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2014年3月9日日曜日

別離・喪失・死の涙 その数だけひとは大きくなると信じて


涙の数だけ

ひとは大きくなると

信じよう

生きていると

出会いの喜びと驚きに

ときめくこともあれば

その数だけ

別れと喪失の悲しみや痛みに

恵まれることもやってくる

どんなに大切に感じるひとであっても

私が私らしく生きるために

卒業して旅立っていかなくてはならない時はやってくる

信じよう

流した涙の数だけ

私は確かに大きく成長するのだと

信じよう

いつかまた

大切なひととふたたび向き合うとき

「あなたとの別離が私をこんなに大きくしてくれた」

と告げられる日がやってくることを

 
きょう、私は、意を決して
 
6年間お世話になった師匠のもとへ
 
「観念的な別れのとき」を告げてきました。
 
先日のブログにも書いた通り
 
私は
 
「タオセラピー論」を大系だてようと考えたとき
 
師匠の存在が
 
自分にとって知らぬ間に大きくなっていて
 
それがかえって
 
自分の道を進む際の
 
妨害要素に転じてしまっていることに
 
気が付いたからでした。
 
もちろん、私の投影、私の精神上の構造が飛び出した話なのですが、
 
この問題をひとりでインナーワークで処理するのは不可能です。
 
関係のテーマだからです。
 
肉体ある師匠ではなく、
 
自らの内なる師匠との決別の儀式をはたすために
 
肉体ある師匠の介添えを求めて
 
カウンセリングを受けてきたのでした。
 
 
私の先生は、独自の世界をちゃんと展開していらっしゃる方で
 
それはそれでとても興味深く、楽しく、面白そうなのですが、
 
私の魂は
 
「開拓者」と「自力運」の存在。
 
自己(セルフ・本質としての自分)に目覚め、
引き受ける腹に居座れるるまでの間のサポーターは不可欠でしたが
 
死の時までに限りある時間のなかで
 
自分の魂の目的を達成させていくためには
 
それこそ「選定」していなかくてはいけません。
 
いつまでも師匠のワールドのお世話になるのは
私の魂ではありません。
 
そこで関係を断ち切るためのワークをガイドしてもらうと
 
私の胸のうちからこみあげたのは
 
自分ひとりでは見つけることのできなかった
 
「胸の痛みと哀しみ」でした。
 
私はまだ甘えていたいのか?
 
問いましたがノー。
 
「深い感謝の気持ちからくる哀しみ」だったのでした。
 
師匠の前で
 
「先生は魂と命の恩人で、先生がいなかったら、私の歴史は存在しなかった」
 
涙ながらに語り「ありがとう」と受け止めてもらいました。

さらにもうひとつ。

「私のお金に対するエッジがあるなかで

自我の私が抵抗するも

まるで神様に首輪をはめさせられ

身体反応にでるなどして、ひきずられるようにして

大枚を出し続けることのできた

未知なる存在、神の恩寵、その摩訶不思議さ

魂の救済をおしすすめてくれた自然界の摂理にも

頭が上がらない、すべてに感謝だ」

とも。

「死」
「喪失」
「別離」

師匠は「ちょうど卒業シーズンだ」といったが
「卒業」そして
「自立」
「門出」だ。

そこにあるのは
晴れやかさやすがすがしい希望だけではない。

愛着あるものとの別れは

痛みをともなう。

いつまでも師匠のかわいこちゃん(?)でいたいという
少女の私がいる一方で

それを続けていては、

私は私の道を生きられないという、現実。

肉体はひとつしかないから。

制限ある肉体世界を生きる

私たちのせつなさをかみしめるひとつでもある。


私には肉体の生み親たる両親がいますが

私の精神の生みの親にあたるのが、師匠でした。

つまり「母子分離」の哀しみでもあるわけです。

これはカウンセリングシーンでいうなら

非常に重要な瞬間。

師匠は何度も繰り返し

ゴーストパートの「富士見先生」と

私の間を手刀で分断するように

ワークを指示しました。


カウンセリングが終わったのちも

しばらく、ぼーっとしています。

喪失のむなしさがこみあげているのです。

そこで

きょうはしっかとこの哀しみを味わうことにしました。

ハートの弔い。

その想いで、ブログを書きたくもなりました。


6年間のなかでみた
ふんばりとがんばり
もがきと苦しみ、
希望と光。
そして
成長。

自らをねぎらいました。

そして

師匠との関係性を整理しなおしました。

これからも「自分の世界」を補うのによさそうな情報を教えてもらう
良きサポーターではありますが

弟子としておもねるものではなく
(基本的に、そんなにおもねったことはないけど、
気持ち的にはランク下にまわっていた)

胸をはってひとりの個として
認めてもらうことのできる日を
目指して、

引き続き独自の学びの世界に埋没していく、という
構図を見出したのでした。

しばらく
「中国思想の浴槽につかる」というと

「ミンデルも中国系だしね」と先生。

え!?!

「知らなかったの?」

「はい、いまショック死しそうです、どうりで!
えらいことうまいこと東洋思想!」

そして・・・うーん。
 
私は先生のグループと自分を分断しようと思ってでかけたのに
 
先生は、集合的無意識のつながりを最後に提示してきた。
 
すべてはひとつのところにかえる。
 
そんなことを伝えたかったのだろうか。
 
よくわからないけど
 
ミンデルグループを自分のなかでどのように位置づけたらいいのか
 
またわからなくなってしまったのでした。
 
でも、はっきりしているのは、
とにかく古代中国の思想のマスターを目指して
猛然と勉強にふけることです。
 
ミンデルグループがしめす関連性は
しばらく引出の奥であたためることにして
 
最後に師匠に忠告をもらった。
 
「ある国のシャーマンは、年に2回しか変性意識に入らない。
そのあとはへろへろになって、みんながそのシャーマンの面倒をみる。
そのぐらい命がけの世界だ。そしてそのシャーマンが天地人をつなぐ王なんだ」
 
と。
 
ハイ、先生、わかっています。
 
以下は先生にはいわずに、部屋を出た。
 
「だから高尾義政先生は夭逝した。47歳で。
 
もちろん要注意していく世界であることは確かだが、
 
立体五行説たる算命学は奥が深くて、
易経よりも元型の種類がこみいっていて精緻だ。
 
シャーマンが命がけでひろいにいく暗号はもうはじめから
干支世界で表現されていて、その古代中国人からの恵みには感謝しなければならない。
そして、私の命題は、それをエネルギーワークとしてとらえ直した世界を
きちんと大系だてることなんです。
でも問題はそのさらにさき、それをベースに物語をつくるという魂の宿題がある点ですけど」
 
ともあれ、きちんと大系化することが先。
 
できたら、ミンデルがまだご存命のうちに
英訳してプレゼントしてさしあげたい。
 
・・・無理かな、さすがに、これは。ぐすん。
 
でもミンデルさんにも本当に感謝しているんです。
 
 
視野を広げてみれば
 
「私」という存在を
 
支えてくれている
 
先人の知恵のなんて多いことでしょうか!
 
大河的な視点でいえば、
 
そんな世界のどこにいったい孤独がありえるというのでしょうか!
 
 
最後まで読んでくださってありがとうございます。
 
ここまでかきとめて
 
ようやく胸の内が整理できたのか
 
そろそろ落ち着いて眠れそうです。
 
 
もしもあなたが釈然としない思い、判然としない感情
やるせない気持ち、に包まれたら
 
「表現」
「アウトプット」
 
をおすすめします。
 
そのための「受け皿」として
 
対話のプロがいいのか
あるいは
絵や文章、音楽、ダンスなど
アート表現がいいのか
もっと日常的な
ブログ表現がいいのかなど
 
そのつど探してみることもおすすめします。
 
流す涙は、どのようなものであっても
ぜんぶ美しい
 
それもまた
あなたが今この一瞬を
生きていることを表す
輝ける素材です

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