ロマンがいっぱいつまった ルイ・ヴィトンのヒストリーブックをいただきました。 |
自分の本質(ネイチャー)に
ぴったりサイズの
ライフスタイルを見つけ出し
そのために行動できているひとというのは
世界の人口の何パーセントを
占めるのでしょう?
ずっと
長いこと
「私の本質が求めるライフスタイル」
が
ちゃんと
わかっているようで
さっぱり
まったくもって
わかっていなくて
苦しみもがきながら
比類ない精神の秘術を味方に
模索と探求を
重ねてきています。
万年筆は、パリ・ミュンヘン・銀座松屋の世界でも3店舗のみでの販売。 自分に「特別感」をプレゼントしたような気分です。 モンブランよりも私には書きやすい 女性らしいサイズと手馴染み。 |
2009年に師匠に
彼のグループワークの現場で
恥ずかしくも
「大崎さん、作家だったら
どういうかっこうをするの?」
と質問をなげかけられて
下を向いて黙り込んでしまいました。
なぜ恥ずかしいかといいますと
魂の世界を熟知した師匠から
「作家の魂を持った方」と
グループのみなさんに紹介されながら
現実では
作家として何も活躍していないことほど
私にとって屈辱的で不甲斐なくて
恥ずかしいことはないからですが、
どうしようもありません。
魂は時間のない世界ゆえ
方向性がわかっても
魂の扉が開いていない段階で
何も書きたい言葉がでてこなかったとしても
自然な現象です。
魂は時間のない世界だから
時間のある現実世界にあって
肉体(自我)の受け皿が
その精神に追いついていなくても
ちらちらと時に浮かんできてしまうのも
ある話。
魂め。
なんで、
こんなに
やっかいなのかしら。
たとえるなら
時間と空間を超越して
ゴースト
(異次元の存在:
たとえば戦国時代のものが
たとえば100年後のものが)
が
この世で見えてしまうのに
似ているかもしれません。
そうとわかっていても
「先生、やめて!そんなことを勝手に
みんなの前で言わないで!」
の気持ちでいっぱいでした。
ここで異常なほど苦労していることが
本人としては
みじめなほどやっていられないのです。
そのとき、その問いに対して
何も浮かんでこなかったからなのですが
30秒後
瞬間的に
アップル社のマックブックエアーのビジョンがでて
「げ!またお金のかかるものが!!」
と
激しい抵抗が
とっさにでました。
いまと比べて
まったく
自分の共時性パターンを
忌み嫌い、嫌悪し
合理的に
なるべく避けて通ろうと
びくびくしていたことが
まるで昨日のことのように
思い返されます。
当時の私は
自分がケチだとは知らず
単に
合理的に
「すでに所有している種類のもので
事足りている以上の
買い物はしたくない」
と至極まっとうかつ良識的な
判断のために
線引きを保とうとしていたのでした。
それが私のスタイルだと意識されていましたし
あらためて
「作家としてのライフスタイルとは?」
と問われても
ピンとこなくて
マックブックエアーは回避して
メガネを買い替えたりなどしてましたっけ。
作家=メガネちゃん?
と勝手に想像したせいで。
今では笑える発想に思える。
最近、気持ちがうんとすっきりしてきて 自己に満足しているせいか オーラが明るくなった気がすると 自画自賛。 |
そんな私が
努力の甲斐あって
スピリットの言い分に従うことのできる
柔軟性を磨く
や
「ドリームワーク」
などの技術を通じて
スピリットの
合理を超越した
摩訶不思議な世界に
自らがんがん飛び込んでいく
修練を重ねたはて
見えてきたのは
私の作家魂がスタイルとして
ルイ・ヴィトンを指向しているということでした。
私の場合
どこまでいっても物質にでてくるのですね。
これはもうかえられません。
個性。
よって
私の「内なる神」へのお供え物として
ルイ・ヴィトンのレポートパッドと
万年筆を購入しました。
投影しているものはたくさんあります。
気品
絶対黄金律
本物志向
スーパーメジャー
旅へのロマン
実用性の高さ
etc.
これを身近なアイテムとして
そろえてようやく
モノグラムのリズム感あるデザインは 私にとって自分の夢世界に誘ってくれる 変性意識への扉。 コーラルピンクの万年筆が その旅路の灯明となってくれるイメージ。 |
心の重心が
ずーんと
第一チャクラまで下がったまま
肉体を感じられるようになりました。
要は
エネルギーが余計なところに
飛び出す「気」がおさまったのでした。
「気」がおさまるというのは
そのスピリットとしての
ありよう、スタイル、枠組みが
ぴったりサイズだからですね。
共時的には
先日の詩人・故まどみちおさんのスピリットの
深層ワークで体感した
境地と私のなかでは一致しています。
あたかも
万年筆のペン先に
「内なる神」のことばを
チャネリングするかのような
感覚があります。
その「枠組み」がそろったのです。
サロンは私の「内なる神」の神殿ですが
より「精神を現実におろす行為の枠組み」としても
同様に
ご神体をおさめる箱がいるようで。
きゅきゅっと
ここ(万年筆とレポートパッド)に
エネルギーを
しぼりおろせるようになって
胸をなでおろしています。
子供のころに
こっくりさんをして遊んだ感じに似ていまして
今はまだはじめたばかり。
作家魂との信頼関係を
いちから築いていく段階です。
散文ばかりがでてきて
理性的な私が
いらついたりしますが
それでもあきらめず
千里の道も一歩から!
一歩、一歩、コツコツと。
この万年筆とパッドを通じて
「内なる神」の自由なダンスと
向き合い続けたいと思っています。
や
の
レッスンでも
しきりにガイドさせていただいているのは
私は何者かのエネルギー探し(中身さがし)
と
その中身が安心できる容器づくり
と
それらが安定的に機能できる
ライフスタイルの枠づくり。
これさえしっかりジャストサイズで
決まれば
あとは日の目を見る日まで
ただその流れを
ベルトコンベアーにのったように
繰り返せばいいだけ。
ここまで進んでくることのできた
恩恵のすべてに
こころから感謝します。
0 件のコメント:
コメントを投稿