戻します。
そのために
私の今の命題は
どれだけ精神を軽やかに舞い上がらせるか
そして
そのためにも
自我の枠組みをどれだけ重厚で堅固な館へと
仕上げていくか
にあります。
アインシュタインの相対性理論のとおりだからです。
精神だけを舞い上がらせても
舞い上がらせても
残念ながら
それは空中楼閣に終わります。
器と枠がなければ
それは雲散霧消するのです。
重要な決め手は
この肉体の使い手となり
エネルギーを
わが肉体という
鞘にしっかりと納める意識も
養うことです。
精神の夢見を肉体に
しっかりとおろしてつなげていくこと。
それは実は、もっともっと舞い上がる精神
を経験することもできる秘密でもあるのですが
肝心なのは
「どのようなライフスタイル」
「どのようなプロフィール」
「どのような精神の鋳型」
に我をおさめるのか?
「枠組み」を確固たるものにすることで
相対作用から
精神は舞い上がりやすくなります。
がんばって躁転させて舞い上がらせるのではなく、
「勝手に自然に」舞い上がってくれる仕組みにもなります。
労力小さくして、確かな夢見とつながることができます。
また
精神の飛翔を感じれば感じるほど
精神の鋳型および
ライフスタイルの枠組みは
より確かではっきり、重厚なものにすることが
ポイントです。
精神が飛翔して躁転するとき
気を付けないといけないのは
エネルギーのもれこぼれが起こるからです。
たとえるなら
私だと総じておこりますのが
「物質」か「異性」
でしょうか。
もれこぼれ現象。
そこで努力して捕まえる必要があるのが
それらに投影しているエッセンスです。
そしてそれとひとつになることです。
引き受けることです。
さて、
最近私はここでも開示していますように
「ルイ・ヴィトン熱」があがってきました。
ある意味、それはライフスタイルの枠組みを構築する作業で
大変有用と認めているのですが
同時に度が過ぎれば「ただのもれこぼれ」とも
アウェアネスを向けています。
また出かけた先で異性のフラートを
受け取ってしまったりもしていることに敏感に反応していまして
たとえそれが相手の持ち物であるといえど
やはり受容体の私の側の問題もあるわけですから
速攻でインナーワークです。
そこで見つけ出したものが
「もっともっと遊び心」
「もっともっとトリッキーに」
という要素だったわけです。
これは理知や頭脳では見つけられない領域です。
ですが
この要素を私が生きていないと
私の無意識が
「遊び心とトリッキーさ」でもって
「物質」と「異性」に翻弄されるようにと
私の人生であるにもかかわらず
私の無意識が
私の人生をコントロールしはじめるのです。
これを「運命に翻弄された状態」というかもしれません。
「宿命」は変えられません。
ですが
「運命」は意欲ひとつで
「翻弄されるもの」から
「コントロールして自ら開拓するもの」に
変えることはできるのですが・・・
あいにく
そこにはワザがいるため
ほうっておくとわりと
「翻弄された感じ」
で迷走するはめになるのが
われわれの人生のヒミツのひとつ
ともいえるかもしれません。
うわー!無意識ってこわい!
しっかり向き合っていないと
本当に厄介です。
だから
私はインナーワークの重要性を
一生懸命にここで表現させていただいているわけです。
私が
「遊び心とトリッキーさをもっと現実に発揮しているところ」
を今ここで想像するなら・・・
そうですね。
もうだいぶ
衣食住の「枠組み」はそろってきたので
私の魂は
おのれの肉体と
あいまみえる用意が
整ってきたようです。
あともう一歩のところは
私が私の精神を
遊び心でトリッキーに
いじくりまわす
ことを慣習にすることですかね。
そのように想像すると
もはや私のお友達は
「物質」でも「異性」でもなく
目の前のノートパッドと
愛する万年筆しかない
ということがわかってきます。
選択肢をかなり絞り込んできましたね!
この絞り込みも
「枠組み」を
きゅーっと固めている作業になります。
いい感じ、この調子です。
以上、きょうは
「エネルギーのもれこぼれ防衛術でした」☆
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