どうして【私】をつかまえられないの?
【私】はずっとここにいるのに。
【私】とひとつになることができれば
【私】のために命を燃やしてくれれば
あなたが世界に
翻弄されることはなくなるというのに。
あなたが外の世界にみて
心ふるわせているものは
すべて【私】のことなのだから。
【私】はここにいるというのに。
あなたはいつも外の世界を追いかけて
外の世界から補うことばかりに忙しくて。
いつになれば成就するのだろう。
【私】をみて。
【私】の求めていることがわかるかしら?
【私】のあるままをこの世で表わすことにだけ
心をくだいてほしい。
きょうはお勉強の日と
『原典算命学大系』をせっせと書写して精読していたのですが
ひどくイライラがとまりませんでした。
しきりにイライラしまくって大変!
病的な神経症か?
のたうちまわりたいほどでして。
気が散ってしょうがない。
勉強にならない。
そういうとき私が試みていることは
自覚の力を研ぎ澄まして
自分のエネルギーの指向性、推移を
じーっと辛抱強く観察しつづけることです。
そこで起きているわが反応とは?
数分おきに、ネットサーフィン、
あっちいき、こっちいき、
そうしたかと思ったら、
またまた『原典~』に戻ってみたり
ほどなくしてまたフラートされる商品を
んぼーっと眺めてみたり。
とりわけこの2週間ぐらい
インナーワークの個人レッスンで
デモンストレーションするときに
ナポレオン戦争の兵隊とか
私の好きなDSゲーム『信長の野望』とか
「闘争」エネルギーのビジョンをしょっちゅうみていることとも
符号はあうのですが
同時に、朝おきがけのワークや
日中の白昼夢で
バーバリーのブラックのトレンチコートが
ちらちらと浮かんでしかたがなくて。
きょうもそれがずっとちらちらちらちら。
サイトを眺めては、ため息。
でましたよ、私のカルマパターン。
おもいきって「買えば」という説もありますが
前段で、ひとしきり2月末から3月上旬にかけて盛り上がった
ユニクロワークですでにかなり疲弊してます。
おまけに、こちらのコートのお値段は一桁から二桁も違います。
私のように、サロンと自宅の往復だけで
人生が進んでいくひとにとって
コストパフォーマンスやいかに!?
自分のためにおしゃれを楽しむことは好きですし
一生もの感の高いコートですから
買えばいいといえば買えばいいのですが
インナーワークをガイドさせていただいている立場としては
ここに隠されている私にとっての暗号を
読み解かないのは、本末転倒であります。
きのうまでの私の認知では
バーバリーのトレンチコートは
仕立てが非常にしっかりとしていて
実際に銀座のフラッグショップで
袖を通してみてわかったのですが
見事な自我のコンパートメントを約束してくれる!
男性がマイワールドの確保を感じて
マイカーを乗り回すことが好きなように、
このコートは私にとって
外界の余計なエネルギーを
すべてはねかえしてくれる!よせつけない!
私のスピリットにとって
堅固な要塞となってくれる感が
200点満点。
私は私でいいのだ感もぐぐんとアップ。
しゃきっと颯爽とクール!
さすが「軍服」生まれ。
そのことをスタッフのひとに教えてもらって
道理でこのところワーク中に
昔の軍人が、それもナポレオン系が、
でてきてたわけだ!と
符号の一致と合点がいったのでした。
私にとっては非常に
スピリチュアルなワークの意味合いも含むのでありました。
ですが!
このように
「自我の枠設定としての意味合いだ」という
自覚をもっても、とまらなかったのです、
私のイライラは。
そういうときは、答えはもっと別のところにあるのですね。
買えばとまるのかもしれませんが、
今回の場合、
買っても、イライラはとまらないように察せられたのでした。
まだ自己一致できていない何かのためではないか、と。
そりゃ、大変。
未一致の己(おのれ)を探せ!
そこで、イライラを
よーく吟味精査し
自分の身辺で起きている符号の
コンステレーションをチェックしてみて
(こういう場合、私は最近サロンに足を運んでくださっている
クライアントの方の共時性も同時に自分の問題としても計算していきます)
ふっと浮かんだのは
「闘い」のエネルギーを理解はできていても
使いこなすことができていない!
という問題でした。
タオセラピーでいうなら
「攻撃本能」です。
タオの暗号を読み解くと
私の自己世界に「攻撃本能」は非常に少なく
隠された「埋星」程度しかない。
心理学の学習理論でいうと
未学習度高めです。
本能(集合的無意識)として存在する
「攻撃」「闘争」エネルギーを
私のスピリットが外の世界に映し出してくれていることに
気が付けたまではいいのですが
主体者がそれをきちんと受け止めて
そのエネルギーを現実で活かすことができないために
主体者は「イライラ」という攻撃的なエネルギーに
ふりまわされて、今日一日を過ごさなくてはならなくなった次第でした。
これに気が付いたら、あとは強い!
何をするか?
「内なる攻撃本能」に耳を傾けます。
どうしたいか?
それは、
現実でどのように生きることか?
問答をくりかえします。
そして、私の場合、帰着しましたのは
昨年秋からストップしてしまった
小説のアイディア(ここでは内緒)を
形にしていくこととなりました。
理性、感性、感覚、攻撃本能、これらすべてを使って
そのアイディアとこんこんと向き合っているおのれの姿をイメージすると
大きな炎となって
ごーっと音を立てて
燃え上がり
夢中で自己を生きている姿。
この姿を今ここで生きていると想像すると
イライラもなければ
バーバリーのトレンチコートに翻弄されることもありません。
ほっ。
算命学の思想をもう少し取り入れようとして
そっちに軸足を置きすぎたら、それはそれで
優先順位が違う!
と、私の「内なる神」がお怒りだったのですね。
その投影としてのイライラだったと。
ごめんなさい。
というわけで、きょうは
その「内なる神」のパートにつながって
うたをおろしてみたわけだったのです☆
みなさまの「内なる神さま」は
なんとおっしゃっているのでしょうか?
0 件のコメント:
コメントを投稿