みなさん、こんにちは。
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本日は朝日中学生ウィークリーさまから
ラブレターの書き方についてのご取材をいただきました。
2月10日の発売の号です。
お子さんのいらっしゃる方がいらしたら
よかったら手に取ってご覧になられてみてください。
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さて。
私がなぜ毎日自分の顔写真をとってアップしているのか?
それは・・・
私の「自己分析法」のひとつだからです。
意識、無意識、精神のありようの
プロセスと変化に対して
自分の表情とオーラと中心軸が
どのようにうつろっていくのかを
中学生の定点観測日記のように
客観チェックしているのであります。
そうやって
自分の現在にアウェアネス(自覚)を
しっかりと向けていたいのですよ。
微細な自分のパターンを
読み解きたいからでもあります。
こうなってくると
私はただの凝り性、はまり性、ヲタク。
自己認識を深めるばかりです。
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そんな自己分析をこんこんとくりかえす日々の私ですが
あらためて「生きやすさ」のための精神の核心とも
思えるテーマをご紹介します。
まず質問です。
みなさんは、人生早期に
異性親をどのように知覚していたでしょうか?
私はその後の父親の暴力によって
まるっきり記憶を失っていましたが
この2週間あまりの間に思い出したことには
「お父さんのちょっとワイルドな空気がかっこいい!」
でした。
実際の父親はぜんぜん違うのですけど
それは問題ではありません。
本人が知覚した主観がすべてです。ここでは。
私が子供のときに投影したのは、確かにそんなものでした。
そこから芋づる式に洞察を深めて
思い出されたのは
そうだ!
私は小学生のころ「番町」という異名をとっていたんだっけ、とか
そういえば、親が私立の中学に進学させたのは
私がほっておくと不良グループと仲良くなっていくと判断したからだったとか。
近所の家の屋根を渡り歩いて冒険ごっこをして遊んでいたとか。
私はものすごーくプリミティブでパッショネイト、
ワイルドでおきゃんな
スーパー自由人気質だったんじゃん!!!
です。
このあたりの指向性が
幼少のころの異性親に対する
評価に凝縮されていたのですね。
ようは人生最初の異性に投影されるエッセンスこそが
自分のなかの異性性であり、魂のテーマのひとつだからです。
つまり、親に投影したそれを
「自分のものとして引き受け、和解して、それと文字通り結ばれて、
癒されて、安らいでいるところ」を体験すること以上の
至福はないとまでいうことができてしまいます。
現実の出来事は
究極的には
このテーマを達成したいのに
達成することができないままに
くりかえされるトラップのひとつともいうことができてしまいます。
「自己実現」のテーマはズバリ、この問題でもあるのです。
話を私の「ワイルド」に戻しますね。
残念なことに、私の考える「ワイルド」は
庇護者である両親の好きな子供像とまったく違っていました。
親子の相性はちっともよくありませんでした。
ですが、親はうるさいし、いい子にしていないと
「金を出さない」と父に脅されたりもしましたから
中学生ぐらいから
親の考えるキャラクターにシフトしていったのでした。
そして、知らぬ間に「ワイルドってなんだっけ?」にまで
変わり果ててしまったのが、今年の上旬まで。
そこからあることをきっかけに分析がスタートして
いま、「OH!ワイルドでいいんだ!」となり
すると、人生は本当に楽しい!
これが
「そのひとのなかの【こころの闇】を引き受ける」
ことでもあります。
また「内なる異性親との結合」でもあります。
この境地に入ると大変楽でございます。
この深層心理のトラップは
「アダムとイブの失楽園」にも等しいのであります。
あなたの失われた楽園を取り戻したいと思ったら
この根幹にまで降り立つガイドがとーっても有用です。
ご興味がございましたら
是非お気軽にお求めください。
ひとりでも多くの方に
エデンの園の至福を
生きながらにして体験していただくことができたら
本当にうれしく思います。
はっきりいって私の言っていることは
何を言っているのかさっぱりわからないかたが多いのも
無理からぬところ。
非常に難しい深淵の部分。
極みの極みであります。
ガイドなしにはたどり着けない世界でもあるわけです。
まずはぜひ一度ご相談ください。
あなたのこころあるプロセスを
まごころよりサポートさせていただきます。
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